働かずに生きる、と彼女は言った

第1話  働かない彼女、登場

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3

 
「ふぅ……今日は疲れたな」
 ようやく家に帰った僕は溜息を吐いて、台所へと向かった。夕食の支度をしないといけない。
 僕は買い物袋からもやしとゴボウと大根を取りだして……って、よく考えたらそれしか買ってないよ。どうしよ……なんて思いながら冷蔵庫を開けて、卵やら何やらを取りだして、まぁ何とか作ってみるか――と腕まくりしたら。
「あ〜、貴翔。いつの間に帰ってたのぉ」
 聞いているこっちが気怠くなりそうな声で近づいてきたのは、我が家の長女――萩窪玲於麻。
「ああ、玲於麻ねえ。ただいま。今日も自宅警備の仕事ご苦労様」
「私がこの家を守ってるからあんた達は安心して学校にいけるのよ」
 嫌味も全然へっちゃらみたい。もう玲於麻ねえさんには恥なんてものなくしたのだろう。もしや人間を超えた生物に進化したのかもしれない。
「おい、レオ姉をいじめる奴はアタシが許さないぞ」
 と、ずっと玲於麻ねえさんの後ろにいたらしい妹の仄が、不機嫌な声で言った。
「じょ、冗談だよ。許してよ」
 大好きな仄に嫌われたら生きてく希望をなくしてしまうので、僕は全力で謝る。
「冗談? ……本当か?」
「本当だよ、誓って本当だよ」
 そうやって疑ってばっかりいちゃろくな大人になれないんじゃないのか、と僕は仄の将来が心配になっていると。
「ほらほら仄ちゃん〜。貴翔に悪気があったわけじゃないんだし、もう許してあげようよぉ」
 悪気があるとしたらどう見ても姉さんの方だと思うんだけど、そんな事口にしたらややこしくなるだけだし黙ってるけど。
「こほん。……ところで2人は何の用? 僕はいま夕食を作っている途中なんだけど」
 僕はつまり、暗に邪魔だと言っている。
「大丈夫よ。私達、貴翔の邪魔しにきただけだから」
 玲於麻ねえさんは爽やかな笑顔で答えた。
「って、なにが!? なにが大丈夫なのっ!? 僕は邪魔だからどっか行ってて欲しかったんだけど!?」
「そうか……。兄者はアタシ達の存在が邪魔だと言うのか……。行こう、レオ姉。のけ者の私達はどこか遠くへ……世界の果てまで」
「行かないで下さいーーーっっ! はいはい、僕が悪かったですーーっ! 全部僕が悪いからどうぞ邪魔してって下さーーいっ!」
 2人は僕をいじめて何が楽しいんだろうか。
 僕はその後も姉と妹の妨害を受けながらも、なんとか夕食を作りあげた。
 大根とゴボウが入った味噌汁に、もやし炒めと、白ご飯。
 玲於麻ねえと仄と僕でテーブルに料理を運んでいると、いつの間にか樹新が帰って来ていて、テーブルに座っていた。
「なんだよ〜。今日の夕ご飯これだけ? これ朝ご飯じゃん。手抜きじゃ〜ん」
 大食いの樹新はとても不満そうにむくれていた。両手にそれぞれお箸を一本ずつ持って、茶碗をドラム代わりにチンチンチンチンやっていた。
「我慢してくれ。今日は節約の日ってことで」
 全て料理を置いてテーブルに腰掛けた僕は、おどけるような声で言った。
 玲於麻ねえと仄も席に着いて、僕達はいただきますをしてご飯を食べ始める。
「でもやっぱり今日のご飯、手抜きだよぉ」
 樹新はまだ腑に落ちないようだ。
「まぁまぁ、貴翔だって健全な高校生なんだから色々と忙しいのよ。察してあげなさい、樹新」
 玲於麻ねえがとびきりの笑顔で樹新をたしなめた。
 何を察するっていうの? その遠い目は何? 絶対なんか変な妄想してるよ、この姉。
「ボクも貴翔と同じく高校生なんだけどなあ……」
 樹新はぼやくが、玲於麻ねえには逆らえないので、大人しくご飯をもりもり食べている。
 僕はその様子を見て感じた。
 ――このままじゃ駄目だ。この構造が駄目なのだ。誰も玲於麻ねえに逆らえない構造。
 樹新も仄も玲於麻ねえの存在を絶対的なものだと感じている。それは間違ってる。玲於麻ねえは2人が思っている以上に不完全だし、弱いんだ。
 だから結果的に、玲於麻ねえはだらけてしまった働こうとしないのだ。だからこそ僕がなんとかしないと……玲於麻ねえはもっと堕落してしまう。
 しかし僕がどうこう言っても、また悪者扱いされて終わるだけだろうし……さてどうしようかと考えていたら、思わぬとこから助け船が。
「ところで兄者、今日の夕食はどうしてこんなにも質素なのだ? 兄者が手を抜くとは考えにくいし、何かワケがあるとアタシはみたが?」
 仄が箸を口にくわえながら淡々とした声で言った。
 これはチャンスだ。今日の事をからませて話せば、上手くいくかも。
「ああ……実は今日、ちょっと面白い事があったんだ」
 僕は何気ない風をよそおって言った。
「なぁに、それは」
 玲於麻ねえが楽しそうに尋ねた。
「うん。実はね、極力お金を使わないように努力する女の子に出会ったんだ」
「……それは、ホント?」
 思ったとおり食いついた。なんて分かりやすい。
「そうなんだよ。その子はね、食材はスーパーで買わず、商店街の八百屋でタダで貰ってるんだ。そして古本屋で本を買って、その本をネットオークションで売ってるんだよ」
 お金を使わず、逆に増やしているんだよ――と僕はペラペラと語り続ける。
「でも、その子だって努力してると僕は思うよ。労力はかかると思うし、根気も必要だよ。でも毎日コツコツやってるんだ。お金っていうのはそれだけ大事なんだよ」
 僕が和泉夜さんの話を出したのは、これで玲於麻ねえに分かって貰いたかったからだ。お金はなかなか手に入らないものだし、人間は楽に生きていけないということを。
 そして玲於麻ねえさんに、真面目に働いてもらおうと――。
 玲於麻ねえさんは。
「貴翔……あなたの言いたい事が分かったわ……うん。私、やるわ」
「ね、姉さん……」
「私……とりあえずFXから始めようと思うわ!」
「え、FXだってーーっっっ!?」
 それはいわゆる株の取引とかの例のやつですか!? デイトレードとかのやつですか!?
「ね、姉さん……ちょっと待って! そ、その決断を下すのはまだ早いよっ!」
「でも、貴翔が言ったんじゃない。これはお金に対しての努力なのよ」
 どう考えても簡単そうだから、としか思えないよ。
 僕の策略は完全に逆効果のようだ。
 玲於麻ねえさんがFXなんかに手を出したら破産するのが目に見えている。僕達は貧乏どころか借金まみれの生活を送る羽目になってしまう。それだけは避けなくては。
 玲於麻ねえさんの頭には、働くという選択肢はないらしい。ならば……。仕方ない。一刻の猶予もない。
 どうやら僕は、和泉夜翠香の思惑に乗るしか道はなさそうだ。
 働かずに生きていく方法――僕は本気で彼女の弟子になる事を決意した。


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