働かずに生きる、と彼女は言った
エピローグ ノーワーカー
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
玲於麻ねえが仕事を始めて数日が経って、ようやく僕も様々な問題が解決して一安心だな――と、思い始めたある日の事だった。
僕は学校が終わってまっすぐ家に帰ると、家の鍵は既に外れていて、樹新か仄が先に帰ってるのかなと思いながら家の中に入ると、そこには玲於麻ねえがいた。
「あら、おはようー翔ちゃん〜……ふわぁ〜」
僕が玄関を入ると――丁度トイレから出てきたらしいパジャマ姿の玲於麻ねえが立っていて、眠そうな顔で僕に微笑みかけた。
僕の中で何かが弾けるような音が聞こえた気がした。
僕はものすっごく嫌な予感を感じながら、玲於麻ねえがなぜここにいるのか、今は仕事中じゃないのか、そしてなんで挨拶が『おはよう』なの? 今はこんにちはの時間で、っていうかなんで玲於麻ねえは今まで寝てたような感じにそんな格好をしてるの――と尋ねると、萩窪家長女は。
「私、また無職になっちゃったんだよ〜」
甘えるような、可愛い声で言った。
「……え? 玲於麻ねえ、今なんて?」
さらっととんでもない事を言ったような気がしたんだけど。ていうかハッキリ聞こえたんだけど。
「仕事辞めちゃったの、てへへ」
玲於麻ねえは、舌を出してお茶目に言った。
「て……てへへじゃねーよおおおっっっっっっ!!!!! ま、マジかよおおおっ!! どうすんのさああああああ!!!!」
「うふふ。今日もツッコミのテンション高いわね、翔ちゃん」
「あんたのせいでテンション高くなってんでしょーがっっっ!!!!」
だ、駄目だこの長女……僕はもう怒る気もなくなって、逆に力が抜けてしまった。
「あはは。翔ちゃん、莉菜みたいな反応してるね。あの子もすっかり呆れ果ててたわ。ていうか、放心してたみたいだったわね」
玲於麻ねえは頬に手を当てて、「莉菜……大丈夫かしら。あの様子は尋常じゃなかったわ……」と心配する素振りをしている。
うーん。莉菜さん、きっとショックで寝込んでいるだろうな……。
「……で、辞めちゃったものは仕方ないとしてさ……どうして玲於麻ねえはこんな突然に仕事を辞めたんだよ」
莉菜さんが通っている大学の警備の仕事だろ。その仕事のどこかに辞める程の理由があるのか。
「思ってたのと違ったのよ」
どんと、胸を張って答える玲於麻ねえ。
「思ってたのって、どんな事を思ってたんだよ! そんな堂々と言われても困るよ!」
「だって……私、働くの怖いんだもん」
玲於麻ねえは、赤ん坊に退化したかのような声でしょげた。
いつもだったら僕はネチネチと玲於麻ねえに責めているところなんだろうけど――。
「…………っ。はぁ」
だけど僕は、もうこれ以上追及はしない。
「……もういいよ。……仕事はまた探せばいいさ。まったく、仕方ないなぁ」
僕はため息を吐いて、外出する準備をした。
玲於麻ねえは、きょとんとした顔で「どっか出かけるの?」と尋ねて、僕は帰りが遅くなる事を伝えた。
どうやら僕にはやっぱり、彼女の助けが必要なようだ。事態は急を要する。一刻も早く彼女の元に行き、報告しなくてはならない。
だから僕はこれから、坂の上にある大きな家に向かおうと思う。
僕に必要な知識を教えてくれる、働かずに生きていく方法を知っている彼女が住むところに――。
僕は玄関の扉を開けて外へ出た。
外は太陽の光がさんさんと輝いていて、ところどころに雨の名残の水滴がキラキラと光っていた。
カラリと乾いた空気。晴れ渡った空。
どこからかセミの声が聞こえ始めてきて、もっと薄着でもよかったかなと僕は軽く後悔する。
この先どんどん暑くなっていくな――と、雲1つないどこまでも続く夏の空を、僕はしばらくぼんやりと眺め続けた。
終わり