姫の夢を叶える要

第二章   走るオモイ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 事の起こりは――俺が密かに恐れていた事態がいつの間にか起こった数日後の放課後、下校時の事だった。
「恐れていた事態ってあなたがロリコンだって事がクラス中に知れ渡った事?」
「違ぇよ!! そんな事態に陥ったら俺は登校拒否街道まっしぐらだよっ!!」
「……可哀相に。知らぬが仏とはこのことね……」
「えっ? うそっ!? 本当に広まっているの!? っていうかそもそも俺はロリコンじゃないよっ? これもういじめの領域に突入してるよっ!?」
「冗談よ、ばかね。ノリがいいのは分かったから……で、なんの話だっけ?」
 なんというサディスティックな奴なんだ……。
「お前がとうとう俺の学校にまで来るような恐ろしい事態に陥ってしまった、って話だ」
「それは私の台詞じゃない。あなたは本当にばかなのね。こんな典型的なラブコメシチュエーション、あなたにはもったいなさ過ぎる位の幸せじゃない。多分これがあなたの人生のハイライトよ。あとはもう下り一直線だけの蛇足人生」
「酷いっ! 酷すぎるっ!! あんまりだっ!」
 今夜は涙で枕を濡らしてしまうだろう。
 オヒメが学校に来るようになってから登下校時はこんな調子だった。俺の心に休息が与えられる猶予はなかったのは言うまでもない。でも、確かにこの時、俺の人生はまぁまぁ悪くはないと認めたかった。いや、正直言うと――きっと楽しかった。
「離れられない、っていうのはこれほど辛いものだったとはね……まぁ、しばらくの我慢だけれど……ん?」
 歩道橋を渡っている時、オヒメはふいに立ち止まって不審そうな顔をした。
「いる……異物だ……かなり近い……」
 その顔は得物を見つけた獣のような、狩る者のそれであった。
「え? 異物ってこの前の奴の事か? っていうか何で分かるんだ?」
「そうよ……しかもなんてこと」オヒメの表情が強張ったように見える。
「この前の奴そのものよ」
「なんっ!? だってあいつは殺したって……」
 だから何で分かるんだ? 妖怪アンテナの類か?
「殺し損ねちゃったのよ……」
 殺し損ねたって……俺はあの時意識を失いながらオヒメが一方的に殺戮をしていたのを見ていたような気がしたが。
 俺の記憶が確かなら……オヒメはまさにこれ以上ないほど殺し尽くしていた……。目を背けたくなる程に……。なのに。
「この世界の常識と一緒にしないで。私達は異形の存在なのよ」
 もっとも、とオヒメが不敵な笑みで俺を見る。
「あなたも私達と同類だけれどね」
 その目はまるで血を吸ったような朱い瞳だった。


 そして俺達は鳳仙ビルに辿り着いた。
「なんで誰もいないんだ?」
 鳳仙ビル1階、広いロビーに俺とオヒメはいる。
「既に結界を辺り一帯にめぐらせているのよ。ほら、この間の遊歩道の時もそうだったでしょ?」
 確かにあの時、俺達以外に人は誰もいなかった。
「なら堂々と退治しに行ける訳だな」
「それ、まるであなたが倒すような口ぶりじゃない。あなたただ見てるだけでしょ」
「すいません」
 全くその通り、反論のしようがなかったので話題を変える事にした。
「ところでそいつはどこにいるんだ?」
「さぁ、さすがにそこまでは分からないわ」
 一つ一つのエリアを片っ端から当たっていくしかないわね、とオヒメが肩をすくめる。
「ふふんっ、じゃあ俺に任せてくれ」俺は一つ心当たりがあった。「こういうのは大抵相場が決まってるんだ」
「相場?」オヒメが怪訝そうな顔をする。
「バカと煙はなんとやらってね」俺は得意げに答えた。
「何よ、気持ち悪い顔して。ばかはあなたじゃない。ばか同士お互いの居場所が感知し合えるっていうの? まぁいいわ、あてがあるならあなたに任せるわ」
 と言って、オヒメは俺の後にちょこちょこ付いてくる。
 俺は怒りと悲しみの入り混じったどうしようもない気持ちを堪えてエレベーターのスイッチを押し、オヒメに聞いてみた。これが青春の痛みってやつか。
「それでその異物ってやつは一体なんなんだ?」
 俺はこれから退治しにいく敵の事を何も知らなかった。
「……ま、あなたももう半分くらいこちら側の存在なのだから少しくらいは話してあげようかしら」
 渋々といった感じでオヒメが語り始める。丁度その時、エレベーターが降りてきて口を開いて出迎えた。俺達は箱の中へ入った。
「世界には表と裏が存在するの」
 中に入るなりオヒメの説明が始まった。
「表と裏?」
 俺はエレベーターで行ける上限のボタンを押しながら聞く。
「そう、目に見えている世界が全てじゃない。ちょうど今結界がめぐらされているこのビル全体のように、今の私達のように。現実と、そして見えない違った世界が混在しているの。ただ同じところにいながら、お互い認識することができないだけ」
「はぁ、なんというか……ファンタジーだな」
 素直に驚いた。
「2つだけとは限らないわ。むしろ世界は無限に存在するかもしれないし、その内のどれが本物かなんて分からない。いえ、本物なんてないのかもしれない。わたしはただ2つの世界を認知しているだけ……2つの世界を繋いで行き来できるだけ……それだけだから」
 オヒメの顔がなぜか少し寂しそうに見えた。
「つまり、私達はあなた達の世界から見たら裏の世界の住人なのよ」
「裏か……。じゃあさ、なんで裏の世界のお前達がこっちの世界に来てんだ? 世界の終わりってやつと関係あるのか?」
「あら、ばカズマにしては冴えてるじゃない。物わかりがよくって助かるわ」珍しくオヒメが褒め言葉……ってか、ばカズマってなんだ。畜生、しっくりしてるじゃねぇか。
「そうよ、簡単に言えば裏の世界のある連中がこっちの世界を支配しようとしているの」
「支配? 世界征服するつもりなのか?」
「ちょっと違うわ。でもそれは言いえて妙ね……つまりね、カズマ。パラレルワールドなのよ。漫画やゲームや映画の世界に自分が行けたらいいなって考えたことある? そういうことなの。私達にとってその世界がこの世界。そしてあなた達にとっては私達の世界がそうなの。理想郷はえてして自分の世界にはなく異なる世界にある。なぜなら違う世界の住人が新たな世界に降臨することは神になるに等しい事。きっと大きな因果がその身にのしかかることになるでしょうね。ある意味では世界を征服するとも言えるわ」
「相変わらずお前の話はぶっ飛んでて理解しづらいよ……」
 頭がヒートしそうになったところでやっとエレベーターが目的の階に到着した。
「まっ、あなたのレベルじゃ理解しろって方が無理な話よね」好きに言ってろ。
 俺達は屋上へ行くため階段へ向かう。
「で、なんでそいつらを殺さなくちゃ駄目なんだ? なんでお前がそれをやってんだ?」
「本来いるべき世界の住人が別の世界に行く事はそれだけでとても大きな危険を孕んでいるのよ。しかもそれだけじゃない。奴らの目的はこの世界の中心に己が存在を据えること。そんな事をすれば世界のバランスが崩れる。だから誰かが止めなければいけない。でも誰もが世界を自由に越えられるという訳ではない。私は数少ない例外……特別な存在なの……」
 だから、とオヒメは声を落として言って、
「あいつは――私が殺す」
 惨劇の幕を開いた。
 屋上の扉を開けた俺達の目の前には異形の怪物がいた。
「ヤホヤホー」
 言葉を介する化け物は、不気味に余裕に佇んでいた。
 しかし驚きだったのが、そいつは以前に会った真っ黒な犬のような姿ではなかった。もっといびつな……そう人に似た姿をした、けれど決して人間には見えない、怪物。
「よォ、そろそろ来ル頃だろォと思ってたぜェ鬼サンよォ」異形のモノが言った。
 はじめ、俺はそいつは前の時とはまた違う別の生き物かと思った。その姿は悪魔としかいいようのない形をしていた。大きな翼の生えた手足の異様に長い、黒い悪魔。それは街の夜の景色に溶け込んでいて美しくもあった。
「なんだガキィ。オマエも来たのカヨ。そんなオマエのために一応補足ダ。姿ハ違ってもオレは同ジ、オレはこないだのオレだ。姿なんて関係ないのサ。イワバこれは進化ダ」
「ば、化け物……」
「フハハッ、化け物ォ? ガキィだからオマエはガキなんだ。見た目デ全てヲ判断してるんジャねェよ。オマエの隣にいるソイツの方が化け物じゃねぇカァ! こいつはあまねく全ての存在に対しての死期なんだゼェ!?」
 化け物は長い指で、オヒメを指さした。
「何喋っているのよ、あなたの相手は私でしょ?」
 オヒメがうんざりした調子で言う。
「クククッ、イツの間にかァ! まるでオレが悪役みたいになってるケドォ、ガキ、よく考えろヨ。果たしてそのオンナが本当ニ信用できる存在なのかどうかってなァ。見タ目で判断したら痛イ目会うぜェ?」
 ククク、と悪魔はその姿にとても似合うとても厭な笑い方をする。それはどうみても悪役のものだった。こいつは何が言いたいんだ? オヒメは……。
「あなたの目的は分からないけど、私は早く帰りたいの。さぁ殺し合いましょう?」
 俺の隣で笑うオヒメから威圧感を感じた。俺は少しオヒメに恐怖心を抱いてしまう。
「フン、楽しみがいノないヤツだなァ、オマエは」
 まぁ、いいと化け物は言って、
「オレも8時から始まる世界珍獣大集合までに終わらせたいト思っていたところダ」
 化け物は翼を広げ、両手を広げ、宙に浮いた。
「そう、私達気が合うわね、殺すのが惜しくなったわ……まぁ、殺すけど」
 決め台詞を放つようにびしっと言って、オヒメがゆっくり化け物に近づく。
「クククゥ、オレをこの前ノ時ト同じだと思うんじゃねぇよォ? オレはドンドン強くなってんだぜェ」
 そして、化け物がオヒメに飛びかかる。

 勝負は――一方的だった。
「口ほどにも……ないわね……」
 オヒメがあっさりと怪物を葬った。怪物は原型も留めない程に惨殺された。
「……」それなのにオヒメの様子がおかしかった。
 化け物を圧倒的な大差で倒したオヒメが、なぜか苦しそうにその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたんだ? オヒメ」
「思っていたより力を使い過ぎたみたい……それよりも気がかりなのはあいつ……あっけなさすぎるわ」
 怪物の残骸を指さしてオヒメは苦しそうに言う。
 確かにあまりにも簡単に戦闘が終わったように思えた。怪物がオヒメに飛びかかって、次の瞬間にはバラバラに解体されたその姿があった。
「でも、それはお前があいつより強すぎたからなんじゃ……」
「それはないわ、少なくても今日に限ってはね」
「え?」
「今日は私の力が弱っているの。なぜだかはよく分からないけど力が普段の10分の1も出ないの……」
 あれで力が弱っている状態なのかよ……10分の1。なんて……。
「それにそこで死んでる異物は恐らく私とは逆、この前よりもパワーアップしている筈なのよ。こいつはそういう類の怪奇なのだから」とオヒメは付け加える。
「おい、待て。死に体の残りカスじゃなかったのかよ」
「どうやら違ったみたい」……違うって。
「まぁ、それでも」月を背にしてオヒメが、「私の方が強いけれど」びしりと断言する。
 その月が欠け始めている事に気付いたのは、オヒメの姿に見とれていたその時だった。
「月が……欠けていく」
 俺はオヒメの背後を見つめながら何気なく呟いた。ただそれだけなのに。
「……え? そっ、そんな……まさか!?」
 なぜか俺の言葉にオヒメが必要以上に驚いた様子で振り返る。
「ほ、本当……でっ、でも、でもなんで……こんな、こんな時に……」
 オヒメは何をこんなに動揺しているのか俺には全く分からなかった。
「月食……そうだ、今日は月食なんだ……ニュースで言ってた。月食と日食が続いて起こるとかなんとか。確か日食は3日後にあるんだ」
 俺はオヒメに説明する。でもそれがどうしたんだ!
「そんな……という事はまさか異物の目的は、まさかっ!!」
 じわじわと欠けゆく月を見つめながらオヒメは自問自答していた。
「何を怯えているんだよ! そんなのいつものお前らしくねぇだろ! なぁ、お前らって一体何者なんだよ!」
 とても不吉な予感がする。俺は取り乱してしまう。
 その時だった――死んでいた異物が動き出したのは。
「な、なんだ……?」
 バラバラになった、悪魔の形を成していたそれらが蠢き始めた。
「お、おい! オヒメ……動いてるっ……こいつ生きてるぞ!」
 そしてそれらが徐々に集まっていく。一カ所に集まって、一つになっていく。
「なんてこった……こっ、こんなんアリかよ……」
 そこに形成されたのはオヒメの手によって殺されたはずの悪魔。すっかり元通り、復元した。 ……いや、訂正。復元ではない、その姿はさらに人間に近づいていて、さらに凶悪さを増して、威厳すら感じられる存在へと生まれ変わっていた。俺でも分かる。そいつは明らかに、格段に強くなっていた。
「よォ、お久しぶりィだなァ」
「……最悪ね」
 月は完全に、見えなくなった。
「ハッハァッ! オイッ、死期ィ! 月ノ輝きはないッ! オマエも気付いてるはずダ、オレはオマエと同じタイプの……いやッオマエとは逆の性質を持った存在ッ! 即ちオマエの力は今、本来の1割もナイはず、オレは真ノ闇ノ中、暗黒ノ力ノ恩恵ヲ100%享受しているッ!しかもココはより空に近イ場所で、さらに殺されかけた事でパワーアップ! モウ止められねェ、力はクライマックスだッッ! オレはそんじょそこらノ怪奇とはヒト味違ウ。既にオレの存在は超常クラスに近いッ、みくびっていたよォだなァ……恐らくオレはコレでお前ノ力を上回ったと確信してるンだが、どォだァ?」余裕な怪物。
「……何故、たかが一つの異物がここまでの力を……所詮はこの世界の中心点を目指すだけの存在でしかないのに」オヒメは震えている。
「アッハー! まずそこが違ウっ! オレはただの異物じゃねーってのッ! オレはなぁ、欲深いから世界一つじゃあ物足りないンだよ!」
「な……なにを。この世界があなたの到達点ではなかったのっ?」
 オヒメは驚いた顔で化け物を見る。俺は話についていけない。
「所詮は一つの世界に過ぎん! この世界で中心に到達できたとシテモ、結局オレはこの世界の内側でしかない。オレはアカシックレコードにアクセスしたいんじゃねェ……オレはレコードそのモノを手に入れたいンだよ! アカシックレコードが手に入れば、いつの時点からでも再生は可能だし、技術さえあれば中身をまるごと改ざんすることだってできるッ! だから俺は全ての世界の外側へと出るンだよっ!」
 アカシックレコード……それは世界の過去・未来……いや、世界の心理全てが記録された装置。なら、それを改ざんするってことはつまり、歴史の変革ってことか? 分からないけれど……それは、もはや神の領域じゃないか。生物の域を超えている……。
「な、なんなのよ、それ……あなたは世界の仕組みの理解してるとでも言うの……」
 オヒメが顔を真っ青にして獣と対峙している。優劣が逆転している……。
「間違っていてでも、独自であろうと、その概念を持ってさえいれば……ソウ、例えば、この世界は小説の中なんダヨ。それを理解してるオレはここから出られる資格を持ってンダ。だから外に出たならば、オレが作者となって世界をもっと面白い内容にしてヤルヨ。そしたらちっとは売り上げ向上するかもダぜ?」
 それは……これが物語で、今もこの惨状を誰かが読んでいるって事なのか? そして外とはつまり、その読者にとっての現実という事なのか……? だとしたら、俺達は物語を盛り上げるための道具だというのか? ならば、なんて滑稽なんだ……このストーリーは。
「……ばかを言わないで。ただの異物の分際で」
 怪物の言葉をばっさり切り捨てたオヒメだが、彼女はとても焦っているように見えた。
「じゃあ試スか? パラノーマルの力を」
 言って、怪物は駆けた。
 ――――。
 何が起こったのか分からなかった。状況が理解できなかった。ただ、風が俺の頬を走ったのを感じた。そして生暖かい感触。それは、血。
「あ……オヒメ……?」
 一瞬だった。気付いた時にはオヒメが怪物に胸を貫かれている光景があった。
「ごっ、ごほっ、うぐ……」
 オヒメはかろうじて命があるようだが……見て分かる、瀕死の状態。
「ホゥ、まだ息があるよォだナ……ダガ、じきに死ぬ」
 血を浴びた怪物は不気味に笑う。俺は頭が真っ白になった。
「あ……オヒメ……オヒメッ!!」
 俺は叫んだ。頭が真っ白になった。ただ叫ぶ事しかできない。なんなんだ、この光景は。
 月のせい? 確かに月の満ち欠けによって地球上の生物や、あるいは地球の現象そのものに影響を及ぼすって言われている。海の満ち引きや、産卵。あるいは満月に犯罪が多くなるといった事まで……しかしそれがこいつらにとってどう関係あるんだ!
「か、カズマ……」
 オヒメは焦点の定まらない目で俺を見つめる。貫かれて、宙に浮かんだ小柄な体から血がこぼれ落ちていく。
 やめろ、このままじゃオヒメが……オヒメが死んでしまう……。
「やめろ……やめろォォォォ!!」
 俺は飛び出した。怪物に向かって。
「邪魔ダ」怪物はオヒメを突き刺したまま、余った方の手を振りかざす。
「うっ? ぐわぁっ!」
 ものすごい突風。吹き飛ばされそうだ。風圧で体が切り裂かれる。だが飛ばされる訳にはいかない。後ろには下がらない、決して。
「うああああ!! 舐めんなああああああああああ!!!!」
 前に、前にぃいいいいいい!
「ガキがッ、調子に乗るナ」
 さらに風が強くなる。体から血が流れる。だが、関係ない。今は目の前のこいつを。
「くそおおおああ! こんなものでええええ!!!!」
 倒すっ! ぶっ飛ばす!
「……なッ? なんで飛ばされないッ!? なんで向かって来れルッ!? というか何でオマエのようなちっぽけなガキがオレの存在にココまで干渉できるンダッ!?」
「この野郎オオオオ!! てめぇは360度どう見ても悪役にしか見えねーんだよオオオオ!!!!」
 右腕に俺の全ての力を込めて――。
「そ、んな……ナンデ? コノ世界ノ人間が……こんな小さい存在ガ、こんな影響力ヲ……」
 怪物が信じられないという目で俺を見ている。
 だが、そんな事は関係ない。今は他に何も考えられない! 捉えたぜ、悪役ッ!
「食らってみやがれ化け物ッ! これがちっぽけな存在の右ストレートだアアァッッ!!」
 俺の拳は化け物の顔面をクリーンヒットした。

「オヒメ、オヒメ! おいっ、しっかりしろオヒメ!」
 化け物を吹っ飛ばした勢いでオヒメの体を化け物から引き離すことができた。しかし抱きかかえたオヒメの体は冷たく、いくら呼びかけても返事はなかった。
「おい、嫌だよそんな。オヒメ、お前人間じゃないんだろ? お前だったらこんな傷なんともないんだろ?」
 オヒメはまるで死んだかのように動かない。やめてくれよ、そんなんじゃ本当に死んでるみたいに見えるじゃないか。
「悪い冗談はやめてくれ。全然笑えねーぜ? 俺を騙そうってんなら大成功だ。効果絶大だぜ。だから目を覚ましてくれよ……なぁ、オヒメ……」
 俺の目から涙が溢れ出す。おかしい、俺こんなシーンで泣くような人間だと思わなかった。
「オヒメ……死ぬなよっ……オヒメ……」
 オヒメの頬に俺の涙がこぼれ落ちた。その時オヒメに微かな反応があった。
「あっ、オヒメ……オヒメ……!」
 慎重に、できるだけ落ち着いてオヒメの名前を呼ぶ。
「く、ぅ……か、かず……ま……?」
 オヒメは弱々しく俺の名前を呼ぶ。
「ああ、そうだ、俺だ、カズマだ。もう終わったから、もう大丈夫だから。だからオヒメ、一緒に帰ろう、な」
「で、でも……異物、が……」
「大丈夫だよ、オヒメ。あいつはどっかに行った。俺が追い払ってやった。だから安心していいから」俺は強がってみせる。
「そんな……カズマが……どうこうできる……相手じゃ……そうか、私の血の影響……ならまだ道は残されている……でもそれでもあの異物を退けるなんて、できるはずが……」
「もういい、そんなこと今は忘れろ。とにかく帰ってゆっくり休もう。どうせ病院は駄目なんだろ? ははっ、お前人間じゃないもんな。そりゃ病院は行けないわな。でも、ぐっすり眠ったら回復するんだろ?」
「ふふっ、そう……言いたいところだけど……今回ばかりは……強気で、いられないわね……私はもう……駄目、みたい……」
「そんな……弱気になるなよ。お前らしくないじゃないか、気持ち悪いぞ。だって……だって、お前はもっと高慢で、高飛車で、いつも俺に毒舌を浴びせて、俺を困らせて……」
「か……ずま。聞いて。あなたに、頼みがあるの……」
 オヒメが目を潤ませながら俺の手を握った。
「やめろよ、そんなもう最期みたいな言葉。一緒にやろうよ、なぁ、頑張ってくれよっ」
「お願い、聞いてカズマっ! 世界の為にっ、私のためにっ」
「……オヒメ」
 オヒメの迫力に思わず俺も大人しくなる。
「このままだと、この世界は……終わりを迎えてしまうことに、なるの……きっと、そう3日後……日食の時……だから、私の代わりに……止めて……。世界を、救って……」
「俺が世界を救うなんて……オヒメの代わりなんて……」
「大丈夫、私と……あなたは……一心同体って、言ったわよね……。あなたは、私の力を……継いでいるの……だからあなたに……私の全てを、託すわ……」
「オヒメ……そんなの無理だよっ! 俺にはできないっ、オヒメがいないと……俺は、俺はこれからどうすればいいんだよ……また、また一人に戻っちまうのは嫌だ……」
「……ねぇ、カズマ……あなた、さっき……私が異物にやられた時……怯まずに立ち向かったわよね……無謀すぎよ」
「そんなの当たり前だろ……だって……お前……お前が……」
「……でも、ちょっと……かっこよかったわよ、ばか」
 言って、オヒメは俺に口づけをした。
 辺りは優しい閃光に包まれた。
 
 白い、眩しい光に包まれてのち、徐々に夏の夜の闇が世界に戻り始めた頃には、そこにオヒメがいない事に気がついた。
「ばかはお前だよ、ばかやろぉ……」
 悲しい、俺のファーストキスだった。

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