働かずに生きる、と彼女は言った

最終話  幸せ家族計画

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 僕はある場所に向かっていた。
 和泉夜翠香を探しているのではない。別の用事である目的地に向かって歩いていた。
 僕の胸にはある決意が秘められていた。
 和泉夜翠香のような強い心が、ほんの少しでも僕の中にあるなら――僕はなんでもやれると信じていた。
 だから僕は歩く。歩く。歩く。さっきまで全力疾走していた足は、鉄の塊のように重くて痛かったけれど、それでも僕は立ち止まらなかった。
 和泉夜さんの力を感じるならば、こんな苦しみ耐えられた。
 僕は足を引きずるようにずんずん前に進んでいると、背後から声がした。
「あ、貴翔お兄様っ」
 聞き覚えのある声と、聞き覚えのあるその呼び方に、僕は振り返る。
「……水鶏ちゃん」
 僕の友人の妹であり、仄の友人の、乾水鶏ちゃんが笑顔で手を振っていた。そして、
「奇遇だな、兄者」
 水鶏ちゃんの隣には、僕の妹の仄がいた。
「こんなところで何してるんだ?」
 僕は満身創痍なのを気取られないように、痛みを堪えながら2人の近くまで行って、軽く微笑んで問いかけた。
「はい。今から仄ちゃんと私の家に行くところなんですっ……水鶏お兄様」
 水鶏ちゃんは仄と遊びに行くのがよっぽど嬉しいのか、目をキラキラさせて僕の方を見つめてくる。ちょっと熱っぽすぎるくらいだよ、水鶏ちゃん。
 まぁ、可愛い仄と一緒に遊べるなんて、僕も考えただけでそんな目になりそうだけど。
「よ、よろしければ水鶏お兄様もご一緒にどうですか?」
 社交辞令だろうか、なぜか僕なんかを誘う水鶏ちゃん。
「あ、いや……悪いけど、僕はこれから大事な用事があるんだ。とっても大事な用事がね……だからまた今度お邪魔するよ」
 僕は丁重にお断りすると、水鶏ちゃんは残念そうに「そうですか……」と、ガックリと大げさなほど肩を落としていた。
 すると、いつの間にかちょっと離れたとこに移動してた仄が、僕を手招きして呼んだ。
「兄者、ちょっといいか?」
 どうやら水鶏ちゃんには内緒で僕に話があるらしい。
「ん? どうした?」
 足が痛いからあまり歩かせないで欲しいと思いながらも、大好きな仄の頼みとあらば従わざるを得ない。
 僕は呼ばれるままに仄の元まで行って、話を聞くことにした。
 仄は僕の耳元に顔を近づけて、囁くように言った。
「兄者……頑張れよ」
 それだけ言った。
「いや、意味が分からないんだけど……」
 それはわざわざ内緒話で言う事なのかと、僕は疑問に感じた。
 だけど仄は、珍しくニコニコと顔に笑顔を浮かべているばかりで、
「大丈夫だ……兄者は萩窪家で唯一の男子なんだ。自分を信じろ。男らしくガツンといけ」
 まるで仄の方が僕よりもお姉さんで、僕の保護者みたいに、微笑んでいた。
 そして仄はくるりと背を向けて、「じゃ、行こうか。水鶏どの」と言った。
 水鶏ちゃんは不思議そうな表情を一瞬浮かべると、
「そ、それじゃあ貴翔お兄様。今度また別のゲームで遊びましょうねっ」
 僕にペコリとお辞儀してから、仄を追いかけていった。途中、僕に何度か振り返ってブンブンと手を振る。
 仄の方は何も言わずに、僕を振り返ることなく歩き続けていった。
 まるで嵐のように通り過ぎていった2人。
 というか……なんだか、全部お見通しって感じだよなぁ。
 ははっ……だから僕はお前が好きなんだ。……愛してるぜ、仄。
 僕は完全に姿が見えなくなった2人に軽く手を振ってから、再び目的地に向かってまっすぐ前を向いた。


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