働かずに生きる、と彼女は言った

第2話  金策手段

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 僕は今日も学校に行って、そして普段と変わらない時間を過ごして放課後になると――普段と違う出来事が発生した。
「おはよう、萩窪くん」
 僕の隣の席に座る和泉夜翠香が声をかけてきたのだ。
 その時。人がまばらに残る教室内の空気が一瞬だけ、固まった。
 まぁ無理もない。和泉夜さんから誰かに話しかけるなんて滅多にない事なのだ。
 それに今日、朝から放課後まで同じ教室で過ごしてきて、これが初めて聞く和泉夜さんの声だった。みんなも驚いているのだろう。こんなに綺麗で透きとおった声、いったい誰のものなんだろう――と。
「……おはようって時間でもないけどね。もう午後4時前だよ。むしろこんばんわでもおかしくない時間だよ」
 僕は周囲の視線を気にしないようにして、和泉夜さんにツッコんだ。
 僕らの様子を見てた前の席に座る乾大悟郎が、僕に何か言いたそうな瞳を向けて、カバンを提げて帰った。
 僕は再び和泉夜さんの方に視線を戻すと、彼女はまた、何か封筒みたいな紙に文字を書いていた。
「そういえば、今日も授業中や休み時間に封筒みたいなものに何か書いてたようだけど、あれは何をやってるの?」
 昨日もそんなことをしていた気がする。
「ああ……これね。懸賞を書いているのよ」
 和泉夜さんは書き終わった封筒を手に持って僕に見せた。
「……け、懸賞?」
「そう。バーコードを集めて送ると抽選で1万円が当たるのよ」
 いたって彼女らしい理由だった。
 これも働かずに生きる方法の1つだということだ。
「ああ、なるほど……でもよくそんなにバーコード集められたね。結構お金かかるんじゃないの?」
「ふふ……君はまだ私の事が分かってないようね。では、その対象賞品を教えよう。それは――これよ」
 と言って、和泉夜さんは袋入りのパン――の袋だけになったもの――を取りだした。
 でも僕は、そのパンの袋を見て、ふと気付いた。
「こ、これは……僕これ知ってるぞ」
 そう……このパンは……学校の購買部でで売られているお馴染みのパンだっ!
「そうよ! 私はこの、学食で捨てられた袋を回収して、バーコードを切り取って応募してるのよっ!」
「つ、つまり……自分はお金を一切使わず、1万円だけを入手しようというのかっ!?」
 なんて虫のいい話! そして……なんて恐ろしい子なんだ――和泉夜翠香。まるで悪魔の如き所業だ。
「ま、封筒代と切手代はかかるけれど……そこがネックね」
 そんな金すらももったいないというのかっ!
「――それで、今日の萩窪くんは私の講習を受ける気があるの?」
 和泉夜さんは教科書などをカバンに入れて帰り支度しながら訊いた。
「……ああ、是非お願いするよ」
 これは修羅の道に他ならないが、もはや僕には他に選択肢はなかった。
 僕は玲於麻ねえさんの為に……いや、萩窪家の為に働かずに生きていく術を学ばなくてはならないのだ。
 僕の答えを聞いた和泉夜さんは、口元に少しだけ微笑を浮かべて――そして。
「ならついてきて……」
 和泉夜さんは優雅な動作で席を立って、教室を後にした。
「どこに行くんだ」
 僕はカバンを持って慌てて廊下に出る。
「私の家よ」
 と、何でもないように言う和泉夜さん。
「そうか。家か……って、家っ?」
 思わず僕は大きな声を上げてしまって周りを見たが――幸い近くには誰もいなかった。
「そうよ、家よ」
 いったい何を驚いてるの、馬鹿じゃない――みたいな感じで和泉夜さんはテッテテッテ歩いていった。
 そりゃあ驚くさ。いったい家に僕を招いて何をするつもりなの、和泉夜さん。
 和泉夜さんは僕にお構いなしで、前を歩きながら、時々ティッシュを配っている人がいれば余すことなく華麗に受け取っていた。
 そのティッシュは何に使うつもりなの、和泉夜さん。
 期待とか不安とか困惑とかが混在しながらも、僕は和泉夜さんについていって――そして到着したのは坂の上にある、とある一軒家だった。
 そこは豪邸って言ってもいいくらい大きくて、庭とかも広くて、いかにも金持ちって感じだった。
 噂は本当だった。和泉夜さんはお金持ちのお嬢さんだったのだ。
 だったらどうして彼女は……。う〜ん、謎は深まる一方だ。
 首を傾げる僕に構わず、和泉夜さんはさくさく家の中に入っていった。僕もホイホイ後をたどる。
「……おじゃまします」
 そして緊張しながらも僕は和泉夜家に入った。
 家の中は薄暗く、人の気配はなかった。
 和泉夜家は確かに広くて立派で綺麗だけど、なんだか随分とそこは生活感が失われた空間で、広々としたロビーは無機質で居心地の悪さを感じた。
 まだ誰も帰ってきていないのだろうか。
「なぁ、ここの家の人は?」
 僕は、冷たい階段を昇る和泉夜さんの背中に問いかけた。
「……今は私1人だけで住んでいるのよ」
「そうか、こんな大きな家に1人で……って、え?」
 僕はさっきと同じリアクションをしてしまうくらい驚いた。
 つまり――1人で住んでるってことは、僕達の他に誰もいないってことで……う〜ん。和泉夜さん、男の人を簡単に家の中に入れるのはどうかと思うよ。
 なんか僕はさっきまでとは別の意味で緊張してきた。
「ここが私の部屋なの。ちょっとだけ待っててくれる」
 和泉夜さんがとある部屋の前で立ち止まってそう言うと、僕の返事も聞かずに部屋の中へと入っていった。
 ああ、マジか。なんでいきなり女の子の部屋に行くとかになってるんだ。つい数十分前はこんな展開になるなんて僕は全く予想できなかったぞ。
 とにかくゆっくり呼吸を整えようと僕は目を閉じると。
「もういいわよ。って、なに目を閉じてるの?」
 ガチャリと扉を開けて、和泉夜さんが変な人を見るような目を僕に向けていた。
「あ、ああっ……なんでもないよ。そ、それじゃあ失礼します」
 僕は慌てながら、女子の部屋の中に足を踏み入れる。つか準備整えるの早すぎだよ。普通女子はもっと時間かけるもんだと思ってた。いや、行ったことないから知らないけど。
 しかし和泉夜さんの部屋に入った僕は納得した。この部屋はなんというか――とても殺風景な場所だった。最低限の家具だけが置かれた部屋。
「和泉夜さんの部屋って結構、こざっぱりとしてるよね」
 家の中の豪華な内装に大して、この庶民的な光景は、拍子抜けといってもいいくらいの様相だ。
 だけど共通しているものがあるとするならばそれは――居心地悪い、息苦しさを感じるっていう点。それは、本来人が住まない場所に、無理矢理居着いているような感覚。
 僕はそわそわと挙動不審な動きで部屋の中をジロジロ見回していると、
「それよりちょっと見てくれないか?」
 和泉夜さんはその辺に置いてあったノートパソコンの電源を入れて何やらカチャカチャ触っていた。
 僕が横からモニターを覗き込むと、そこには。
「ホームページだ……これはいったい? もしかして見せたいものってこれなの?」
「そうよ」
 あっさり一言答える和泉夜さん。
「和泉夜さん……なにをしようとしているの?」
「もちろんノーワーカーの理論を実戦に移しているのよ。いい? 働くということは多くのモノを捨てていくことなのよ。時間に体力に精神力にプライド。私はどれも捨てない。楽しく、気軽に、何にも囚われずに、必要最低限のお金を入手するの」
 そして、その為の方法がこれなのよ――と、和泉夜さんはパソコン画面を指さした。
 どっかのブログらしい、普通のWEBサイト。
「これがいったいなんなんだよ。見たところ普通のホームページのように思うんだけど……」
「これは私のブログよ。私はブログに貼った広告のアクセス数で収入を得ているの」
「って、ええっ? こ、これ君のブログなのっ!?」
 僕は驚いた。結構手の込んだブログで、しかも相当人気がありそうなブログだったから。
「そうよ。こんなの簡単に作れるわよ」
 俗に言うアフィリエイトというやつか。
「これが見せたいものか……」
 それでお金を稼ごうと思ったら、かなりのアクセス数がないと駄目なのだが。
 和泉夜さんのブログは見た目的にもなかなかよくて、リンクの貼られた広告についてもブログ内で紹介されており、ついついクリックしたくなるようなページの構成になっていた。まさにすごい、の一言だ。
「それだけじゃないわよ。驚くのはこれを見てからよ」
 と言って、和泉夜さんはメール作成画面のようなページを開いて、突如、マシンガンのように恐ろしい速さで文字を打ち始めた。
「い、いったい何を打ってるの?」
 僕は驚きながら恐る恐る、凄い勢いでブラインドタッチし続ける和泉夜さんの横顔に訊いた。
「データ入力のバイトよ。たくさん打てば打つだけ、その分お金が貯められるというわけ」
 和泉夜さんは僕の方を見ようともせず、モニターを睨んでいた。
 その姿は鬼気迫るものがあって、ちょっと僕は引きそうになっていたが――なるほど、確かにそれはなかなかいい方法かもしれない。
 玲於麻ねえは働く事はおろか、外出だってあまりしない。
 どうせ家に引きこもっているのなら、こういうことをやればいいんじゃないだろうか。
 それに玲於麻ねえも昨夜、FXがどうとか言ってたんだし……あ、そうだ。この事も和泉夜さんに聞いておこう。
「そういえばさ、和泉夜さん。FXっていうのはアリかな?」
「FX……私は嫌いね」
 僕の言葉を受けて、和泉夜さんは渋い顔をして答えた。
 なんか嫌な思い出でもあったんだろうか。
「FXは当たればいいのだけれど……リスクが大きすぎるわ。一気に財産を失うことになりかねないからね」
 かつてFXで失敗した経験があるともとれそうな深みある言葉……やっぱりそう簡単にはいかないって事だよな……玲於麻ねえさんが心配になってきた。
「分かったよ、僕もFXで失敗した人の話とか耳にしたりするからね……姉さんには注意するように言っておくよ」
 和泉夜さんはそれでもまだ暗い表情のまま呟いていた。
「それにFXくらいになると、それはもう労働していると言っても過言ではなくなるわ。それも、儲けることを至上の目的にするような活動よ……私の一番嫌いな行為よ」
 ……本当に、何があったんだろうか。和泉夜さんはもしかして、お金を得るというその行為自体を憎んでいるのかもしれない。金持ちを怨んでいるというか……。
 和泉夜さんは僕の表情を見て我に返ったのか、彼女は無理に笑顔を作った。
「悪いわね、話し過ぎたわ。……それより何か飲み物でも持ってくるわ。コーヒーでいいかしら?」
 和泉夜さんは立ち上がって、部屋を出ようとした。
 その後ろ姿を見て、僕は自然と口から疑問がついて出た。
「――家族の人はどうしてるの? こんな広い家に1人で住んでるなんて……」
 なにかワケがあるのだろう。あるはずなんだ。それは彼女の異質な生き様に影響を与えているはずなんだ。だから僕は、それを訊かずにはいられなかった。
 和泉夜さんは――。
「……」
 何も言わずに、部屋を後にした。
 殺風景な彼女の部屋に1人残された僕は、ちょっぴり後悔して……そして、こんな静かな空間にいつも1人で過ごしている彼女を、僕はなんだか気の毒に思えた。
 そして数分後、和泉夜さんは盆にコーヒーを載せて戻って来た時、僕は安心すると同時に、申し訳ない気持ちが溢れてきて彼女に謝った。
「ごめん。さっきは立ち入った質問をして……僕には関係ないことだよね」
 けれど和泉夜さんは特に怒っている風でも、悲しむ風でもなく、いつものような氷のような表情で僕に言った。
「いいのよ。別に私は何も気にしてないから教えてあげるわ……。この家を見て想像つくかもしれないけど、私の両親はお金持ちよ。でも、それだけ。持っているのはお金だけよ。父親は会社の経営者でいつもどこかに飛び回っているし、母親もモデルか何かしてるらしいけど、私が物心つく前にはとっくに家を出て行ったわ。私はずっと1人なのよ」
 なんでもないように和泉夜さんは言っているけど……そんな事ないのは、盆を持つ彼女の手が小刻みに震えている事からすぐ分かった。
「和泉夜さん……」
「私はずっと1人で生きてきたの。そして――これからも1人で生きていくのよ。親なんかには頼らない。私にはノーワーカー理論があるのだから」
 和泉夜翠香は、同情する余地も与えないほどの強い眼差しを僕に向けて、凛とした声で言った。
 でも僕にはその姿が、諦観からくるようなものに思えて……そして僕はなんとなく、はやく家に帰って姉妹達の顔が見たくなった。


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