アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第1章 カエル荘の住人達

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     カエル荘は規則についてはとても緩く、別に夜も外出禁止になってたりもしないのだが、守代はまるで完全犯罪を遂行する犯罪者のように、リンネや他の寮生に見つからないようこっそり外に出た。
     春の夜風は涼しくて気持ち良かった。空を見上げてみる。ぽっかりと浮かんだ月が綺麗だった。今夜は満月だった。
    「このへんに自販機があればいいんだけど……」
     守代が視線を空から戻して辺りを見回すと、道の端の方にぽつんと自販機が1台置かれているのを発見した。
     お。丁度いいところに――と、守代はさっそくその自販機まで行ってお金を入れるが……。
    「え? う、嘘だろ……動かない。故障してる……」
     100円玉を吸い取るだけ吸い取ってびくとも反応しない自販機。
    「くぅ〜……なんだよ。壊れてるなら壊れてるって書いとけよ……」
     まさか自販機にまで拒絶されようとは。
     守代は泣きそうになりながら、他に自販機などがないか周りをきょろきょろ見渡すが、寮の周辺にはこれといったものはなく、空き家や空き地や荒れ果てた畑があるだけだった。
     見捨てられた土地――それが守代が抱いた感想だった。
    「……それにしてもこの辺りは本当になにもないな……仕方ない。確か近くにコンビニがあったはずだからそこまで行くか……」
     守代はカエル荘に来た時の記憶を頼りに、道をまっすぐ歩いて行った。
     しばらく歩いていると前の方からぼんやり輝く白い光がみえてきた。コンビニの明かりだ。守代は自分の記憶力を心の中で褒めながら足を速めた。
     店の前には、白い光に寄せられてきたのか、小さな羽虫が無数に飛んでいた。
     夜の黒にぽつりと佇む白い光。そして集まる羽虫。なんとも幻想的にも見える光景を、守代はなんとなしに一瞥してからコンビニの中へと入っていった。
     入店を告げるBGMが軽快に流れる。店内には自分と1人の店員以外に誰もいない。
     守代は深夜のコンビニが好きだった。
     昼間とはまるで別の場所であるかのように静かでゆっくりとした空間。店員にもやる気が感じられず、外の暗闇から隔離されたような店内はどことなく退廃的な雰囲気に包まれている。大げさに言うならば、夜のコンビニは世界の終わりに等しい。
    (いや、さすがにそれ言い過ぎだな)
     守代は内心笑いながら、ペットボトルの炭酸飲料とお菓子を買って店を出た。
     コンビニ袋を片手に提げて寮へ続く暗い道を歩いていると、ふと守代は奇妙な感覚にさいなまれた。
    「あ、あれ? なんだ……気分が……変だ」
     先程から感じていた喉の渇き。それが、何の前触れもなく突然いっそう強くなった。
     我慢できなくなった守代は、とりあえずコンビニ袋からペットボトルを取りだして、一気にそれを飲んだ。
     ごくごくごく……と、喉を鳴らし勢い良く飲み干した守代。
     だけど、渇きが癒えることはなかった。
    「な、なんでだ……まだ喉が、乾く……いや、違う」
     違った。守代の異常は渇きだけではなかった。貧血に似た脱力感とズキズキと響く頭痛。体の弱い守代だが、彼にとってもこんな症状は初めてだった。
    「こ、このままじゃ倒れそうだ……」
     急激な体調不良に耐えられなくなった守代は、道の端へ寄っていって地面に座り込んだ。
    「はぁっ……はぁっ……!」
     うずくまって荒い呼吸を繰り返す守代。いくらもともと体が弱いからといって、何の前触れも原因もない強烈な苦しみはかつて経験がなかった。思い当たる節などなにもない。強いて言うなら、生活環境が変わったこと。それだけだ。
    「環境……か。せっかく……念願の一人暮らしを手に入れたってのに……また僕を拒絶するのか……」
     守代は呻くように呟いて視線を上げた。遠くの方にはカエル荘がぼんやりと見える。そして――。
    「…………っ」
     守代は、目を見開いた。
     特に何かを見つけたとかではない。だがカエル荘の近くにある小さい山……その山を視界に入れた瞬間に、彼は何かを感じたのだ。
     その感覚に対して具体的な説明はできない。だけどあえて言うならその感覚は、守代の趣味であるゲーム……それもバグを発見する時に似ていた。
     完全な世界に発生した不具合。それをカエル荘の奥にある、小さくて低い山に感じた。
     気が付けば守代は立ち上がって歩き出していた。一直線に、カエル荘の近くの山に向かって。
     何が彼を突き動かしていたのか分からない。あの山に何があるのか分からない。でも守代は急ぐように脇目もふらずに歩いていた。喉の渇きや目眩や頭痛なんて忘れるくらいに前しか見えてなかった。
     山のふもとまで来た守代。そこにはまっすぐ上に続く古びた階段があった。彼は迷わず階段を昇っていった。
     木々の生い茂る山。月の明かりだけが頼りの階段は足元も薄暗く、周囲の様子もほとんど見えない場所だった。周りから様々な虫の鳴き声が聞こえてくる。かなり怖い。
     しかし、守代は引き返さない。どころかその足は次第に速くなっていった。そして不思議なことに、階段を昇るにつれてさっきまで感じていた苦しみが消えていくのを感じた。
     とうとう階段を昇りきった守代。広がった視界にあったのは――神社だった。
    「こ……ここって?」
     目の前には鳥居があって、境内が広がっていて、奥にはボロボロの拝殿らしき建物があった。
     全体的に古びていて、神主はおろか参拝客もいないだろうことは容易に見てとれた。もはや廃墟の域に達していると言っても過言ではない。
     そしてその廃墟の、見晴らしのいい広い境内に――剣を持って戦っている、天之廻巡了の姿があった。
    「え……なんだ、これ」
     一瞬、守代は固まった。
     非現実的な光景に茫然となった。
     つい数時間前まで一緒に食事していた巡了が、日本刀のような剣を手に、フードを被ったパーカー姿の男と死闘を繰り広げている。
     男は素手だったが、巡了の刀を普通に腕で受け止めて、普通に腕で刀と切り結んでいた。
    (鉄でできてるのかよ、あいつの体……。ていうか……人間じゃない……?)
     たぶんそうだといわれても信じてしまいそうだった。いや、むしろ巡了も含めて2人とも人間だとは思えなかった。
     なぜなら刀と拳で戦う巡了と男の動きは、目で追うのがやっとのくらいの猛スピードで、2人が衝突する度に地響きのような衝撃と雷鳴のような轟音が炸裂していた。
     まるで漫画やアニメのような異能力バトルそのものだった。
    「……なかなか強いじゃない。さすが姉さんの居場所を突き止めただけはある。だが――果たしていつまでついてこられるかな」
     刀を振り回しながら、巡了が男に語りかけた。
    「はぁああああっっっ!? なんだなんだその余裕はよぉおお? まるでオマエが勝つのが当たり前みてぇな言い方してんじゃねぇよぉおおお」
     パーカー姿の男がすごい巻き舌で怒りを露わにした。一見するとどこにでもいそうな20代前半のファッショナブルな若者なのに、こいつは明らかにおかしいと守代にも分かった。
    「ん? そうじゃないの? しょせんお前達なんてこの世界の不純物でしかないじゃない」
     と言って、巡了は男に刀を振り下ろした。男は両腕をクロスさせてその斬撃を受け止めた。
    「ク……クカカカカカッ。そっれはどうかなぁああ……オレ様のチカラを喰らってもまだそんなこと言えるのかねぇええ? オレ様がちっぽけなバグなんて台詞がァアアアア!!!」
     男がフードの中の瞳をキラリと光らせた。
     その時、守代は気が付いた。巡了と男が硬直状態にあるその光景に、異様なものがあった。
     巡了のすぐ背後。そこにまるで、影のように真っ黒なナニかが、地面から明確なカタチをもって浮上してきた。
     それは、人だった。真っ黒な人のカタチをしたもの。それがゆっくりと、背を向ける巡了に向けて拳を振り上げた――。
     ほとんど条件反射のようなものだった。
     守代は――。
    「あっ、危ない巡了っ! 後ろだあああああっっっっっ!!!」
     気が付けば守代は、危険もかえりみず反射的に、巡了達の方へ飛び出しながら叫んでいた。
     なぜ自分でもこんな行動に出たのか分からないが、とっさのことに体が勝手に動いたのだ。
    「――なっ!? か、守代刻羽っ!? どうしてあんたがここにっ!?」
     突然現れた守代の存在に驚いている巡了は、彼に気をとられていて後ろを振り返ろうともしなかった。
    「ばかっ! 後ろにいるんだよ! ……く――そうっ!」
     今にも巡了を襲おうとしている影に守代は飛びかかった。影は案外弱く、守代がぶつかった瞬間にその姿は弾けるように消えた。
     ――が。
    「カァーゥウカカッ! まッさか、ただの人間に見つかってしまうなんてぇ……ついてねえなぁ! ったくよォ!」
     巡了が守代に気をとられたその一瞬の隙をついた男は、巡了の刀を払いのけて守代の方に体を向けた。さらに、消えたと思った影が巡了の背後に再び出現した。
    「だが、本当についてねぇのは……オレ様を殺しに来たのが究極の魔女じゃなくて、テメェらだったってコトだ……」
    「なっ――しまっ……」
     巡了は刀を男か、背後にいる影に向けるべきか逡巡していた。
     だが。その迷いが――命取りになった。
     守代刻羽の。
    「――――う、あっ……?」
     次の瞬間――守代は情けないうめき声をあげていた。守代の目の前には男の顔がある。フードに隠れてあまり見えないが、ニヤニヤと気味悪い笑顔を浮かべているのは分かった。
     そしてすぐに、腹部に強烈な熱さを感じた。痛い。けれど、守代は呆けたようにその痛みが他人事のように思えた。なんだろうと、ゆっくり視線を下に向けてみた。

     男の右腕が、自分の腹を貫通していた。

     まるで自分の体から男の腕が生えているような奇妙な光景だった。そこからはおそらく自分のものであろう血がドクドクと流れている。
    「カカカカカッッッッ! 世界で普通に生きていられる人間が、むざむざとこんなトコに首を突っ込むからこーなんだよぉおお! ざまぁみろォ! ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
     守代のすぐ近くで男が笑っている。耳障りだ。やっと、眠くなってきたっていうのに。
     少し離れたところでは、顔面を蒼白にして立ち尽くしていた巡了がみるみる目を大きく見開かせて。
    「うっ……うわああああ!」
     叫んだ。これが何の叫びなのかは分からないが巡了は叫んでいた。
    「フン……やるか。ツキは今、オレ様に味方している。なんとしても生き残る。ようやくここまで来たんだ。テメェを倒して……次は天之廻リンネを殺す」
     と言って、男が守代の腹から己の拳を引き抜いた。ずるり――と、生々しい感触がした。
     そしてそのまま守代の体は地面に倒れる。倒れゆくなか見たものは、怒りに刀を振り回す巡了と、巡了に襲いかかる影と男の姿。
     3つの人形(ヒトガタ)は、踊るように闇の中を駆け巡っていた。
     だけど、そんなことは守代にとって、もうどうでもよくなっていた。
    (ああ……眠いなぁ)
     地面に倒れた守代の体からは血が際限なく流れ、守代を中心にして周りが赤く染まっていく。
     視界が徐々に白くなり、音がどんどん遠ざかり、やがて守代刻羽は、
     死んだ――。


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