働かずに生きる、と彼女は言った

第4話  社会復帰更正プログラム

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2

 
 そういうわけで、僕と玲於麻ねえさんと小久保莉菜さんの3人で繁華街までやって来ていた。
 雨が降っているとはいえ、休日の繁華街というだけあって沢山の人で溢れかえっている。
 家を出る時までは莉菜さんの強引さに戸惑っていたけれど、こうしてまともな格好して歩いている玲於麻ねえの横顔を見ていると、来てよかったと僕は莉菜さんの作戦に感謝すらしていた。
 働く働かないという事は抜きにしても……さすがに一日中家の中にいるのは玲於麻ねえにとって不健康だと思っていたからだ。
 さすがに玲於麻ねえの古くからの親友というだけある。
 僕はこの社会復帰プログラムに否応にも期待していた。
「まずはそのダッサイ格好を何とかするべきだとあたしは思うのですっ」
 とあるブティックの前で足を止めた莉菜さんは、人差し指を立てて大げさに言った。
 ……服か。ま、服を着替えて気分をリフレッシュさせるのもアリだと思うな。いま玲於麻ねえが着てる服だって、普段よりはマシといえ確か高校の時から着てたやつだもん。
 3人でブティックに入る。
 ここは女性向けの店だったので、僕は居心地悪く端の方に立って2人の様子を見ていた。
 莉菜さんは玲於奈ねえの為に服をチョイスし、玲於奈ねえはたじろぎながらも楽しそうに笑っていた。
 そして2人して更衣室に入って行ってキャッキャッとはしゃぐ声が聞こえ、たまに中からきわどい格好をした2人の姿が現れて、僕は慌てて注意して……ああ。玲於麻ねえのあの顔、僕は久々に見るような気がする。
 玲於麻ねえの笑顔は、僕達の両親が交通事故によって亡くなる前の、子供の頃のものだった。
 僕はまるで遠くの景色を眺めるようにして彼女達を見つめながら――自然と両親の事を思い出していた。


 ――僕達の両親はごく普通の社会人で、夫婦共に学校の教師の仕事をしていた。
 出会いもごく平凡なもので、他校の教師同士の研修で知り合って、そこから仲良くなった2人は自然と付き合うようになったと言う。
 やがて2人は結婚して、玲於麻ねえが生まれた。玲於麻ねえは昔からよくできた子供で、欠点はなかったというし、誰からも愛されていたという。
 人当たりがよく面倒見のいい玲於麻ねえの性格はもしかしたら、教師だった両親の血を継いでいるのかもしれない。
 そして次に、僕と樹新の双子が生まれることになる。
 はじめ両親は、母さんのお腹の中に2人も赤ちゃんがいる事にとても驚いていた。玲於麻ねえが生まれて1年経つ頃には母さんは仕事に復帰していたのだけど、今度双子が生まれたら子供が3人になる。
 その時、母さんは専業主婦になることを決意して、そして父さんは一軒家に引っ越すことを決意した。
 薄給ながらも頑張って購入したと言う新居は、今も僕達が暮らしている家だ。
 間もなく僕と樹新がこの世に誕生して、そして一家5人で暮らし始めた。
 母さんが言うには、僕は大人しかったけど、樹新はとてもやんちゃで、いつも夜泣きがひどかったし、目を離した隙にどっかに逃げ出したりしていたらしい。
 僕は僕で、すぐに風邪を引いたり、体調を崩したりして、よく心配をかけさせられたと言っていた。
 そんな双子の世話で疲弊していた母さんを助けたのが、玲於麻ねえだった。
 当時まだ4、5歳だった彼女は、母さんの様子を見て学んだのか、僕ら双子の面倒を母さんに変わって見てくれるようになった。
 僕はおぼろげながら、その時の光景がほんの少し記憶の片隅に残っている。
 僕が苦しかった時、小さな女の子が、優しく微笑んでいた顔を。
 そして玲於麻ねえが母さんの手助けをしてくれたおかげもあり、僕達双子は何も問題なくスクスク成長し、僕達が誕生して2年後に――仄が生まれた。
 僕と樹新はまだ2歳だったからその頃の事はほとんど記憶にないけれど、父さんも母さんもとても喜んでいたそうだ。
 その当時小学生になったばかりだった玲於麻ねえは、その時の様子をはっきり覚えていて、今でもよくその頃の話を僕と樹新に話してくれた。父さんと母さんの笑顔も。
 父さんはますます仕事に精を出し、学校では生徒達に好かれる教師として頑張り、家では4人の子供の面倒を見る母さんを手助けした。
 母さんは家事に励みながら、僕や樹新をあやしたり、寝かしつけたり、母乳をあげたりして、さらには仄の面倒も同時に見て、小学校に通う玲於麻ねえの事にも気を配っていた。
 玲於麻ねえは、僕と樹新、そして仄の世話をしていた。特に生まれたばかりの仄にはほ乳瓶を与えたり、泣き出した時はすぐにあやしつけたりと、遊びたい時期にも関わらず弟や妹達の世話をした。
 僕達はいっぱいの愛情を受けて育ったのだ。
 僕と樹新が小学生に上がる頃には、仄の世話をする玲於麻ねえを手伝い、あるいはケンカして――僕の中には楽しかったという気持ちで、いっぱい残っている。
 僕と樹新は今と違って、幼い頃はケンカばかりしていたらしい。その度に僕が泣かされて、玲於麻ねえが2人を叱りつけていたらしい。
 やがて仄も大きくなり、萩窪家は更に騒がしくなり、玲於麻ねえも樹新も僕も仄もそれぞれの生活を送るようになって――こうやって幸せは続いていくんだろうと思っていた。
 だけど――2年前の事だった。
 僕達の両親が車ででかけている時だった。
 突如、暴走してきたトラックと両親の車が正面衝突した。
 病院に行った時、父さんは即死で、母さんももう手遅れの状態だと言われた。
 僕は泣きながら瀕死の母さんの元まで言った。
 医者は母さんの意識が戻ることはないと言っていたが、玲於麻ねえと樹新に仄と子供達が全員揃ったとき、苦しげに瞳をあけて、弱々しく口を開いた。
「あなた達、いつまでも……幸せに、生きるのよ……それが母さんの……」
 それが母さんの最後の言葉だった。
 あの日から僕達は変わった。
 いや、変わらないようにしようという風に変わったのか……。分からない。だけど、あの日が転機だったのには違いない。あの日から本当に……色々あった。
 そして、今の僕達がある――。


 僕が長い回想から目覚めた時、ちょうど玲於麻ねえが大胆な格好で試着室から出てくる姿が見えた。
「こんなの恥ずかしいなぁ」
 と、言う玲於麻ねえは照れながら、胸元と太ももが露出した服装で僕の方に近づいてくる。
「どう、翔ちゃん? 似合ってるかな?」
 ほんのりと顔を赤らめて、しおらしく僕に尋ねた。
「ちょっと大胆だと思うけど……ま、まぁ似合ってるんじゃないかな……」
 僕も照れくさくてあらぬ方向に顔を向ける。
 玲於麻ねえは元々、モデルのように顔が整っていてで、スタイルも完璧だから、こんな風にお洒落したらすごく綺麗になるのだ。
 玲於麻ねえと莉菜さんが並んでいると、ファッション雑誌かなにかの撮影かと勘違いしそうだ。実際、店の外からは男達がガラス越しにチラチラ2人に視線を寄せていた。
 僕が複雑な気持ちでいると、玲於麻は「やったぁ。貴翔に褒めてもらえた」と嬉しそうに店員と話して……だけど結局また、元の地味な服に着替えに試着室へ行った。
「あーあ。玲於奈、すっごく似合ってたのに……もったいないと思わない、貴翔くん?」
 僕の隣に立った莉菜さんは、おどけるような声で話しかけてきた。
「そうですね……まあでも、お金がないから仕方ないです」
 僕だって思っていた。できるなら、玲於奈ねえに好きな服を買ってもらいたかった。そして玲於麻ねえにもっとお洒落して欲しいと思った。何も我慢して欲しくなかった。
「そうだね、貴翔くん。お金があったら可愛い服も買えるのにねぇ」
 莉菜さんはわざと含みある言い方をして、横目で僕を見つめた。
 回りくどいのはやめて欲しい。莉菜さんの言いたい事は全部分かってるんだ。
「……で、莉菜さん。莉菜さんは姉さんを真人間にしようと思っているんですよね?」
 だから僕ははっきりと莉菜さんに言った。
 莉菜さんはふふふ、と笑って、
「玲於麻はあたしがどうこうする前から真人間で完璧すぎる親友だけど――そうね、働かせるっていう意味では間違ってないわね。そこだけは彼女……全然まともじゃないからね」
 玲於麻ねえがいる試着室を、慈しむような瞳で見つめた。まるで玲於麻ねえを崇拝するような目だった。
 僕は理解した。
 僕と莉菜さんは同じ考えを持った人間なんだ。
 いや……正確にいえば莉菜さんは、この間までの僕と同じ考えを持っている――だ。
 玲於麻ねえを神様か何かのように勘違いしているんだ。そして僕もそうだったんだ。自分の神様が堕落するのを許せなかったんだ。
 でも――今の僕は莉菜さんとは違う。僕の考えは変わった。
 今までの僕だったら、莉菜さんの登場にようやく僕の仲間ができたって喜んでいたところだけど――今は違う。今はなによりも、僕は玲於麻ねえの味方なんだ。
「ねぇ貴翔くん……玲於麻は完璧な人間だったの。彼女に欠点なんてあっちゃ駄目なの。今は……ちょっと変になっちゃってるだけなのよ。きっと2年前の事件のせいよ……。だけどもう大丈夫。あたしが玲於麻を治してあげる。完璧な人間に治してあげる」
 そう語る莉菜さんの顔は、僕が知っているものじゃなかった。人は変わるんだ。
 2年前の事件があってから、莉菜さんは莉菜さんなりにずっと玲於麻ねえの事を考えてきたのだろう。
 あれから様々なことが変わった。それは僕達だけじゃないんだ。そして変わるべきものと、変えてはいけないものがあったんだろう。僕はその境界が分からなかった。
 だったら、これは僕達の責任であるとも言える。弟と妹にはもう任せていられないというのが、莉菜さんの出した答えなのだ。
「ま、後はあたしに任せなさい。あたしが――玲於麻を立派な社会人にしてあげるわ」
 莉菜さんは再び、いつものように飄々としたお姉さんの顔になって、僕に笑顔で言った。


inserted by FC2 system