姫の夢を叶える要

第三章  巡るミライ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

13.  7/7 ――――

 
「……は、はぁ? なんで?」
 周囲の景色は霧がかったように白ずんでいた。東の方から太陽が顔を覗かせている。どうやら結構な時間が経過したらしい。……それともまた時間が飛んでしまったのか? ……だが奏目はもう時間移動することはないとなぜか確信していたのでその線は考えなかった。周りには奏目以外誰もいない。
「瞬間移動でもしたの……他の人は……」
 自分に起こった事を理解できずにおろおろしていた奏目だったが、やがて重要な事柄に気付く。
「ちょっと待て……ボク、どれ位の間気絶してたの……っていうか今はいつ!?」
 木々に囲まれた景色はやけに白かった……そう、丁度あの時と同じように……。
「まさか……もう! いや、でもまだ世界が終わった訳じゃない。けれど……! 残された時間は少ししかない! なんとかしなければ……。ボクがなんとかしなければっ」
 奏目が鳳仙ビルの屋上で緒姫、謎の獣、さらには四季方杜岐、鳳仙舞亜と出会い、鏡の光に包まれたのが7月6日だった。
 そして今奏目が目を覚ましたのが、日付は分からないが朝だ。
 世界がまだ終わっていないのなら今はまさに、その世界が終わる日、7月7日だということになる。
 そう――とうとうX Dayが来たのだ。
「もう時間を無駄にはできない……。ここにいて緒姫を待つべきか、それとも」
 奏目は未来の記憶を辿り試行錯誤する。
「いや、もう受け身は御免だっ!」
 奏目は山を駆け下りた。
 その途中で奏目は思わず我が目を疑いたくなった。一昨日瓦礫の山と化した我が母校が何事もないように建っていたのだ。
「……そうか、ボクの見た未来でも最初は学校が建っていたんだ、けど……なんで建っているんだ?」
 未来で会った、奏目そっくりの奴は学校が幻想だと言っていた。しかしそんな事が起こりえるのであろうか。
 山を下りた奏目は、少し躊躇したが学校の校舎内へと入る。目指す場所は階段の踊り場。
「やっぱりあった……」
 昨夜鳳仙ビル屋上で見たのと同じ姿見鏡だった。
 奏目はゆっくりと手を伸ばし鏡に触れる。
「……誰かいるんでしょ? 何か反応してよ」
「……」
 しかし何も起こらない。奏目は少し後ろに下がった。
「いや……何かが起こるはずだ……少なくてもこの校舎は崩れるはずだ……! 中に誰かいるんでしょ……だから……な、ん、か、言え〜っ!」
 助走をつけて奏目は鏡を思いっきり蹴りつけた。
 ぴきぴきと音を立てて、鏡面に傷が一気に駆け走っていく。
 そして鏡にヒビがはいっていくと共に光があふれだした。
「やった、上手くいった!」
 しかし同時に校舎全体が揺れだしてくると奏目の表情から余裕が消えた。
「ま、まずいかも……」
 奏目は一昨日の出来事を思い出す。まさに今いる学校が崩壊した事件を。
 校舎がミシミシと音を立て始める。遠くでガラス窓の割れる音。
 奏目は階段を全速力で降りて行った。

 ――学校は再び崩れ落ちた。

「まさか、これはボクのせいだっていうのか……」
 なんとか崩壊する校舎から無事に逃げだす事のできた奏目は、肩で息をしながらグラウンドでへばっている。
「そうだ……鏡……鏡はどうなったんだ……」
 重い腰をあげ、瓦礫の校舎からもう一度あの鏡を探し出して調べてみたがやっぱり何も反応はなかった。そして奏目は悟った。
「それは今のボクがすべき事じゃないのか……3日前のボクがやらなくちゃいけない事……」
 だったら今の奏目はここに用はない。
 自分が果たすべき使命のため、奏目は学校跡を立ち去った。
 次に奏目が向かったのは鳳仙ビルだった。昨夜の事も勿論あるが、九重アキラを救い、ビルの倒壊を防ぐ為にも行かなければならなかった。
 道中、奏目は世界の終わりが近づきつつある事を肌で感じた。街は人の気配を全く感じず、街全体が何年も人が住んでいないかのような廃墟を感じさせた。
 昨日まではこんな廃墟ではなかったはずだ。奏目が昨夜鳳仙ビルの屋上で気を失って、そしていつの間にか淵渡岬にいた自分が今ここに来るまでの間に、街がこんな状態になるような何かとんでもない惨劇が起こったのか?
 未来で見た光景そのままだ。歩を進める毎に惨状は酷くなった。

 暫く壊れた世界を進み、やがて鳳仙ビルが建つオフィス街まで来た時、奏目は見知った2人の人物と出会った。
「宮崎さんに小暮君……」
 奏目のクラスメイトである。
「あっ、また会ったね、桑崎さん」
 宮崎が答えた。
「っていうかおれらと逆の方向に行ってたんじゃ……?」
 小暮がよく分からない事を口にする。
「それより桑崎さん、さっきはごめんね……」
 宮崎が申し訳なさそうに言った。
「え……何が……?」
 奏目には要点が見えてこないがここは時間もないので話を合せる事にした。
「桑崎さんのこと邪険に扱ったじゃん……ホントはわたし達もどうにかしなきゃ……ってちょっとは思うの。けど……わたし達ホントにただの高校生だから……だからどうする事も出来ないじゃん……わたしに与えられる役割なんてないに等しいの……」
「宮崎さん……」
 奏目は宮崎の言葉を重く感じる。奏目だって本当はそんな人間なのだ。
「巨大な流れの前じゃわたし達の存在なんて儚いんだってこの頃思っちゃうの……。もっと言えばわたしの存在なんて別にわたしじゃなくてもいい位に」
「それってつまりおれが宮崎でも、宮崎が小暮でも、誰が誰でもいいし、むしろいてもいなくても一緒ってこと?」
 小暮が横から口を出す。つまり、代替品としての人間が言う。そして代替品の宮崎が、
「まぁ……そういう事かな……。わたし、怖いの。自分の価値が何もないかもしれない事が……でもさ最近の桑崎さんを見てたらさ、こんな状況の中なのに……なんていうか凄く輝いてるっていうか、いきいきしてるって思う。だから、それがちょっと羨ましくて……ごめん、なんかよくわからない事言っちゃって」
 そう言って宮崎はぺこりと頭を下げた。
「ううん、ありがとう。……ボクが輝いている、か。確かにそうなのかもしれない……自分でも信じられないくらいに。……でもそれは、ボクを支えてくれる人達のおかげだから……。それでもホントに、ありがとう……なんか勇気が出たみたい」
 怪事件の連続に心身共に疲労していた奏目……その言葉は本音だった。
「今まで学校で桑崎さんとはあまり話とかしてなかったけど……わたし達仲よくなれそうな気がする」
 宮崎が少し照れながら携帯電話を取り出す。
「うん……ボクも、そう思う」
 奏目もアドレスが5件ほどしか登録されていない携帯電話をたどたどしく取り出した。
……この瞬間。世界終末の日、奏目に友達が一人できた。

 宮崎、小暮と別れた奏目が鳳仙ビルの前にようやく到着した時、そこには鳳仙舞亜が立っていた。
「鳳仙さん、無事だったんだ」
「桑崎奏目、あなたを待っていた。あなたに話がある」
 鳳仙舞亜は静かに口を開いて、無感情に言った。
 誰もいないカフェに入った2人は、屋外のテーブルに向かい合った形で座る。
「ところで鳳仙さん……昨夜そのビルにいたよね? 何をしてたの?」
 目の前にある鳳仙ビルを指さして問いかける奏目。
「ええ、私が来たときにはもう遅かったけど」
「遅かった?」
「あの瞬間、あなたは突然消えた。そして鼎緒姫も」
「あれは一体何が起こったの?」
「簡単に言えば、世界の均衡を保つ特異エネルギーが反応し合い、それが巨大な歪みを生じさせた。つまりはあなたと鼎緒姫が同時に存在する場所で、あの鏡がきっかけとなって引き起こされた世界の存在そのものを揺るがす現象」全然簡単じゃないが。
「……それで、結局それが起こったことでどうなったの?」
「世界が極めて不安定な状態に陥った。恐らくこの世界はじきに終了することになる」
「……そう」
 鍵となるのは桑崎奏目と鼎緒姫。だがこの2人がどう世界の終わりを構成しているのか。
「……そうだ、早く行かないとまずい」
「……何?」
「もうすぐこのビルが崩れてしまうんだ。だから鳳仙さん、あなたも早くここから逃げた方が……いや、待って……」
「……?」
「ごめん……鳳仙さん。一つ頼みがあるんだ」
「……分かった。何」
「ボクがビルから出てきてここに来たら、それは何も事情を知らないボクだから手助けして欲しいんだ。じきにそのビルが崩れてしまうからその時は逃げて。……あっ、でもビルの中にボクが入るのは止めなくていいからね。入るように言っといて、お願い」
「桑崎奏目、あなたはどうするの?」
「そのビルに今から向かう」

 昨夜来た時は暗かったから気付かなかっただけだろうか、鳳仙ビル内部は以前と比べ徹底的に破壊しつくされている様な有様――まさに廃墟ビルの様相を呈していた。
 屋上へと向かう途中階段の踊り場にあった鏡を確かめようとしたが、なかった。しかし代りに思わず奏目の胸が安堵する人物と再会できた。
 九重アキラ――まだ、生きていた。
「ここで奏目クンと会えるとはね……。いよいよクライマックスも近いという訳だな」
 2人は階段を昇りながらお互いの近況を報告する。
「それよりも九重先輩、まずいんじゃあないですか? ここにいたらその、死ぬかもしれないんですよ」
 奏目は屋上を目指している。が九重がそこに行くのは非常にまずかった。
「そうだったな、俺はこのビルの屋上で死んでいたんだったな」
「そうですよ、いくら未来をなるべく再現させようっていっても死ぬことまで再現するなんて止めてくださいよ。で、こんなところで何していたんですか?」
「うむ、君の言うとおり未来を忠実に再現しようとしてな」
「なっ!? 何言ってるんですか九重先輩っ、正気ですか!?」
「正気だよ。俺を殺す奴の正体もやっと分かった事だしな。同時に連続殺人犯も」
「それってあの殺人鬼!? 先輩もそいつの正体分かったんですか? あの化け物を!」
「化け物? ふふ、言うようになったな奏目クン。確かに化け物だ。日常に溶け込みながら数多もの命を奪う暴虐。真に恐ろしいのは人の身にて、さらには我々のすぐ隣にいながら狂気を持っていたということ。仮面を被って平然と社会に溶け込んでいたということ」
「……え? 何言ってるんですか?」
 奏目の思い浮かべる昨夜見た文字通りの殺人鬼と、九重の言う殺人鬼の正体が食い違っているように聞こえる。
 いつの間にか屋上へと続く階段も昇りきり、重厚そうな扉の前まで来ていた。
「さぁ、覚悟はいいな奏目クン。我々の知り合いであり、同時に化け物であるモノを退治しようじゃないか」
「え? 知り合い? あっ……ちょ……」
 屋上への扉が開かれた。

 ――だが屋上には誰もいない。
「誰もいないようだな」
「そう……ですね」
 なんだか拍子抜けして、2人はしばらくその場に立ち尽くした。
「……こうして君とここにいるとなんだか学校の屋上であった出来事を思い出すよ」
 九重はぽつりと呟いた。彼は腕を組みながら空を見上げている。
「そうですね……。月並みな言葉ですけど、つい数日前の事なのにもうずっと前の事のように感じますよ」
「あの時はさすがに死ぬかと思ったよ」
「今回も死なないで下さいよ、先輩」
「ふふ……そんなつもりは毛頭ないよ……そういえばだ。話は変わるがさっきな、3日前の君に会ったよ」
「え? ……ああ、そうか」
 奏目が未来を体験した時、このビルに入る前に九重に会っていた。そして……。
「ちょっと待って……それだったらまずいんじゃ」
 奏目がこの場所で九重の死体を見たのは、あの時からそれほど経っていない……だとしたら。
「先輩っ! ボクに会ってからどれくらい経ちました?」
「うん? まぁ1時間以上前ってところだな」
「やばい……」
 だとしたら間もなく惨劇が起こるはずだ。九重アキラの死。
 その時――、
「やぁ奏目さん」と背後から声が聞こえた。
 奏目が振り向くと――そこには四季方杜岐が立っていた。
「し、四季方さん……?」
 奏目は戸惑う。昨夜もここに現れた杜岐。その時はあの姿見鏡を持っていた。意外な事にこの人物も一連の事件のキーパーソンであるというのか。
「ふん。姿を現したようだな」
しかし九重が仰天な事実を述べる。
「連続殺人鬼」
「えっ? 殺人鬼? 四季方さんがっ!?」
 奏目はショックを隠せない。なにせ、いつもちょっかいをかける杜岐が殺人鬼だと言うのだ。
「ん? 奏目クンも分かっていたんじゃないのか?」
「え? いや、殺人鬼の正体は光る獣のはずじゃ」
 そう、奏目は昨日聞いた。獣自身から。
「光る獣?」九重は口を開けて怪訝そうな顔をする。
 どうやら思い違いをしていたようだ。……けれどしかし、真相は意外なものであった。
「はは……はははは……ハッハッハッハーー! いや、奏目も正解だぁ〜」
 答えたのは――杜岐だった。
「勿論、九重先輩も、ね。そッれにしてもスッゲーな、オレの正体を見破るなんてェ」
 杜岐は既に奏目の知っている四季方杜岐ではなかった。
「どういうことだ、説明しろ。君が殺人鬼なんだろ?」九重が杜岐に迫る。
「そうデス、九重先輩。オレが犯人でッす。目的の為ついさっきも街でチョー暴れてマシタ。そして奏目の言う獣。それもオレの事デッス」
「なっ、あれが四季方さんっ? なんで……だって昨日怪物と一緒に屋上に……ていうか、え?」
 奏目は昨夜このビルの屋上で杜岐と獣が同時にいたことを思い出す。
「フフフ、アレは体から本体……つまり奏目の言う獣が出ていて、抜け出た後のこの体はいわば遠隔操作ノ要領で動かしていたダケの抜け殻ッてェことサ」
 完全にキャラが変貌している杜岐。成程、中身は全然違う。
「……滅茶苦茶だ。そんな突拍子もない話……」
「そうだナ、確かにこの世界の常識から考えればおよそ信じられない現象ダロ」
 杜岐は不気味な笑顔で言う。
「だがオレはコノ世界ノ外側ノ存在。オレには常識、コレが現実」
「ふん、成程」だが九重はにやりと笑う。「つまり君はこの世界から外れた別の世界の者。別世界の物語に介入する異分子、ということか」
「……本当にスゲーな、九重先輩。ただの脇役にはもったいねー……ああ、その通りだよ。だがこっちの世界の存在がオレの正体を見破るなんて本当にスゲー……」
「そんな事どうでもいい四季方杜岐クン……いや、この場合なんて呼べばいいのかな?」
「……四季方杜岐でイイですよ、九重先輩」
「そうか。では杜岐クン、君の目的は一体何だ?」
「この世界を救うコト」杜岐は何の躊躇もなくきっぱりと答えた。
「それで無差別大量殺人か」
 九重の口調は明らかに杜岐を批難している。
「信じてもらえないだろーケドあれは必要な事だッた。秩序を保つタメ、均衡を保つタメ、そして、エネルギーを得るタメ……物語を盛り上げるタメの演出……」
「演出……か。たとえ理由がどうであろうと殺人が許されるとでも?」
「この世界の規制か……どうせこのセカイは偽りなんだ。元に戻すために、偽物のセカイを壊して何が悪ィンだ。パラダイムシフトの為には余分な害を排除しなければいけないんダ。そしてオレがセカイを新たなステージへと移行させるッ! コレは救済だッ!」
「その為に全てを破壊するのか。それで、具体的には君はこれからどうするんだ?」
「ええ……そうスね九重先輩。非常に残念ですケレドあなた達を殺しマス。これはオレのやり方なんデス……セカイを救うためにそれが必要な事なんデス」
「ひっ……こ、九重先輩……逃げましょうっ」
 奏目が青ざめ、身を強張らせる。
「ふっ、俺はそうやすやすとは殺されんぞ」
 対して九重はなおも余裕を浮かべていた。
「イイエ、簡単に殺せマスよ〜」
 そう言ってにっこり笑うと、杜岐の体から黒い煙が現れて全身を包みこんでいった。
「なんだこれは!?」
「に、逃げましょう先輩っ!」
 黒い煙がもの凄い勢いで周囲の景色を包んでいく。前が見えない。
 やがて霧は収まると、そこには――獣がいた。
 ただし目の前のそれは昨夜と違うものだった。目の前の怪物には背に翼が生えており、昨夜見た犬のような姿から人型の――まるで悪魔のような姿をしていて、そしてそもそもこの怪物は発光しておらず、黒い……まさに漆黒の闇のような姿だった。
 緊迫感がこの場を一気に包みこむ。
「とうとう本性を現したようだな」
 しかし目の前の光景を見ても、それでも余裕の表情を崩さない九重。
「ハッハ、オレのこの姿ヲ見て平然としてられるナンテ、本当ニ変わった奴ダ」
「落ち着いてないで、九重先輩っ! どうするんですかっ。なんだかさっきから余裕ありますけど何か策があるんですかっ!」対する奏目は半ばパニック状態だ。
「いや、何もないが。しかし安心しろ俺が隙を作ってなんとかするさ」
「ええー! そんなノープランっていうか、なんとかって無理ですよ、どうしろっていうんですかっあんなの!」
 正真正銘の怪物を前に命の危機を感じる奏目。
「……俺が思うにこの世界の物語では杜岐クンの言うとおり、俺は一介の脇役でしかないのだと思う。俺がいなくてもきっと他の人間が俺の代わりをしていただろう……。だが君は俺とは違う。この話に主人公がいるのだとしたらそれは君以外には有り得ない。だから主人公である君はこんな場面では絶対に死ぬわけがないのだ。もし君を殺そうとする者がいるならそいつはどんな奴だとしても命知らずとしか言いようがない。たとえそれが……どんな化け物であっても。……今ではそう思えるよ」
「なに悠長に訳わかんない理屈を言ってるんですかっ! 無茶ですよっ!」
「クククッ、確かに無茶だよナ〜、こんなお嬢チャンがこのオレをどうやって止めるっていうンダ? だが先輩、アンタのその着眼点は素晴らしいぜ。まさにその通りなんだよ。オレがセカイを救う為ノ行動原理こそがソレなんだよ。俺はコノ破滅に向かう物語ノ流れをブッた切る。ソシテこの物語ヲ克服したときオレが主人公とナル。新たな物語ノ」
 それは世界そのものを相手にするということじゃないか。
「なんなのさっきから……狂ってる」
 奏目には怪物の言っている事が理解できない。理解できないからこそ、その言葉に恐怖した。
「分かッてもらえナクテ結構。内側ノ世界の存在にとって外側ノ世界の観測ナド不可能、分からナイのが当たり前だから気にすんナ」
 黒い怪物は牙を剥き出して臨戦態勢に入った。
「だから気にせずオレの物語ノ流れニ沿ッて、オマエ達はここで死んでクレ」
 怪物は奏目に飛びかかった。
「うわっ、やめっ」
 こちらに猛スピードで駆けてくる黒い怪物に奏目は為すすべもない。
「奏目クン避けろ!」
 隣にいる九重がそう叫ぶと同時に奏目の体を突き飛ばした。
 奏目の体が地面に転がる。一瞬後に奏目がいた場所を黒い残像が通り過ぎた。そして怪物は動きを停止させる。
「はぁはぁはぁっ……」
 地面にへたり込んでいる奏目は立ちあがれずに怯んでいる。
 隣には同じく倒れている九重の姿。だが彼は起き上がらない。血が、流れていた。
「九重先輩……! 大丈夫ですか、九重先輩っ!」
 奏目は叫ぶが九重に反応はない。
「フフ、よく避けたな、運のイイ奴だ。だが猶予は与えナイ。コレデ最後だ」
 怪物はまた奏目に飛びかかる。
「ひいっ!」
 奏目は両手を顔の前に出し、目を強く閉じて死を覚悟した……が。
 ぱしゃん! と、水風船が弾けるような音――。
 奏目の体に喰らいつく寸前、怪物は弾けた。怪物の体液が奏目に勢いよく降りかかる。
「……え?」
 奏目が目を開けると怪物の姿はどこにもなく、代わりにそこにはおびただしい量の液体――そして、スカイハルトの姿があった。
「もう時間がない、急ごう」
 スカイハルトは言った。
「え? スカイハルトさん……?」
 体中が液体まみれの奏目は放心状態だった。
「説明したいところだが、話は後だ」
 なぜかスカイハルトの腰には剣のようなものが帯刀されていた。奏目はその姿を見て、まるで大切な人を守る為に存在している騎士のようだ……となんとなしに思った。
「……ふぅ、それと、お前に構っている時間もないんだ。くどいんだよ、この展開は全くの蛇足なんだぜ」
 スカイハルトは誰に対してか、言葉をかける。
 その刹那、そこらじゅうに飛び散った液体――怪物の体液が一点に集合していく。奏目の体に付いたものをも含めて、それは再生する……そして集合した液体は人のカタチを形成していく。それは――、
「四季方さん……」
 奏目はこの瞬間、杜岐が本当に化け物だったのだと実感する。
「……」四季方杜岐は再生された。
 完全に体を復元させた四季方杜岐の姿をした怪物の敵意は、スカイハルトに向けられた。
「クッソ……なんなんだテメェはよォ! なんでテメェがここにイルんダヨ!」
 再生を果たした怪物はスカイハルトの登場に焦りを隠せない様子だ。というより知り合いらしい。
「お前はここにいるべきじゃないんだ、こんなところまでノコノコ登場してるんじゃねぇよ」
 スカイハルトの口調はとても冷めていた。
「部外者は舞台から即刻降りてもらう」
「ナンナンダヨ、オマエがここにいるってことは……ソンナ……それじゃあもしかして、ホントウにこの小娘ガ……?」
 杜岐の姿をした怪物は一人で何かを呟きながら、奏目の方をみて顔を引きつらせている。
「そういうことだ。お前はもう終わりだ」
 冷徹に、無感情に、非情に告げるスカイハルト。それは死刑宣告。
「まさか……う……そだ……ウソだウソだウソだうあああアアアアーーーー!!」
 覚悟を決めた怪物は、雄叫びをあげながらスカイハルトに向かって突進する。しかし、
「無駄な事を……」
 スカイハルトは向かってくる怪物に対して平静を保っている。腰にさげた剣を抜こうともしない。
「おおおおお!」
 怪物がスカイハルトに間近まで迫り、その体を引き裂こうと腕を振りかぶる――。
「消えろ、ここではバトルシーンなんて必要とされていない」
 ――それとほぼ同時にスカイハルトが怪物である杜岐の体に触れた。
 結果的に、怪物の攻撃はスカイハルトには当たらなかった。
 ……いや、攻撃はスカイハルトの体を完全に捉えていた。だが、信じられない事に攻撃はその体をすり抜けてしまった。
 そして、なんとすり抜けた四季方杜岐の姿が砂の粒子の如くサラサラと消え始めていた。
「チ……チクショウ……」
 怪物はもう完全に戦意喪失したようだ。
「体が……消えている……?」
 奏目はその光景をただ傍観する事しかできない。
「ク……ソ……またしても、オレは……。これが、オレの運命なのカ? オレにはこんな役シカ与えられないノカ? オレはそんなの認めねェ……オレはイツマデモ諦めない」
「……」スカイハルトは何も答えない。
「嬢チャン……オマエにイイ事を教えてヤル。餞別ト思って受け取りヤガレ……」
「え……?」奏目は突然怪物から言葉をかけられて、たじろぐ。
「オレみたいな特異な存在でもナ……その存在に見合ったストーリーがなけレバ物語にとってはむしろ邪魔ナ存在……重要なのは物語にいかに必要とされる存在か、ダ。物語にとって逸脱した存在はスグに消されちまう……。イヤ、そんなモノはそもそも語られナイ」
「……」奏目は怪物の言うことが分からないが、言いたいことはなんとなく分かった。
「例えばダ、いくら超ノ付くほど特別ナ存在がコノ世界にいたとしても……いくら前代未聞のトンデモナイ事件ガ起こったとしても。ソレが知られなけれバ……描かれなけれバ、ソレはただノ過ぎ去るだけの出来事、事実。セカイにとってのタダの歯車。語られない事象にはナンの意味もナイ……飯食ってクソするのと同じだというコト……分かるカ?」
「……」奏目は何も答えられない。
「オレは知らないで良かっタ事ヲ知ってしまったンダ。例えば家畜は柵の外側の世界を知らない。だが奴らは何もしなくてもエサが貰えるから自分達が幸せだと思ってイルかもしれナイよな。でも果たシテ奴らは、外側にいるお嬢ちゃん達にとって自分がどういう存在なのか知ッてしまったら、それでも奴らは自分が幸せだと思えるのカナァ?」
 怪物はその姿のほとんどが消え去ってもなお奏目に対して言葉を続けた。
「オレはどう足掻いても世界の外に出るコトはできないみたいだ……。よォ嬢チャン、オマエはオレが欲しかったものを持ッてイル。だから言ってオク。どうかこッから先、クライマックスを盛り上げられるようにセイゼイ頑張ってクレヨ……」
 そして四季方杜岐の姿は完全にこの世界から消えた。
 ビルの屋上に風が吹いた。
「……悪役として十分に語られたさ」
 誰にともなく、奏目は呟いた。

「どうしてスカイハルトさんはここに?」
 怪物が消えて後、鳳仙ビルの屋上、奏目はスカイハルトに聞く。
「あんたを助けに来たんだ、それより早く行こう」
腰に剣をぶら下げているスカイハルトが奏目を急かす。結局これは伊達なのか。
「ちょっと待って、九重先輩が……」
 奏目は九重の容態を確認する。怪我はかすり傷程度で息はしているが意識がないようだった――が、
「う……ん……」どうやら意識も取り戻したようだ。
「よかった、九重先輩。気がつきましたか」
「あ……ああ、それより杜岐クンは?」
「……死にました。この人――スカイハルトさんが……倒しました」
「……ああ、そうか。なら、良かった……とりあえずは一安心といったところか」
 複雑な表情で放つ九重の言葉を、しかしスカイハルトは衝撃の事実で否定する。
「いや、一安心にはまだ早い。さっきも言ったが時間がない。ここに来る途中ビルに爆弾を仕掛けた。まもなく爆発する、早く逃げないと」
「な、なっ、ば、爆発!?」
 スカイハルトが急いでいた理由を奏目は悟る。
「なんで爆弾なんて……正気ですかっ……はやく、早くここから脱出しないと!」
「そうか……爆発か……」しかし九重は妙に落ち着いている。辺りを見回してから、「俺はもう少しここに残る、先に行っててくれ」奏目に告げた。
「なっ、なんで先輩っ」
「……こいつ、気は確かか?」
 九重の台詞に対して、驚く2人。
「どうしてなんですかっ? 先輩ここは危険ですよ、一緒に逃げましょう!」
「いや、奏目クン。君の見た未来ではこの場所で俺が倒れている姿を見たんだろう? だったらそれを再現しないとな」
「な……何言ってるんですかっ! こんな時にまでそこまでやらなくてもっ」
 九重の言葉が理解できない奏目は声を荒げる。しかし九重は微笑んで奏目に語る。
「……今まで言わなかった事なんだが、奏目クン。俺は君に出会った事で人生が一変したんだ」
 その顔は彼にしては珍しく、とても穏やかなものだった。
「九重先輩……なにを急に……」
「まぁ聞け……俺はこれまでずっと世界の謎を解明しようと奔走していた。だが、俺の知りえる限りにおいて世界には謎なんてなかった。ましてや俺の身近になんてはもってのほかだ。でも君に会って俺の世界は変わった。……実は君に初めて出会って話を聞かされた時、俺も半信半疑だったんだ……いや、はっきりいうと信じられなかった。そして同時にそれが悔しくてな……。だから君には感謝してもしきれないんだ。君に出会ってからの数日間、確かに俺の人生は輝いていた。ならばこそ俺はその与えられた役目を最後までしっかりとやり遂げないといけないのだ」
「でも……やっぱり先輩がこんな危険な事する必要はありませんよ……」
「いいや、これが俺に与えられた使命で、世界に対しての俺の役割だ……それに」
 九重は一旦言葉を区切って、
「世界の謎を全て解き尽くし、世界を救う。それが超自然会だろ?」
「……先輩……。分かりました……」
「すまんな、奏目クン。最後まで俺のわがままに付き合わせて……」
「いいんですよ……それに最後じゃありません。これからも付き合いますよ、だってボクも超自然会の会員なんですから」
「……いいのか、置いていって」スカイハルトは念をおすように言う。
「……はい、行きましょうスカイハルトさん。……そして死なないで下さい、九重先輩……いえ、超自然会会長」
「大丈夫だ、無茶はせん」にやりと笑みをたたえて、「世界を救ってくれよ、俺の右腕」

 ビルを出たところでスカイハルトが語りかけた。
「奏目、この後はどうなるんだ?」
 金髪を片手でかきわけて、スカイハルトはぶっきらぼうに話す。
「……あのぅ、ちょっと気になってたんですけど、なんか喋り方というか性格が以前と変わってませんか……」
「ああ、それか……それはだな、あの性格はもう必要なくなったからな」それより、とスカイハルトは質問を繰り返す。「この後お前はどうする?」
「必要なくなったって……まぁいいですけど。ボクが体験した未来では、ビルから出た後は学校の裏山に行って……その時あなたが消えるところを見ました。そして岬に着いたらそこに緒姫がいて……で、よくわからないけど周囲が真っ白になって……そこでボクが見た光景は終わりです。だからこれから裏山に行こうと思います」
「そうか……じゃあここでお別れだ。先に行ってくれ」
 スカイハルトは踵を返そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。どこに行くんですか?」奏目は慌てて引きとめる。
「先に片付ける用事がある、大丈夫だオレもすぐに行く。他に何か質問は?」
「あ、あります。さっきの怪物……あれは一体何なんです?」
 スカイハルトは空色の瞳で奏目の顔を見つめて、静かに語った。
「……あれはお前が気にする事はない。この話にとっての単なるイレギュラー……本来いるべきでない存在が間違って入りこんでしまっただけだよ。だから即処分した。それだけだ。この世界にいるべきでない存在なんてあっけない。放っておいてもこの世界に何の因縁もないあいつはすぐに消えていたよ……」
 世界にとっているべきでない存在。異分子。異世界のもの……。物語にとって邪魔なだけの存在は世界の意志が排除するというのか。
「じゃあ、あの怪物はなんで四季方さんの姿を……。体を乗っ取ったっていうの? それとも四季方杜岐なんて最初からいなかったの?」
「……いや、それは違う。あいつは確かにこの世界に紛れ込んだ。しかしあいつはこの世界で存在を保つにはあまりに脆弱。体を乗っ取るなんてのはもってのほかだ。恐らくお互いの合意の上での結果だろう。あの少女もどこかで望んでいたんだ」
「え? 体を乗っ取られる事を? 大量殺人を? ……世界の終わりを? そんな馬鹿な、四季方さんがなんでそんな事を……」
 クラスの中での人気者だった彼女。人から好かれ、悩みなんてなさそうで、常に明るく振る舞う彼女の周りにはいつも人がいっぱいだった。奏目は時々それを羨ましく感じた。……そう、杜岐と奏目とは決して似たもの同士ではない……だから、そう思うから奏目にはスカイハルトの言葉が決して信じられなかった。
「さぁな、そこまでは分からないよ。他人が何を考えているかなんて分かればオレだってこんな事にはならなかったさ」
 スカイハルトは意味ありげに自虐的な笑みを浮かべた。
「……あなたにも分からない事があるんですね」
「そういうことだ……それじゃあな、もう残された時間もない……オレにとっても……な。あと気を付けろよ、ビルはもう崩れる」
 そう言ってスカイハルトが去るのと同時にビルが大きく揺れ出して……倒壊を始めた。
 その様子を見ながら、奏目はなぜ鳳仙ビルを破壊する必要があったのかをスカイハルトに聞くのを忘れていた事に気付いた。
 だがそれもスカイハルトに言わせれば、奏目にとって知る必要のない事なのかもしれない。語られる必要のない事なのかもしれない。

 土煙の立ちこめる鳳仙ビル跡を奏目は見渡す。瓦礫の山だった。
 人の姿は見えなかった、と思ったが、
「桑崎奏目、無事のようね」
 鳳仙舞亜がいた。
「よかった、鳳仙さん無事だったんだ」
「ええ、それより今の状況は」
「……ボクはこれから学校の裏山へ向おうと思う」
「なら私も同行する。……協力する約束だから」
「その前に一つ、聞いていい?」
「何?」
「鳳仙さんはこのビルと何か関係あるの……?」
 今は無きビルの跡を見つめて尋ねる。
「……」舞亜は困った様子で口をつぐんだ。普段無感情の彼女にしては珍しかった。
「言えないなら別にいいんだけど……もう崩れちゃった事だし」
「……詳しくは教えられないが……私はそこの関係者、とだけなら」
 言いにくそうに、しかし舞亜は答えてくれた。
「……そう、うん分かった。ありがとう……なんだかモヤモヤも晴れたような気がする」
「……行きましょう」
 気のせいだろうか、舞亜の顔もなんだか晴れやかに見えた。肩の荷が下りたというか……ずっと背負っていたものから解き放れたような……。
「うん……そうだね、次でいよいよ最後だ」
 こうして奏目と舞亜は共に学校の裏山へと向かうことになった。物語の終局へ――。

「とうとうここに来てしまったか」奏目は呟く。
 クライマックスは近い。奏目の見た未来ではこの場所で世界が終わってしまった。残り時間も少ないはずだ。
 奏目と舞亜の2人は裏山に到着していた。
「この先?」舞亜が尋ねる。
「うん、あと少しで……全てが決まる」
「……後悔はない?」
「そんなの、あるわけないさ……って言ったら嘘になるけど、だからってここで立ち止まっていたらもっと後悔しそうでさ……だから後悔する前にボクはボクにできる全てをやる……そう、あと少しで全てが決まる……」
 奏目達はさらに山の上――淵渡岬へと目指す。
 2人は山を登っていく。季節は初夏だというのにやけに肌寒く、いつもなら蝉の声で五月蝿いはずの山が不気味に静まり返っていた。
 歩を進めていくうちに、前方で人の気配を感じた。そこは丁度奏目の体験した未来の中で、スカイハルトが世界から消失したまさにその場所であった。
「あ、あれは……」
 奏目が目撃したのはスカイハルトと、そして――鼎緒姫が対峙している場面であった。
「緒姫! あんなところに!」
 しかし対峙する2人の様子がどうもおかしかった。
「あなた一体何者なの!? どうしてあなたのような者がこの世界に存在しているのっ!?」
 緒姫は目の前にいるスカイハルトの存在に対してひどく狼狽していた。
「ヒメ……オレはもうこんな悲劇は終わりにしたいんだ」
 スカイハルトは悲しそうな顔をしている。その姿はなぜか今にも消えてしまいそうな弱々しさを感じる。
「私はあなたの事は知らないけれど、あなたこれから一体何をしようっていうの!?」
 対する緒姫は毅然とした態度をとっているが、明らかに困惑しているようだ。
「全部終わらせるんだ」
 そう言ってスカイハルトはどこに隠していたのかガラスの破片のようなものを取り出す。
「そ……それは?」緒姫は戸惑っている。
「鏡の破片……って言えば分かるかな」
 スカイハルトは決心した顔で緒姫ににじり寄る。
 その様子を木々の間から観察する奏目と舞亜の2人。
「ちょっと、まずいよ鳳仙さん。緒姫を助けないとっ」奏目は叫ぶ。
「いえ、もう少し様子を見ましょう。まさか彼が鼎緒姫に危害を加える事はありえない」
 なぜか舞亜は自信を持って、スカイハルトが行うと予測できる行為を否定する。
 舞亜の言葉にしこりはあったが、しぶしぶ奏目は2人の動向を窺う。
「ヒメ……すまない、もうこうするしかないんだ」
 なおも緒姫に近づいていくスカイハルトは、ガラスの破片を強く握りしめ――ついに緒姫に飛びかかった。
「ちょ……ちょっとあなた、私に何をする気なの?」緒姫は動転している。
「だ、駄目だ。もう見ていられない」
 そんな光景に耐えかねた奏目。
「や、やめろぉぉーーっ!!」
 ついに2人の間へ飛び出した。
 しかし、奏目の制止も空しく、ガラスの破片は緒姫の胸を深々と突き刺した。
「あ……あ、なんて事……」奏目は立ち止まって放心する。
「まさか、そんな事」木々の間から見ている舞亜も目の前の光景が信じられないようだ。
「すまない、ヒメ……」スカイハルトは緒姫に破片を突き刺したまま震える声で囁く。
「……」緒姫は顔を俯けたまま何も反応しない。
 しかしその時、緒姫の胸に突き刺さったガラスの破片が強く光り出した。
「くっ、駄目かッ!」
「……こっ、これは?」
「……」
 奏目達は三者三様の反応をする。
 しばらくすると強烈な光は収まり、辺りは静寂に包まれた。
 ゆっくりと目を開けた奏目はスカイハルトに起こった信じられない異変を見た。
「なっ……!」奏目は目の前の光景に既知感を覚えた。
「やはりオレでは駄目だったか……」
 スカイハルトの体が半透明状に透けていた。
「これは……ボクが未来で見たのと同じ……」
 やはり未来は変えられないのか。
 その中で一人、ゆっくりとこの場を歩み去っていく者がいた。
「あ……緒姫! どこにいくのっ!?」
「……」奏目の呼びかけも空しく、緒姫はスカイハルトや奏目の事などはおかまいなしに、何の感情も宿っていないような眼をして、何も言わずに山の上へと歩いていく。
「ま、待って緒姫!」
 奏目は引きとめようとするが、緒姫は森の中へと姿を消した。
 緒姫を追おうかと考えた奏目だが、どうしてもスカイハルトの事が放っておけなかった。
「フ、どうやらオレはここでリタイアのようだ……」
 スカイハルトは透けた体で弱々しく奏目に語りかける。
「スカイハルトさん、一体これはどうなっているんですかっ」
「時間切れなんだ……この世界にはもうこれ以上オレはいられないって事さ……さっきの怪物と同じイレギュラーなんだよ……オレは……」
 スカイハルトの体はだんだんと消えかかってきている。
「やはりオレには無理だった……だから今度は桑崎奏目、お前はここで立ち止まっている場合じゃない。ヒメを……鼎緒姫を追いかけるんだ」
「で、でも……」
「もうオレがこの世界に対してすべき事はなくなったんだ……あとはオレの代わりにお前が世界を救ってくれ」
「…………」
「……ふぅ……桑崎さん、言ったでしょう。あなたと初めて出会った時に」
 突然、スカイハルトの口調は以前のような、丁寧なものへとなっていた。
「え……?」
「オレはあなたに会うために来たんです。そして今でも思っています。これは正しかったと。だから桑崎さん……」その口調には偽りはなく、とても穏やかなものだった。
「分かりました、後はボクに任せて下さい」
「ありがとう……オレはとんだ勘違いをしていた。あなたはオレの代替人でも後継人でも、ましてはオレ自身でもない」
 スカイハルトは、まるで澄み渡った空のような瞳で奏目を見つめ、爽やかに微笑んだ。
「後は頼みましたよ、桑崎奏目さん」
 ……だから、さらばだ。前回の――俺。


 奏目はスカイハルトと舞亜を残し先へ進んだ。
 目指すはこの奥――街を一望することのできる淵渡岬である。
ちなみに鳳仙舞亜は、「私にはすべき事がある。ここからはあなた一人で行って」と言って、あの場所へ残った。
 奏目はたった一人で、その使命を果たすため最後のステージへと向かう。
 岬へと向かいながら奏目は手に持ったガラスの破片を見つめた。
「これを持って行って、何かの役に立つかもしれない」と、舞亜から別れ際に受け取ったものだ。
 奏目がそれをいったい何に使うのか尋ねると、「他に手段がなくなったら、あなたもこれで鼎緒姫と同じ状態になればいい」と言った。
 なんだか穏やかそうな話ではなかったので、なるべくそれを使うのは避けたい。
 そして舞亜は最後にこうも言っていた。
「色々と分からない事だらけであなたには申し訳ないと思う。けどあなたはそれでもここまで来てくれた。本当に感謝してる。どうか世界を救って。これは私の願い」と。


 奏目はついに淵渡岬に到着した。ここが、最後の場所――。
 街の方を見れば白に染まっていた世界が徐々に暗くなっていく様子が窺えた。そう、今日は皆既日食だったのだ。今、それが始まろうとしている。まさに終末だった。
 奏目はすぐに目的の人物を見つける事が出来た。
「……」街を見渡せる断崖に鼎緒姫は立っていた。胸にはガラスの破片が刺さったまま。
「緒姫……」
 緒姫に出会えたはいいが、何をすればいいか分からない奏目は言葉を濁らせる。そして無意識に緒姫の胸に刺さっているものと似た、ガラスの欠片を地面に置いた。
 奏目の頭にはこれまでの出来事の数々が走馬灯のようによぎっていた。思えばそう、全ては目の前の少女――鼎緒姫と出会った時から運命の歯車は回り始めたのかもしれない。
「……やっと2人きりで会えたね」
 奏目の口からは自然と言葉が出ていた。
「……」緒姫は黙ったまま奏目を見つめ続けている。その目は虚ろだ。
「緒姫……その、胸に刺さってる、それを抜かないと」
 奏目はゆっくりと近づく。
「来ちゃ……駄目……」
 かすかに緒姫が呟いた。その声は苦悶に満ちていた。
 緒姫の言葉で奏目の足は立ち止まる。
「緒姫……どうして」
「今はとても危険な状況なの……もうこれ以上は保っていられない、どうすればいいのか私にも分からない。ねぇ分かって」
 緒姫は苦しそうな表情をしている。
「でもこのままだったら世界は……もう時間がないんだ」
 奏目は再び緒姫に近づく。
「駄目なの、これを抜いても意味なんてないわ。奏目にはどうすることもできないの」
「いや、ボクが世界を救ってあげる。ボクならできるさ」
 奏目は緒姫の前に立った。
「なんで……そんなに……あなたは、信じられるの……?」
「だってこんな物語、きっと最後はハッピーエンドで終わらなくちゃウソでしょ」
「そ……そんな理屈で……」
「ボクもそうだったよ……信じられなかった……。でもね、ここ最近のごたごたでボクはそう信じられるようになった。ボクをここまで導いてくれた人達がそう教えてくれたんだ……だから大丈夫、ボク達は幸せになれる。それにね、緒姫……なんだかこんな事言うとおかしいと思うかもしれないけど、ボク……君の事が好きみたいなんだ」
「……奏目」
「実はボクも初めて君に会った時に一目惚れしちゃったみたい。ずっと気になって、それにずっと前から君を知っていたような気がして……なんだろう、本当に不思議なんだ」
「……そう、奇遇ね。実は私もなの」
 緒姫が少しだけはにかむ。
「おかしいよね、お互いの事もよく知らないのに……」
 奏目も照れてみせた。
「ふふ、それはきっと私達以前どこかで会っていたのよ……それとね、ごめんなさい奏目。私あなたに会った時にいきなり好きだなんて言って」
「あれは……本当の気持ちだったの?」
「それは本当よ……けれど私、初めはあなたを桑崎奏目としてみてはいなかった。桑崎奏目だから告白したんじゃないの……あなたがあなただったから告白した……あなたが桑崎奏目じゃなかったら告白はしてなかった……」
「……ボクにはよくわからないけど、気にしないで緒姫。ボクが好きって言ってくれたそれだけでボクは救われたんだよ。だからボクはここまでこれたの。それに君だからこそ」
「私も……。でも、今なら言える。私は桑崎奏目が好き。それは他に何の意味もなく、裏も表もないかけがえのない真実の気持ち……桑崎奏目が大好き……」
「ボクもそう思える。そう、信じられる。緒姫……大好きだよ……だから」
「ええ、いいよ。きて……奏目。私達ならきっと大丈夫」
 そして奏目は緒姫の胸に突き刺さったガラスの破片――姿見鏡の欠片を引き抜いた。
 日食は完了し、太陽の光が完全に消えた。
 世界が終わりに包まれた。
 
 奏目が姿見鏡の欠片を抜いた瞬間に欠片は砕け散り、同時に緒姫の体が浮き上がり、物凄い勢いで風が巻き起こった。それは巨大なエネルギーだった。
「うわあああ!」
 奏目の体は勢いよく飛ばされてしまう。
 周囲の全てを巻き上げて、全てを破壊し尽くしている。
「い、一体何が……」
 頭から地面に叩きつけられた奏目は血を流しながら困惑する。
 遠くから緒姫の方を見ると彼女は意識を失ってしまっているようだ。
「ど、どうなっているの……もうおしまいなの……」
 奏目の顔は絶望で歪む。奏目の行動は間違っていたのだろうか。万策は、尽きた。
 その時、人の気配がした。暴風の中、奏目は目を向けると岬に一人の人物がやって来るのが見えた。それは奏目にとって予想だにしなかった人物――。
「なんなんだ、これは……」
 桑崎奏目だった。

 奏目は一瞬驚いたが頭を冷静にして、そしてすぐに状況を理解する。
 あそこにいるもう一人の桑崎奏目は自分自身が3日前に見た、未来を体験している最中の奏目――つまり3日前の自分だということを……。
 3日前の奏目は緒姫の元へ駆けよっていくが風に阻まれ思うように動けない様子だ。その様子を見ていた奏目はある決意をする。
 目の前には舞亜から受け取ったもう一つの姿見鏡の欠片が落ちていた。それはさっきまで緒姫に突き刺さっていたものとほぼ同じものだった。
「……最後の悪あがきだ」
 前方では3日前の奏目が緒姫へと徐々に近づきつつあった。
 奏目は鏡の欠片を拾い、立ちあがる。
「さぁどうする、ボクが主人公ならここが正に正念場……ハイライトじゃないか」
 奏目の手は震えている。
 遠くを見れば、緒姫に近づきつつあった過去の奏目が、あと一歩のところで足を滑らせ、飛ばされていた。
「これが、これがボクの物語のラストシーン……」
 奏目は鋭く光る刃先を見つめる。覚悟を決めた。
「こんなテーマも背景も何もない、荒唐無稽で滅茶苦茶な物語を……いま終わらせるっ!」
 奏目は、物語に幕を引くため自らの命を賭した。
「さぁ、しっかり見届けろっ! こんな物語はもうお終いだっ!!」
 奏目は自分の胸に鏡の欠片をおもいっきり突き刺した。

 奏目が鏡の破片を胸に深々と突きたてた時、奏目の体に鼎緒姫と同様の変化が起こった。
 奏目の体から嵐が巻き起こる。しかし致命傷の奏目にはかろうじてまだ意識があった。
「緒姫……そうか、やっと分かったよ。ボクの正体が……全ての事が」
 奏目は満身創痍で緒姫の元へ一歩一歩進んでゆく。
 緒姫が巻き起こす嵐と、奏目が巻き起こす嵐が、世界の全てを終わりへと包みこんでいく。日食で闇に包まれていた世界が今度は白く染まっていく。
 世界が終わる、世界中でたった2人――奏目と緒姫だけを残して。
 奏目は足を引きずるようにして緒姫の元へ歩む。その体から終わりを放出させながら。それでもただ2人、世界に残ったただ2人。1つになろうと。
 奏目が緒姫の元へと近づくにつれ2人の体が強く光を放つ。お互いを呼び合うように。
「ボクと君は一つになるために……存在してたんだ……」
 そして奏目が緒姫の元へと辿りついた時、奏目は緒姫を抱き寄せる。 
「でも、もう遅すぎたんだね……」
 その時、光は世界全体を照らすように輝く。今までで一番強烈で美しく、暖かく優しい光だった。空はいつの間にか晴れていた。
 全ての事に意味があった。全ての出来事が必然だった。これは物語だったのだ。奏目と緒姫の創り出した物語。この世界の全ての人間は1つのストーリーによって動いていたのだ。全てが物語を面白くするための演出。奏目は物語を円滑に進める為のただの装置。
 奏目と緒姫は顔を寄せて見つめあう。
「オヒメ……ただいま。ずっと、ずっと会いたかったよ」
 奏目はやさしく緒姫に語りかける。
 意識を失っていた緒姫が目を薄く開けて、奏目を見つめた。
「……おかえり……何やってたのよ……ずっと……探してたのよ……ばか」
「ごめん、それから今までずっと待っててくれてありがとう……大好きだよ。オヒメ」
「当たり前じゃない……だって私達はもともと一つなんだから……それに、こういう時は愛してるっていうものよ……」
「そうだね。これでやっと、ボク達の約束は果たされるんだね……愛してるよ、オヒメ」
「私も……愛してるわ、今までも……これからも」
 そして、ゆっくりと2人は顔を近づけて、奏目と緒姫は口づけを交わして――、

 俺の中から彼女は出て行った……オヒメの元へと。
 世界は、終わった。

 ――そして桑崎奏目の物語は完結した。

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