喪女につきまとわれてる助けて

最終話 恋愛狩りのキューピッズ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 僕は夜の気配が近づく繁華街をひたすらに走っていた。
「く、久遠寺……っ、まっ、待てっ! それを……それをオレに渡すんだぁああああああああ!!!!」
 後ろからは吾川君が必死の形相で僕を追ってきている。
 ……よし、かかった。ここからは単純だ。作戦を成功させるにはあと必要な事は……僕がつかまらずに、あの場所まで行くこと。
 だから僕は吾川君に追いつかれないように全力で走る!
 人ゴミの中をかき分けるようにして走る。道行くカップルの間を割って走り、車にぶつかりそうになって怒られながらも走る。
 スクランブル交差点を走って渡り、大道芸人がショーをしている前を走って通り過ぎる。
 お洒落な店の前を通り、女子高生の集団を追い越し、繁華街を外れた道を走る。そして活気がなくなった静かで薄暗い道を僕は走る。
 僕は時々後ろを振り返って吾川君が追って来ているか確認した。吾川君は言葉もなく、ぜぇぜぇ呼吸を乱しながら走っていた。
 けれど僕は吾川君より足が遅く体力もないから油断はできない。息が切れそうになっても、足が痺れても、お腹が痛くなっても僕は力の限り走った。
 きっとこんなに本気になって走ったことなんて初めてだ。いや、思えば……なにかに対してここまで死にものぐるいになった事が恐らく初めてなんだろう。
 でもそれはとても気持ちがよかった。なんだか笑いたくなってきた。
 僕は疲れなんか忘れて、丘の麓まで来た。そして丘の上を目指して僕はひたすら走る。走る走る走る。
 そしてとうとう――僕は丘の頂上まで辿り着いた。僕は町が見渡せる、岬まで行くと足を止めた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……なんてしつこい奴だ、久遠寺……ようやくっ……諦めてくれたかっ」
 ここまで僕を追って来た吾川君は声を荒げた。
 ――奇しくもこの丘は、僕達の住むこの町で1番有名なデートスポット。
 町の人々からはこう呼ばれている――恋人達の丘。
 この丘に登ってプロポーズしたカップルは一生、堅い絆で結ばれて永遠の愛が約束されるのだ。
 永遠の愛。それは――篠之木来々夢が忌み嫌うものであり、相楽早苗が憧れるものであり、そして吾川澄志と最もかけ離れたもの。
 そして以前、僕が篠之木先輩と一緒にお弁当を食べた場所だった――。
 すっかり夜の気配に包まれたこの場所には、僕と吾川君以外の人の姿は見当たらず、ただいくつか点在する電灯と木製の展望台からの光だけがチカチカと光を灯していた。
「はぁ……はぁ……う、浮気性なのに、吾川君もなかなか根性あるじゃないか……」
 もうこれ以上一歩だって走れないくらいに疲弊しきってたけど、僕はできる限りに余裕の表情を浮かべた。
「いいからそれを……さっさとそれを渡すんだ、久遠寺!」
 吾川君は怒鳴り声をあげて、ジリジリと僕に近づいてくる。容赦はしないといった様相だった。
「ああ……分かったよ。そんなに欲しいなら君に渡すよ」
 僕はポケットからボイスレコーダーを取りだす。
「……やけに素直じゃないか、久遠寺」
 吾川君の足が止まった。僕を警戒している。
「だってこんなものがあったところで無意味だと思ったのさ……君ならいくらでも誤魔化せるんじゃないのかい? いつも女の子を騙しているようにさ」
「ああ、そうだな……。確かにそれは証拠といってもしょせん声だけだからな。だが潰しておくのに越した事はない。オレはどんな小さなものでも脅威は消しておきたいんだ。そうやってオレは今までやってきたんだ。さぁ、久遠寺……それを寄こせ」
 吾川君は再び僕の方へ歩き始める。
「その慎重さが君が今まで大勢の女の子と付き合えてきた秘訣か……。でもこれを渡す前に最後に聞かせて欲しいんだ。どうして吾川君はこんな真似を」
 近づいて来る吾川君に向けて僕は尋ねる。
「そんなの当たり前じゃないか! 青春は1度しかないんだぞ! その時期に思いっきり恋愛をしようと思ったら時間はあまりにも短すぎるんだ! オレはただ大勢の女の子と恋愛したかっただけなんだ!」
「たとえそれが女の子を傷つけることになっても?」
「ああ、構わない。オレはオレが1番大事なんだ。付き合う相手なんて、オレの心を満たす道具でしかない。ただの消耗品だ!」
 僕の目の前に立った吾川君は右手をさしだした。とても冷たく、鉄のように寂しい瞳をしていた。中学の時の彼の面影はどこにもない。
 吾川君がやっているのは、恋愛じゃない。彼は、愛を崇拝しているどころか――愛を冒涜している。彼こそが愛の敵だ。
「……ならこの証拠品は君に渡すよ。ほら、吾川君」
 僕はもう吾川君に何も尋ねることはなかった。僕は吾川君の手の上にボイスレコーダーを置いた。
「くくく……助かるぜ、久遠寺。さすがオレの友達だ」
 吾川君は僕からボイスレコーダーを受け取ると、さっそく中身を再生して本物かどうかを確かめていた。
「ああ、そうだね。僕も君の事は友達だと思ってるよ……何があってもね」
 吾川君の嘘だらけの言葉が流れ続ける中、僕は悲しい思いで呟いた。
「はっ! どうだかな。しょせん友情とか愛情とかは単なる一時の気の迷いだ。そんな目に見えない不安定なものに頼って生きる人間は心の弱い奴なんだよ。オレのようにその感情を支配し、利用する人間こそが勝者なんだよ! はは……はははっ!」
 今度こそ本物だと確信した吾川君は、ボイスレコーダーを停止させて高らかに笑った。狂ったように笑った。化けの皮は剥がれた――それが彼の本心だった。彼は僕に勝ったと思っているのだろう。彼にはもう恐れるものはないのだろう。
 でも吾川君の狂喜は失望へと変わる。
 そうだ。僕はこの時点で――彼を打ち倒したのだ。
「分かってないよ、吾川くん……」
 高らかに笑い続ける吾川君の前に、相楽早苗さんが姿を現した。
「……え? なっ、なん……で」
 吾川君の勝利は、彼の笑いと共に止まった。
「なんで……お前が、相楽早苗っ! どど、どうしてここに……ま、さか」
 家から出てくるなと脅してはずなのに、相楽さんがここにいることに動揺している吾川君。
 それは僕も同じだった。ここに相楽さんまでいるなんて予想できなかった。
「もちろん――あなたを止めるためにここに来たの」
「くっ……や、約束を破るつもりかッ、相楽ァアアアア!!!」
 吾川君が激昂して、おもむろに携帯電話を取りだした。
「このケータイがどうなってもいいのかァっ!? 今日一日家で大人しくしてろと言ったはずだッ……さもなくば――」
「携帯電話なんかよりも大事なものはあるの。私は吾川くんのいいなりになって、ただ家に籠もっているなんてできなかった……」
 相楽さんは静かな口調で、だけど力強い意思の籠もった言葉で言った。
「ちっ。本当にお節介な性格してるぜ……。だ、だがなぜこの場所が……ま、まさか久遠寺……お前が……」
 吾川君がビクビク目をひくつかさせて僕を見た。
「いいや、違うよ。そもそも相楽さんが無事だって知ってたらこんな状況にはなってなかったよ」
 けど――相楽さんがなぜこの場所を知っているのかというのは分かる。きっと橘さんから聞いて来たのだ。
「だ、だが……」
 と、吾川君は歯がみして凶暴に顔を歪めた。
「た、たとえお前1人が来たところでい、いったい何ができるって……」
「いいえ、ここにいるのは私だけじゃない。ここには、あなたが軽視してきた愛がたくさんある。愛の力を、あなたに見せてあげる」
 そう言うと、相楽さんは両手を広げた。
 すると夜の闇からガサガサと音が聞こえ始めた。僕達の立つ拓けた場所を取り囲むようにそこら中から何かが忍び寄る音。無数のそれらは、近づくにつれて次第に正体を現した。
「あああっ!? そ、そんなあああっっ! き、君達はぁあああっっっ!!!!???」
 吾川君の絶叫が恋人達の丘に響き渡った。
 それは、女の子達だった。中学生くらいの女の子から、高校生の子、はては大学生か社会人らしき女性までいた。ざっと20人以上はいる。それらの女性全てが、吾川君に対し軽蔑した顔をしているか、または絶望を浮かべた顔を浮かべていた。
 それにしても――まさか吾川君と付き合っている女性がこんなにいるとは、僕も正直思っていなかった。
「ここまで集めてきてくれるなんて……本当に頼りになるよ、橘さん」
 これが昼間に橘さんに話した僕の計画だった――。オールハートイーターについて調査している橘さんはその被害者を知っている。つまり過去に付き合っていた女性と、現在付き合っている女性。そこで彼女達を一箇所に集めて、自分の目で吾川君の正体を確認してもらおうということになったのだ。
 正直ボイスレコーダーの音声だけでは、吾川君ならなんとでも言い訳すると思った。だからボイスレコーダーは、吾川君をおびき寄せる為のおとりに使ったのだ。
 ――これが僕が考えた計画。そして、橘さんを信用しないと成立しない計画だった。
「それもこれも相楽さんのおかげだよ。橘さんを信じて助けを求めるようにって言ってくれたから……この作戦が成功したんだ」
「う、ううん。それでも行動して、この状況までもっていってくれたのは、久遠寺くんだから。それに私は……久遠寺なら絶対うまくやってくれるって信じてた」
 相楽さんは顔を赤くさせて小さな声で言った。
「ちっくっしょう……ずっと茂みに隠れさせていて、オレをここまで追い込んだのか……は、謀ったな……久遠寺っ」
 一方、吾川君はようやく事情を飲み込めたようで、僕に殺気の籠もった瞳を向けた。
「待ち伏せさせていたのは君も同じだろう? でも誤算だったね、吾川君。今頃篠之木先輩はあいつら全員を倒しているよ。篠之木先輩を倒したいなら――50人は連れてこないとね」
「く……くっそがああああああああッ!!!!」
 吾川君が周りの女の子達に構わず咆吼した。
 女の子達はみな、自分が知っているのとは全然違う目の前の恋人の本当の姿に呆れ果てていた。
「こ、これが澄志君の正体だったなんて……」
「わたし、今までずっと騙されていたのっ?」
「これどういう事なのよ! 説明しなさいよ、澄志!」
「あ、吾川さん……これは何かの悪い夢ですよね?」
 吾川君はもう、恋愛社会的に抹殺されたに等しかった。吾川君の築き上げてきたものが、全て崩れ落ちていた。恋愛によって、恋愛の敗者になった。
「あ、あは! あはは! あはははははははははははは!」
 詰め寄る女の子を気にせず、いいわけをしようともせずに吾川君は笑った。ひたすらに笑っていた。彼の心は完璧に壊れていた。
 その様子を、相楽さんは寂しそうに見つめていた。
「……結局、吾川くんは誰も愛していないの。吾川くんが好きだったのは、吾川くん自身。恋愛なんてただの一度もしていないの……」
 相楽さんはそう言うと、眼鏡の位置を正して吾川君から背を向けた。
「何か……言うことはあるかい? 吾川君」
 僕は堕ちた友人に尋ねた。
「言うこと? 愛が……愛が欲しいなぁ」
 焦点の定まらない瞳を僕に向けて言った吾川君は、地面に膝をついて崩れ落ちた。
 ――もう全ては終わった。吾川君は……オールハートイーターは愛に負けたのだ。
 吾川君を取り囲む数十人もの女の子達は、彼を見限ると1人ずつその場から離れた。1人、また1人と立ち去って行く女の子達。
「あっ……ま、待ってくれ。お、オレ……ぼ、僕は……」
 地面に膝をつき、去って行く女の子達に手を伸ばす吾川君。その姿は惨めだった。
「諦めるんだ、吾川君。君が……間違っていたんだ」
「じゃあオレは……どうすればいいんだ」
 吾川君の震える声。僕は彼に笑顔を向ける。
「簡単だよ。恋愛をしたらいいんだよ。今度こそ、本当の」
「…………」
 吾川君はそれ以上もう何も言わなくなった。ただ次々と丘を下っていく女の子達の後ろ姿を見守っていた。
 哀しそうな瞳で自分が傷つけてきた女の子達を見る吾川君。
 だけど突然――その表情が凍り付いた。
「――えっ? あ、ああ……あなたは……あなたがど、どうしてここに……っ」
 吾川君の血の気の引いた顔と、緊張した声。
 僕は驚いて吾川君の視線の先を追う。
 そこには――女の子達が続々と丘を降りて行く中、僕達の元までやって来る一人の少女の姿があった。
「うふふふふ……」
 それは篠之木先輩の妹、篠之木倫々夢ちゃんだった。


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