アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第4章 最善の選択肢と最悪の選択肢

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    幕引き劇

     
     春の夕暮れの空の下、一人の老紳士が死にものぐるいで走っていた。
     ハガクレ・チェバスサン――。異端の貴族。
     彼は全力で走っていた。道行く人々が不審な視線をハガクレに向けている。彼にとってこんな屈辱は初めてだった。
     ハガクレは死ぬこと自体は怖くなかった。ただ、彼には大いなる目的があった。だからこんなところで死ねなかった。誇りを捨てて逃げてでも、その目的を果たさなければならなかった。
     それは――異物(マザリモノ)と呼ばれる全ての存在を、世界に知らしめて日常に同化させること。異物が、世界に否定される存在でなく、世界の常識として認められる存在へと変えたかった。
     そのためなら彼はなんでもやる。たとえそれが、究極の魔女と呼ばれる、絶対の存在・天乃廻リンネを倒すことであっても、彼はそれをやり遂げる。現に彼はそれを果たした。いや、ほとんど達成しかけていたのだ。
     なのに、最後の最後の詰めで、まさかの事態に陥っていた。あと一歩のところで立場は逆転し、彼は窮地に立たされた。
     それもこれも全ては天乃廻リンネから命を分け与えられた、一人の少年。そんな取るに足らないちっぽけな人間の、信じられないような能力によって。
     そもそもハガクレの能力は、いかなるモノにも干渉することができない無敵の力であるはずだった――。
     量子力学の世界では、光は無限のルートを同時に通って目的地に向かい、その中で最短の結果を出したルートだけが残り、その他は消滅する――という解釈がある。つまり光は同時にいくつもの姿が存在しているという、並行世界論にも通じるような説である。
     ハガクレ・チェバスサンの能力は、まさに光の在り方であった。
     彼は、同時に存在するいくつもの選択肢から、最良の結果だけを選び取って他の可能性を消し去ってきた。だから伽藍方式のような、自分よりどれほど格上の相手と対峙しても恐れることなどなかった。無限にある選択肢の中から、その選びとった結果から発生する無限の並行世界の中で、自分が生き残る最良の世界を選び取ればいいだけなのだ。
     一言でいうのなら――いわば彼の能力はプログラミングでいうところの、検証。
     たった一つの結果に至った世界が製品版とするならば、ハガクレは製品版が出る前の世界――デバッグ版の仮世界を検証し、自分が納得した世界を製品版として世界に送り出すのだ。
     そうやって彼は常に世界を検証し、最良の世界だけを選び取ってきた。
    「な、なのにいいいィィィっっっっ! わ、我が輩の選ぶ選択肢が……すべて最悪な結果になっているッ……ぎゃ、逆を選んでもっ……自分の思う最悪を選んでも駄目だなんてっ……何を選んでも最悪になる! 並行世界の全てで我が輩はあいつに勝てないっ! 我が輩はどうすれば……どうすれば最善なんだアアア!!!!」
     まさにあの少年の能力はハガクレを殺すためにあるようなものだ。そんな都合のいい……いや、そんな都合の悪すぎる能力があるなんて信じられない。おかしい。そんなものがあるはずはないのだ。
     だが……信じられなくても事実は事実。否定したくてもそれは受け入れなくてはならない。一見完璧に見える世界にはいくつもの歪み(バグ)があることを、他ならぬハガクレが誰よりも理解しているのだから。
    「ひっ、ひとまず、この場だけは逃げきらないと……この場さえ逃げきれば、チャンスはあとからいくらでもできる……っ。我が輩には全ての栄光を選び取るチカラがあるッ」
     ハガクレはもはや最弱の異物(マザリモノ)だった。どう行動してもあの少年に負ける。
     ヒドゥイヤロを一瞬で殺した時の恐ろしさも、リンネを一撃で葬った時の絶望も、その姿からはまるで感じさせなかった。彼は惨めに逃げまわっていた。
    「ひっ、ひやあああああっっっっ!」
     曲がり角にきたとき、また頭の中で何らかの選択を選んでしまったハガクレは、奇声をあげながら猛ダッシュで走り出した。何もしなくても選択肢が出現してしまう。彼は分かれ道がくるたびに、その都度選択して道を進んでいく。いやでも頭の中に選択肢が浮かぶ。いやでも無意識にそのどれかを選んでしまう。そのようにして彼は追い詰められていく。最悪に追い込まれてしまう。
     次第に人の姿が少なくなっていき、次第に寂しい場所へと景色が移り変わっていく。
     守代の拒絶の能力は、ハガクレの選択を最悪の結末に導かせる。ハガクレが何をしようとも、彼の前に選択肢が表れてそれを決定しなければならないというのなら、その先には全て後悔のみが待っていた。
     そしていつのまにか、ハガクレは山道を走っていた。両脇を生い茂る木々に囲まれた階段を駆けあがっていた。木々の隙間から漏れる西日がハガクレの目を焼きつける。
     きっとハガクレが選んでいる道は、死出の道程なのだ。ハガクレは、頭の中に選択肢が現れることが怖くなった。選ぶ度に、自分が死に近づいてきているのを予感した。
     ここで自分が死ねば、いったい何のために生きてきたのか分からなくなる。自分が選んできた選択肢は全て、大いなる目的に繋がっていたというのに。
    「わ、我が輩はどこで……どこでっ」
     階段を登りきった先には静かな風景が広がっていた。ここは古びた神社の敷地らしく、目の前には漆がはげかけた鳥居があって、その先には長く広い参道がある。
    「わ……我が輩はどこで間違ってしまったんだああああああッッッッ!」
     参道の中程で立ち止まったハガクレは、声を荒げた。
    「――なに言ってるんだ?」
     と、ハガクレがきた階段の方から声がした。
     ……ハガクレが恐る恐る振り返ると、鳥居をくぐってこちらにやってくる、守代刻羽の姿があった。
    「僕達に手を出してきた時点で――既にあんたの選択は失敗してるんだよ」
    「あ……あぁ……」
     守代刻羽を見た瞬間に、ハガクレは悟った。自分の最後を知った。
     ハガクレは――最期の選択をする。
     否、これは選択ではない。選択を捨てるための選択。他に選択肢なんて1つも存在しない選択。これから先、もう二度と選択しないための選択を――。
    「うっ、うをををををををおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
     ハガクレは叫んだ。大地が震えるほどの大きな声で、恥も外聞もなく叫ぶ。
     近づいて来た守代刻羽と天之廻巡了が、風圧で飛ばされていくのを見る。だが、もうそんなことも認識していられないほど、彼の自我は失われていく。
     彼は捨てる。余裕も優雅さも気品も捨て去り、自分自身を捨て去る。
     だがそんな事は怖くない。本当に怖いのは何も果たせずに死ぬこと。
     だから大いなる目的の為に、彼は全てを捨てた。
     もはや彼には、何も見えなかったし何も聞こえなかったし何も感じない。ただ、本能的に動く殺戮機械と化していた。
     これでもう、彼は何も判断することはできない。
     もう二度と、彼の可能性の世界が広がることはなくなった。


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