アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第3章 伽藍方式

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    幕間劇2

     
    「いつまで様子を伺っているんですか、先輩」
     伽藍方式の戦闘員、社内プログラミング順位(ランキング)第128位の澤木折花が抑揚のない声をあげた。
     リンネを殺した例の敵――ハガクレ・チェバスサンを監視し続けてもう半日ほど経っている。日はすっかり高く昇っていた。ビルの屋上というこの場所は日差しをもろに受けて、しかもコンクリートからの照り返しもあって暑いし眩しい。
    「得体が知れねぇ相手なんだよ。ヤツの能力だって判明してねぇ。迂闊に戦うのはまずいだろぉが。ばか」
     同じく伽藍方式のランキング第8位、市川右近が巻き舌気味に答えた。
    「じゃあどうするんですか、ずっとこのまま見てるんですかぁ?」
     折花は不満そうに言葉を漏らした。
    「……」
     市川は折花の愚痴を無視して、双眼鏡で、廃ビル最上階の部屋の窓際にいるハガクレを監視し続けていた。ハガクレは古びたイスに深く座って、涼しげな顔で目を閉じていた。
     ――市川と折花は今、ハガクレが潜んでいる廃ビルから数百メートル離れた高層ビルの屋上にいた。廃ビルよりもずっと高い建物で、ここなら人も来ないし見晴らしもいいと、市川は何時間もずっとハガクレを見張っていた。
     そして市川の後輩である折花も、仕方なく同じようにハガクレを見張っていた。市川が言うには、ハガクレは2人がかりでも勝てるかどうか分からない化け物だという。
     しかし折花にはそれが信じられなかった。確かにハガクレが強いという事は分かる。だが、市川がそんなに慎重になるほどの相手なのか、というのが正直な感想だった。
    「……そんなに心配なら応援を呼びましょうよ。せめて第4位の沢渡先輩がいれば、あのビルにどんな結界が張ってあろうが簡単に突破できますよ。彼女のあのプログラミング能力があれば全ての罠は無意味です。すぐに終わりますよ。ね?」
     折花はとろんとした目で淡々と提案してみた。
    「ああん? それはもっと駄目だろ。応援を呼んでしまったら、何のために1年も潜入活動してたんだって話になんだろうが。俺達だけでなんとかしねぇといけねぇんだよ。そもそも俺はあの女が嫌いだ……何を考えてるか分からねぇしな」
     市川は忌々しそうに顔を歪めた。
    「先輩。でも命には替えられませんよ〜」
     と、折花が右手を挙げて言う。
    「命を賭けろ。この任務がうまくいけば間違いなく俺はのし上がれる。そして俺は組織を手中に収めるんだ」
     市川がニヤリと口元をひきつらせた。
    「まだ先輩はそんな夢を見てるんですか……はぁ〜。なら、アタシ達でどうにかするしかないってことですね」
     いまだに敵の能力も分からない現状。戦闘力は恐らく、これまでの彼らが戦ってきた敵の誰よりも高いだろう。不確定要素が多い。
    「どうにかするしかねぇが、確かに簡単にこなせる仕事じゃねえ事も確かだ。経験を積んできた俺だからこそ分かるんだ。……こいつは、ヤバイ敵だって」
    「でもまさかそんな、アタシ達が負けるはずが」
     これまで異物(マザリモノ)と戦ってきて全勝してきた折花には、自分が負けるどころか、異物(マザリモノ)相手に苦戦するという図がまるで思い浮かばなかった。でもこのただならぬ不気味な胸のざわめきはなんなのだ。
     こんなことなら、せめて5位以上のプログラマーが応援に来てくれれば……そう思いながら折花は半分開いた目で、廃墟ビルの最上階にいるハガクレの様子を確認した。
    「ハァ……しっかしこいつは想像以上だった。まさか異物(マザリモノ)にこんな奴がいるなんて……ハガクレ・チェバスサン、か……」
     市川は言葉こそあくまで余裕を感じさせたが、よく見れば顔を蒼白させて震えていた。期待の新生と呼ばれる折花よりも遙かに強い、天才デバッガーと恐れられる市川の初めて見る弱気な態度に、折花は背筋がぞっとする。
     廃墟ビルの中にいる者がそれほどの存在なのだ。
     折花は急に不安になってきた。とても不吉な予感がした。
    「先輩……やっぱりここは一旦退いて、上位プログラマーの応援を呼んでから――」
     その時だった。
     廃墟ビルにいる男を捉えていた視線を逸らしかけた時、折花は見てしまった。
     数キロ先にある廃ビルの最上階。とあるフロアの窓際でイスに腰掛けていたハガクレ・チェバスサンが、木陰に身を潜めている自分達の方を見つめて――にたり、と笑ったのを。

    「――え?」

     直後。
     もの凄い衝撃と、耳をつんざく音、そして突風を感じて、そして目にもとまらぬ超スピードでこっちに近づく――ナニかを見た。
     そして、まだ伽藍方式に入って間もない、経験の浅い彼女でも理解できた。自分はこれから、殺されるのだということを――。


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