働かずに生きる、と彼女は言った

プロローグ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

4人きょうだい物語

 
 僕の家族構成を紹介しよう。
 僕には双子の姉がいる。そして、それとは別にこの間高校を卒業したばかりの姉がいる。さらにさらに中学生の妹までもいる。
 つまり、僕には3人の姉妹がいるのだ。
 そして、僕の家族はそれだけ――。
 僕達に両親はいないのだ。
 2年前、突然の事故に遭って父さんも母さんも死んでしまった。
 残された僕達4人の子供は、親戚達の元に散り散りに引き取られるところだったのだが……それを長女が断って、僕達は両親がいなくなった家に住み続けているのだ。
 両親が残したこの一軒家と遺産で、僕は3姉妹とつつましく暮らしている。
 ……いや、でもそれはちょっと違った。
 何が違うかと言うと、全然つつましくない。
 むしろやかましいし、色々ピンチな事になっているのだ。
 そう。これは非常にピンチなこと。一家存続の危機に関わる重要なこと。
 今は6月の終わり。ようやく梅雨が明けたばっかりの、夏が目前に迫った季節。
 僕は半年以上も、ある懸念事項に悩まされていた。
 それと言うのも去年の年末頃の話だ。高校を卒業して中小企業の営業として働いていた長女が、突然仕事を辞めたのだ。
 理由は、『働くのが怖くなった』らしい。
 そしてそれ以来――もう半年間、長女はずっとニート生活を続けている。最近は家から出ることも少なくなった。いわゆる引きこもりというやつだ。
 一家の大黒柱の長女が仕事を辞めたということはすなわち――僕達、萩窪家の収入源が断たれてしまったのだ。
 親が残したお金はどんどん減っていく。一刻も早い対策が求められている状況なのだ。
 だがしかし――問題は僕以外の、3姉妹にもあった。


「はぁ……やれやれ」
 学校から帰り、僕は自宅の前に立って深いため息を吐いた。
 ……いやいや。僕が弱気になってどうするんだ。もう萩窪家の良心は僕しか残っていないんだぞ。僕が萩窪家の命運を握っていると言っても過言じゃないんだぞ。
 しっかりしなくては。
「よし……今日こそは玲於麻ねえにビシッと言ってやろう」
 そう、萩窪玲於麻――。
 何よりも問題なのは、無職である長女の玲於麻にある。
 彼女は口では、もうすぐ働くとか、働く気はあるんだとか、仕事を探しているんだとか言っているけど……半年以上もそう言い続けられて、はいそうですかと黙って見守っていられるわけがない。
 いっつもいっつも、いいように言いくるめられているけど、このままでは駄目なんだ。いつまでも引きこもっていたら、ますます働くのが怖くなってしまうじゃないか。そして気付いたら、TVの取材とかやって来て現代の働かない若者特集の記事にされちゃうじゃあないかっ!。
 きっと玲於麻ねえは今、悪循環の中にいるのだ! 弟として僕はもう、これ以上放っておく事はできない!
 僕は拳を握って決心して――玄関の扉を開けた。
「あら、おはようー翔ちゃん〜……ふわぁ〜」
 僕が玄関を入ると――丁度トイレから出てきたらしいパジャマ姿の玲於麻ねえが立っていて、眠そうな顔で僕に微笑みかけた。
 ぷっちん――と、僕の中で何かが弾けた。
「って、おはよーじゃねえええよおおお!!!! 挨拶が悲しいくらいに間違えまくってるよっ! 今はこんにちはの時間だし、なにより僕は学校終わって帰って来たとこなんだよっ!? 時刻はもう『おかえり』なんだよ!? もう完っ全に、姉さんいま起きたとこだよね!? 学校行ったり仕事する時間を寝て過ごしてたよね!? 玲於麻ねえは今、社会人にあるまじき様相を呈してるよねっっ!?」
 僕の中にあった理性的ななんかとか、いろいろなものがキレてしまっていた。玲於麻ねえ……でも、僕がこんなに怒っているのは全て玲於麻ねえの為を思っての事なんだ。どうか……あなたに僕の心が少しでも届いてほしい。
 僕の祈りは怒りという形で玲於麻ねえの元へ飛んでいく。
 我が萩窪家の長女、玲於麻は静かに目を閉じて――。
「すー……すぅ」
 寝た。
「うおおおおおおおいっっっっ!!!! 2度寝しちゃったよおお! 僕の言葉なあ〜んにも届いてねええええええ!!!!」
「むにゃむにゃ……うっさいなぁ……むにゃ」
「そして軽く暴言吐かれたっっ!? ちょ、ちょっと玲於麻ねえ! 起きてよっ!」
 僕は玲於麻ねえの体をぶんぶん揺さぶった。スラリとした体が風に吹かれる枝のように揺れ、腰まで届く長い髪がバッサリバサリと乱れる。
「んー。なにさぁ〜……ちょっと乱暴よ、今日の翔ちゃん」
 玲於麻ねえはあくまでもマイペース。けど今日の僕は簡単には諦めない。
「そ、そりゃ乱暴にもなるさっ。玲於麻ねえはいつまでこんな生活続けるのさ! どうすんの!? 親が残してくれたお金はどんどん減ってく一方だよ!?」
「えぇ〜? だって働いたら負けって言うでしょぉ……そりゃ私だって働かなくちゃって思うけど……翔ちゃんは姉さんが負ける姿を見たいって言うのぉ?」
 玲於麻ねえは、瞳を潤ませたチワワみたいな顔で僕を見つける。
 そ、そりゃあ大好きな玲於麻ねえが負けるとこなんて見たくないけどさ……って、はっ! 違うよ! ていうかその理論、意味が分からないよ!
 だ、駄目だ……思わず許してあげそうになったっ。また僕は玲於麻ねえの魔力に負けてしまうところだった。駄目だ駄目だ。それじゃあ玲於麻ねえの為にならないじゃないか!
 僕は揺るぎそうになった心をしっかり保って、あえて鬼となる。
「いや……どう考えても既に玲於麻ねえは負けてると僕は思うよ? そのジャージ姿を見れば誰だってそう思うはずだっ」
 化粧もしてなくて、髪も伸び放題。まるで女らしさを感じさせないだらしなさだけど――それでもさすが玲於麻ねえ。こんな格好をしていても、逆にそういうファッションなのかと思ってしまうくらいにキマッていた。
 天性の美しさ。まるで古代の彫像の如き完璧なカタチをした人型。そして猿から進化したものとは到底考えることのできない顔立ち。
 いやいや。そうじゃないそうじゃない。何をみとれているんだ、僕は。
「れ、玲於麻ねえ。とにかく自分の姿を鏡で見て見ろ。典型的な引きこもりの姿が映し出されるぞ」
「そういえば私、ここ最近鏡なんて見てないから自分がどんな姿になってるか楽しみねぇ」
「わくわくするところじゃないよっ! ていうか女性としてその感想は絶対間違ってるよねっ!? こんなんじゃいつまで経っても社会復帰できないよ!? いいの!? 働けなくなっても!」
「むぅ〜……でも姉さん、働くの嫌なんだもん……」
「ぶっちゃけちゃったよ!」
 玲於麻ねえさんは拗ねたような顔をして、寂しそうに顔を伏せた。長女の意思は断固として揺るがない。
 ああーっ、くそっ。
 ならばもう仕方ない。僕の負けだ。
「はぁ、分かったよ。玲於麻ねえが働かないって言うなら、僕が代わりに働くよ。うん……僕もようやく高校生になった事だからね、何かバイトでも探すよ」
 そう言って、僕はリビングの方へと向かった。
 すると玲於麻ねえは、
「だ、駄目よっ、バイトはっ。だって、だって……っ」
 焦った声で僕を追いかけてくる。
 ん。どういう事だ? まさか玲於麻ねえ。僕の事を心配して……。
「だってそんなことしたらっ――翔ちゃんが忙しくなって、姉さんが寂しくなっちゃうじゃないっ!」
 僕は思わずズッコケそうになった。なんだ、その自分勝手で、しかも心底どうっでもいいような理由はっ。
「何ワケ分かんない事言ってんだよ……って、あれ? 樹新帰ってたのか」
 僕は文句を言いながらリビングに入ると――ソファの上に、寝転がっている樹新の姿を確認した。
 樹新は僕の双子の姉で、つまり萩窪家の次女なのだ。
「うんっ。今日は部活の助っ人も休みなんだ。……にしても貴翔〜、今日はいつにも増して元気山盛りだねっ。ボク会話に入る余地が全然なかったよ、寂しかったよぉ」
 ぶーぶー言ってる私服姿の樹新は、いつもながらに大胆な格好をしていて、運動で鍛えた身体と、3姉妹で一番大きな胸がやけに強調されていた。
 僕の学校では一部から、校内一のエロボディーと噂されているのだが、本人には黙っておこう。だって僕もなんか微妙な気分なんだもん。僕と似たような顔の姉がそんな汚名を着せられているとは……。
 おかげで僕までもがたまに変な目で見られている時があるような気がするもん。たまに身の危険を感じるんだもん。おしりの辺りがゾクリとするんだもん。
 って、僕は何を考えているんだ。脱線しすぎだ。
 なんの話だったっけ……そうそう。どうでもいい話だった。
「まったく。玲於麻ねえも樹新も……切迫感ってやつを持って欲しいよ。僕はね、働くことにもっと積極的になって欲しいんだよ」
「いいんじゃないの? だってボクも働くの好きじゃないも〜ん」
 樹新がゴロゴロと昼寝する猫みたいに、だらしない顔で言った。
「萩窪家の女性はみんな働きたくない遺伝子でも持っているのか……?」
 や、確かに働くの好きじゃない人は多いとは思うんだけど……でも理屈じゃないんだよ。そういうのって。
 はぁ……と僕が肩を落としていると、ソファに寝転がっていたおもむろに樹新が立ち上がって。
「それより〜、ボクは家族一緒の時間が、いっちばん大切なんだと思うよ〜」
 とか言って、樹新は僕に抱きついてきた。
 むぎゅう――と、学校一のエロボディーが密着。
 でも悲しい事に、双子の姉だし全然嬉しくない。
「な、なにすんだよっ。離せってば、樹新っ」
「つれないなぁ。ボク達はたった2人の双子の姉弟なんだぞぉ。いつも一緒だったじゃないかぁ」
 いつも一緒なのはいいけど、成長中の胸が僕の背中に思い切り当たってるんですよ。
 そしたら、それを見て興奮でもしたんだろうか。玲於麻ねえが。
「あ〜、なんか2人とも仲いいなぁ。ずるいなぁ。私も仲間に混ぜてよぉ〜、サラっち〜」
 物欲しそうな顔で僕達のやり取りを見つめていた。
「いいよいいよ、アネキも来い来い〜。みんなで合体だ〜っ」
「って、全然よくねえよ! うわっ。ホントに来ちゃったよ! 玲於麻ねえまでそんな……ちょっと……だ、駄目だってっ」
 く、苦しい。前から後ろから、姉達が僕を圧迫していく。
 ひゃあああ! これは天国なの? それとも地獄なのーっ?
 やいのやいのと、いつものように騒々しい時間を送っていたら――唐突に玄関の扉が開く音が聞こえて、ドタドタ何者かがこちらに近づいて来る足音が聞こえた。
「おい、さっきからうるさいぞ。外まで馬鹿丸出しの声が聞こえていたじゃないか」
 そして現れたのは、まるで小学生のような小さい女の子。
 その見た目の割に、話し方と声はむしろ僕達よりももっと成熟した大人のような不思議な少女。
 それが萩窪家の三女、萩窪仄だった。
「ああ〜、仄ちゃんが帰ってきたぁ。さっきからこの弟がうるさいのよ〜、助けて〜」
 齢19歳になる我らが長女が、中学2年生の妹に泣きついている姿は、なかなかシュールなものだった。
「おい、兄者。あまりレオ姉をいじめるんじゃないぞ。アタシが許さないからな」
 死んだ魚のような目と感情のこもらない声で、仄は淡々と言った。
 いや〜……いじめられてたのはむしろ僕なんだけどねぇ。
 ……でも、最愛の妹に嫌われるのは正直勘弁願いたい。だけど。ああ、だけど! 今日の僕は鋼の意思を持っているんだああああ!
「……仄、現実を見なくちゃいけないんだよ。玲於麻ねえはもう半年も働かずにダラダラ過ごしているんだよ? 仄は大好きな姉さんが駄目人間になるのを黙って見ていられるかい?」
「そんな心配は無用だ。レオ姉はどんな事があっても駄目になんかならないし、もしそんな事になったなら――この地球はもはや消え去るだろう」
「マジで!? 玲於麻ねえスケールでかすぎだろっ!」
 世界の命運は玲於麻ねえが握っていたの? って、そんなわけないだろ。
 樹新と仄の玲於麻ねえに対するその信頼はなんなんだっ。どっから出てくるんだ!? いくら昔から玲於麻ねえが欠点1つない完璧超人だったからって……それはもう過去の話じゃないか。2年前の、あの事故より前の事じゃないか。
「ふん……じゃあそれならそれでいいよ。僕が家計を支える為にバイトすればいいだけだしね」
 これは僕の意思だ。仄にも樹新にも、勿論玲於麻ねえにも文句は言わせない。
 しかし――こういうときに、文句を言う人間がいた。
 ただ1人、僕らの中で誰よりも強い人間が。
「でもね、翔ちゃん……。私は翔ちゃんに高校生活を楽しんで貰いたいのよ。だからね、家系を助けるためにバイトっていうのは私……ちょっと寂しいなって思うの。だってせっかく私達、こうしてみんな一緒に暮らしているじゃない」
 玲於麻ねえが、そっと僕の頭を撫でて優しい声で言った。
「れ、玲於麻ねえ……。玲於麻ねえは、そんな事を考えていたなんて……僕は、僕はぁぁ……」
 僕はそっと瞳を閉じて、玲於麻ねえの優しさに包まれて――しかし僕は、ある大事な事に気が付いて、ゆっくりと息を吸って、はい。せーの。
「って、そもそもアンタが働かないから悪いんだろおおおお!!!!!! 玲於麻ねえが働いてたら、最初っからそんな台詞を言う必要ないんだよおおおお!!!!!」
 いい事言ってるようだけど、本人が全然責任を果たしてないから、全然まったく説得力がないんだよ。
「……だって姉さん、働きたくないんだもん……」
「なんてわがままなんだ!」
 本音ストレートにぶっちゃけてるもん。やっぱ最初から働く気なかったもん。
「もうっ、貴翔もアネキを責めるの程々にしといた方がいいよ。仄に嫌われるぞっ」
 樹新がちゃっかり怖いことを言う。
 愛する妹に嫌われたら僕はもう生きていけないぞ。がくがくぶるぶる。
 僕はチラっと仄を見る。僕のこと、嫌いにならないよね?
「え? アタシはとっくに兄者の事は嫌いだが?」
「もう僕、生きていけないっ!」
 なんで僕はこんな仕打ちを受けなきゃ駄目なの!? 僕は正しい事を言ってるはずだよねっ!?
 うわああああん――と、僕は自分の部屋へと泣きながら逃げ出した。
 ああ、ああ! 分かってたよ! どうせ今日もこうなるとは思っていたよ! だから僕は嫌だったんだ!
 ほんと、やれやれだよ! この家にはまともな人間は1人もいないのか!

 働かないとキッパリ宣言した、長女にして我が家の大黒柱――萩窪玲於麻。
 僕の双子の姉だけど僕よりも全然男らしい、スポーツ万能でしかも意外に勉強もできるという我が家の戦闘員――萩窪樹新。
 一家のアイドルで天使みたいに可愛い中学生。なのに無愛想で毒舌、そして友達も作ろうともせず、何を考えているか分からない、ある意味一番問題児――萩窪仄。
 こんな強烈な3姉妹に囲まれて生活している僕はもっと哀れまれてもいいはずだ。
 この僕……まぁ特にこれと言って何の特徴もないけど、敢えて挙げるなら、樹新と並べた時に逆にこっちが女の子って思われる位の軟弱男で、三姉妹の中に混じってしまった唯一の男――それがこの僕、萩窪貴翔。
 これが我が萩窪家の構成員で、でもま――なんだかんだ言ってても、僕達はそれなりに楽しくはやっている。
 そこは玲於麻ねえの言うとおりだし、今ある僕達の笑顔は玲於麻ねえのおかげであるとは僕だって分かっている。
 しかし、だからと言って……やっぱり今――金銭的に僕達は窮地に立たされているのに代わりはない。
 貯金だってぐんぐん減っていってるんだ。
 一刻も早く何か策を打たなければならない。
 僕は3姉妹がワイワイ騒いでるのを自室で聞きながら思った。


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