姫の夢を叶える要

第二章   走るオモイ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 俺が少女と出会ったのは、まもなく本格的な夏が始まろうとしていたある暑い日だった。
 月並みな言葉で自分で語るのも何だが、俺はどこにでもいるごく普通の高校生。
「暑ぅ〜……だから帰ろ、帰って寝よ」
 なので、ごく普通の高校生が抱く思春期ならではの反社会的衝動が押さえきれず、その日も学校での教育を受ける義務を途中で放棄する事にした。だがやはり神という存在はいたのか、天罰が下ったのか。あんな事になるならごく普通の高校生として真面目に授業に出ておくべきだった。少なくとも今日一日だけでも。
 
「なんなんだよこりゃあ……」
 俺の世界はこの瞬間、日常から一気に非日常へと反転した。
 路地裏の突き当たりにあったのは、生物らしき死体。いや、物体。
 そして傍らには、少女がいた。
「あら、目撃者?」
 鮮血を纏った少女が振り向いた。笑顔だった。
「あなた不運ね。見られたからにはこのまま帰すわけには行かないわね」
 もしかしてこれ凄くやばい状況じゃん。と俺は今そこにある危機を理解する。
「ん〜……そ・れ・じゃ・あ。……残念だけど、あなたには消えてもらおうかしら?」
 情けないことに俺はこの間一歩も動けなかったし一言も話せなかった。


 さて――話は少し遡って下校時。
 学校を後にした俺は何を思ったか、少し街をブラブラして帰ることにした。あとになって考えてみればどうしてこんなアホな事を思ってしまったのか。そもそも暑いから帰ろうって趣旨だっただろ、街をブラブラってなんでそんな悪魔的な発想が浮かんでくるのか俺の頭は。
 だが今にしたらこうも考えられる。そう、それは運命。始めからそうなるように決まっていた必然。様々な要因が重なり全てがそこに導かれる。一見無意味な行動も全部繋がっているのだ。一見奇跡のような確率にみえる事もそれは必然……なのかもしれない。
 ……少々脱線してしまったが、とにもかくにも俺は意味もなく当てもなく街をひたすら彷徨い歩いていた。まるで何かを求めるように。運命の出会いか? 自分でも分からなかった。
 カフェの前を通った時に、道路を挟んだ向かいにあるビルとビルの間に何かを感じた。それが何なのかは分からないが、なんとなくそこに行かなければいけないような気がした。思春期ならではの好奇心が訴えたとでも言っておこうか。暗いビルの間を進んでいく。
 さっきまで暑くて溶けそうだったのに少し寒気を感じる、そんな不気味な場所だった。だが俺の好奇心は怖じ気づくことはなく、足は路地裏の奥へ奥へと進んでいった。
「なにか見えるぞ……」
 進むにつれて奥でなにか動くものが確認できる。人だろうか。それとも……。俺は勇気を出してそこへ近づいていく。そして一つの感情――。
「……やめときゃよかった」恨むぞ、俺の好奇心。
 裏路地の突き当たり。袋小路になった場所で俺の目はおよそ全国のごく普通の高校生が見る事は多分ない――というか人間一人の一生のうちでもそうそう見ることはできないであろう、現実離れした異常を目の当たりにしていた。
「嘘だろ? こんなこと夢だ……」
 目の前に広がるは赤。むせかえりそうになる臭気。そして地面に転がるは異形の物体。よく見たらそれらの物体は腕とか足のようにも見えるけど、きっとそれは俺の目の錯覚だ。その中心には赤に染まった少女が一人立っている。とても綺麗な……いや、そんな場合じゃない、なんだなんだよこりゃあ。これじゃあまるで――、
「殺戮現場じゃないか……」


 ――回想終わり。
 で、いま俺は震えていた。まさかこんな華奢で可愛い少女が虐殺行為なんかするはずない。これはあれだ。夢だ。夢オチだ。返り血を浴びた少女は踊るような軽やかな足取りでこちらへやって来る。
 ……夢オチはいくらなんでもベタすぎる。だったらあれだ、映画の撮影。それかドッキリだ。一見血に見える液体もそこらに転がってるモノも現代科学の叡智の結晶の賜。いやぁ、よくできてる。一瞬本物かと思ったよ。だがあいにくだがこの俺の眼は誤魔化せなかったようだぜ?
「ははは……俺にそんなドッキリは通用しないぜ。その辺にカメラとかあるんだろ? 何の撮影? 悪趣味な冗談はもうやめて出てきなよ。もうバレバレなんだぜ。あはは」
 名探偵もびっくりな真相を露呈させてやるが、少女は不敵な笑顔でにやにやするだけでショーの幕は引かない。
 くそう、何がおかしいのか。俺の推理が外れたというのか。だったらこの状況はいったい何なのだ。ありえないこんな事。考えたくないこんな事。目の前の惨状をありのままに受け止めて考えるんだ。……とてつもなく気持ち悪い。
 ……俺は死ぬのだろうか。この少女に殺されてしまうのだろうか。こんなに可愛いのに。俺もこの一帯の惨劇の一部と化してしまうのか。とうとう少女は目の前にまでやって来た……まぁ、いいか。こんな可愛い娘にだったら……俺の人生。
 そして妖しい雰囲気を纏いながら血塗れの化け物はこう言った。
「……ねぇ、びっくりした?」
 それは、意外に明るい声だった。
「へ?」と、思わず間抜けな声が口から漏れてしまっていた。
「殺される、って思ったでしょ?」
 少女はまるで悪戯が見つかった時のような無邪気な顔で尋ねてくる。
「………あ、やっぱりドッキリ?」
「違うわよばかっ」
「……じゃあこの状況はなんなんだっ、お前一体何者なんだっ、ここで何してたんだっ、俺も殺すんだろっ」
 俺の中で何かの糸がぷつりと切れていた。
「もう、落ち着いてよ。ぴーぴーうるさい。冗談の通じない男ね。あんたなんか殺すつもりなんてないわ。殺す意味もない。でも……ただ、この現場に居合わせられたってのは私としてはちょっと都合が悪いからそれはそれでアリかも……」
「ひぃっ……」
 ねーよ! 思わず背筋が凍り付く。
「っていうのも冗談で……分かったわよ、ちゃんと説明するわよ。そんな怖い顔しないでよ」
 やれやれといった感じで少女は肩をすくめた。
 やっぱりこうして見ると少女は世間一般から考えてかなり可愛い女の子としてカテゴライズされるべき容姿をしていた。いや、現実離れしていた、という方がしっくりくるか。金というにはもっと白く、白というには輝くような黄金色をした――そう、白金の流れるようなロングヘアに、赤い瞳。外人か? 体は小柄のうえ華奢で、真っ白な肌を包む衣装は赤いドレス……いや、もしかしたらそれは返り血かも……と考えたくない事を余計にも考えてしまった俺は、危うく少女の弁明を聞き逃してしまうところだった。
「じゃあまずは自己紹介から。私の名前はオヒメ。よろしく」
「おひめ……」
「やめて、そのイントネーションじゃ私がどこかの国の王女様みたいじゃない。オヒメよ、オ・ヒ・メ」
 オヒメは俺を一睨みする。蛇に睨まれたカエルの気持ちをこの時初めて理解した。
「あっ、ああ……悪い……俺は、蒼野。蒼野和真(あおのかずま)」
「そう、よろしくカズマ」
 オヒメ……か。けれどしかし、それは少女にぴったりな名前だなって、なんとなくだけどそう感じた。
 自己紹介が終わると少女――オヒメは手を差し出してきた。どうやら握手を求めてきてるらしい。白く細い指で小さな掌だった。俺は何も疑うことなくその手を軽く握った。その時なぜかオヒメが微笑んでいるように感じた。
「なぜこんな事になったかって説明するためにまずは私の事から話さないとね」握手を解いて彼女は重々しく話し始めた。
「実は私はあなた達とはちょっと違うの。まあ人間じゃないって事なんだけれどね。それで今ここに転がっている死体も人間じゃないっていうことなの。ちなみにこれはあなたが見たとおり私が全部やったことよ。ざっと言うとこんなところ」
「――へ?」
 いきなり何を言い出すのか、この子は。
「だから安心して。私は人間は殺さないし――私たちの事は私たちの問題、だからあなた達人間に干渉もされたくない」
「いや、なんというか……」
 いきなり話が飛びまくっているんだけど……。
「だから私が言いたいのは、あなたはここで何も見なかったし、そもそもあなたはここには来なかった、ということよ」
 オヒメがまるで決め台詞を放つかのような声でびしっと言った。言って俺の眼を見つめ続けた。俺の返事を待っているようだ。だが俺の思考はそこまで追いつかない。頭の中が変な電波に浸食されているみたいだ。俺の電波の受信性能はそんなに高くないぞ。
「えっと、これやっぱドッキリ?」
 頭をひねってやっと口から絞り出せた言葉だった。
「………はぁ、あなた物わかり悪いわね。やっぱりばかだわ……いい? 私は別にあなたに危害を加えようって気はさらさらないの。むしろ関わりたくないの。だからここで見たことは全部忘れるの。つまり私はあなたに口止めしてるの、誰にも言っちゃ駄目よ。いい? 分かった?OK?」
「……えっと、その……人間じゃないってホント?」
 俺を口止めしてるのは分かるが、この女の言ってる事は何一つとして俺の理解の範疇を超えていた。電波さんなのか。
「そうよ、言ったでしょ。私は見た目はあなた達と同じだけど人間じゃないの。私が今殺していたこいつ達もそう……」
 と、突然オヒメが表情を変え黙り込んだ。その殺気を帯びた瞳に思わずぞくりとした。
「……誰かいる。カズマ、そこから動かないで」
 俺に目を向けず言う。オヒメはしきりに辺りに注意を向ける。
「だ、誰かって誰なんだよ……お前の仲間じゃねぇのか、なあ」宇宙人的な。
「残念だけどそれはないわ、この世界には私の仲間なんていないもの」
「じゃ、じゃあ一体誰がいるっていうんだよ……」
 傍らに転がる謎の死体を見ながら、ゴクリと唾を飲む。
「うるさいわねあなた。命が惜しかったら黙ってなさい。死ぬわよ?」
 オヒメは緊張感を保ったまま俺に呟く。ってか死ぬって何だ。俺は今、命に関わる事件に巻き込まれているのか? 俺は何も関係ないだろ。なんで俺が死ななきゃいけないんだ。
 このままここにいるのはヤバイ。俺の直感が叫んでいた。ここは隙をついて逃げるしかないと俺の脳内会議で全会一致で採決された。――その時だった。
「っ!!?」
 生暖かい風が突風のように俺の全身を通りすぎた。なんだこれは? 戦慄が走った。本能が知らせる、感じたことのないゾクゾクする悪寒。黒い影のようなモノがグングンと俺達の方へ近づいてくるのを感じる。――いる。確かになにかがここにいる。
「……う、うわぁぁぁ!」
 俺は頭が真っ白になって飛び出した。
「っ!? カズマっ!?」
 オヒメの声が背中に突き刺さる。
 俺は振り返らない。全力疾走していた。情けなくも俺はその場の恐怖に耐えられなくなって逃げ出してしまったのだ。女の子を一人置き去りにして。
 
 俺は最低だ。
 その後の記憶はおぼろげにしかなかった。無我夢中で走り続けたあと、俺は家に帰ってその日は一日中自室にこもり続けていた。
 そして次の日、少しでも気持ちを落ち着けたかった俺は学校へ行って見知った人間と一緒にいようとした。普段は嫌っていた学校もこんなに安心できる場所だったのかと机の上で頬杖をつき、窓から外を眺めながら少し感傷に浸る。自分はまだこっちの人間なんだ。
 放課後、俺はすぐに家には帰らずに意味もなく夕暮れの教室の中に一人で佇んでいた。……だが今回はまっすぐ帰るべきだった。
「やっと見つけたわ、蒼野和真」
 とても聞き覚えのある声。というか昨日聞いた声。思わずその場に凍りつき、声の主の方を振り向くことが出来なかった。すぐ後ろにいる。
「あなた昨日はよくも勝手に一人で逃げたわね。覚悟はできているのかしら?」
 声の主――オヒメは怒っていた。顔を見なくても分かる。怒りがこみ上げている声だ。
「あなたのおかげで無駄な時間を使っちゃったわ」
 ふいにぽんと、俺の肩に手が置かれた。
「ひいっ……! わ、悪かった。ごめん、謝るよっ、許してくれーっ」
 とオヒメに振り向いて手を合わせながらひたすら謝罪の言葉を連呼した。
「な……何よ、そんなに驚くことないじゃない。ちょっとした冗談よ。私は別にあなたをとって食おうなんて思っていないわよ」
 オヒメはさっぱりした顔で赤い瞳を丸くしていた。
「じゃ、じゃあ何しにきたんだよ」
 俺はてっきり、とって食われるのかと思った。
「昨日の話の続き。約束してもらわないと困るの」
「分かった。約束する。だからさようなら」
 俺は教室を後にする。
「って、待ちなさいよ」しかし、教室を立ち去ろうとする俺の肩をオヒメが再び掴んで言った。「そんな簡単に信じられないわよ」
「俺が信用できないっていうのかよ」俺の逆ギレ発動。
「できるわけないじゃない。あなたがどんな人間か知らないんだし、私を置いて一人で逃げるような人なんだし」
 鋭い指摘っす。
「すいません……でも、じゃあどうしたら俺を信じてくれるんだ? ずっと俺を見張っているか?」と、皮肉気に言ってみたり。
「……そうね、いい考えだわ。そうするわ」
「って待てぇいっ! 全然よくねーよっ!」
「大丈夫よ、私はどうせ行くところもないから丁度都合もいいわ。しばらくあなたの傍にいることにするわ」
「俺がよくないんだよっ! っていうかお前俺の家に住みつくつもりかよっ!」
「あなたの都合は関係ないわ。うん、そうね。そうと決まったら話が早い。さぁ、カズマ。あなたの家に案内して」
 そんな事できるかよ……俺はてこでも動かんぞ。
 しかしその時、廊下から人の気配がした。学校に残っている生徒のようだ。オヒメが意味深な表情で口元に笑みを作る。
「はやく決断した方があなたの為にいいと思うけど?」
 確かにこのまま学校の部外者とお話しているのはとても好ましい状況とは言えない。
 ……ちくしょう。こうなりゃやけだ。

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