姫の夢を叶える要

第三章  巡るミライ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

11.  7/5 朝

 
 翌日、いつにも増して暑い朝、奏目はいつもより早く目覚め、いつもより早く登校し、いつもは行かないある教室まで来た。超自然会の部室だ。
「奏目クン、見たまえこれを」
 奏目が教室に入るなり九重アキラは奏目に新聞を手渡した。今朝の朝刊だ。
「世界の終末……?」
 奏目の目に何より先に飛び込んできたやっかいな一文。
「……月食と日食が続くため一部では世界の終末なのではないかと不吉がっている……って、そんな事か」奏目は思わずため息を吐いた。
 記事によれば昨夜は皆既月食が起こった日であり、さらにその3日後には皆既日食も起こるという、そんな内容だった。本当に世界の終わりを見た奏目にはさほど興味の湧かない記事だし、昨夜の月食の事もそれどころではなかったので忘れていた。しかし奇しくも世界の終わりもその明後日であった事が奏目の頭にもさすがに引っかかったようだ。
「まぁ、その記事も注目に値するものだがまずはこっちを見て欲しい」
 九重は新聞上のある記事を奏目に提示する。
「……猟奇殺人事件?」
 ちょうどその月食の夜、昨夜の内に7件、この街で殺人事件が発生したと書かれていた。
 手口は一切不明だが遺体の状況からみて犯人は同一人物である可能性がある……が、一晩でこの惨劇を7件も生み出すのは至難と見て、犯行は複数人で行われた可能性も示唆されていたが、現状は手がかりなし、との事だった。
「全て臓器が取り除かれている……?」と、奏目。
「ああ、まさに猟奇的だ。この事件は世界の終わりとやらに関係がもしかしたらあるのかもしれないし、ないのかもしれん。だが、俺はどうにも引っかかる。そうだろ? 君が未来へタイムトラベルして、世界の終末を目撃したその晩にこんな異常殺人……タイミングが良すぎると思わんか?」
 九重は長身を大きく屈ませて新聞を覗き込む。
「た、確かにこの頃大変な事ばかり続いて見落としがちになりそうですが、この事件も偶然とは考えにくい、何か絡んでいそうですね」
「決まりだな。例のビルやら裏山等は君の方が詳しいだろうから任せておくとして、俺は他に調査するとっかかりがない以上まずこの事件を調べてみようと思う」
「えっ? ボク一人で……?」
「当たり前だ。超自然会員たるもの臆することなく頑張ってきてくれたまえ」

 結局、九重は昨夜に起きた3件の殺人事件について、そして奏目は引き続きこの目で見た未来の記憶を頼りに世界破滅を食い止める方法を独自に調査するようにと、作業を分担させる事を決定してからこの場は解散にして、奏目は朝のHRへと向かった。
 自分の教室へ入った奏目は初めに、自分の席よりも別の人物が座るある席に目をやった。
「……」しかし頼みの綱の鳳仙舞亜は肝心な時にはいなかった。
 仕方なく自分の席に着いた奏目は、九重から受けたアドバイスについて思いを巡らす。


「いいか、奏目クン。君が誰よりも優れた、特別なモノを一つ持っている。それは未来の記憶だ。君は3日後……いや、もう2日後だな……に起こった記憶をどんな些細な事でもいい、できるだけ思い出し……そして重要なのはここからだが、2日後の世界と上手く辻褄を合わせるんだ。君が見た未来にそのままな状況へ自然に流れるように行動してくれ」
「え? どういう事……だって、それって逆じゃないの? そんな事したら、ボクが見たそのままになれば世界が終わる事になるじゃないですかっ」
「ああ、確かにそうかもしれない。だが俺は思う。奏目クンが2日後の未来を知っていて、世界を変えようと努力しても、いや、そして未来を変えることができても、結局違う形で世界は滅んでしまう」
「でも、この前は未来の出来事を知覚したらその瞬間その未来は訪れないって……屋上での出来事でもボクは死ななかったんだし……」
「今回は勝手が違う。どういう経緯で世界の終末が引き起こったか、そして直接のきっかけ、いずれも分からんだろ? これは単純な問題じゃない。俺が君の身代わりとなって屋上から落ちて解決できるような問題ではな……。どちらかといえばこれは君が言った、何をやっても運命は変えられない、の発想に近いな」
「……じゃ、じゃあどうあがいても無駄って事じゃないですか……」
「それは違う。だから、それを利用するんだよ、奏目クン。いいかい? 未来を変えても結局は違う形で滅ぶのなら、だったら知らないルートを通るよりも、知っているルートを通った方が我々にとって有利なのではないのか、ってことさ。安心したまえ、奏目クン。君が未来をその目で見た事には大きな意味があると俺は感じる。君には大きな使命があると俺は思う。自分を信じて頑張ってくれ」


 つまり、世界の崩壊に直接関わらない細かい部分は、できるだけ奏目の観た未来の世界になるように行動しろという事、か……。なるほど、と奏目は窓の外を見つめながら授業中、昨日体験した2日後の記憶を辿っていた。
 そんなこんなで授業がいくつか終わった休み時間、奏目は前の席に座っている四季方杜岐に声を掛けられ、何時間かぶりに意識が現在に戻った。
「か〜なめ、さんっ♪ 今日はどうしたのぉ? いや、っていうか今日に限らず最近どうしちゃったのぉ? ぼーっとしちゃって。……はっ! まさか……恋!?」
「なっ、なんでそうなるんだよっ! ちっ違うよっ、そんなんじゃなくてっさ、ただちょっと考え事……って、あっ」
 必要以上に動揺し弁解している途中、あることに気付いて奏目は息をのんだ。それもそのはず、むしろ今まで気付かなかったのが情けない。奏目は2日後の世界で杜岐に会っていたのを忘れていた。
 そして確かに杜岐は言っていた。
『え〜、忘れちゃったの!? ここに来いって言ったの奏目さんだよ〜。2日前に学校近くの駅に集合って奏目さん言ったじゃない。しかも始発時間……』と。
 ――奏目に、ある考えが脳裏をよぎった。
「し、四季方さんっ」
「ふぇ?」

 外はカラリと晴れ上がった空。今日は土曜日、奏目の通う弧乃華高校は土曜日の授業は午前中で終わりだった。だから奏目の説明が終わる頃には教室には他に誰もいなくなった。
「ちょ、ちょっとぉ〜いくら何でも始発は無理だよ〜」
 杜岐は奏目の要求をやんわり断る。そりゃ当然だ。理由も聞かされないままいきなり早朝ミーティングは。しかもその日は月曜日。
 奏目と杜岐は半日授業が終わった後の、誰もいない教室の中で交渉を交わしていた。
「とても大事な事なんだっ。ボクの一生のお願いっ」奏目は手を合わせて懇願する。
「……もしかして世界の終わりってやつ?」
 疑うような顔で杜岐は奏目の顔を見つめる。ここは正直に答えるのはやばい。
「いや……えっと、実は……こ、恋の……相談、で」奏目の顔は紅潮する。
 その様子を見て杜岐の顔が次第ににやけ始める。
「……そ、そっか……そっかそっかそっか。理由はよく分からないけど友達のあたしが相談に乗って乗って乗りまくってあげちゃうからね〜」
 首を突っ込みたがる性格の四季方杜岐は上手く引っかかった。特に恋の問題は。
「じゃあ、奏目さん。2日後の月曜日、学校近くの駅前に早朝集合ねっ」
「う、うん……ごめんね。なんか」
 悪い気はするが背に腹はかえられない。奏目は杜岐から目を逸らす。
「いや、ははっ。いいよいいよっ、じゃあ私は用があるからばいび〜。明後日にまた会いましょう、また会いましょう♪」
 教室の前の廊下で二人は別れた。杜岐のテンションは最高潮に達しているみたいだった。
 奏目が教室を出た後、九重と打ち合わせをする為に超自然会の部室へ向かっている途中、ふと足を止めて、少し寄り道する事にした。
「なんだこれ……」
 階段の踊り場に寄った奏目は、姿見鏡の前に立ち尽くしていた。
 昨日、奏目は九重と共に目の前にある鏡を調べていた。そして九重は何を思ったのか金槌で叩き、鏡は割れはしなかったが、ひびだらけになった、はずだった。
 いま、奏目はその姿見鏡の前にいた。ひび一つ無いまっさらな大鏡の前に。
「確かにひび割れていたはずなのに……」
 奏目はおそるおそる傷一つない水面のようにきれいな鏡に手を伸ばして、そして鏡面に触れたその瞬間――、
「――っ!?」
 視界の全てが白く、辺り一帯はまばゆい光に包まれた。
 奏目も思わず腕で目を覆う。しかし強烈な光は一瞬のもので、やがて周囲に色彩が戻る。
「な……なんだったの……今のは」
 目が慣れてきた奏目は再度目の前の鏡を確認する。
「わ、割れてる……?」
 鏡はまたも姿を変えていた。昨日九重によって形作られた、ひび割れた姿に戻っていた。
「一体どうなっているの……とりあえず九重先輩のところへ行こう……」
 奏目はその場を逃げ出すように超自然会の部室へ急ぐことにしたが、
 まさにその時だった。
 ――とうとう、滅びが始まった。
 世界が、振動する。
「な、なにっ? 揺れてる!?」
 轟音と共に奏目はその場に立っていられない程の大きな揺れを感じた。
 学校が揺れる、地面が揺れる。校舎の窓ガラスが割れる。大小様々な物が落下する音が聞こえる。校舎の壁や床に亀裂が勢いよく走っていく。
「……や、やばい……すごくやばい」
 こういう非常時こそ慌てずに行動すべきだと知っていた奏目だが、今はそんな事を言ってられる状況じゃないのは明確だった。
「――――――ッ」
 奏目は全速力で駆けた。
 3階と4階を結ぶ階段上にいた奏目は飛び降りるように転げ落ちるように階段を下り、廊下の直線を陸上の短距離走選手のように走り抜け、ものすごい速さで拡がる亀裂を羽ばたくように飛び越え校舎の外へ脱出した。
 直後――、倒壊。
 ぜぇぜぇと息を切らす間もなく、奏目の背後の校舎は音をたてて崩れていく。
 奏目は倒壊に巻き込まれないよう、半ば足を引きずるようにして逃げる。
「っはぁっ――はぁ――――いくら未来を……再現させるって、いっても……」
 グラウンドの中央で座り込みながら呆然と崩れ落ちた校舎の残骸を見つめていた。
「こ、ここまで再現させるつもりはないの……に」
 奏目はグラウンドに仰向けで倒れた。

 しばらくするとやがて、土煙りの舞うグラウンドに人がぽつぽつと集まり始めた。ぼんやりしている奏目にその中の2人が話しかけてきた。
「桑崎さん。校舎にいたの? 大丈夫だった?」
 奏目のクラスメイトの宮崎だった。
「あ……うん、なんとか大丈夫……だったみたい」
「なんか怖いよな〜普通こんな事ってありえるか〜?」同じく奏目のクラスメイトの小暮が言った。「世界滅亡のカウントダウンだったりして」
「もうっ、やめてよ小暮君っ」
 しかし小暮の何気なく言った一言に思わず奏目が反応してしまう。
「そっ、そうなんだよっ」生命の危機に瀕していたため気が動転したのか。
「このままじゃ世界は、滅んでしまうんだよっ、2日後にっ! これはその前兆なんだ! だからなんとかしないとっ!」
「……」「……」
 宮崎と小暮はしばしの沈黙、そして、
「あー……じゃあ、わたし達そろそろ行くね。ばーい」
 宮崎は腫れ物を見るような目で小暮の手を引きながら急ぐように去る。
「……ほっ、本当なんだっ! ボクはこの目で見たんだ! 明後日に世界は終わってしまうんだっ!」
 奏目は立ち去る2人の背中に叫ぶ。
「現実に起こるんだっ! ボクは未来へ行って経験したっ! 世界は消滅するんだ!」
 グラウンド中の人間に向かって叫んだ。
 そして……自然と奏目の周囲には人がいなくなった。悲しくなった。

 学校に救急車やパトカー等が大勢集まってくる中、奏目はとある人物の姿を確認する事ができた。
「鳳仙さん!」
鳳仙舞亜が雑踏の中で崩れ落ちた校舎の前で、まるで瓦礫の中から何かを探すように佇んでいた。
「鳳仙さん、これは……」
 どうなっているの? と奏目が尋ねるより早く、後ろからの声でその言葉は遮られた。
「奏目クン、いよいよ世界終末の序章が始まってしまったようだ」
 九重アキラ――。なぜか少し楽しそうにも見える表情だった。
「そのお嬢さんは――?」
 九重は舞亜に視線を向け尋ねる。っていうか、お嬢さんて……。
「あ……九重先輩。こちらは鳳仙舞亜さんです。ボクと同じクラスの」
「そうか、よろしくな。舞亜クン」言って、九重は舞亜に握手を求めたが、
「……」舞亜からはやっぱりと言っていい、いつものノーリアクションが返ってきた。
「ところで、舞亜クン――」さすが超自然会会長九重アキラ、全く気にした様子のない声で右手を伸ばしたまま続けた。「君も世界を救済するつもりのクチかい?」
 舞亜はこくりと微かにうなずいてみせた。そして一言、
「でもあなたには無理」
 九重に向けての初めての言葉だった。しかし九重は表情をぴくりとも変えない。
「なかなか個性的な人物だな君は。ならば君は世界を救えるというのかね?」
「無理。救うのはわたしじゃない」
「ほう。ならば誰が救うと言うのだね?」
 九重の問いに舞亜は答えず静かに奏目の方を見た。
「……ふっ、ふふ、やはりそういうことか……だが、なぜ奏目クンなのだ? 未来を見てきたからか?」
 同じように奏目の方を見る九重。
「違う、未来へ行ったから救えるのでなく、桑崎奏目というその存在だから世界を救えるのであって、桑崎奏目だから未来へ行けた」
「何故桑崎奏目でないといけないのだ? その理由は?」
 九重の質問に舞亜はしばらく口を開かなかった。そして――。
「鼎緒姫」
「ほう……」
「……緒姫、やっぱり……」
 舞亜の口から出た名に驚いた様子の九重。奏目は考え込むように顔を地面に向ける。しばし訪れた静寂の後、舞亜は続けて話した。
「世界は脆弱な存在。様々な要因のバランスによって上手く成り立っていて、ちょっとした事でそのバランスは崩れる。世界は終わる。要するにそういうこと」
 舞亜の話に2人はキョトンとしている。さすがの九重もこの話は理解しがたいようだ。
「この世界のバランスの一つが鼎緒姫であり、桑崎奏目……あなた」
 暑い太陽の下、少し前まで学校だった瓦礫の上で3人の影が揺れているように見えた。
 その後、奏目、舞亜、九重の3人は別行動をとることになった。
「……と言ってもあてがないよなぁ」
 街の交差点で思わず溜息が出る奏目。
 この都会の街のどこに緒姫がいるのか。セミの声に包まれ奏目の足取りは重かった。
 鳳仙舞亜も九重アキラもやる事があると言って去っていった。その後すぐに警官や救急隊員やらが来てやむなく奏目も学校跡を去ったのだが、目的地が分からなかった。
 しばらく歩いていると街に違和感があるのを感じる。やけに騒々しい。土曜日の午後だから賑やかだとかそういう類のものではない。やたらに警察やら救急隊等があちこちにいて、半ば街がパニック状態に陥っているようである。
 やがて奏目がいつも登下校の時に通る歩道橋の上に、野次馬ができているのを見つけて、奏目は好奇心のままに向かった。
「酷いよなこれ……」「例の連続殺人か?」「っていうか一体何人殺されてるんだよ、多すぎだろ……」
 野次馬達が目の前の惨状を語る中、奏目はそれらを押しのけ前に出る。
 奏目が見たものは歩道橋のコンクリートに大きく飛び散った、半分渇きかけている大量の赤い液体……それは、血液。
「……俺が知っているだけでこれで今日9人目だ」
 先程別れたはずの九重アキラがいつの間にか奏目の隣にいた。今日は出現率高いな。
「九重先輩……こんなところで何を……」
「言ったろう、俺はこの事件を調査すると」
「そうでしたね……それにしても異常です。もしかしてこの犯人が明後日の滅亡を引き起こすんじゃ……」
 血だまりに目を釘付けにしたまま奏目は答える。
 九重は何もない空間を凝視して独り言のように呟く。
「その犯人は案外身近にいるのかも……まぁ、いい。とにかく君はこのまま二日後の世界で見た記憶を頼りに独断で行動を続けてくれ。俺はこの事件の犯人について調べる」
 九重は言うと、人だかりを押しのけ、より事件現場の方へと近づいていった。
 奏目はしばらく九重の行方を見ていたが、やがてその場を後にする。心当たりの場所へ。
 
 鳳仙ビル――ここ数日で何度も訪れ、不可思議な体験をした地上高くそびえるビル前に奏目はやって来た。奏目の中ではここと、学校の裏山が最重要たる場所であった。だが、同時にそこはなるべく訪れたくない最たる場所でもあるが。
「……仕方ない。これも世界を救うため。そう、選ばれたボクの義務……か」
 奏目がビルを見上げているとサイレンを鳴らした救急車が奏目の横を走りすぎていく。
「それにしても……なんて多さでしょう、この救急車やパトカーやらの数。それこそまるで世界の終わりという感じじゃないですか」
 突然、奏目の背後から声。奏目が驚いて振り向くとそこには――、
「やぁ、お久しぶりです」
 そこには――金色の長髪と、西洋風の洋服、そして……空の色のような青い瞳をした男――スカイハルトの姿があった。
「スカイハルト……さん」
 世界の終わりをみて以来の――奏目がその時からずっとコンタクトを取りたかった人物の一人だったのだが、いきなりの登場に奏目は戸惑う。
「まぁ、いつもあなたが登場するのは突然なんですけど……でも良かった。探していたんですよ。とんでもない事が起こって……」
「ええ、大体は分かります。世界が終わるのを見てきたのでしょう?」
「そうです。だからボクがそれを止めようと……ってやっぱり知ってるんですね」
「フフフ、そんな事は些細な事ですよ。それよりやっと私の話に耳を傾けてくれるようになりましたか。嬉しいですよ、私は」
「……ええ、今まで疑ってましたけど……ごめんなさい、あなたの言うことを少しは信じてみます。そして世界を救います」
「フフッ、グッドです。この言葉を待っていましたよ。それでは桑崎さん、あなたが見たものを教えてくれませんか? ……とりあえずこんな所もなんですし移動しながら訊きましょう」
 スカイハルトはついて来て下さいと言って歩き出した。
 
 
 そして到着した先は、観光スポットとして発達した小島――大きな川によって隔絶された街どうしを繋ぐ、これまた大きな橋がいくつか架けられているのだが、その街と街の間、川の中に浮かぶ細長い島。つまり中州があるのだが――ちなみにこの街の人達はこの中州を中央島と呼んでいた。
 観光客が賑わう近代的に開発された中央島。スカイハルトがなぜここに自分を連れてきたのか奏目は疑問に思う。川によって包囲された孤島。ここで今度は一体どんな事件が起こるというのだろうか……。
「いえ、何も起こりませんよ。ここに来たことには特に意味なんてありません」
 舗装された歩行者道路を歩きながら、スカイハルトはきっぱりと言い切った。
「なっ? わざわざこんなところまで歩いてきたのに、どうして……」
 思わず立ち止まる奏目。
「ただの散歩なのに。フフフ、桑崎さんは不満そうですね。私はここ、結構お気に入りなんですが……。うーん。それじゃあ、そんな桑崎さんの為に敢えて理由を挙げてみましょうか……つまりですね桑崎さん、ここに来た意味がない事に意味があるんですよ」
「はい?」発言の意味が分からない奏目。
「だってそうでしょう? どんな場所だったとしても普通は特別な意味なんて持ちませんよ。何も起こらないのが正常です。今が異常なのですよ。異様なまでに場所に意味を持たせている。ここに来た時点で何かが起こるなんて思ったらそれこそもう異常じゃあないですか。あなたが異常なんですよ」
「な? ボクが異常? だって最近起こってる事を考えれば誰だってそう思うでしょ!」
「桑崎さん……それはあなただから思うんです、あなただけ。本当に何もないんです。この場所に来た時、あなたは何か意味がありそうだと思ったのでしょう? こんないかにもな場所……ですがここは何もありません。物語に必要ない場所……どんなに見栄えが良くて、どんなに特殊な空間でも物語が発生しないのならその場所は存在しないに等しいといいたいのです。語られなければ存在するのかしないのか分からない。つまり私の気まぐれでこの場所へと来なければ、この小島は存在しなかったと言っても過言ではないのです」
「……は、はぁ?」
「フッ、まぁ……もっと正確に言うなら、あなたがここへ来たから、ですね。要するに、たとえどんな場所でもあなたが行くところが意味のある場所ってことです。あなただからイベントが発生するんですよ。存在が特別。異常であるあなたが事件を引き寄せる。もっとも、私達がここに来た事は伏線でもなんでもないので、この場所はもうこれ以降登場する事はないでしょうね……必要がないですから。ここに来た理由はそういう不条理をあなたに知ってもらう為……っていうところですかね。今の話を語る為に登場した舞台」
「なんで……ボクなの?」
 そんなにまで奏目が特別な存在だというならそれこそ不条理。
「……フフッ。……いや、なんというか。少し脱線しすぎましたね。この話はもういいでしょう。……え〜と、それで何の話でしたっけ?」
 そう言ってスカイハルトは、川の向こう側に並んだビルを見渡せる小洒落たベンチに座った。この話はここで打ち切りらしい。
「なんですか、そんないいかげんな……」
 奏目もベンチに腰掛けて、しぶしぶながらもこれまでに起こった事実を報告することにした。今は間近に迫った世界の滅亡を防ぐことが先決だ。
「……なるほど、それなら確かにあなたがあのビルまで来るのも頷けます。ええ、きっとそこには何かありますよ。つい先日だってありましたものね。ですが今行っても無駄だと思いますよ」
 奏目の話を一通り聞いたスカイハルトは流れるような口調で答えた。
「無駄って……どうして?」
「言葉通りの意味です。行ったところで何もありません。そうですね、ビルには明日の夜に行って下さい」
「明日……そこで何かあるんですか?」
「ええ、私の予想ではきっと何かあると思いますよ。何があるかは存じませんが」
「……また話をはぐらかすんですか。よくそんなに余裕でいられますね。……あなたの体が空に浮かんで消えていくのをボクは見たんですよ。あなた一体何者なんですか?」
「桑崎さん、私の事はどうだっていい事なんですよ、気にしないで下さい」
「……スカイハルトさん。あなた何か隠していませんか?」
「はい?」
「あなたを一応は信じる事にしましたが、あなたからは怪しい空気がぷんぷんです。あなたは何かを知っている風だ。そしてどうしてかボクにヒントを小出しにしてきている。どういう事です? 何が目的なんです? ボクに何をさせようとしてるんですか?」
「おやおや、何を言い出すかと思えば……桑崎さんは意外と鋭いんですね。そして人並みに怒りの感情も持っています……ふぅん。キャラの立っていないキャラクター、人物が書けていないキャラ。私、あなたの性質はそんな風にしか捉えてませんでしたよ」
「なっ……馬鹿にしないで下さいっ!」
 奏目だって一人の人間だ。個性くらいある。現実離れした存在ではない。
「フフ、失礼しました。ですがね……本当なんですよ。あなたには特徴がなにもないんです。本来ならね……普通の人間なんて存在しえないんですよ? だって何をもって普通って言えるんです? そんな基準誰にも決められないし、たとえあったとしても、それは既に『普通』という名の個性ですよ。でもね、あなたは違う。あなたはそれでも『普通』なんですよ……。おかしいですね。まるでそれじゃあ架空の人物。物語の登場人物です」
「な、なにを……ボクだって個性はある」
「そうですね……私の失言でした。あなたの立場からではきっと、奏目さんにも個性はあり、人間らしい感情があるはずですね……。でもね、物語を通してみればあなたは『異常』なんですよ。世界を俯瞰して見れば、あなたの意思に関わらず、あなたはそういう位置づけにある。本来のあなたは無視される。男なのかも女なのかも曖昧な存在。あなたはそういう風に描かれているのですから」
「な、なんなんですか……本当に何言ってるんです、さっきから……」
 スカイハルト……。この男は気付いている。この男は見ているのだ。奏目を通した『向こう側』を……。この、俺を――。
 だとしたらこの男の正体は……語り部の……。なら奏目も、俺も、そしてこの男も――同一の存在。
「話を戻しましょうか。ええ、確かに私はこの一連の事件の謎を知っていますよ、ある程度なら……といっても変な勘違いはしないで下さいね。私はあくまでこの世界を救おうとする立場、あなたの味方ですよ。……分かりました、ここまでくればいいでしょう。あなたにお話ししましょう、私の事を」
 スカイハルトの爽やかに光る目の輝きが消えたように感じた。深く暗い色に彼の本当の心を奏目は見たような気がした。
「奏目さん、あなたはこれまでに考えたことがありますか? あなたのいる世界が虚構のものであるかもしれないと」
「虚構……って、あなたもこの世界が偽物だって言うの……」
 終末の日に出会った、奏目の姿をした者の言葉を思い出す。
「いえ、偽物というわけではないんですが……そもそも本物の世界という存在がない、と表現した方がいいのかもしれません」
「本物がない……? さっきと変わらないじゃないか、一体何が言いたいの……」
「世界が同時に複数あるとしたら……あなたが知覚している、あなたが普段生活を営んでいる、あなたが存在している世界が、いくつもある内の一つだとしたら……それも無限といってもいい果てしない数の内の一つ……俗に言うパラレルワールドですよ」
 宣教師のように、あるいは定型文の説明書を慣れた口調で言うがごとくスカイハルトは説いた。
「その中の一つの世界が、今私達がいる間違った世界。私はこの世界を正そうとする、いわばこの世界のあらゆる法則に干渉されないメタフィクショナルな存在です。そしてこの世界の中心点にいる存在があなた」
「ちょ……さっきから何――」
「この世界はあなたの為に生まれた虚構の世界。世の中はあなたを中心にして廻っている。世界はあなたという物語の大がかりな舞台。この世界はあなたの話なんだ」
 話についていけない奏目をお構いなしに、ゲームのチュートリアルを説明するキャラクターの如くスカイハルトは話を続けていく。スカイハルトの表情が険しくなっていく。
「スカイ……ハルトさん……?」
「そしてその物語は本来あってはならない物語。私はそれを正さないといけない。かつて救う事ができなかった責任がある。いや、この手で壊してしまったから……だから私は……いや、オレは今度こそきっと……」
 スカイハルトの話はもう奏目に向けてのものでなく、むしろ自分自身を戒めるようなものへと変貌していた。話が通じない。
「どっ、どうしたんですかっ? スカイハルトさんっ!」
 奏目の言葉にスカイハルトは頭を振って、我に返った素振りを見せる。金の長髪が静かに揺れる。
「……フフッ、いや……もう、いいか。この辺が頃合いだろう……じゃあな奏目。オレが生きていたらまた、会おう」
 スカイハルトはそう言ってこの場を立ち去った。
 ベンチに座ったまま固まっている奏目は、スカイハルトの背中を見つめる以外に何もできなかった。
「……なんか性格が変わってない?」

 しばし呆然と夕日を映した川を眺めながらベンチに腰掛けていた奏目だったが、ここである異常に気付いた。
「あれ……? いつの間にか人がいなくなってる……?」
 先程まで賑わっていた中央島が静まりかえっていた。不思議に感じた奏目は島内を散策してみたが人っ子一人いない。
「ボクがいる場所こそが意味のある場所……この世界はボクの為の虚構の世界……」
 先程のスカイハルトの話と以前、奏目の姿をした正体不明の存在が言った言葉が奏目の脳裏によぎる。恐ろしくなった奏目は中央島から飛び出した。
 奏目は家に向かって走った。その中で奏目は街の異常を感じた。
「静かすぎる……人がいない……」
 先程までは街には人が溢れかえっていた。街には殺人鬼が潜んでいて、警官や、救急車やらパトカーのサイレンでこの街は騒動の中にあった。それなのに――。
「どうしちゃったんだよ……みんな何とも思わないの……」
 完全に人が消えたというわけではなかった。奏目が走る中、人の姿をいくつか確認することはできたが、閑散。その者達はみな何事もないように日常を送っていた。
「こんなのおかしいよ……これじゃあまるっきり偽物じゃないか……」
 奏目は今の街の状況が、自分が見た未来の光景と重なったように感じた。
 世界は今、現実と呼ぶにはあまりに儚いものだった。
 その後、奏目は自宅に戻ったのだが、その間も街はひっそりと静まりかえったままだった。すっかり元気をなくした奏目はベッドに倒れ伏して何気なくTVを付けたのだが……、
 連続無差別殺人事件の被害者が30人を越えた事を、画面の中の人物が伝えていた。
「……寝よう」

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