喪女につきまとわれてる助けて

第3話 オールハートイーター

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 あっという間に安らぎの休日が終わり、僕は憂鬱な気分で学校へ行った。
 今週からまた地獄の1週間が始まるわけだけど、今日は朝から篠之木先輩に会うという最悪の事態にはならなかった。
 朝からあの顔を見ずに済んでとてもラッキー。なんかいいことがありそうだなぁ。
 僕が教室に入って自分の席に着くと、既に前の席に座っていた吾川君が話しかけてきた。
「く、久遠寺くん〜〜〜っ。昨日はありがとうっ。君のおかげで助かったよぉ〜〜〜」
 まるで命の恩人に対するような態度で接してきた。
「はは……ま、お互い様だよ。それより吾川君、君も隅に置けないね」
 まさか吾川君に彼女がいたとは僕は考えてもいなかった。
 確かに吾川君はジャニーズ系の美形の顔立ちをしてるし、身長もそこそこ高いから女子の間でも人気がありそうだとは思う。それでも吾川君に彼女がいたっていう事実は僕にとってそれなりに驚きだ。なにか形容しづらい複雑な感情が僕の胸でもやもやしている。
「え、えへへ……まぁね」
 吾川君は苦笑いを浮かべて照れていた。そして笑顔を引きつらせた顔で僕に頼み事をしてきた。
「それでさ、久遠寺くん。この事は……」 
「ああ、分かってるよ。みんなには内緒にでしょ?」
 付き合ってるとかあんまり周りに広めたくない気持ちは分からないでもない。まぁ僕はそんな経験無いから分からないんだけど。
「ありがとう、助かるよっ。さすが久遠寺くんっ!」
 僕の手を取って嬉しそうな顔をする吾川君を見て思った。恋愛する人を僕や篠之木先輩が邪魔する権利なんてどこにもないんだ。そんな事する人間は人の幸せを踏みにじってるようなものだ。
 僕はちょっと、自分で自分が情けなくなった。あと篠之木先輩のことも情けなく思う。
 でもそれと同時に、僕は自分が誇らしげでもあった。僕の小さな勇気が、今の吾川君の笑顔に繋がっているのだから。
 そして僕は思った。もう、篠之木先輩のカップル狩りに付き合うのはやめよう。
 僕は窓の外を眺めながらそう心に誓った。その時だった。
「久遠寺〜〜〜〜っ!」
 なんという絶好のタイミングで来たんだろう。聞き慣れた地の底を這うような声が教室中を駆け巡った。
「ひうっ!? し、篠之木先輩っ……」
 僕は教室の入り口に立っている篠之木先輩を見て、心がくじけそうになる。
「く、久遠寺くん……どうしよう……篠之木先輩来ちゃったよぉ」
 吾川君が世界の終わりとばかりに絶望感まるだしの顔で震えていた。
「うへへへ……吾川澄志ぃ〜。貴様にも色々と言いたいことはあるが、まずは久遠寺が先だ。後でじっくり相手してやろう。さぁ久遠寺、廊下に出るんだ」
 怒っているのか笑っているのか分からない表情を浮かべて、篠之木先輩は僕に集合をかけた。有無を言わせない態度。断ることなんてできそうにない。
「……そ、それじゃあちょっと行ってくるよ」
 怯える子鹿の顔でこっちを見つめる吾川君を残し、僕は席を立って教室を出た。
「怖じ気づかずに来たか、久遠寺……お前は何か私に言いたい事があるんじゃないのか?」
 クマがくっきり浮かんだ瞳と、引き裂かれたように横に開かれた口。素材は美人なのにそう思わせない全身に纏う不気味なオーラ。いつも以上にその姿は僕に得たいの知れない恐怖を感じさせた。
「せ、先輩……あの後どうしてました……ぶ、無事に帰れましたか」
「お前のおかげであの後、ものすごく面倒な人物と関わってしまった。本当に最悪だった」
 篠之木先輩がギロリと、小動物ならそれだけで心臓が止まりそうな鋭い視線を向けた。
「ごごご、ごめんなさいっ。ぼ、ぼぼぼ僕はあのあと篠之木先輩を探していたんですっ。で、でも見つけられなくてっ」
 篠之木先輩が言う面倒な人が誰なのかは知らないけど、僕個人の意見としては篠之木先輩より面倒な人間はこの世に存在しないと思う。
「私が訊きたいのはそういう事じゃない! 久遠寺、お前はなぜ吾川澄志を逃がしたのだ?」
「そ、それは……だって吾川君は……」
「吾川君は、なんなのだ? ……それだけじゃない。お前は相楽早苗と一緒に……お前は、私よりも学級委員長を……」
 篠之木先輩は恨みのこもった瞳を向け、ぶつぶつと何やら怨嗟めいた事を口走る。
「ぼ、ぼぼぼ……僕も相楽さんも、吾川君も――な、何も悪いことはしてないですよ」
「……なにぃいい?」
 思わず僕の口から漏れ出た言葉に、篠之木先輩は般若の顔になって反応した。
「せ、先輩が吾川君を邪魔する権利も、相楽さんを怨む権利もないって言ってるんですっ」
「久遠寺ぃ……お前、どうして。私を……私を裏切ると言うのか」
「そ、そうじゃないですっ。先輩のために言ってるんですっ。も……もう、やめましょう。こんなことっ」
「やめるなんて、そんな……そんなの許さない。認めないぞ。お前まで、お前まで私を裏切るなんてそんなこと……」
 篠之木先輩の声が小さくなって、体がぷるぷると震えた。
「……お前まで?」
「こ――こうなったら力ずくでもお前の性根をたたき直してやるっ! これは愛のムチだと思え、久遠寺!!!」
 突如、篠之木先輩が目の色を変えて僕に襲いかかってきた。
「うわぁっ! や、やめて下さいっ! なにするんですかぁっ!」
 篠之木先輩の右ストレートをすんでのところで交わした僕は、バランスを失って尻餅をついた。
「私の鉄拳を食らうのだ久遠寺。確かに痛いかもしれないがな、殴る私の方が心に傷を負うんだぞっ!」
 篠之木先輩は焦点の定まらない瞳で薄ら笑いを浮かべながら言った。
 絶対嘘だ。篠之木先輩が人を殴って心に傷を負ったことなんてないぞ。彼女はそんなデリケートな人じゃない。
「ひ、ひぃ……や、やめて下さい。ぼぼ、僕はそんな事で意思を変えたりしませんっ」
 僕はリノリウムの床を這うように後ろむきに後退する。
「まだ言うか……ならば私の拳で目を覚ませ、久遠寺ーーーーーっっっ!!!」
 僕の目の前に立った篠之木先輩は、力強く握った拳を振り上げて――。
「――篠之木来々夢っ! あなた何をしているのっ!」
 突如として――凛としてハスキーな声が、廊下中に響いた。
「そ、その声は……っ」
 篠之木先輩は振り上げた拳を下ろして、くるりと大音量の発生源を見た。間一髪助かった僕も、先輩の視線の先を追う。
 そこにいたのは、美人だけどいかにも性格がきつそうな女子生徒。ショートカットと、賢そうな銀縁眼鏡が特徴的。僕の知らない人だけど、ネクタイからして2年生だ。
「貴重な休日を費やしてまで説教してあげたのに、あなた全っ然懲りてないのねっ」
 篠之木先輩の目の前に立ち、銀縁眼鏡を指で上げた。
「またお前か。風紀委員長……橘織香」
 篠之木先輩が面倒臭そうな顔を性格きつそうな少女に向けた。
「あ、もしかして僕と別れた後、篠之木先輩が会ったっていう人って……」
「そうよっ。問題児の篠之木来々夢がまた問題を起こしてたみたいだから、アタシが引きとめて説教してあげたのよ。なのにこの様子だと……全然懲りてないみたいね」
 橘織香と呼ばれたインテリ眼鏡の少女は、篠之木先輩を軽蔑するような目で見た。
「お前には関係のないことだろう。出しゃばるな」
 篠之木先輩も篠之木先輩で、橘さんの事をよく思ってない様子だ。どうやら2人は犬猿の仲らしい。
「何か勘違いしてない? アタシはね、風紀委員長として、生徒達の規律を正さなければならない義務があるのっ。フンッ。アナタが最近また暴れている理由が、子分ができたからって聞いていたけど……その子がそうなのね」
 ショートカットの銀縁眼鏡の少女はくいっと眼鏡を正して、初めて僕の方に注意を向けた。品定めするようにねちっこい視線を向けてくる。
「あ、まぁ……はい」
 僕は子分になったつもりないんだけど、篠之木先輩の怒りに油を注ぐくらいなら黙って頷いておく。
「やっぱりそうね。ふぅ〜ん。あなたがね……なるほど。なるほど。なるほどね」
 なにやら橘さんはしきりに僕を観察して、一人で納得していた。
「あのぉ……僕に何か……」
「学校のゴミ候補として要注意人物リストに追加しなくちゃいけないから、アナタの顔を覚えているのよ」
「ひどいっ! 僕、そんな危険人物じゃないですよっ!」
 風紀委員長だからってこんなの横暴だ。職権乱用だ。
「あまり喋らないでくれる? 臭いから」
「僕、ちゃんと歯は磨いてますよっ!?」
 もしかしたらこの人……篠之木先輩よりも苦手な人物かも。
 そういえば篠之木先輩はさっきから随分大人しいけど、どうしたのだろうと見れば。
「久遠寺は傷つきやすい性格なんだ。あまり言うな。自分では……気付かないものなんだ」
 篠之木先輩は物思いに耽りながら、窓の向こうの空を眺めて悲しそうに言った。
「えっ、僕ホントに臭いんですかっ!? 僕だけ気付いてなくて周りの人は見て見ぬフリしていたんですかっ!? そんな優しさだったら僕はいらなかったっ!」
 本当なのか冗談なのか分からない。誰か僕を助けてください。じゃないと僕、冗談抜きで学校に来られないかも。
「安心しろ久遠寺。私がお前のためにいい病院を探してやるから。だからこれからも私についてこい」
 そう言って篠之木先輩は疑心暗鬼に陥っている僕の手を強引に掴んで引っ張ろうとする。
「ちょっと待ちなさいよ篠之木来々夢。少し話があるからちょっと来なさい」
 橘さんが篠之木先輩の前に立ちふさがった。
「私はこれから久遠寺と一緒に病院に行くのだ。お前は校門の前にでも立って生徒達の身だしなみでもチェックしていろ」
「まずアナタの服装からしてアウトなのよ! 黒いセーターに黒い長手袋にニーソックス……。アナタ自分が黒魔術師って呼ばれている自覚ある? なに? 素肌晒したくないの? それともまさか高校2年にもなってそれが格好いいとか思っているの?」
 容赦なくビシビシ篠之木先輩にもの言う橘さん。篠之木先輩にここまで言う人、初めて見た。
 だが篠之木先輩は橘さんの挑発に易々とは乗らなかった。
「黒は闇に生きる者にさだめられた衣装。漆黒を纏い、世界の裏側で私達は今日もゆくのだ……さらばだ。私とは違う世界に生きる者よ」
 篠之木先輩はむしろ褒め言葉だと受け取っているような素振りで、なんか悦に浸って去ろうとする。というかさりげなく僕まで闇の住人の仲間にされてしまっている。
「だから待ちなさいってば、篠之木来々夢。なにあなた? まさか怖いの? このアタシが? だから逃げるの? 闇に生きるアナタが風紀委員のアタシに怯えて?」
 橘さんはなおも篠之木先輩に挑発を試みる。僕はさっきからこの緊張状態に冷や汗がダラダラ垂れ流れっぱなしだ。
「……ふ、ふはははは! もしや私が話をはぐらかしてお前から逃げようとしている――とか思っているのか?」
「ええ、そうよ。黒魔術師と恐れられていても、しょせん風紀委員には勝てないのよ」
「そんな見え透いた挑発……残念だがお前にどう思われようが私の知ったことでは――」
「待ちなさい。これは風紀委員長命令よ。あまりに規律を乱すようなら……停学処分も辞さないつもりだけど?」
 それでも行こうとする篠之木先輩に向かって橘さんは、今までよりも一層冷たく重い声で言った。少しの間、辺りは静寂に包まれた。橘さんの目は、本気のそれだった。
「……ちっ、分かったよ。行けばいいのだろう」
 しばらくして篠之木先輩は、ようやく観念して僕の手を離した。
「では久遠寺。また放課後な。一人で帰ったら……どうなるか分かっているなぁ〜」
「そ……そんなぁ」
 僕はもうカップル狩りからは足を洗おうと思っていたのに、なんかうやむやのまま、またいつもみたいな関係に戻ってしまった。
 しかし――それを聞いていた橘さんは。
「いいえ……今日の放課後は特に何もないわ。篠之木来々夢……あなたは放課後、居残りよ」
「な、なんだと……居残りっ?」
「あなたには特別な用事があるのよ」
「用事って、今から話すんじゃないのか? それで充分だろ」
「全然充分じゃないわ。あなたには少し、放課後にやってもらう事があるの。今はそのことについての話」
 なんだか篠之木先輩、橘さんに相当目をつけられているというか……なんとなくだけど、2人は旧知の仲なんじゃないだろうかって思った。
「とにかくついてきなさい、問題児」
 と、橘さんは篠之木先輩を連れて廊下の奥へと歩いて行った。
 あの篠之木先輩を言いくるめる事ができるなんて相当なスキル。昔からの知り合いとかじゃないと絶対にできないと思う。いつかその秘訣でも教えて貰おうかな。
 でもとっつきにくそうな、怖そうな人だよなぁ――なんて思っていると。
「久遠寺くん……だったわね? アナタも篠之木来々夢からは手を引きなさい。これ以上彼女の馬鹿げた行動に付き合うというのなら……アナタも同罪よ」
 橘さんが振り返って、眼鏡の奥の鋭い瞳で僕を睨み付けた。
 やっぱり怖い人だ。


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