喪女につきまとわれてる助けて

第3話 オールハートイーター

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 その後、僕と篠之木先輩は逃げるように橘さんの元から離れて、そして僕達はなんとなく気まずい感じになってしまい、お互い何も言わないまま別れた。
 僕は篠之木先輩の顔を見るのが怖くて、ずっと顔を背けていた。とにかく自分の教室に帰りたくなって僕は足早に廊下を進んだ。
 だけど教室へ戻っていく途中で、僕は次第に気分が悪くなった。頭がクラクラする。駄目だ。まともにいられない。予想以上に僕にはショックが強かったようだ。
 だから僕は保健室に行って、少しの間眠ることにした。
 …………。
 どれ位眠っていたのだろうか――。近くで聞こえてくる人の話し声で、僕は目が醒めた。誰だろう。なんだか聞き覚えのある声だけど……。どうやらカーテンで区切られた隣のベッドから声は聞こえてくるようだ。
「……これでいいのよね、吾川くん……」
 凛とした、ハスキーな女性の声だった。聞き覚えがあるというか、ついさっきまで聞いていた声だった。橘織香さんだ。
 でも、どうして橘さんが保健室に……いや、それよりも……吾川君だって?
「ええ、上出来です。ありがとうございます。橘先輩……」
 同じところから、今度は吾川君の声が聞こえた。カーテンの向こうには、橘さんと吾川君がいるのだ。
 な、なんでだ……吾川君は今日、学校を休んでいるはずだ。それなのにどうして保健室に……それに、どうして橘さんと吾川君が保健室のベッドなんかで……。
「いやぁ〜……それにしてもまだ体中が痛みますよ〜。ま、篠之木先輩が停学になったのなら、怪我した甲斐もありましたけどね」
 と、吾川君の声が聞こえた。え……篠之木先輩を停学にって……まさか仕組んでいた?
「ねえ……あなたがそこまでして篠之木来々夢を破滅させたいのはどうしてなの?」
「……あは。それはあなたが知る必要のないことですよ、橘先輩。それより……」
 ガサガサと、隣のベッドから衣の擦れるような物音が聞こえてきた。
「ちょっ……やめてよ、こんなところでっ」
「なぁに。誰もきやしませんよ」
 ど、どうなってるんだ……。2人はどういう関係なんだ。
 僕が何がなんだか分からないままベッドの上で寝転び2人の話に耳を傾けていると、ピンチは突然に襲ってきた。
「……ちょっと……いい加減にしなさいよ……。それよりも、本当にこんな場所で話してても大丈夫なの? 誰かに聞かれたりしたら……」
 橘先輩の不安そうなその言葉に、僕は口から心臓が飛び出そうになった。
 別に僕にやましい事があるわけじゃない。見つかったところで責められるいわれもない。でも――この時僕は、2人にどうしても見つかってはいけない気がした。
 どこか……どこかに隠れないとっ! だけど、隠れる場所なんて……カーテンに仕切られたこの場所にはベッドの他には何もない。どこに……保健室……ベッド……。
「橘先輩も心配性ですね。扉の鍵は閉まってますし、窓だって閉めました。それに……ほらっ」
 吾川君の声がしたのと同時に――カーテンがシャッと勢い良く開かれる音が聞こえた。
「――隣のベッドにも誰もいない。つまり……この部屋には僕達の他に誰もいない」
「……そうね。この部屋には私達以外に人はいないわ」
 2人はさっきまで僕が寝ていたベッドの上に並んで腰を降ろした。
 か……間一髪だった。僕は隙間から見える2人の足を見つめながら呼吸を整えた。だが依然僕はピンチのままだ。なぜなら僕が隠れた場所は、まさに2人が座っているベッドの下。床とベッドの隙間に挟まっていたからだ。
 音を立てれば見つかるし、どちらかが何かのきっかけでベッドの下を覗きこめばその時点でおしまい。僕は気配を殺して石のように固まる。
「……とにかく、僕に任せておけば全て上手くいく。風紀委員長のあなたが協力してくれるからこそ達成できるんだ」
 吾川君の声が真上から聞こえてくる。
「でも……本当にこれが正しいのかしら」
「ええ、正しいですよ。篠之木先輩にとってもこれはいいことなんだ。だから彼女のためにも……君にはもっと頑張ってもらいたいんだ」
「はん……どっちみちアタシには選択権はないものね」
 橘さんは自嘲気味に笑って言った。
「そういうことですよ。先輩」
 と、吾川君の声が聞こえたところでギシッとベッドの軋む音が聞こえた。2人が立ち上がった。僕の額から冷や汗が垂れ落ちる。
「それで、吾川くん……アナタはこれからどうするつもりなの?」
「僕はいつも通り自分のやりたいことをやるだけです。ただね、今度はちょっと冒険して上物を狙おうと思っていまして……実はクラスメイトなんですが――」
「そんな話は聞きたくないわ。アタシは風紀委員長だってこと忘れてない? オールハートイーター」
 橘さんは強い口調で吾川君の言葉を遮った。
「ははは……そうでしたね。すいません。つい口が滑りました」
 ベッドの下の隙間から見える2人の足が離れて行く。
「それと……あまりその名前は口にしないでください、風紀委員長。まるで篠之木先輩みたいですよ」
 そして2人は保健室の外へと出ていった。
 僕には何がどうなっているのか分からなかった。
 何かが起ころうとしている。僕は不気味ななにかが鎌首をもたげて待ち伏せているような、不気味な予感を感じざるを得なかった。 
 しばらく待った後、僕はベッドの下からようやく這い出て、すぐに保健室を後にした。
 ――時間は既に放課後になっていた。
 僕は教室にカバンを取りに戻ると、窓からオレンジの夕日が差し込んでいた。誰もいない教室の橙は、まるで世界が非日常へと移り変わったようだった。


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