喪女につきまとわれてる助けて

第1話 嫌な先輩

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 目を覚ました時、そこはベッドの上で、どうやら僕は保健室にいるみたいだった。
 ああ。僕は気を失っていたのか。どの位眠っていたんだろう。誰がここまで運んでくれたんだろうか。
 僕はゆっくりと上体を起こして周りをぐるりと確認した。
「起きたか、久遠寺」
「――っっっっ!?」
 篠之木先輩の声が下から聞こえてきた。
 僕は驚いて、とっさにベッドの下を見た。するとベッドと床の間の隙間から、篠之木先輩が体を半分だけ出して不気味に笑っていた。
「ひ、ひえええええええ!!!!! な、ななな、なんでそんなとこにぃいいい!!!!!」
 僕の目にはもう、篠之木先輩がホラー映画の怪物にしか見えない。
「いや、お前が心配だからすぐ傍でじっと見守っていたんだ。そんなに驚くことか?」
 篠之木先輩はそう言うとベッドの下から這い出てきた。そんなに驚くことだよ!
「だが安心した。目覚めていきなり変な奇声を上げるなんて元気の証拠だ。私の特製ドリンクが効いたのだな。はっはっは、いいだろう。まだまだ沢山あるからな。どんどん飲むがいい」
 ドンッ――と。篠之木先輩がさっきの紫色した毒を僕につきつけてきた。しかも今度はペットボトルにびっちり入ってる。
「ゆ、許してください先輩……こんなに飲んだら死ぬ……死んじゃいますぅ……」
「分かってくれ、久遠寺。これはお前の事を思ってこその行動なのだ。私を信じてくれ」
「いや、意味が分かりません! 僕の事を思っているならもう放っておいて下さいよっ」
「久遠寺のくせに生意気な。いいから飲むんだっ」
 篠之木先輩がペットボトルの蓋を開けて強引に飲ませようと――僕に覆い被さるように身を乗り出した。
「い、いやぁあああ! 絶対いやだああああ! あっ。む、胸っ! 胸が当たってますよ、先輩っ。い、いいんですかっ!?」
 僕のお腹の辺りに篠之木先輩の胸がむにゅんと当たっている。
「私の胸がお前の体に押しつけられるくらいなんだっ! お前の体の方が大事だろう! お前の体が良くなるならもっと大胆に押しつけてやるっ」
 なぜか逆切れ気味に叫ぶと、篠之木先輩は周りの女子達よりも大きめな胸をむにゅむにゅ僕の体に押しつけ、まるで僕に抱きつくように体を密着させてくる。足をからませて腕をまきつけて顔を接近させて……。
「って、うわっ。ちょっとっ! そんな大胆なっ……こんなとこ誰かに見られたらとんでもない事になりますって!」
「大丈夫だ。他には誰もいないし、誰も来ないさ。それよりもほら……私特製の薬を飲むんだ……んっ。あっ……。こ、この馬鹿っ、どこを触っているんだっ。そこは駄目だぞ」
「い、いや……明らかに先輩が悪いと思うんですけど、ご、ごめんなさい……。でも薬はやめて。もうゆるして先輩……」
 僕の口元に押しつけられるペットボトル。目の前にある先輩の整った顔がやけに恐怖に感じられる。ああ、なぜ僕がこんな目に遭わなければいけないのか。次に生まれ変わる時はきっとこの人と関わりのない人生を歩みたい――抵抗する意思を失った僕は目を閉じて、走馬燈が頭に流れた。その時だった。
「い、いい加減にしなさぁ〜〜〜〜いっ」
 少女の声と同時に、僕の上に覆い被さっていた篠之木先輩の体が――ドサリと地面に倒れるのを感じた。
「え。な、なんだ……?」
 僕は恐る恐る目をあけると――倒れている篠之木先輩の頭に注射器が突き刺さっていた。
 な、何だ? よく見ればベッドの傍に誰かが立っている。
「い……痛いではないか。いったい何をする。貴様は誰だっ」
 と、先輩もむくりと起き上がった。頭に注射器が刺さっているのになんともないのだろうか。痛みすら感じていない様子。さすが怪物。
 僕が命の恩人である少女を覗き込むのと、篠之木先輩が自分を襲った相手を確認するため振り返ったのは一緒だった。
「――私は久遠寺くんのクラスメイトの、相楽早苗です」
 丸眼鏡をくいと上げて、ツインテールを揺らしながら少女――相楽早苗さんが絶妙なタイミングで名乗った。
「相楽さん……」
 僕を救ってくれたのは意外なことに、普段大人しくて教室の端っこで本ばかり読んでいるような人だった。
「……なぜ久遠寺のクラスメイトがこんなところに?」
 篠之木先輩は言いながら、頭に垂直に刺さっていた注射器を抜いた。血がぴゅ〜っと出ているけど、気にもとめてない。ジャパニーズホラーだ。
「私は学級委員です。クラスメイトが倒れたと聞いて駆けつけたんです。先輩こそどうしてここにいるんですかっ」
 相楽さんは普段の大人しい態度からは想像できないくらい、強い口調で篠之木先輩に詰め寄った。
「私は久遠寺のあるじなのだ。傍に付き添っていて当然ではないか。何をいまさら」
 あ、あるじなのっ!? 僕、先輩のしもべだったの!?
「そんなの知らないですよ! というか久遠寺君が倒れたのは篠之木先輩が原因なんですよ! あなたに久遠寺君を好き勝手しないでもらいたいんです!」
 相楽さんは腰に手を当て威圧するように言った。な……なんていい人なんだ。
 今まで大人しい眼鏡の女の子だとばかり思っていたけれど、真面目で正義感の強い人だったんだね。
「心外だな。それではまるで私が久遠寺につきまとってるみたいな言い方ではないか」
「違うんですか?」
 違うんですか? と僕も相楽さんと全く同じ事を心の中で思った。
「どころか――私達は一線を越えた関係なのだっ」
「って、な、なに言ってんですかっ! 篠之木先輩っ!」
 ありもしない事を言われちゃってるよ!
「そ、そんな……まさか久遠寺君が篠之木先輩と……」
 相楽さんが驚愕の顔をして僕の方を見る。
「え、違うよ。僕達はそんな……」
「ああっ、何を言うのだ久遠寺亮貴っ。お前はあの夜の事を忘れたというのかっ?」
「どんな夜ですかっ!」
 誤解されるような適当なこと言わないでほしい。いや、でもこんな明かな嘘、相楽さんが信じるわけ……。
「あ、ああっ。ふ、不潔ですぅっ……」
 信じちゃったよ! 頭を押さえて仰け反っているよ! そんなにショックが強かったの!?
「そういう事だ。というわけで部外者の君にはここから立ち去ってもらおうか」
 篠之木先輩は不敵に笑った。
「わ、分かりました……。お邪魔な私はここから……って、違いますよ! それとこれとは話は別ですよ! さぁ先輩、もうすぐ授業が始まりますよ。後は学級委員の私に任せて2年の教室に戻ってくださいっ」
 相楽さんはなんとか自我を保って篠之木先輩に立ち向かった。
「くっ、こう見えてなかなか厄介な相手ではないか。さすが眼鏡。その断固たる意思の強さ。我が組織の一員として迎え入れたいくらいだ。色恋沙汰からは程遠いであろう事は確実だからな」
「余計なお世話です! それにあなたの仲間になるつもりなんてありません! 久遠寺君も同じです!」
 そうだそうだ。もっと言ってくれ、相楽さん。
「そ、そうなのか久遠寺? お前は私の味方ではないと言うのか?」
「あ、はい……実はそうなんで――はぶぎゃあっ!」
 篠之木先輩の拳が飛んで来て僕はベッドの上に倒れた。
「久遠寺、お前は私の味方ではないと言うのか?」
 何事もなかったかのように篠之木先輩が同じ質問を繰り返した。
「み、味方です……僕は先輩の味方です……」
 こんなの単なる脅しじゃないか。酷すぎるよ。暴君だよ。相楽さんの前なのに、ちょっと涙出ちゃったよ。
「な、何てことするんですか、篠之木先輩っ! 久遠寺くんを脅迫してるじゃないですか! あ、あなたなんかに久遠寺君を渡さないわ!」
 相楽さんも僕と同じ感想を持ってくれたみたいで、篠之木先輩の暴君ぶりに怒りを露わにしていた。優しいんだね相楽さん。
「お前、さっきからやけに久遠寺にこだわってるなぁ? ひょっとしてお前……久遠寺を」
 と、篠之木先輩が訝しんだ瞳を相楽さんに向けた。
「えっ! いやッ……違っ……わなくないけど……そうじゃなくて!」
 すると相楽さんが急に動揺し始めた。さ、相楽さん。なんだか分からないけど負けないで!
「くふふふ〜。怪しいなぁ? その慌てよう、まさかまさか〜?」
 なんだか優勢らしい篠之木先輩はいやらしい笑みで、相楽さんを圧倒していた。
 しかし相楽さんは篠之木先輩を睨み付け、反撃に出た。
「……というか、篠之木先輩の方こそどうなんですかっ!?」
「は? 私が? 何の話だ?」
 突然の反撃に、篠之木先輩はとぼけた顔になった。
「とぼけないでくださいっ。さては篠之木先輩……あなたカップルが嫌いとか言ってるくせに、実は興味津々なんじゃないですか? だからこうやって久遠寺くんにもちょっかいばかりかけるんじゃないんですか? 先輩、まるで小学生の男子みたいで可愛いですね」
 相楽さんが信じられないような事を言ってきた。いやいやいや、それは絶対にないだろう。
「は、はぁああああああ???? な、なにを言ってるっ!」
「その動揺、もしかして図星なんじゃないですか?」
 いや。それはない。相楽さんは僕が毎日どんな目に遭ってるか知らないから言えるんだ。愛情の裏返しにしてはあまりにも重すぎる。
「……お、お前まさか……わ、私がそんな不埒な人間などと……」
 でも篠之木先輩は相楽さんの言葉に少なからず動揺したみたいで、悔しそうに顔を歪める。
「そうでしょうかね?」
 相楽さんはにこやかに微笑んでいた。
「……ふ、ふん。いいだろうッ。この場は大人しく退いてやることにしよう。だが私は諦めたわけじゃないぞぉ。覚えておくことだ〜」
 負け惜しみするかのように不気味な笑顔を浮かべた篠之木先輩は、相楽さんを睨み付けてから保健室を出て行った。
 さっきの毒薬っぽいツンとした匂いが、仄かに鼻についた。
「た、助かったよ相楽さん。ありがとう。本当にありがとう!」
 僕は誠心誠意を込めて相楽さんに感謝の意を表した。彼女は命の恩人だ。
「ううん。いいんです、そ、そんなに頭を下げなくても……。あ、それより久遠寺君……そ、その……」
 相楽さんは言いにくそうに眼鏡の奥の瞳を彷徨わせた。
「えっと……な、なに?」
 そういえば相楽さんとまともに話すのは初めてだなと気付いて、僕は少し緊張した。
「く、久遠寺くんは篠之木先輩と一線を越えた関係だっていうのは……」
「そっ、そんな事あるわけないよっ! あの人が勝手に根も葉もない事を言ってるだけだよ!」
 まだ信じてたなんて恐ろしい! この誤解は絶対に晴らさないと!
「そうなんだ……よかった。だって久遠寺くんは強引にあの人に付き合わされてるだけだもんね。久遠寺くん……優しいから」
「え、いやまぁ……優しい? や、優しいというより……脅されてるというか」
「謙遜するなんて……久遠寺くんってやっぱり優しい。大丈夫。私、ぜんぶ分かってるからね」
 いや、分かってるって何が分かってるのだろうか。僕は相楽さんがなに言ってるのか分からないけれど。
「ちなみに……久遠寺くんは、恋愛ってどう思いますか」
 ちなみにって……話が大きく飛んでるような気がするけど。本当になにが言いたいんだ?
「えと……それは篠之木先輩がやってるカップル狩りに関することだと思うけど……僕は恋愛は自由にやればいいんじゃないかなと思うよ。篠之木先輩が割り込む権利はないよ」
 僕まで篠之木先輩と同類だと思われたくないから、そこは否定しておいた。
「そっか……やっぱり久遠寺くんもそう言うと思った。久遠寺くんなら愛の素晴らしさを分かってるって思ってた。だって久遠寺くんは私の……まい・ぷりんす・ふぉえばー」
「……え? なにが?」
 なにかいま一瞬、変な呪文みたいなのが聞こえたけれど。
「ううん、なんでもない……きゃっ」
 相楽さんは顔を少し赤くして、そのまま保健室を逃げるように出て行った。
 ほんとに……よく分からない人だ。


inserted by FC2 system