姫の夢を叶える要

第二章   走るオモイ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 俺はオヒメを失った虚無感に包まれていた。失って俺は気付いた、オヒメと出会ってからの俺はあいつの存在によってどれだけ救われていたかを。いつの間にかあいつが俺の生き甲斐になっていた。
 オヒメがいなくなった今、俺はこの世界がどうなっても構わないとさえ考えていた。
 でもあいつは違った。オヒメは別の世界の存在だ。でも、それでもこの世界のために必死になって戦っていた。なんで……。命を落としてまで……。
 そしてとうとうその日が来た。俺は何もせずに終わりの朝を迎えてしまった。

「……」
 ――俺は遊歩道に来ていた。オヒメがあの憎き怪物と戦った場所。俺がその際に巻き込まれて人間でなくなった、オヒメと一つになったあの始まりの場所に。
 世界の終わりは刻一刻と迫っている。もう、日食まであと数時間もない。
「……確かこの辺りだったな」
 異物との戦いがあった場所近く――そこに設置された錆付いたベンチに腰掛けてずっとぼんやりしていた。俺はあの日以来こんな感じで、意味もなくあてもなくフラフラと街を彷徨っていた。
 もうどうでもよかった、世界なんて。だが、ずっと頭に残っていた。オヒメの、願い。オヒメの為に……。
 ……いつからいたのだろうか、俺は一人の子供の存在に気が付いた。
 この前オヒメと一緒にいた時ここにいたサッカー少年だ。練習だろうか、今日も一人で飽きずにサッカーをしていた。彼女はあの時どんな気持ちでこの少年を見ていたんだろう……オヒメの澄んだ瞳を思い出した。
「オヒメ……俺は間違っているのか。俺は、どうしたらいいんだ」
 オヒメはこの世界の人間じゃなかった。でも、どうしてオヒメがこの世界を救おうと命を賭けて戦っていたのだろう。オヒメの正体とは一体なんだったのだろう。俺はオヒメの事を知らなさすぎた。もっと彼女の話に耳を傾けるべきだった。
 それでも、オヒメの目的、望み、俺に託された願いは少なくとも知っていた。
「……どうすりゃいいか分からないし」
 世界を救うなんてスケールがでかすぎる。
「ようはあの異物ってやつをぶっ倒せばいいんだろ……それでいいのか? オヒメ」
 具体的に何をすればいいのか分からない。異物とかいう化け物もどこにいるか分からないし、分からない分からない……やっぱり俺には無理なのか。
『だったらねぇ、カズマ。いつか2人でその岬にある展望台に行きましょ』
 ふいにオヒメの言葉が脳裏によぎった。あれはそう、いつだったか昼休みの学校の屋上での事だった。


「ねぇ、カズマ」
 紙パックのアイスココアを飲みながらオヒメがぼやくように言う。
「なんだよ?」
 紙パックのお茶を飲みながら俺は答える。
「私がこの街に来た目的は知っているわよね?」
 俺の目を見据えて不敵に笑うオヒメ。
「いきなりなんだ? あれだろ、この世界を救うためっていう例の」
「そう、それもあるんだけれど……実はもうひとつ大きな目的があるの……いえ、私にとってはこっちの方がとても重要なこと」
 そう言いながらオヒメは首にかけたペンダントを手にとって、開閉式のロケットを開いてその中の鏡を見つめていた。
 鏡面は汚れ一つなく、水面のようになめらかでキラキラと輝いていて、神秘的だった。
 鏡を見つめるオヒメの顔はいつもより真剣な表情で、けれどその瞳は優しさに満ちていて、俺は素直に……とても綺麗だと思った。だから何も言えなかった。
「探し物をしているの」
 と、ロケットに蓋をして唐突にオヒメは言った。
「さ、探し物? 大事なものなのか?」
 見とれていた俺は慌てて訊いた。
「ええ、それは私にとってかけがえのない光。私はそれを見つけなければいけない……取り戻さなければいけない……やっと分かったの。この街にあるって事が。もう決して見失ったりしない、もう離さない。だからもうすぐなの……。私はそれを見つけて……その時きっと世界は救われる。幸せで世界が満たされるの」
「……そう、なのか」
 オヒメの言ってる事がいつにも増して分からなかったが、その顔はとても穏やかで、安らぎを与えるものだったので、だから俺はそれ以上何も言わない。
 しばらく俺達は黙っていたがオヒメの方から話を切り出した。
「……いつも気になっていたのだけれどあの山は何? 結構高いわね」
 オヒメは学校の裏山を指さす。
「ああ、見たまんま、学校の裏山さ。でかいだろ? あそこにある岬が結構な隠れスポットでさ、そこの展望台からはこの街全体が見下ろせるって話だ。すげー絶景らしいぜ?」
 俺は行ったことないけど、と付け加える。
「へぇ、そうなの……」
 オヒメは感慨深そうに裏山を見つめている。
「なんだ、お前行ってみたいのか?」
「なっ、……別に私はそういうつもりで言ったんじゃないからっ。ただ私や異物等の存在はこの世界ではより空に近い場所の方が高い力が発揮できるから、だからちょっと興味が沸いただけなのよっ」
 オヒメは珍しく動揺気味に、早口に語った。
「そうか、それだったら別にいいんだけど……」
「いえ……でもそれなら私が追う異物もあの山にいる可能性もなきにしもあらずよ。そういう意味でも一度行ってみなくてはね」
「……結局行きたいんだろ」
「ふん、だからそうじゃないわよ、ばかっ。……でも、勿論その時はあなたも一緒についてくるのよ」
 オヒメは少し顔をそむけた。初夏の太陽に反射して、金色の髪が輝いた。
「……そうだな、俺達は一心同体なんだもんな」
 やれやれ、素直じゃねーな。
「で、でもカズマ……せ、せっかく行くのだったら……ついでだから、ねぇ……」
 ……そしてオヒメはまるで決め台詞を放つかのようにびしっと言った。


「裏山か……」俺は呟くと自然と錆付いたベンチから腰を上げていた。
 足元に転がっているボールを拾って少年に手渡す。少年は無言で走り去っていく。
「約束……果たしに行かないとな」
 大丈夫、俺達は一心同体だから。

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