姫の夢を叶える要

第二章   走るオモイ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 そんなこんなでオヒメとの共同生活が始まって数日が経ったある日の夕方――。
「うわ……」
「あら、奇遇ね」
 学校帰りの遊歩道で俺は偶然にもオヒメと出くわした。
「ここで何やってんだお前?」
「それはこっちの台詞よ。……はっ、もしかしてあなたストーカーだったの……?」
 驚いたような顔で俺を見るオヒメ。
「いや、どっちかって言ったらむしろお前じゃん! 勝手に住み着いてるし!」
「あなたとくだらないおしゃべりをしてる暇はないの」
「ひでぇ……お前から振ってきて、その切り替え」
 オヒメと暮らし始めて一つ分かった事は、こいつはとても自己中心的でSっ気たっぷりなおよそ性格的にいいところが一つもない人間であろうということだ。
「誰が清廉潔白、茶目っ気たっぷりな美女ですって?」
 うわーっ! 心の声を読まれたっ? しかもかなり曲解してるしーッ!
 俺が驚愕の表情をしていると、何やら丸い物体が転がってきた。
「って、ん? なんだ……ボール?」
 俺の足下に転がってきたのはサッカーボール。
「あら? 誰のかしら」オヒメも気が付いた。
 見れば遠くから小学生位の少年がこちらに向かって走ってきている。どうやらあの少年がここまで飛ばしてしまったらしい。
「ほらよ、気をつけろ」
 心優しい俺は少年にボールを蹴り返した。
 だが少年は黙ったまま無愛想な顔でボールの元へ行くと、そのまま両手で抱えて走って行った。そして少年は何事もなかったように一人でサッカーの練習をしていた。可愛げのないガキだ。
「まるであなたのようじゃない。……同族嫌悪?」
「どちらかと言えばお前の毒舌に嫌悪するわ」
 しかし少年を見つめるオヒメの眼差しは暖かかった……気がした。……シスコンか?
「まぁいいわ……話は逸れたけど、とにかく私はこれからここで大事な用事を済ますから、巻き込まれたくなかったらあなたはすぐ家に帰った方がいいわよ」
 不意に俺の頭の中に数日前、オヒメと初めて出会った情景が流れた。
「また……あんな事するのか?」あんな事を具体的に言いたくなかったが、
「ええ、殺し合いが始まるわ」オヒメは直接的に言ってくれた。
「危険よ、カズマ。あなたはもう帰りなさい」
 冷たく言うオヒメ。なるほどこれは少しヤバイのかもしれない。
「で、でもオヒメ……お前」
 危険かもしれないが、おめおめと一人帰る訳にもいかないだろ。
「あら? 私の事を心配してくれるの? ばかのわりには人を気遣う心が残っていたのね」
 いつもは俺の心をえぐる毒舌が今日に限ってはなんだか頼もしい。でもお前人じゃないんじゃなかったけ?
「けれど私の事は気にしないで。これが私の日常なの。ほら、さっきの子供も危険から守ってあげなきゃ。正義の味方ってやつ。平気よ、夕飯には帰るから」
 そう言ってオヒメは俺をこの場所から遠ざけた。

 遊歩道から離れながら俺は思う。オヒメと初めて出会った日、俺は迫り来る恐怖からオヒメ一人を置き去りにして逃げ出した。あの時の情景。全く同じじゃないか。
 それにあんな場所で殺し合いって……。前の時はともかくあんなとこだと関係ない人間が大勢巻き込まれるだろ……。さっきの少年が――無愛想なガキだったけど――その顔が浮かんだ。
 次第に足が重くなる。このままだと俺は後悔する、きっと。
 もう家の前まで帰ってきていたけれど……俺は……。
 足は止まっていた。体が震える。だから――俺は走った。
 オヒメと一緒に家に帰るために。

「カズマ……どうして来たの……」
 先程オヒメといた場所だったのに、そこは先程とは全く違う場所だった。
「どうなってんだよ、これ」
 まるでオヒメのいる辺り一帯が切り取られたように、そこが恐ろしく濃い霧に包まれたように白かった。そしてその中でオヒメは吐血しながら苦しそうに息を乱していた。
「オヒメ! お前どうしたんだよ!」
 俺は思わずオヒメに駆け寄った。
「き、来ちゃだめ!」
 オヒメが叫んだ。思わず立ち止まる俺。
 そこで俺は初めて気が付いた。この場の中で最も異形のモノの存在に。
 まさに化け物と呼ぶにふさしい形容をした生き物が、オヒメから少し離れた場所にいた。
 黒い――怪物。
「え? ま、まじかよ……。あんなんアリかよ」
 オヒメ同様傷を負っているのだろうか。全長2メートルはあるかと思われる真っ黒い犬のような姿をしたその化け物は体を横たえて荒々しく呼吸していた。牙を剥き出しにしたいかにもどう猛そうな怪物だった。それはおよそこの世の生物とは思えない――悪魔。
 俺はあまりの恐ろしさにその場に硬直してしまったが、目の前には傷ついたオヒメがいる。恐らくはあの怪物によって付けられた傷であろう、痛々しい爪痕が刻印されていた。
「くっ! オヒメッ!」
 俺は震える足に活を入れてオヒメの方に向かった。
「来ちゃ駄目って言ったのが分からないの、ばかっ!」
 オヒメは苦しみながらも叫ぶ。
「バカはお前だよ。無茶しやがって。大丈夫か?」
 オヒメに肩を貸して俺は歩き出す。一刻も早くここから脱出しなければならない。だが――、
 シュン――と目の前を何かが横切ったのを感じ、その瞬間俺とオヒメの体は離ればなれに吹き飛ばされた。
「な、なんだっ!」
 地面に体が叩きつけられた時に恐ろしい光景を目の当たりにした。
 なにかが横切ったその先に例の怪物がいた。俺達の方を見つめている。速すぎる……動きが見えなかった……オヒメはいつもこんなのと戦っていたのか……。
 絶望で動けない中、さらに信じられないことにその怪物は――、
「ハァッ、ハァ……さすが生ケル伝説ノ末裔……オレ達にとってノ死期。マサカここまでの力だとハ……」
「なっ、喋ったっ!?」
 喋った! 2mある真っ黒い犬のような化け物が喋った!
「ハンッ、喋ッちャ悪ィか、ガキィ」
 驚くべきことに獣には知能も備わってるようだ。
 そして喋る怪物は息を荒立たせていたが、どうやらオヒメに大分やられたようだ。傷だらけだった。当のオヒメはまだ立ち上がれないようで地面に膝をつけていた。
「そして……なぜオレの結界ノ中ヲ入ってこれたのか分からンが、運ノ悪いガキだ。悪ィがオマエはアトで俺の養分になってもらう。生命力ヲ使いすぎタ……」
 だがまずは――と、喋る怪物がオヒメに体を向けて、
「テメェを始末しなくッちゃなァ!」
 怪物がオヒメに突進する。弱っているからであろうか、先程とは違い、目に見えない高速ではなかった。それでも俺は確信できた、このままだとオヒメは殺されると。
 だからって俺は一体何をやってるんだろう。俺はオヒメに向かって駆けだしていた。
 そして――。

「――カズマ! 目を覚まして、カズマ!」
 ……オヒメの声で俺は意識を取り戻す。
「気が付いたのっ、しっかりしてカズマ!」
 ああ、良かった。オヒメは無事みたいだな。
「よぉ、大丈夫か? オヒメ」
 俺はどうやらオヒメに抱きかかえられているみたいだ。
「女々しい顔してるくせになんて、こんな……ばかなこと……ばか」
 ははっ、俺にもわかんねーよ……でも俺はもう駄目みたいだ……体中が痛いっていうか、感覚がなくなってきてる。寒い。これが、死。
「あんまりばかばか言うなよ……結構傷つくんだぜ……」
 でもこのままじゃ2人共死ぬ事になるのかなぁ。
「本当の事を言っているだけよ……」オヒメの目は潤んでいた。
「そうだな……俺はばかだ。……あーあ、ほんと何やってんだろ俺は……」
「大丈夫、あなたは死なない。……私も。そしてこの世界も……」
 オヒメの顔が近づく。
 オヒメ……何するんだ? え? ひょっとしてキス? おいおい、こんなところでファーストキスだなんていきなり……ってあれ? キスじゃない……? これは……あ……意識が、無くなっていく。頭が白く……。死ぬのか、俺は。……それもアリかも……な。
 薄れゆく意識の中で俺は、オヒメが圧倒的な力で怪物を惨殺する姿を見た気がした。

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