姫の夢を叶える要

 第一章 廻る世界 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 2.  7/1 現在

 
 学校の休み時間、一人で机に突っ伏してつまらなさそうに空を見ていた奏目に、珍しく話しかけてくる人物があった。四季方杜岐(しきかたとき)。彼女はクラスの人気者で、男女関わらずに友人が多く、奏目とは対称的な、社交的な人物である。
「やっほっ、どしたー元気ないねー?」
 見た目もボーイッシュでいかにも元気系。奏目はこの手の人物は苦手分野だ。というか、よく考えたら得意分野な人物が奏目にはそもそもいなかった。せつね。
「えっ、なんで? べ、別に元気なくはないけど……」
 昨日同じ事を見知らぬ少女に言われ、相乗効果で本当に落ち込みそうになった奏目。まぁ、そんな気を落とすな。いつか良いことあるよ多分。
「ふーん……何かあったらさ、あたしが相談に乗るから、言いたい事あったらはっきり言っても全然OK、無問題よ〜」と、杜岐。
「あ……ありがとう、でも本当なんともないからさ。ボク元からこんなんだし」
 元気がないのは杜岐のせいでもあるかもしれない、そして無問題なんていう寒い台詞を聞かされたせいかもしれない、と奏目は思ってみたりする。
「そう? だったら別にいいんだけどさ。ん〜……恋の相談とかあるんじゃに〜の?」
「そっ、そんなのないよっ!」
 強く否定する奏目。否定しながらも、アルジャニーノとかそういう国がどこかになかったっけ? とかそんな事を考えていた。その時、
『ぴんぽんぱんぽ〜ん♪』
 思わぬところから助けの声が耳に入った。
『一年四組の四季方杜岐さ〜んっ♪ 至急ダッシュで生徒会室まで来て下さ〜い。もう一度繰り返しま〜す……』校内放送の声。
「んにゃ? ……なんか呼ばれちゃったみたいだから行きますわ〜。この声は副会長だな……廊下は走っちゃ駄目っしょ」
 笑顔で杜岐は走り去っていった。嵐のような娘だ。……ていうか走って行ってるじゃん。駄目じゃん。
 色々と不満の残った奏目だったが、気にしないようにして、再び窓の向こう側を見つめた。
 やっぱり明日からは屋上に行くか、と奏目は思った。昼休みは誰もいない屋上がお気に入りの奏目だった。余計な事を考えずにいられる空間。自由な風を感じられる場所。
 奏目は空を眺めながらふと昨日出会った可憐な少女の事を考えていた。


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「――奏目さんの事が好きだから」
 少女の言葉に奏目はしばらくその場で固まっていた。奏目の頭は言葉の意味を必死で解こうとフル回転。
 ――でも駄目。奏目の頭じゃ無理だった。理解不能のままだけど、ようやくして、やっとの思いで一言返した。
「あ、あなた誰ですか?」声は震えていた。
 聞きたい事はたくさんあるはずだが、奏目の口から出た返事はその一言。
 そして少女は奏目の問いかけに――、
「鼎緒姫(かなえおひめ)」と一言答えて、
「……わかったわ、今日はもう諦めます。それじゃあまた、奏目さん」
 にっこり微笑み、背を向けて去っていく。後ろ姿が意味深に見えた。
「ま、待ってっ」
 反射的に奏目は少女――鼎緒姫を呼び止めていた。追う者と追われる者の立場は入れ替わった。
 緒姫は足を止めたがこちらを振り返らず、何も言わず、ただ立っていた。
「ほ、ホント……なの?」
 その様子に異質なものを感じながらも奏目は尋ねる。だが少女は、
「何がです?」
 背中を向けたまま、呟く。そしてその言葉に奏目は戸惑った。
 これまで穏やかで、安らぐような口調で話していた彼女の声が――今の一声はこれまでのそれとは変貌していて、まるで感情がないような、恐怖すら与える声だった。
 しかしそれでも負けじと勇気を出して、奏目は先ほどの質問に言葉を加える。
「ボクが好きって……本当?」
「…………」
 返事はない。奏目はもうこの状況の全てから逃げ出したくなった。半泣き状態だった。
 と、今まで背を向けていた緒姫がゆっくりとこちらに体を向けてきた。
「……!」
 奏目の体は思わず硬直する。涙もこぼれ落ちそう。だが――、
 奏目の目が捉えたものは、先ほどまでと変わらない可憐で清楚な美少女の微笑んだ姿。 そして、
「はい。あなたを――愛しています」
 少女は告白して、会釈をして、そしてまた背を向けて、去っていった。
 今度こそ奏目は呼び止めなかった。いや、もう言葉は出なかった。ただ緒姫を見届ける事しかできなかった。
 十数メートル進んだところで緒姫は立ち止まり、こちらを振り向いた。
「また……会いましょう」
 奏目は緒姫の姿が見えなくなるまで動かなかった。動けなかった。
「馬鹿な……。そんなわけないじゃないか……」
 残された奏目は呆然としたまま呟く。
「あんな綺麗な子がボクなんかに……」
 いつの間にか太陽は沈み、夜が訪れていた。
「なんでボクなんだ……。だってそんなのおかしいじゃないか。こんな、いきなり……そもそも、だって、ボクは……」
 こんな事は初めてだった。生まれて初めて奏目を認めて好きになってくれた人。けれど、
「ボクは、女なのに……」
 緒姫の言葉の何もかもが信じられなかった少女、桑崎奏目。
 何もない地面をじっと見つめる。
 初夏の生温い夜風が妙に気持ち悪かった。



 そうだ。やっと会えた。これは運命なのだ。
 自分でも分からない。でも確信できる。
 まるで……記憶が抜け落ちている気持ち。
 でもきっと、ずっとこの時を待っていたのだ。
 ここからなのだ。
 ……そう。今度こそリフレインから抜け出して――。
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 授業が終わり、放課後になっても奏目はなぜか教室に残っていた。すぐに帰ろうという気にはなれなかった。
 いや、正直に言うと奏目は期待していたのかもしれない。昨日の少女、鼎緒姫に会えるかもという期待に。
 まるでバレンタインの日にそわそわしながらいつまでも学校を帰ろうとしない男子生徒のように、奏目は意味もなく教室に残っていた。まぁ、奏目は女なんだけど。
 なぜ彼女の事がそんなに気になるのか奏目自身にも分からない。昨日は得体の知れない不気味さに怯えていたはずなのに。
 けどだから、このむしゃくしゃを晴らしたいこともあって会いたいのか……奏目は昨日と同じ時間に下校する事にした。
 運命の再会を心のどこかで望みながら。
 だから今の時間帯、昨日と同じく今日も教室には自分一人なのだろうと思ったのだが、
「……むぅ」
 放課後、一人また一人とクラスメイト達が帰宅していくのを横目にしながら、いつものように奏目が一人で窓の外に目を向けていたのだが、奏目以外の人間がこの教室からいなくなるまであと一人となったところで、時間が止まった。
 最後の一人が帰らない。
「……」
「……」
 2人きりの教室は気まずい沈黙で支配されていた。
 鳳仙舞亜(ほうせんまいあ)。よりによってこの人物というか。顔は小さくてかわいく、髪はショートで体は小柄、華奢な印象の少女だが、問題は性格で……まぁ奏目を比較して言うのもなんだが、奏目以上に無口で、何を考えているのかよく分からないような人物で、あまり関わらない方が身のためというのが奏目の舞亜に対する印象だった。
「……」
「……」
 そんな桑崎奏目と鳳仙舞亜だけの教室はやはり気まずい空間を醸し出している。そんな現代のトワイライトゾーン。刺すか刺されるかの沈黙の中、気のせいか奏目はさっきからずっと舞亜の視線を感じていた。もしや本当に命を狙われているのか、ってくらいに。
 奏目の席は一番窓側の一番後ろ。対して舞亜は一番廊下側の一番後ろ。奏目は今、窓の外を向いているため舞亜の姿は死角となって見えないが、痛いほどの視線を感じる。気のせい? いえ、確信犯です、きっと。
 帰りたくても帰りづらい。動いたら負けというか、ヘビに睨まれたなんとか。この空気に耐えられないと感じた奏目はいっそ舞亜に話しかけようとも思ったが、なかなか動けない。勇気が奮い立たない。そもそもそんなアグレッシブさを奏目は持ち合わせてはいない。
「……」
「……」
 沈黙はいまだ続いている。
 しばらく奏目は困り果てていると――なんと唐突に救いの手がどこからともなく伸べられた。
「……帰らないの?」と、無感情でかすれるようなかすかな声。
 っていうか、まさかの舞亜だった!
「教室にずっといる……どうして?」奏目を糾弾するようにも聞こえる舞亜の声。
「あっ、それは……その」体がびくっとなって、そのまま硬直する奏目。
 奏目は冷や汗たらたら。ある意味さらに窮地に堕とされた。
 どう説明すればいいか分からないし、自分でもよく分からない。それに、それを言うなら舞亜も何故いつまでも教室に残っているのか? 奏目が答えに窮していた時、
「……気をつけて」
 唐突に、唐突な事を発言する舞亜。唐突ガールと名付けよう。
 いや、それよりもその言葉は……恐らく舞亜からの忠告。謎の警告……なのか?
「な……なにに?」
 奏目は至極まっとうの疑問を口にした。
「帰るなら気をつけて帰って……」
 無感情な舞亜にしては意外なセリフを口にした。奏目に気を遣っているのだろうか。それともまさかのツンデレさんか。
「ああ……う、うん……。そうだね。じゃ、じゃあボクはそろそろ帰ろかな、あはは」
 ともかく帰宅するチャンスが訪れた奏目は、そそくさと教室を後にするのであった。それはもう、足音の効果音が聞こえてきそうな程のスムーズな動作で。
「今夜、もし今日が明日になってたなら学校の屋上に来て……A棟の屋上」
 だから、奏目には背中にかけられたそんな舞亜の不可解な一言には気が付かなかった。いや、気付いていたけど気にもとめなかった。

 とにかく帰り道。奏目は昨日出会ったかの人物――鼎緒姫――に会えないかと遭遇場所である歩道橋で下を行きかう車を眺めながら佇んていたが、現実というやつはシビアなもので、運命的な再会を果たすこともないままその場を後にしていた。
 一体自分は何をしているのかと不思議に思いながら交差点で信号待ち。奏目は交差点の向こう側、赤信号の下にいる一人の長身の男を見つめていた。
 というか奏目でなくても見つめてしまう。なぜなら一言でいえばその男は相当に目立っていた。明らかに周囲から浮いていた。
 どう浮いていたかと言うと服装。なんともユニークで独創的な衣装である。中世ヨーロッパ的というか、ファンタジー世界に出てきそうな格好。そんな服装に似合った、肩まで届きそうなセンターに分けた金髪の長髪。そして青い瞳の日本人離れした彫りの深いハリウッドスター並のハンサム男だった。ある意味ステレオタイプ。
 奏目が、映画の撮影か何かあるのかな〜とか考えていたら、その当の男がこちらの熱い視線に気付いたのか、笑みを向けてこっちへ向かって歩き出した。でも信号は赤のままだ。
 奏目は呆然と立ち尽くし、車が行き交う交差点をゆっくりとこちらへ歩いてくる男を見ていた。
 車は容赦なくビュンビュン行き交う。男はしかし避けようともしない。まるで車にぶつからない事が予め分かっているように。予めそれが決まっているように。
 そして地獄地帯を抜けた男は奏目の目の前で立ち止まって、
「やぁ、桑崎奏目さん。こんにちわ」
 奇跡の生還を果たした感動の一言……って違う! なぜこの男は桑崎奏目の事を知っているのだ? 近頃になって奏目ブームが到来しているのか? やなブームだ……とか奏目は自分でそんなことを思いながら問いただす。
「こんにちわ。……失礼ですがボクはあなたの事を知らないんですけど……どこかでお会いしましたか?」
 昨日の件で不審人物に対する耐性のできた奏目はつつがなく対応した。
「お、おおうっ?」
 と、男はなぜか一瞬驚いた顔をしてみせたが、しかしすぐにまた、さわやかな笑顔で切り返した。
「あ、あ〜……、そうでしたね。私たち初対面……でしたよね?」なぜか疑問形。
 丁寧な対応をする男だが、その顔は旧友と10数年ぶりの再会をしたかのような、そんな懐かしそうな表情のようだなと、奏目はなんとなく思った。会っているはずはないのだけれど。不審者に変わりはないんだけど。っていうかさっきの驚きは何なのだ。
「私の名前はスカイハルトです。以後お見知りおきを〜」
 男は自らを名乗った。
 っつーか、待て。それは偽名か? 本名だとしたら痛すぎるぞ、と感じる程の胡散臭い名前。
 奏目が戸惑っていると、スカイハルトと名乗った男は突然むかつくくらいの笑顔を向けた。こういうときアニメだったらきっとこいつの歯は今まばゆいくらいに光っているんだろう位のスマイルだった。胡散臭いし、妙に腹が立つ。
「そ、それで、ボクに何の用ですか?」
 奏目は精一杯の疑いの眼差しでスカイハルトと名乗る男を見る。
「はい、顔合わせと……あとは、実はあなたに少し忠告をしようと参りまして」
 しかしそんな眼差しには全く気にせず答えるスカイハルト。顔合わせてなんだよ。
「桑崎さん。あなた……昨日の帰り道に今と似たような状況で少女に会いましたよね。では気を付けて下さい、その少女に。残念ながらあなたはこれから大きな事件に巻き込まれていくでしょうからね」
 なにやら意味の分からないことを語り出したスカイハルト。奏目にはちんぷんかんぷんだ。というか……。
「そんな、なんでその事を……ちょっと待ってよ。意味が分からないっ」
 なぜスカイハルトが昨日の出来事、緒姫との邂逅を知っているのだ?
「今は分からなくていいですよ。これからいやでも知ることになりますから。……あなたに会えてよかった、本当に。私はあなたに会うために大変な思いでここまで来ました。あなたに会えた時、その価値はあったと確信しました」
 と、奏目を置き去りにして一人で悦に浸っているスカイハルト。わけが分からない。
「なんなんですさっきから……どうしてそこまでボクに固執するの……」
「そうですね。それはあなたが鍵を握っているから、とでも言っておきましょうか」
「鍵……?」
「ええ、世界の未来を左右する鍵、ですね」
 とんでもない男に遭遇してしまったと奏目は思った。電波さんにも程がある。が、奏目はスカイハルトの顔にどこか見覚えがあったような気もした。
「とにかくこれからあなたの肩には大きな運命が背負われる、と言っておきましょうか。あなたが望む望まないに関わらず、ね。……私はあなたの味方です。私もできるだけあなたのサポートをしていくつもりでいます。そう心配する必要はありませんよ。あなたは今はただ流れるままに過ごして頂いて結構です。きっと大丈夫なはずです、それが運命なのだから」
 スカイハルトはそのまま笑顔でさよならと、さわやかな別れの言葉を残してどこかに去っていった……と思ったら別れ際に、
「まぁ、またすぐにお会いすることになるんでしょうがね。一つアドバイスをしておきましょう。私と別れた後、気を付けて下さい。事故に巻き込まれないようにね。一応忠告はしておきましたからね」と言って今度こそ退場した。

 放心状態で奏目は帰路を急いでいた。頭の中は先程のやりとりでいっぱいだ。
「なんなんだ……ボクが勇者とでも言うの……っていうかスカイハルトてどんなネーミングセンスなんだよ……遅れてきた思春期?」
 ……いま奏目は精神疲労状態で、とにかく今日は早く帰宅したいと急いでいた。
 だから――奏目は気付いてなかった。注意力が欠如していた。
 クラクションで、気が付いた。
 ライトの光が奏目を照らす。――眩しい。
 奏目が交差点を渡る際、横からやって来る車に気付いた時は――既に遅かった。

 まさにスローモーション。
 時間の流れが遅くなる。走馬燈というのだろうか? ああ、こういうのってホントにあるんだな、と奏目は感じていたがそんな事よりもすぐに体に電撃が走ったように感じた。それは痛みではない、何か違和感のようなものを感じた。不気味な予兆のようなものを。
 車のライトによるものか、奏目の視界は真っ白で、何も見えなくて、そして気を失った。



「…………」
 気付いた時、奏目は交差点手前で両手を地面につけて座り込んでいた。
 幸いにも奏目に怪我はなく奏目に突っ込んできた――どうやらトラックだったような――影も見あたらず去っていったようで、これといった大事にはならずに済んだ。しかし奏目は身の危険の事などどうでもいいぐらいに別の考えが脳を駆けめぐっていた。
「なんでぶつからなかったんだろ……」
 奏目はトラックに衝突する寸前のところで一歩後ろに下がってかわすことが出来た。しかし奏目はその事自体に疑問があった。
「あれは絶対アウトだったはず……」
 そう、奏目はトラックによるアタックを回避できたとは思えなかった。そして、
「あの瞬間ボクの体はボクのものじゃなかったような……操られてたような……」
 奏目は自分の身に起こった身体的な危機よりも奇妙な感覚の方に思考が傾いていた。自分が自分でない感覚……いくら考えても答えは見つからない。
 その代わりトラックとの衝突を避ける事ができた原因には思い至った。それは予めトラックが来ることを予知できていたから。……そう、昨夜の夢の内容である。
 決して偶然で避けたのではないはず。……なぜなら奏目は思い出した。その夢に出てきた男は、ついさっき出会ったスカイハルトと名乗る男だったことを。
 でも、どうして……、と疑問を抱きながらも奏目はゆっくり立ち上がり自身の体をはたいて歩き出した。だが奏目には決して分からないだろう、分かるはずがない。
 そう――もっと大きな異変、恐怖が待ち受けていることにも。

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