喪女につきまとわれてる助けて

最終話 恋愛狩りのキューピッズ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

4

 
「なんで、倫々夢ちゃんがここに……」
 僕は話が目を疑った。ま、まさかこの子も吾川君の……?
「久遠寺くん……この子、知り合いなの?」
 状況が飲み込めない相楽さんは小声で僕に尋ねた。
「う、うん……この子は篠之木先輩の妹の、倫々夢ちゃんっていう子なんだけど……」
「い、妹……なんですか……あの人に妹がいたんですか……すごく、綺麗……」
 相楽さんは倫々夢ちゃんの美しさに感嘆のため息を吐いていた。
 にしても――彼女がここにいるわけや、吾川君との関係が全然分からない。
 地面に膝をつき緊張した面持ちで倫々夢ちゃんを見つめていた吾川君が、フラフラと立ち上がった。
「り、倫々夢さん……あ、あなたがなぜここに……」
 吾川君はまるで、幽霊でも見ているかのような目を倫々夢ちゃんに向けていた。
「吾川君……倫々夢ちゃんのことを知ってるの? もしかして倫々夢ちゃんも吾川君の彼女のひとり……」
 それにしては吾川君の、倫々夢ちゃんを見る目は異常な気がする。まるで倫々夢ちゃんを恐れているようだ。それに年下の倫々夢ちゃんに敬語を使っている……?
 すると、吾川君が答えるよりも早く、倫々夢ちゃんが滑らかな声で口を開いた。
「うふふふふ……いやですわ、亮貴お兄様。このわたくしがこの程度の男の彼女になんてなるとお思いですの?」
 それは、どこまでも冷酷な言葉だった。倫々夢ちゃんが吾川君に向ける目は、まるでその辺の道ばたに転がる小石を見るようなものだった。
「……あ、あ……り、倫々夢さん……う、嘘だ……そんな……っ」
 吾川君はまるで雷に打たれたように、目を見開いて、口をあんぐりと開けて、固まってしまった。
「り、倫々夢ちゃん……だ……だったらどうしてここに」
 僕は横目でチラリと哀れな吾川君を見て、倫々夢ちゃんに尋ねた。
「答えは単純明快ですわ。この男の破滅を見に来ただけですわ。ま……しょせん、わたくしの猿まねしかできない男の末路なんてこんなものですわね」
 倫々夢ちゃんは吾川君を指さし、鼻で笑って答えた。
「う……あ、あ……」
 その言葉を聞いた吾川君は、何も答えることができずに、ただうめいていた。
「ちょ、ちょっと待って……君の猿まねって、それどういうことなんだい?」
「あら、亮貴お兄様は何も知らずに今回の件に関わっていたというのですか?」
「え? だからそれは……吾川君の行き過ぎた恋愛を止めようとして……」
 そう、もともとは篠之木先輩がオールハートイーターを退治しようと言ったことが始まりだった。
 しかし、倫々夢ちゃんは想像もしなかった言葉を口にした。
「お姉様が名付けた……ええと、オールハートイーター……でしたっけ? それはですね――わたくしのこと、ですのよ」
「――な、にぃっ?」
 僕の口から思わず間抜けな声が出た。
「正確に言えば、オールハートイーターという存在は初めからわたくしの模造品ですの。吾川澄志はわたしくの生き方に勝手にリスペクトして暴走したのです。それがオールハートイーターの正体ですわ」
 倫々夢ちゃんが優雅な動作で吾川君を指さした。
 オールハートイーターだと思われていた当の吾川君は、放心した幽鬼のような顔をしてフラフラと立ち尽くしていた。
「き、君……なにを言って」
 僕には信じられなかった。倫々夢ちゃんが全ての元凶だなんて。
「吾川澄志はわたくしのオモチャの1つに過ぎなかったのです。いつものようにオモチャの1つと遊んでいつものように飽きて捨てた。その時に何かを勘違いしたのでしょうね。この男はわたくしの恋愛観を盗作して、わたくしの模倣を始めたのです」
 ああ……吾川君は前に言っていた。異性と付き合う事は楽しむこと。そのことを教えて貰ったって……それは、倫々夢ちゃんのことだったのか。
「でもそれもそれで面白いとわたくしは思い、吾川澄志がやることに目を瞑ってきたのです。いえ……というより、積極的に協力してさしあげました。助言をいたしました。吾川澄志はわたくしを妄信的に信じ、わたくしの言う通りに行動しました。わたくしを楽しませるために動いてるともしらず、何も考えずにただいいなりになって……馬鹿みたい」
 素直で気の優しい吾川君が変わってしまったのは、倫々夢ちゃんの仕業だったんだ。
 当の吾川君は、悔しそうに嗚咽をあげているだけだった。
「吾川澄志はよく動いてくれました。お姉様をまさかここまで追い詰めてくれるとは思ってませんでしたからね。そういう意味では優秀なコマでした」
「り、倫々夢さん……オレは……オレの事をそういう風に、見てた……なんて」
 吾川君が絞り出すような声をあげた。その瞳からは涙が溢れている。鼻水が垂れている。よだれがこぼれている。
「うふふふ。これで少しは傷つけられる方の気持ちが理解できたのじゃありません? まあ、わたくしにそんなつもりなんて始めからありませんし、あなたが勝手に勘違いしてただけなんですけどね。こうなったのは自業自得ですよ」
「あ……あああ……ああああああ……」
「うふふふ。けど、私にいいように扱われていたとも知らずに動き回る姿はとても滑稽でしたわよ。あなたはつまらない人間ですがそこだけは楽しめました。実にいいピエロでしたわ。うふふふふふ」
 その言葉で――とうとう吾川君の精神は崩壊した。
「アア………わあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
 吾川君は耳を塞ぎたくなるほどの叫び声をあげると、がむしゃらに走り出した。
「あっ、吾川君っ!」
 僕はとっさに吾川君を追おうと思った。が――。
「待って下さい、久遠寺くんっ!」
 しかし相楽さんが、すぐさま僕の手を取って引き留めた。
「吾川くんは私に任せてっ。久遠寺くんは……その子を頼みます。きっと……そうするのがいいから」
 相楽さんの手の温もりが伝わってくる。僕はその手を通して相楽さんから勇気を分けてもらった気がした。
「分かった……。ありがとう相楽さん。……吾川君のことをよろしく」
 どんなになってしまっても吾川君は僕の友達だから。
「久遠寺くんは優しいんだね」
 相楽さんは、僕の手を両手で包み込むようにして、囁くような声で言った。
「私、そんな久遠寺くんのことが……。く、久遠寺くん……わ、私は久遠寺くんのことが……」
 小さくなっていく相楽さんの声。
「な……なに」
 と僕が訊くと、何事もなかったように相楽さんは笑顔を向けた。
「……ううん。なんでもない。久遠寺くん……頑張ってくださいっ」
 そして相楽さんは、絶叫を上げながら走り去って行く吾川君の跡を追っていった。
 相楽さんの姿が見えなくなるまで見届けた僕は、倫々夢ちゃんに向き直った。
「うふふ。最後まで面白い男でしたわね」
 倫々夢ちゃんが満足げに微笑を浮かべた。
「これも全部……君の計画だったというのかい?」
「わたくしの計画……? うふふ。わたくしはただ、あの男に進言しただけですわ。一連の出来事は、あくまで吾川澄志の意思ですわ」
 そんなの嘘だ。――篠之木先輩は疑っていた。大胆な吾川君の行動と、しかしその一方で用意周到な計画性が伺える矛盾した点と点。
 それに吾川君が篠之木先輩に対して執拗にこだわっていたのは……先輩の妹である倫々夢ちゃんの、その憎悪の表れじゃないか。そうじゃないと説明がつかない。
 吾川君はただの操り人形にすぎなかったんだ。全て倫々夢ちゃんの計画だとすれば、吾川君の不自然な行動も、篠之木先輩に対するこだわりも理解できる。
「吾川澄志の敗因はですね、自らを悪だと認めてしまっていたことですわ」
 倫々夢ちゃんは不意に言った。
「吾川澄志は――大勢の女子と付き合うことは悪くないというのが、あの方の持論でした。ですが――それなのに吾川澄志は、付き合う女子に対してその事を隠していた。他に沢山の女子と付き合っている事を彼は伝えなかった。意図的に伏せていました」
「それが、敗因?」
「そうですわ。口では自分は悪くないと言っていても、心のどこかでは自分がやっているのは悪だと認めていたのですよ。なら、悪は正義に負ける運命なのですわ」
「君は違うとでもいうの?」
「ええ。わたくしは全て包み隠さず公表しております。そのうえで、わたくしの周りには常に大勢の殿方が、わたくしの為に働いてくださるのですわ」
 倫々夢ちゃんはまるで女王のような貫禄でもって、僕を見た。
「ねえ、亮貴お兄様。それこそが恋愛の究極の勝者の姿だと思いません? これがわたくしと吾川澄志との器の違いですよ。頂点は常に1人。あの男は自分の器というのを知らなかったのですよ。わたくしと同じになろうというのが思い上がりなのですのよ」
「で、でもそれは……それは……」
 それは違うと思う。だけど――僕にはそれを打ち砕くための言葉が見当たらなかった。
「ご不満そうな顔をしていますね。でも……残念ですが、亮貴お兄様には何もできませんよ。あなたにわたくしは倒せませんわ」
 倫々夢ちゃんは勝ち誇った顔をして僕に宣言した。
 倫々夢ちゃんこそがラスボスだというのなら、僕は倫々夢ちゃんを倒さなければいけない。だけど……なんてことだ。倫々夢ちゃんの言う通りだ。僕は、僕には……倫々夢ちゃんに勝てるイメージがまったく見えない。僕には倫々夢ちゃんを改心させられるとは到底思えない。
 もし――もしそれができる人がいるというなら、それはたった1人しかいないだろう。
「ですが……本日はなかなかいい暇つぶしができましたわ。お兄様も随分ご活躍なさって……わたくし、なんだか好きになりそうですわ」
 倫々夢ちゃんはわざとらしい、おどけた声で言った。
「好きになられても困るよ……僕は君のオモチャになるのはちょっと勘弁だからね」
 というより、もう既に君のお姉さんのオモチャになっているようなものから……姉妹そろってオモチャのように扱われるのはさすがに御免だ。
「ふふふ、そうですか……このわたくしでも、時にはアッサリふられてしまうものなのですね。うふふ、勉強になりました。それではご機嫌よう、お兄様。きっとまた……近いうちに会えるとわたくしは信じておりますわ」
 そう言って倫々夢ちゃんは、優雅に身を翻した。
「ま、待って、倫々夢ちゃん」
 しかし僕は、立ち去ろうとする倫々夢ちゃんを呼び留める。
「はい? まだ何か用でも?」
 こちらを振り向いた倫々夢ちゃんは、白々しく小首を傾げた。
「えーと……いや……お姉さんと会ってみたらどうかな……って思って」
 本当は何も言う言葉を持ってなかったけど、僕はとっさに、そう口にしていた。
「ふふ。何を言い出すやら……てっきりわたくしのことを糾弾するのかと思いましたが……やはりお兄様は面白い方ですわね。ですが言いませんでしたか? わたくし、お姉様の事が嫌いなんですの。とっても、とっても、と〜〜〜〜っっっっっても!」
「でも……お姉さんは君の事を大切に思っているはずだよ」
「ふん。何を仰るかと思えば……お兄様こそ、お姉様の事が嫌いなんじゃありませんの?」
「……そ、それは」
 僕は篠之木先輩が嫌い。それは事実。それが僕と先輩を繋ぐ関係なのだ。
「うふふふ。当然ですわね。亮貴お兄様もわたくしと一緒じゃないですかぁ」
 倫々夢ちゃんは無邪気に笑って言った。
「……そうだ。僕は君のお姉さんが嫌いだ。で、でも……君と僕とでは全然違う」
「うふふ。認めましたね。ですが……違う? 何が違うのです、わたくしと何が違うのですぅ……亮貴お兄様ァ!」
「僕は――僕は彼女のことを信じている。嫌いだけど、それでも彼女を理解しているつもりだ! 篠之木先輩から逃げている君とは違って、僕は彼女とちゃんと向き合っている! 篠之木先輩はな……ここぞというときに駆けつけてくる人なんだ!」
「はぁ……何を言ってるのですか、亮貴お兄様は……意味が分かりません。興が冷めましたわ……もういいです。それではさような――」
「倫々夢ちゃん」
 その時、僕達以外の声が丘の上にこだました。
 まるで風に乗った運ばれてきたような透きとおった声。高く澄み切った声。普段の彼女からは想像できないような声――。
 倫々夢ちゃんの姉にして、僕の嫌いな先輩――。
 ――篠之木来々夢が到着した。
「篠之木先輩……遅いですよ」
 よかった……やっぱり篠之木先輩は無事だった。僕は先輩の姿を見てまず最初にそう思った。服が多少汚れているようだったけど、怪我1つ負っていないようだ。
「お、お姉様……」
 恐らく中学生になって以来会っていないであろう姉を目の前にして、倫々夢ちゃんは少なからず動揺している様子だ。
「ふ、ふふふ……ひ、久しぶりですねお姉様。こうして顔を合わせるのはじつに1年ぶりですか?」
 強がっているけれど、倫々夢ちゃんの目は泳いでいた。
 そして――1年ぶりに会う妹を前にし、風に吹かれて立っている篠之木先輩は。
「…………」
 何も言わずに――ずんずんと一直線に倫々夢ちゃんに向かって行った。風に揺れる長い髪。その顔からは感情が伺えず、喜んでいるのか怒っているのか悲しんでいるのか分からなかった。
 狼狽していた倫々夢ちゃんは、それでも平静を取り繕った声をあげた。
「うふふ……あ、頭のいいお姉様ならもう気付いているでしょう? そうです……わたくしが真犯人ですわ」
 篠之木先輩に敵対する倫々夢ちゃん。その声には姉に対する嫌悪感が感じられた。
 しかし、真相を告げられても篠之木先輩の歩みが止まることはなかった。
「ふふふ、どうしたのですか、お姉様。ショックで声も出ないですか? それとも久しぶりにわたくしを見てどんな顔をすればいいか分かりませんか?」
 篠之木先輩が近づくにつれて早口になる倫々夢ちゃん。
 それでも篠之木先輩は止まらない。
「もしかしてお姉様――わたくしにも制裁するつもりですか? うふふ……お姉様には無理でしょうね。お姉様はわたくしが大事ですもの。可愛がって甘やかして、わたくしのことを愛していますもの。わたくしを傷つけることなんてできませんのよ!」
 倫々夢ちゃんは決してその場から動こうとしなかった。大嫌いな姉に背を向けたくないのだろう。
「ですが……お姉様はわたくしのことを何も知らないんです。お馬鹿な姉はわたくしを愛することしかできないんですの。わたくしはね、そんなお姉様が――大嫌いですの」
「り、倫々夢……」
 倫々夢ちゃんの目の前まで来て立ち止まった篠之木先輩は、ようやく言葉を発した。
「倫々夢……倫々夢……倫々夢……倫々夢……倫々夢っ」
「はい? どうしました、お姉様? そんなお顔をして……まさかまさか、お姉様は、わたくしの事をぉ――」
「倫々夢うううううううううううううっっっっっっ!!!!!!」
 篠之木先輩が突然叫ぶと、倫々夢ちゃんの顔面めがけて――思いっきり、力の限り、拳で殴りつけた。
「い――ぎいぃぃぃいああああっっっっっっっ!!!!???」
 倫々夢ちゃんは、悲鳴にならない悲鳴をあげて吹っ飛んでいった。
「な、なあっ――!?」
 僕はその光景に目をみはる。何が起こったのか一瞬理解できなかった。
「――ッッ」
 篠之木先輩は飛んでいった倫々夢ちゃんにすぐさま駆け寄ると、その小さく細い体をつかんで、さらに殴りつけた。
「ふッッ――ぎゃあッッッッ!」
 倫々夢ちゃんの悲鳴。篠之木先輩は無言で何度も殴り続ける。
「ひやぁっ! いだっ! やめっ! いだいっっ!!!!」
 篠之木先輩が倫々夢ちゃんに拳を振り下ろす度に鈍い音が響き、倫々夢ちゃんの絶叫が轟いた。
 それでも篠之木先輩は何も言わずに殴る手を止めない。
 僕は近づけなかった――。その気迫ゆえに、その恐ろしさゆえに、そして何より……その姉妹の愛ゆえに。
 倫々夢ちゃんの上に馬乗りになった篠之木先輩は、ただただ必死で妹を殴り続けている。
 そしてどのくらいの時が流れただろうか。篠之木先輩はようやく殴るのをやめて、静かに倫々夢ちゃんの体から離れた。
 篠之木先輩は、倒れている倫々夢ちゃんを見下ろすように立ち上がって肩で息をしていた。
「ひゅ〜……ひゅ〜……」
 ぐったりする倫々夢ちゃんは虫の息同然で、か細い呼吸を繰り返していた。
「し、篠之木先輩……」
 僕はどうすればいいか分からず、ただ篠之木先輩の名を呼んだ。
 しかし篠之木先輩は僕の声が耳に届かないのか、ボロボロになった倫々夢ちゃんの前にずっと立ち尽くしている。すると篠之木先輩はおもむろに。
「り、倫々夢……倫々夢……倫々夢ちゃん」
 先輩は、泣きそうな声で倫々夢ちゃんの名前を呼んだ。
 倫々夢ちゃんの体が、篠之木先輩の呼び掛けに応じてピクリと動いたように見えた。
 この後どうするんだろう。僕が冷や冷やして見守る中――さらに驚くべき展開が訪れた。
「り……倫々夢ちゃん〜〜〜〜〜っっ!!!!」
 篠之木先輩が、妹の体を無理矢理起こすと――ガシッと、その体に力強く抱きついた。
「ええっ!?」
 そんなのってアリなの!? 無茶苦茶だ!
「り――倫々夢ちゃんっ! ごめんねっ! 大丈夫っ!? わあああああ!」
 篠之木先輩は半狂乱状態になって、ぐったりする倫々夢ちゃんを抱きながら、ひたすらわめいていた。
「ど、どうなってるんだ……はは」
 自分でこんな目に遭わせておいてよく言えるよ、と僕は思ったが……不思議と肩の力が抜けて笑みがこぼれる。
「お、お姉様……」
 唖然とした表情で篠之木先輩に抱かれるがままになっていた倫々夢ちゃんが、歯切れの悪い言葉で呟いた。
「だ……だからわたしくはお姉様のことが嫌いなんです……本当に、勝手な人なんですから……」
 ボロボロになってなおも強がってみせる口調。しかし、その目からは涙が零れている。痛みによるものか、それとも別の感情からくるものなのかは分からない。
 だけど、倫々夢ちゃんはゆっくりと恐る恐る――両手を篠之木先輩の背中に回した。
「り、倫々夢ちゃん! ごめんね! 今までずっとごめんね! お姉ちゃんを! お姉ちゃんを許して!」
 篠之木先輩のキャラは完全に崩れていた。ただただ泣き叫んでいる。
 その時、倫々夢ちゃんの様子に変化があった。
「お、お姉さ……おねえ……ちゃん」
 篠之木先輩に回した手にギュッと力が入ったのが見てとれた。
「お、お姉ちゃん! ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ、おねえちゃん!」
 姉の体をしっかり抱きしめる倫々夢ちゃんは、体裁もなく泣きじゃくった。
「倫々夢……ごめん。ごめん……倫々夢ちゃん。倫々夢ちゃんごめんね……ごめんね。倫々夢ちゃんごめん!」
 妹を抱きしめる篠之木先輩は、涙と鼻水を流しながら、倫々夢ちゃんの頭を優しくずっと撫でながら謝り続けていた。 
 2人の姉妹は、お互いの体を抱きしめながら謝りあっていた。
 僕にはこの事態がどうなっているのか把握できないけれど……それでも、あの2人はもう大丈夫だろうということは分かった。
 それは何故だって? 簡単だ。それはきっと、2人は姉妹だからだ。これは彼女達の壮大な姉妹喧嘩だったのだ。僕はただ……それに巻き込まれただけ。
 姉妹喧嘩は姉妹で解決するものだ。だから――あとは彼女達だけにしておくべきだろう。今更僕が出てきて言葉をかけるのは無粋というものだ。結局、僕は2人の引き立て役に過ぎなかっただけの話だ。
 そう思ったら……なんだかどっと疲れが押し寄せてきた――。そう感じた僕は最後に、すすり泣きながら静かに抱き合う美しい姉妹の姿を見て、黙って丘を下りることにした。
 見上げれば、夜の闇の空には数多くの星が輝いていて、今日は月がとても綺麗な夜だった。


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