姫の夢を叶える要

 第一章 廻る世界 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1.  6/30 現在

 
「こんにちはっ」
 桑崎奏目(かざきかなめ)が学校からの帰り道を歩いていると、突然背後から若い女性の声が聞こえた。
「ふえ?」
 と、奏目は間抜けな声で振り向くと、そこには少女。奏目は歩道橋の上、周囲には自分以外の誰もいないのを見ると、どうやら少女は奏目に声をかけてきたみたいだ。
 何ゆえに? と奏目は不審に思いながら、ゆっくりともう一度少女の顔を凝視する……そして思わず息を呑んだ。奏目は少女から目が離せなくなった。
「あ、あのぅ〜……大丈夫ですかぁ?」
 少女は奏目を心配そうな目で見つめ、言葉をかける。その間ぼけ〜っと口を開いて眺めていた奏目がようやく我に返った。
「にゃっ! え? あ、はい……ボ、ボクに、な、何か用……です、か……?」
 ようやく奏目が声を発する。気の抜けた声だった。まぁでも、それも無理のないことと言えるだろう。ドンマイだ。
 なぜなら――学校では目立たず、愛想が悪く、人付き合いが苦手。男か女かよく分からない中性的な容貌で、周囲から浮いていて、おまけに成績は平均以下の奏目……。
 そんな奏目に声をかけてきた美少女は、腰まで伸びたつややかな黒髪をたなびかせ、顔はまるで異国のそれであるかのような彫りが深く、人形のような整った顔立ちで透きとおるような白い肌、瞳はとても澄んだ夏の空のような青色。すらりとしたプロポーションはモデルのようであり、夕日を受けて微笑んでいる笑顔はまさに天使のような存在だった。
 う〜ん……これはもう、神様の意地悪としか言えない人体の神秘。
 しかし奏目が驚いたのは、他にもっと別の部分だった……んだけれど奏目自身なぜかそれが分からなくて、それでも何か忘れてしまっているような気がしていて――。つまりもどかしい気持ちだった。
 そんな感じで奏目が考え込んでいると、やがて少女はゆっくりと語り出した。
「いいえ、後ろ姿が少し寂しそうだな〜って思ったので、ちょっと声をかけてみたんです。にこっ」
 気品さを感じさせる声で美少女が言った。おおっと、これはどういう意味なんだ? ていうか『にこっ』てなんだよ。微笑みが言葉に出ちゃってるよ。普通言うか。
 それよりも今、気が付いた。よく見ればこの娘、奏目と同じ学校の制服を着ているじゃないか。同じ制服でも着る人が違うとこんなにも印象が変わるんだな。
「って、ボクが……寂しそうに見えたんですか。そ、そうですか……あは、はは〜」
 一方奏目は地味にショックを受けている様子。だがそんなことはさておき、このまま得体のしれない少女といるのを躊躇した奏目は、場を適当にはぐらかして帰ろうと思った。
「あの……ボク忙しいので、用がないんなら行きますね〜」
 涙をこらえ、奏目は身を翻してこの場を去ろうとするが、
「あっあの、あのっ、こっこれから下校するんですかっ? も、もしよかったら途中まで私も一緒についていっていいですかっ?」少女の衝撃の一言!
 それは奏目にとっては信じられないような言葉だった。っていうか、意図が分からない。
「ええ!? え、いっ、いや……これから用事があって、寄るところがあるから……だから……えーと、ごっごめんなさいっ」
 すっかり混乱し、しどろもどろになりながら答える奏目。挙動不審だ。
 ちなみに別に寄るところなんかどこにもなかったけど……とにかくこれで解放される、と奏目が安心していたら、また少女は奏目を困らせる一言を放った。
「それでも私はいいですよぉ〜。実は私も暇なんですっ。邪魔になるような事はしませんし、2人の方が楽しいでしょ? ね?」
 少女は満面の笑みで微笑んだ。その顔は邪気がなく、とても綺麗だった。
 その顔を見て奏目は思わず我を忘れて見とれてしまっていたが、けれど、だからこそ一緒にはいたくないと思った。だから――奏目は少女に再び背を向ける。
「やっぱりいいよ。結構時間かかりそうだし、遅くなるし……一緒に行ってもつまらないから……じゃあ」
「あっ……ま、まってっ――」
 しかし少女は背中を向けて立ち去ろうとする奏目に衝撃の台詞を告げる。
「待って下さい、桑崎奏目さん」
「っ――!?」
 自分の名前を呼ばれ、思わず振り返った奏目。時が、止まった。
「なんで……ボクの名前を……」
 奏目は驚きを隠せない顔で少女を見る。
「えっ……そ、その、あの……」
 少女はしまった、というような顔で口をまごつかせていた。
 奏目は少女とつい先ほど出会ってから、ここまでの短い間に奏目の心を激しく変動させられてきた。これ以上のショックはないだろうと奏目は思っていたが――、
「私はその……」
 少女は黒髪を風でなびかせながら、口を開いた。
 その一言は今日動かされ続けた奏目の心の変動の中での最も衝撃的なものだった。
「奏目さんの事が好きだから」


 その日の夜、夢をみた。
 とても高い場所から足下を見下ろしている。でも、高い場所といってもそこがどこなのか分からない。本当にここが高い場所なのかも分からない。下を見ても底が見えない。幻想的な空間だった。
 ふと景色が見えた。というより――頭にイメージが浮かび上がった。
 見たことのない、けれど見覚えのある男が静かに自分に話しかけている。なぜだか必死で何かを伝えようとしているのを感じた。
 遠くに女性の後ろ姿が見えた。この人もどこかで見たような気がする……。
 そこで景色は反転した。それはまるで――幻想の世界から急に現実世界に引き戻されたような感覚だった。
 そして唐突に、車のクラクションのようなものが鳴った。車がこっちに向かってきた。ライトが眩しい。このままでは衝突してしまう。視界は真っ白だ……。


 ――起きた時には朝だった。目覚ましはまだ鳴っていなかった。だからもう一度寝た。しかし……夢はいやにリアルで、頭に残った。


inserted by FC2 system