働かずに生きる、と彼女は言った

第2話  金策手段

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 本日の『働かずに生きる講習会』を終えた僕は和泉夜さんの家を出て、帰り際に大手チェーンの古本屋に訪れていた。
 昨日、和泉夜さんと来た古本屋だ。
 そこで僕はめぼしい本を探す。勿論ネットオークションで売る為の本を探す為で、さっそく和泉夜さんから学んだノーワーカー理論を実践に移しているのだ。
 しかし、どれが高く売れる本なのか僕にはさっぱり見当もつかない。
 和泉夜さんが言うには、これだ――と思った本があれば、ネットで相場を調べて購入を決めるって言ってたけど……これだ、っていう本がまず分からない。
 僕は適当に本を取って、ケータイで値段を調べて、ほんのちょっといい値段で取引されてる本を何冊か買って店を出た。
「……これ全部売って数百円くらいの儲けか。やっぱ結構大変だな……ま、ゆっくり慣れていけばいいか」
 袋を手に提げて僕が帰り道を歩いていると、
「お〜、貴翔〜〜〜〜っ!」
 と、突然。威勢のいい声が後ろの方から聞こえてきた。
 なんだなんだ、町の荒くれ者か? と思って振り返って見ると、そこには手を振っている双子の姉がいた。
「なんだ、樹新。いたのか」
 ていうか恥ずかしいからそんな目立つような真似はやめてくれよ。
「なんだって、なんだよぉ。ねね、貴翔っ。せっかくだし一緒に帰ろうよっ」
 樹新は僕の元に駆けて来て、腕に抱きついた。
「って、くっつくなよ!」
 そのでっかい胸が当たってるんだけど!
「相変わらずつれないね〜、貴翔は」
「つれる方がどうかしてるよ! こんな人目の多い場所で変な事はするなって、僕は言ってるんだ」
 誰かに見られて変な誤解されるのは癪だ。
 ていうかそもそも、自分と似たような顔の人間に抱きつかれるほど気持ち悪いこともなかろうに。
「いいじゃん。双子の姉弟なんだから」
「いや、姉弟だから駄目なんだよっ! てか歩きづらいんだっての!」
 僕は樹新を無理矢理引き離して逃げるように岐路を急ぐ。
 樹新はブーブー言って、僕の隣を歩いた。
「それにしても今日はなんでこんなとこに……って、ああ、今日はお前が食事当番だったな」
 僕は樹新の手に持つスーパーの袋を見て言った。
「うん。昨日はとっても質素な夕飯だったからね、今日はボクが腕によりを振った料理をご馳走するよっ」
「……つーか。その買い物袋の中には何が入ってるんだ。僕はちょっと嫌な予感がしてるんだけど」
 昨日僕が100円で済ませた食費も全部無駄になってしまいそうな位に、樹新の持っているレジ袋は大きく膨らんでいた。
「えへへ。それは帰ってからのお楽しみだよ。それより貴翔こそ、こんなとこで何してたんだよ……って、本?」
 樹新が僕の手にある古本を見て言った。
「ん……まぁちょっとね……」
 実はこれを売ってお金儲けしようと思ってるんだ〜にょほほほほ〜、て言うのはなんとなく恥ずかしいので僕は言葉を濁した。
「ほら、今日は樹新が夕食の当番なんだから、早く帰って作らないと玲於麻ねえや仄がうるさいぞ」
 僕は歩くスピードを上げて、家に向かって夕日の中をまっすぐ進んだ。


 自宅に到着するや否や、樹新は腕まくりして台所に向かった。
「じゃあボク、腕によりをかけておいしい料理作っちゃうぞ〜っ」
「……そんな力入れなくてもいいから、そんじゃ後は頼んだよ」
 僕はそう言って自分の部屋に引き返そうとしたら――樹新が後ろから、そっと抱きついてきた。
「って、なんでっ!? いきなり何してるんすか、あんたっ!?」
 僕達は恋人同士ですかっ!?
 僕は樹新から逃れようともがくが、彼女はなかなか離してくれない。この怪力女め。
「もうっ。貴翔は最近急に冷たくなったんだから……」
 僕の背中に顔を埋めながら、甘えるような声で囁く樹新。
「つ……つまり何が言いたいんだ?」
「貴翔も晩ご飯作るの手伝って、ってことだよ」
 樹新が僕から離れて、にっこり言った。
「いや、遠慮しとくよ……樹新と僕が一緒にやったら逆にはかどらないのは目に見えてるからね」
「なに言ってんのっ。ボクを信じてないって言うの? ……フン、いいよ。だったら――ここは1つ料理勝負といこうじゃない!」
「そっちがなに言ってんだよ! なんで料理対決なんだよ。余計めんどくさい事になってるじゃん!」
 ていうか、もう既にはかどってないし。この時間が無駄だし。
 樹新はようやく観念したのか、不満そうな視線を僕に向けながらも、台所の流し台の上に置いたスーパーのレジ袋に手をかけた。
「分かったよぉ……じゃあボク、1人で作るよ」
 そして樹新はレジ袋からおもむろに、パックに入った牛肉を取りだした。
「って、っっっってええ……ちょ……ちょっっと待てええええええ!!!!!」
 僕は牛肉を持つ樹新の手を掴んで叫んだ。
「え? いきなり大きな声あげてどうしたのさ、貴翔。……病気?」
 樹新は目を丸くして僕を見た。
「お前が病気だ! お前いったい何買ってんだよ! それなんだか分かってるのか!?」
「うん? 牛ヒレステーキ2個入り980円だよ? それがどうかしたの?」
「どストライクでどうかしまくりだよっ! なんでそんな高い物買ってるんだよ、しかも2パックも! 昨日僕言ったばかりじゃん!? これからは節約していこうって!」
「それは貴翔が勝手に言ってるだけじゃん。貴翔は相変わらず心配性なんだから」
「あんた達が脳天気すぎるんだよ……心配性にもなっちゃうよ、ほんと」
 心の病気一歩手前だよ。僕、胃に穴空いちゃうよ。
「まぁまぁ、貴翔。ゆっくり休んでるといいよ。後はボクがやっとくから、安心して」
 と、樹新が快活な笑顔を僕に向けて――レジ袋からパック入りの刺身盛り合わせを取りだした。
「ゆっくり休めねえええええええええ!!!!! てめぇ、どんだけ買ってんだよおおおおお!!!!!」
「え? どうしたの、貴翔? 発作?」
「そのやり取りはもういいんだよっ! ……分かった、分かったよ! 僕も料理手伝うよっ、いや、是非手伝わせて下さいお姉様っっっ!」
 放っておいたら今日の夕食は高級レストランのフルコースになってしまう。
「え、手伝ってくれるの? ありがたいなぁ。それじゃ一緒に頑張ろっ」
 樹新は腕まくりをしてレジ袋の中に手を入れて、ゴソゴソと――。
「ちょっと待って! まずは落ち着こう、ゆっくり考えよう! 無闇にいっぱい作っても失敗するよっ!」
 買ったものは仕方ないけれど、せめて小出しにしていこう。
「でも今日は豪勢にいきたいじゃん」
「僕はいきたくないんだよ。ていうか、いきたくてもそんな余裕ないんだよ!」
「大丈夫だよ、アネキがFXで大儲けするからさっ」
「それが全然安心できないんだよっ! なんでそんな盲目的に成功するパターンしか考えてないのっ!?」
 そのポジティブ思考がある意味羨ましいよ。
「なんだよ、貴翔はアネキを信じられないっていうのかよ」
「そ、そんな事はないよ。そんなことはないけどさ……豪勢はまた今度にしよう。な?」
 僕はもう、強引に牛肉を冷凍庫にしまった。
「あ〜、今日のお肉がぁ」
「肉と刺身を一緒に食べるなんて概念は今の萩窪家にはないんだ」
 生ものである刺身はさすがに今日食べるしかない、必然的に肉は冷凍庫。他にも保存できそうな物は全部冷凍庫。
 僕はレジ袋からほとんどの食材を冷蔵庫か冷凍庫、そして戸棚にぶち込んだ。
「つーか、お菓子買いすぎだろ」
 僕はスナック菓子5袋をまとめて戸棚にしまいながら呆れ果てた。
「いいじゃん、ケチ」
 僕はますますお金に対してうるさく言わなくちゃいけないのかと、頭を抱えたくなる。
「貴翔、なんか悲しそうだね……やっぱり料理対決、する?」
「いや、しないよ! てか僕は樹新のせいで悲しくなってるんだからね!?」
 むしろ料理対決する事で僕はもっと悲しくなるよ!
「ええっ? ボクのせい!? 冗談きついな〜」
 樹新は僕の苦悩をこれっぽっちも理解しちゃいない。
「冗談じゃないんだよ……はぁ。別にいいや……それよりお皿とって。今日の夕食はこの刺身をお皿に並べて完成だから」
 僕は沈んだ気分で言うと、樹新は何を思ったのか――多分僕を元気づけようと思ったんだが――ポンと手を叩いて言った。
「あ、そうだ! ボクにいい考えがあるよ。だったらね、貴翔。裸になったボクの体にお刺身を並べていこうよっ」
「なにがっ!? なんでそんな発想がでてきたのっ!? それのどこがいい考えっ!? てかなんでそんなマニアックな事しなきゃいけないの? 誰の得にもならないからねっ!?」
 そんな事よりも双子の姉はそんな知識をいったいどこで知ったんだ。
「貴翔の部屋のベッドの下にあった本に載ってたんだ」
「ソースはまさかの僕だった! てか……勝手に人の部屋を物色してるんじゃねえ! この馬鹿あああっ! あ、あれは友達が預かってくれって言われて無理矢理持たされたものなんだっ! 僕あんなん全っ然まったく興味ないからねっ!」
「ホントはちょっと興味があるくせにぃ〜。このこの〜。ボクの女体盛りを堪能したいと思ってるくせに〜」
 樹新は肘で僕のお腹を突っついてくる。完全にただのエロおやじだ。女体盛りなんて言葉、女子高生が言わなさそうな言葉ランキングのトップ3に入るのっていうのに。
「いや、全ッ然、これっぽっちもないよっ。そんな気持ち悪い事想像すらしたくないよ。僕と樹新は双子なんだぞ? 要は自分の体に興奮するようなもんじゃないか。まるっきりただの変態じゃないか!」
 そんな奴がいたら人間のクズじゃないか!
「そ、そうか……ボクはただの変態だったのか……」
 樹新が口を大きく開けて、愕然としたという顔で驚いていた。
 人間のクズがここにいたよ!
「うわっ、なにっ!? あなた僕の体で興奮していたのっ!? ちょっ……やめて! 自分の分身に変な感情を寄せるのはやめてっっ!! 僕をそんな風に見ないでっ!」
 いろんな意味でヤバイし、家族の絆が砕け散るだろうし、誰も幸せになれないよ。
 しかし樹新は何を思ったか、自暴自棄気味に瞳の焦点を失ってボクを見つめ、
「い、いやっ……でも愛さえあればどんな障害だって乗り越えられる……いっそ1つになろう、貴翔〜〜〜っ!」
 樹新がガバッと両手を広げて目を閉じた。
「断固お断りするよッ!」
 僕は樹新の頭に軽くチョップをかました。
 いったいこの姉は僕に何を期待しているんだろうか。
 樹新はしばらくそのままのポーズで固まってたけど、それ以上僕から何のリアクションも返ってこないのを悟ると、諦めて素の顔に戻った。
「ところで貴翔。今日は本屋に行ってたの?」
「……いきなり話が飛んだね、樹新」
「ボクは話題転換が苦手なんだよ。それより貴翔、教えてよ。節約節約って言ってる貴翔が自分の為にむやみに漫画本を買うとは思えないんだ。貴翔は自分に対して甘くない人間だって分かってるから」
 樹新は歯が浮くような台詞をこともなげに言って、逆にこっちが恥ずかしくなりそうだった。
「やけに僕に対する評価が高いな、残念だけどそれは過大評価だぜ」
「ふふ……貴翔ならそう言うと思ってたよ。だからボクは貴翔が好きなんだ」
 樹新が屈託のない顔で笑った。弟に対してよくそんな事が平気で言えるよ……でもなんとなく、樹新がみんなから好かれる理由が分かったような気がした。
「……ある人からお金儲けの方法を教えて貰っていてね。古本を買ってそれをネットオークションで高く売ろうと思ってるんだ」
 樹新の笑顔を見ていたら、僕は隠しているのも馬鹿らしく思えて正直に話していた。
「へぇ〜。そうなんだ。すごいね。錬金術だね。そんなの誰に教えてもらったの」
 これも言おうか言うまいか逡巡したけど――なぜか、樹新には言っても大丈夫な気がした。
「……僕と同じクラスにいる和泉夜翠香さんだよ」 
 すると、樹新は一瞬だけ表情を曇らせて、ぎこちない笑顔で答えた。
「和泉夜さんか。……うん、知ってる。体育の授業とかで一緒だからね……」
 奥歯に物が挟まったように答える樹新だった。
 和泉夜翠香。学校でも家でも孤独な少女……彼女はみんなから腫れ物扱いされていて、だから樹新のその態度も……おかしいとは思わなかった。
 でも少し、僕は残念な気持ちになっていた。
 すると樹新は。
「でも……そっか。和泉夜さんが貴翔と……」
 樹新は何か考える素振りをしてみせた。ただの腫れ物として扱っているような態度じゃない。和泉夜さんの事を真剣に考えている顔。
 僕は少し、嬉しかった。
「もしかして何かあったの? 和泉夜さんと」
「ううん。何も……何もないんだよね、残念ながら……さ」
 でもその様子だと、何かワケありっぽいけど。
 和泉夜翠香――彼女は誰も近づけようとしないし、近づく者は誰もが傷つけられる。
「樹新が何を考えているかよく分からないけど……」
 樹新の事だから、和泉夜さんと仲良くしようと試みた事があるのかもしれない。
 樹新はいつものような自然な笑顔を僕に見せて言った。
「貴翔は凄いねってことだよ。だから……うん。ボクも頑張るよっ」
「……さっぱり分からない」
 僕には樹新の方があらゆる面でよっぽど凄いと思うんだけど。
 僕は煙に巻かれたように佇んでいると、樹新は、
「ほら、もう夕飯できたよ。ボクもうお腹ペッコペコだよ」
 いつの間にか夕食の支度をすませていた樹新は、元気よく皿を持ってテーブルへと運んでいった。
 僕は、ますます和泉夜翠香の事が分からなくなって、また同時に、彼女についてもっと知りたいと思った。


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