姫の夢を叶える要

epilogue 〜ソラ〜

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

Phantasmagoria

 
 目を覚ませばそこには窓があって、その向こう側には少しオレンジがかっていたけれど青空が続いていた。その中を白い鳥が一羽飛んでいるのが確認できた。なんていう鳥だったっけ……確かボクはこの鳥の名前を知っている気がした。
 頭がぼんやりする。発信源は裏山からであろうセミの声がバックで聞こえていた。今日も世界は相も変わらず平和そうだ。
 だんだんと記憶が明瞭としてくる……ああ、そうだった。確か今は授業中で、ボクは居眠りしてしまって、それで、えーと……何か夢を見ていた気がする……思い出せない……。
 とりあえず辺りを見回してみる。すると当然ここは教室なわけなんだけど……教室の中にはボク一人を残して人っ子一人いなかった。放課後だった。
 オレンジ色に染まった一人きりの教室の中で、帰り支度をしてゆっくりと教室を見回す。
 ここはまるで、時間という概念がなくなった幻想的な空間であるように思えた。

 そろそろ帰ろうか、としたその時――、
「ややや〜? まぁだ残ってる人がいるぞぉ〜。悪いごは誰だぁ〜?」
 と、やかましく教室に入って来る人影がいた。
 その人物はクラスの人気者で、友人が多く、ボクとは反対で、社交的な人物である。
「やほやほー、どしたー元気ないなー?」
 名前は四季方杜岐。にしても相変わらず失礼な奴だ。
「なんで? 別に元気なくはないけど……」
 僕ははねのけるように、そっけなく答える。
「ふーん……何かあったらさ〜僕が相談に乗るから、言いたい事あったらはっきり言うがよろしいアルよ〜。おっちゃん頼りになるアルね」余計なお世話だしつまんねーし。
「あ……ありがとう、でも本当なんともないからさ」
 なんであんたに悩みをわざわざ言わなきゃいけないんだと感じながら答える。
「そう? だったら別にいいんだけどさ。ん〜……」
 そう言うと四季方は何かを考え込み始めた。おいおい、もういいからお前帰れよ。ボクの顔も思わず引きつってしまう。
『ぴんぽんぱんぽ〜ん♪』
その時、思わぬところから助けの声が耳に入った。
『一年四組の四季方杜岐さ〜んっ♪ 至急ダッシュで生徒会室まで来て下さ〜い。もう一度繰り返しま〜す……』
「……っと、いけない。生徒会の用があるんだった。もう行くわ、ばいなら〜」
 忙しい奴だな〜と、内心ほっとしながら思っていると、
「そうそう忘れてた、九重先輩が呼んでたじぇ〜」一言ボクに告げる。
「え? 九重先輩が……? はぁ、しょうがないなぁ」
 また変な事に付き合わされるのか……。憂鬱だ。
「……あの、さ」
 と、尚も生徒会室に行こうとしない四季方はまだボクに用があるようだ。
「……どうしたの?」
「いや……九重先輩って変人だけどすごい美人だからさ、それで……あの人付き合ってる人とかいたり……なんて〜」
 四季方が照れながら打ち明ける。
 ははぁ……成程、そういう事か。


「……何も変わった様子はないな」
「そうですね……」
 オレンジの空が広がる夕暮れとはいえ、夏の太陽がさんさんと照りつける中でボクと九重アキラ先輩は、2人以外誰もいない塔屋の上、つまり屋上出入り口の扉のある出っ張った建物の上で、背中合わせにアスファルトの上で寝ころびながら屋上の様子を見ていた。
 学校裏山からのセミの声がうるさい。そこにひぐらしの声も混じり始めていた。
「そろそろ帰りません? 暑いし、もうすぐ暗くなっちゃいますし」
 それに無性に虚しいし。
「いや、もう少し様子を伺おう。ひょっとしたら――むむむ?」
「……? どうしたんですか九重先輩?」
「しっ、静かにしろ。何か来るぞ」
 九重先輩は声をひそめて自分がいる真下辺りをじっと見つめる。
 それにしてもこの人こんなに綺麗な顔してるのに男言葉なのがもったいないな〜、とボクは場違いな事を考える。
 その時、「にゃあ」と声。
 屋上へ登場した者の正体が明らかになった。
「はぁ……」
 ボクは思わず安堵と落胆の混雑したため息が出る。音の正体は単なる黒ネコだった。いや、でも学校の屋上にネコがいるのもどうなんだろうか……。それを抜きにしても、なんだかあのネコに対して、ボクは無性に心に何か引っかかるものがあった。
「ふん、今日はどうやら何も起こらないようだな」
 九重先輩がつまらなさそうに言った。
「そうですよ〜、こんな場所で謎の密売なんてありませんよ〜、っていうか謎の密売って何の密売なんですか? そもそもなんでボクまで付き合わされるんですか。ボク、先輩のよく分からないクラブの部員になった覚えはありませんよ」
 不満をたれてみる。
「ふふっ、何を言っているのだ君ぃ」と九重先輩は無邪気な笑顔で言う。「世界の不思議の解明に部員だどうだなんて小さい小さい。ちっちっち〜、だよ」
「じゃあ、なんでボクを巻き込むんですか……」
 気圧されながらも反論するボク。
「なんでってそりゃあ君、わたしと君の仲だろ。それに……」
 九重先輩の十八番、にやりとした笑みで、
「きっと、君は前世でわたしの頼れるナンバー2だったんだよっ」
 自信満々に言った。

 その後屋上には何も事件は起こらず、ただクラスメイトの仲よしカップル――小暮さんと宮崎君が現れて、そのいちゃいちゃぶりを見せつけられただけだった。
 自分達のやってる事がなんだかとても哀しく感じられた。
「ふん、そんな事じゃ駄目だぞ君ぃ。世界を守るヒーローに色恋なんて必要ないっ!」
 ……やっぱりこの人に限ってそんな事はありえないよなぁ。


 九重先輩に付き合わされた後、遅くなった帰り道を一人で歩いていると目の前に同じ学校の制服を着た少女が立っていた。
 その瞬間ボクの胸は高鳴った。なぜだろう、ボクはこの人を知っているような気がした。いや、というか同じ学校だから知っていてもおかしくはないのだが、なんというかもっと親密な仲だったというか……。
「こんにちは」
 とボクが色々思案しているうちに、不意打ちに少女が声を掛けてきた。
 っていうかボク? 周りには誰もいない。やっぱりボクに声を掛けてきたのだ。なぜ。
「あの……何か用ですか?」
 ボクの声は思わずうわずってしまった。
 まぁ、無理はないだろう、ボクは学校では人付き合いが下手で暗い奴と評されるそんな人間なのだが、対する少女は髪は夏の夜空のような色――そう、まるで宇宙のような藍色――をたなびかせ、人形のような顔立ちをしていていた。まさに絶世の美少女だった。
 夕日を受けて微笑んでいる笑顔は月並みな言葉だけどまさに天使のような存在だった。
 けれどなんだろう。彼女を見た途端から、なんだか胸がもやもやするような。
「いえ、後ろ姿が少し寂しそうだなって思ったのでちょっと声をかけてみたんです」
 よく通った声で美少女が言った。本日2度目の余計なお世話だ。
「えっと……ボクが寂しそうに見えたんですか……ははは。あの……ボク忙しいので、用がないんなら行きますね」
 ぐさりと傷ついたが、ここは適当に話を切り上げて帰ろう。
「あっ、これから下校するんですか? もしよかったら途中まで私も一緒についていっていいですか」
 なんだってー! その一言はボクにとっては信じられないような一言だった。なんなんだ……怪しすぎるにも程ある。けれど、ボクは不思議と警戒心をそれほど持たなかった。安心してるのか……なんだか以前にも似たような事を経験した気がするのはなんだろう。
「えと……これから寄るところがあるから……だから……えーと、ごめんなさい」
 頭をポリポリ掻きながらボクは言う。寄るところなんかないけど胸が妙にもやもやするこの空気から解放されるなら、と安心しているとまた少女はボクを困らせる一言を放った。
「それでも私はいいですよ。私も暇なんですよ。邪魔になるような事はしませんし、2人の方が楽しいでしょ?」
 そう言うと少女は満面の笑みで微笑んだ。
 ……。いや、騙されるな。きっとボクをからかっているんだ。そうだ、きっとそうだ。なんて恐ろしい娘だ……でもちょっとグラっときたのは確かだった。
「でも今日は遅いし、また今度……」
 と、言って少女から逃げるように立ち去ろうとすると、
「待って下さい!」
 少女はボクを引きとめる。
「な……なんでそんなにボクに構うんです?」
 本当に不思議だった。
 しかし少女は背中を向けて立ち去ろうとするボクに信じられない一言を放った。
「あなたの事が好き――だから?」
 ……なんで疑問形?
 少女の言葉にボクはしばらくその場で固まっていたが、やっとの思いで返す。
「あなたは――誰ですか?」
 聞きたいことはたくさんあるがボクの口から出た返事はそれだけだった。そして少女は、
「あなたにとって一心同体の……運命の人――かしら」
 と一言発して、
「また会いましょう」
 にっこり微笑み、背を向けて去っていく。後ろ姿も可愛らしい。いや、そうじゃなくて。
「ま、待ってっ」
 自分でも分からない。なぜだか反射的にボクは彼女を呼び止めていた。
 彼女は足を止めたがこちらを振り返らず立っていた。ボクは、その後ろ姿に聞いてみた。
「ほ、ホント……なの?」
「何がです?」
 背中を向けたまま少女は言った。先ほどまであれほど穏やかで、安らぐような口調で話していた彼女の声が、しかし今の一声は先ほどまでのそれとは変貌していて、冷たさのようなものを――しかしその中に隠れている優しさのようなものもまた感じさせる声だった。
 ボクはこの声に懐かしさを感じた。
「ボクが好きって……本当?」
 固まったまま返事はない。もしかしてなんか悪い事聞いた? なんだか逃げたくなった。けれど逃げない。このまま彼女と別れるのはいけないような気がする。なんでだろうか。
 と、そんなことを思っているうちに今まで背を向けていた少女がゆっくり振り向いて――。
「ばか、何回も言わせないで……私――あなたのことが好きよ」
 頬を染めて、去っていった。今度はボクは呼び止めなかった。もう言葉は出なかった。ただ彼女を見ている事しか。
 少し進んだところで彼女は立ち止まり、こちらを振り向いた。
「また会えるわ、そのうちきっと。……だって私達は一心同体なんだから」
 少女はまるで決め台詞を放つようにびしっと言って、不敵に笑った。
 ボクは少女の姿が見えなくなるまで動かなかった。いや、動けなかった。
 今度こそ少女は去っていった。ボクの脳にはまだあの笑顔が張り付いて離れなかった。
「ははは……ばかって……好きって……そんなわけ……あんな綺麗な娘が……」
 一人残されたボクは呆然と立ちつくしたまま呟く。
 いつの間にか長い夏の太陽も沈み、夜がまもなく訪れる、そんな時間になっていた。
「なんでボクなんだ……でも、ボクはあの子の事を……」
 こんな事は初めてだった。生まれて初めて自分を認めて好きになってくれた人。こんな、なんの取り柄もないボクを……。ボクの……ボクのこの気持ちはなんなんだ。
 また会える……一心同体、か。
「……あれ?」
 その時わけも分からず、なぜかボクの目から涙が溢れだしていた。
 本当にわけが分からなかったけれど、だから、ボクは――いや、だったら俺は彼女の気持ちに応えないと――。
 ……彼女はとても可愛かった、でもそれ以上になぜだかすごく気にかかった。
 彼女の事を何も知らないのに親しくなれそうだと思った。そうだ、きっと彼女とは上手くやれる、そんな気がした。
 あながち運命の人というのも嘘じゃないかもしれない……だから勇気を振り絞って、明日また彼女に会ってゆっくり話をしよう。
「だって俺は男なんだから」
 今日は七夕の日――織姫と彦星が年に一度だけ会うことを許された日。
 ボクは夏の夜空を見上げる――今夜は満月だ。
 暖かい夜風が妙に心地よかった。

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