働かずに生きる、と彼女は言った

第4話  社会復帰更正プログラム

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 休日。今日は一日中雨だという事で、僕は部屋に籠もってゴロゴロ寝そべって漫画を読んでいたら――突如部屋の扉が勢い良く開いて、女性の声が響いた。
「こんちにはっ!」
 静寂が一瞬にして破壊される。な、何事だ――僕はビックリして入り口の方を見たら、そこには玲於麻ねえさんばりに背の高い、でも姉さんとは違って大人の魅力ぷんぷん漂う見知らぬお姉さんが立っていた。
「あ、あのー……誰ですか?」
 僕は恐る恐るお姉さんに尋ねてみた。
 するとお姉さんは表情を蒼白にさせて肩を震わせた。
「……ひ、ひどい、貴翔くんまでっ! ちょっと会わない内に、みんなあたしの事をすっかり忘れてしまうんだね!」
 脱色したセミロングの髪に手慣れてそうな化粧をした女性は、不機嫌そうに顔を歪めて言った。
 僕はその大げさな表情と動作に見覚えがあったような気がした。
 ――そして、思い出した。
「もしかして……莉菜さん?」
 僕がためらいがちに答えると、綺麗な顔のお姉さんはすっと目を閉じて――。
「ん〜……正解っ!」
 と、お姉さんは笑顔を輝かせて正体を打ち明けた。
 そのくだらない軽いノリをする大人の女性を僕は他に知らない。ならやっぱり――。
「あ、ホントに莉菜さんだ。全然気付かなかったっ! てか、随分大人っぽくなりましたねっ。髪も染めてますし、化粧もしてるし」
「そうよぉ、忘れてたなんてひどいわよ〜っ。でもすぐに思い出してくれたから許してあげるけどねっ」
 そう言って、莉菜さんはベッドに座っている僕に飛びついてきて――僕を押し倒した。
「や、ちょっ……ちょっと何してるんですかっ!」
 小久保莉菜。自称・萩窪玲於麻の大親友で、玲於麻ねえさんが高校を卒業するまではよくこの家に遊びに来ていたのだ。
「スキンシップだよぉ。ほらほら、ええではないかぁ」
 僕の頬に自分の顔をスリスリさせてる莉菜さん。
「だ、駄目ですって! な、なんでこんなっ……」
 ベッドの上でもみくちゃにされる僕。こんなとこ誰かに見られたら――。
「……って、さっきからなに私の弟に手ェ出してんのよ、莉菜ァアア」
 突然、部屋の入り口から声が聞こえた。
 僕が顔を上げて見ると、いつの間にか、開け放たれたドアの前に、鬼のような形相を浮かべた玲於麻ねえさんが仁王立ちしていた。
 も、もの凄く怒ってらっしゃる……。
「あははぁ。お久しぶり、玲於麻。元気?」
 僕を押し倒した姿勢のまま、莉菜さんは苦笑いを浮かべて、玲於麻ねえさんに挨拶した。
「元気? じゃないわよ! さっさと翔ちゃんの体から離れなさい、この変態! ばか!」
 玲於麻ねえはドカドカ足音を立てて僕達の元に来て、無理矢理力ずくで引きはがす。
 そして莉菜さんをベッドから転げ落として宣言した。
「翔ちゃんを好きにしていいのは、私達3姉妹だけなんだからねっ!」
「って、違うよね玲於麻ねえ!? 僕の体は僕のもので、他の誰にも好きにしていいことないよねっ!?」
 あまりにも堂々とした物言いだったので、ついうっかり流してしまうところだった。
「あら。そうだったかしら? 姉さんうっかりしてたわ。うふふ」
 玲於麻ねえは、悪戯っぽい笑みを浮かべて微笑んだ。
「……とっても怖い姉を持ったもんだ」
 と、呆れる僕をおいて、玲於麻ねえは床に転がっている莉菜さんを一瞥して、怖い顔で尋ねた。
「ところで、莉菜。答えてくれるわよねぇ? どうしてあなたがここにいるのかを」
 答えによっては容赦しないという態度で仁王立ちしている玲於麻ねえ。
 だけど莉菜さんは悪びれた様子をおくびにも出さずに、むしろ自信たっぷりの表情さえ浮かべて立ち上がった。
「ふっふっふ……よく訊いてくれたわね、玲於麻。あたしがこの家に来たのはね……全てあんたのためなのよっ」
 莉菜さんは玲於麻ねえに向かって喝を入れるがごとく高らかに言った。
「はい? 突然なにを叫んでいるのよ。意味が分からないんですけど」
 この友人はいったいどうしちゃったのかしら……と、不安そうに玲於麻ねえは可哀相な人を見るような目で莉菜さんを見る。
「そんな哀れむような目でこっち見ないでよ! 意味が分からないのはこっちよ! 玲於麻っ。あんた仕事もしないで毎日ブラブラブラブラいい加減にしなさいっ!」
 莉菜さんはかなりまともな説教をした。
「ぎくり」
 と玲於麻ねえは、顔を引きつらせて莉菜さんから視線を逸らす。
 こう言われては玲於麻ねえに言い返す言葉はないだろう。誰にだって反論の余地もない。
 さっきまでとは一気に形成が逆転した。
「久しぶりに会ってみたら……あんたその格好、なんなのよ! 若い女がメイクもしないで髪もボサボサでジャージ姿って……見るからに駄目人間まっしぐらじゃない! あたしとは大違いじゃないっ! どこをどう違えばあたし達、こんなにもかけ離れてしまうのよ! あたしの尊敬する玲於麻はどこに行っちゃったのよっ!」
 莉菜さんはすごく的確ですごく突き刺さる言葉を述べた。
 玲於麻ねえのこの姿に見慣れているから気付かなかったけど……莉菜さんと玲於奈ねえを見比べると、とても同じ年齢の女子とは思えないほど玲於麻ねえの格好は……酷かった。
「う……じゃ、じゃあ莉菜は私にどうしろと言うの……あなたの目的を教えてよ」
 玲於麻ねえは観念したように言った。
「あんたは社会に復帰しないといけないの! バイトでもいいからコツコツ見つけるべきなのよ!」
 しごくもっともな意見だった。玲於麻ねえを助けたいのは山々だけど、正論過ぎて何も言葉が浮かんでこない。
 例えば――僕にも和泉夜さんのように強い信念があったら、ここでビシッと言い返すことができるのだろうか。
「まあ……でも。いきなり仕事しなさいと言ってあなたが素直に従うなんて思ってないわ……。だから今日は――あたしと一緒に外出してもらうわよ!」
 莉菜さんがバシッと玲於麻ねえを指さして言った。
「が、外出って……私に何をさせるつもりなのよ」
「別に。そんなに心配することはないわ。これは小久保莉菜考案、社会復帰のプログラムよ」
「しゃ、社会復帰……」
 玲於麻ねえがあからさまに嫌そうな顔をした。
「だから心配することないって、玲於麻。私はただ久しぶりにあんたと遊びたいって言ってるだけよ。……親友の言葉を信じなさいよっ。ねっ」
 莉菜さんが優しい顔をして玲於麻ねえに微笑みかけて――玲於麻ねえもほっと胸を撫で下ろした。
 そこにはかつて僕が見てきた、学生時代の2人の姿があった。あの頃とは2人は随分別の場所に行ったけれど、あの頃と同じ顔をしていて……。
 そして玲於麻ねえは、外出する支度をすると言って、自分の部屋へと行った。
 部屋の中に残された僕と莉菜さん。
「ってことだから……貴翔くん、あなたもついてきてくれるわよね?」
 ベッドの上に2人並んで腰掛けていたら、莉菜さんが唐突に言った。
「……え? なんでそうなるんですか?」
「観察係よ。第3者の視点の人間に立ち会ってもらって、玲於麻の状態をチェックするのよ」
「え……なんで僕が……僕が行っても大して役に立たないと思いますよ……仄か樹新に頼んだら……あ、樹新は運動部の助っ人に出ているのか」
 しかし莉菜さんは首を振って、
「ううん。これはあなたじゃないとできないの。樹新ちゃんにも仄ちゃんにもできない。あなたが適任なの」
 隣に座る僕に体ごと向けて、真剣な眼差しで見つめた。
「正直に言うと?」
「仄ちゃんとこにはさっき行ったんだけど断られちゃってねぇ〜。あたしの事昔から嫌ってるみたいだからねぇ。あははは」
 莉菜さんは頭を掻きながら恥じるように言った。
「じゃあ……それってただ単に、いま萩窪家で暇してるのがたまたま僕だけだったから、仕方なく僕にしただけなんじゃ……」
「……。頼んだわよ、貴翔くん」
 莉菜さんは僕の疑問には答えず、ただそれだけ言った。
 てか、否定しないんだね? やっぱり図星だったんだね?


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