喪女につきまとわれてる助けて

第2話 休日のデート――をするカップルを撲滅大作戦

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 今日はなんて偶然の続く日なんだろうか。相楽さんに続いて、僕はクラスメイトの吾川君の姿まで発見してしまった。
 しかも僕達に気付いていない吾川君は、こともあろうに只今デートの真っ最中だった。とても可愛いらしい女の子と手を繋いで歩いている。
「確かあいつも……久遠寺の友人ではなかったか? クラスメイトの」
 僕が動揺しているのに気付いた篠之木先輩は、頭グリグリするのをやめて僕の視線の先を追って――吾川君の姿を捉えた。捉えてしまった。
 迂闊だった……。先輩に見られてしまったら絶対に面倒な事になるのは分かっているのに。
「えと……まぁそうですけど……どうして先輩が僕のクラスメイトの事を知ってるんですか」
 確かに何回かは会ってると思うんだけど、他人に興味がない篠之木先輩が僕のクラスメイトの事なんていちいち覚えているとは……。
「そりゃあ久遠寺に関する事はなんでも知っているからなぁ!」
 ああ、なるほど。だったら納得……って、できないよ! なんで僕がからむとこんなに力を発揮するんだ!? 先輩は僕のなんなの!? サーバント的な存在なの!?
 そして案の定――篠之木先輩は相楽さんから吾川君に関心をシフトさせた。
「まさか久遠寺の友人ともあろうものが、彼女持ちだったとはなぁ……確か以前あいつは、自分の口で彼女はいないと断言していたのになぁ。これはさすがに、黙って見過ごすわけにはいかないよなぁ……ふしししし」
 篠之木先輩が悪巧みの顔で一歩一歩吾川君へと近づいていった。駄目だ。最悪の展開だ。
 そりゃあ吾川君に彼女がいたことは驚きだけど、だからって彼のデートを台無しにしていいわけがない。
 吾川君は僕の数少ない友人なんだ。篠之木先輩のえじきになるのを黙って見ているわけにはいかない。先輩の事だから、きっと吾川君達を別れさせようとするに違いない。これだけは避けなくちゃいけない。
 僕は、歩道へ飛び出して叫んだ。
「に、逃げてくれぇえええ! 吾川くぅうううううん!!!」
 周りを歩いていた大勢の人達の動きが止まって、僕を見た。
「あ……」
 そして周囲の人同様に、僕の声にこちらを振り向いた吾川君は、きょとんとした顔で僕を見た。驚いているような、呆気にとられているような顔だった。だけどみるみるうちにその顔色が蒼白になっていった。きっと僕の言葉の意味を理解したのだろう。そして――僕の隣にいる篠之木先輩の存在を確認したのだろう。
 吾川君は――。
「う、うわっ……そ、そのっ。それじゃあ久遠寺くんっ、お言葉に甘えてっ!」
 くるりと背中を向けて、隣を歩く可愛い女の子の手を引っ張って走り出した。
「あっ、おいっ! 貴様っ」
 篠之木先輩が逃げていく吾川君を呼び止めるが、当然吾川君は止まろうとしない。どんどん姿が小さくなっていく。
 よかった。吾川君の素早い反応のおかげでなんとか篠之木先輩につかまらずに済んだ……いや。いやいや…・…でも喜ぶのはまだ早い。
「く、くくく久遠寺ぃいいいい〜〜! お前よくもぉおおおお」
 僕にとってはむしろこれからが本番。
「せっ、先輩。こ……これはその。じ……事情があるというか」
 なんとか先輩の怒りをなだめなければ僕には死が待っている。
「事情だとぉ〜お? いったい何の事情があってあいつを逃がしたのだぁ?」
「だ……だから、ほら、僕達はオールハートイーターをつかまえに来たでしょ? こ、こんなところで油を売ってる暇はないと……」
「ほうほう。それで貴様は敢えて吾川澄志を逃がしたのだと言うんだな。そうかそうかなるほど……って、許すと思ったかああああああ!!!!」
「ひっ、ひいいっ!! 先輩がキレたっ!」
 両手をあげて、僕に襲いかかる篠之木先輩。僕はとっさに逃げた。
「こらーっ! 久遠寺ーーーーっっっ!!!! 待てっ! 待つのだあああああ!!!」
「待たないですーーっ! 僕はまだ死にたくないーーーーっっ!」
 僕は振り返ることなく一心不乱に駆けた。まるで世界最速の動物になったような気分だった。
「お前はいつもいつも肝心な時に私の邪魔ばかりして! 今日という今日は制裁を加えてやるうううううう!!!! うおおおおおおおお!!!!!」
 叫びながらもの凄い勢いで僕に迫ってくる篠之木先輩。目を血ばらせながら女子高生とは思えない走りで、どんどん僕との距離を縮めていく。
「ゆ、許して下さい先輩〜っ! 僕に悪気はなかったんです!」
「分かった、許す! だから止まるんだ久遠寺! 落ち着いて話し合いをしよう!」
 本当に? と思ってチラリと振り返った時の篠之木先輩の顔は、とても落ち着いているようには見えない顔で、人を5〜6人くらい殺しそうな殺気を放っていた。
「絶対許す気のない顔してますよ〜〜〜っっ!」
「久遠寺! 許す! 私は全然怒っていないぞ! 何もしないから待ってくれ!」
「嘘だああ! 止まったら殺されるううう!!!」
「殺しはしないっ!! ただ、もう二度と私に逆らえないように調教するだけだ! ほんの少し痛いだけだ! あと精神もちょっといじるだけ! だから安心しろ! 止まるんだ!!」
「まったく安心できませんよ! 精神いじるってなんですかっ!」
 ますますつかまるわけにはいかなくなった。だが……距離は離れるどころか縮む一方で、既に真後ろまで迫って来た声に僕は絶望を感じた。
 もう駄目だ――つかまる。そう思った時。目の前の建物の影から声が聞こえた。
「こっちよ! 久遠寺くんっ」
 聞き覚えのある声に、僕はとっさにその方向へと飛びこんだ。
「あっ。相楽さんっ?」
 僕の目の前に、さっきまで追っていた相楽早苗さんの姿があった。僕を呼んだのは相楽さんだったようで、彼女はうろたえてる僕の手をつかむと――。
「さぁ、早く逃げましょう!」
 と僕を引っ張って、くねくねと上手く人の波をかき分けながら路地裏の方に走って行った。
「さ、相楽早苗〜〜〜〜っ! 私の久遠寺を奪っていく気かああああ! 久遠寺は……久遠寺は私の所有物なのだぞおおおおお!」
 後ろから篠之木先輩の怨嗟の声が響いていたが、次第にその声は遠くなっていった。
 裏通りを右へ左へ行っているうちに、篠之木先輩は僕らを見失ったようだ。
 そして篠之木さんは、川沿いの橋の下の影になっている場所まで行くと僕の手を放した。
「はぁ……はぁ……こ、ここまで来れば大丈夫ね」
 篠之木先輩をまくことができた相楽さんは、肩で息をしながら微笑んだ。
「あ、ありがとう……また相楽さんに助けてもらっちゃったね」
 結構な距離を走って僕はもうクタクタだった。それにしても……相楽さんは虚弱そうに見えて意外と体力があるんだなあ。
「あ、あの……それより久遠寺くん。今日はどうしてここに? それも……篠之木先輩と一緒に」
 なぜか相楽さんは元気ないような声で呟くように言った。
 まさか相楽さんの後をつけていたとは言えないけど、僕は正直に答えることにした。
「うん。ちょっとオールハートイーター狩りに無理矢理付き合わされちゃって……」
「え……な、なにそれ?」
 予想通り、相楽さんはポカンとした顔をしていた。
「いや。正直僕にも全然分からないよ。たぶん篠之木先輩以外理解できないと思う。とにかくなんだかんだで、先輩の暴走を阻止したら逆ギレされて追いかけられたんだ」
「ふふっ……面白い」
 相楽さんは口元に手をあてて小さく笑った。
「だよね、滑稽だよね」
 僕は呆れるようにため息をつきながら呟いた。
「それで……相楽さんこそここで何してるの?」
 篠之木先輩じゃないけど、僕は相楽さんがお洒落な格好をして1人で繁華街をうろうろしているわけが知りたかった。
「う、うん……私はちょっと用事かな」
 相楽さんはぎこちなく答えた。何か知られたくないことでもあるのだろうか。
「用事って、一人で?」
「うん……あの。なんていうか。後で人と会う約束をしてたけど、早めに来てブラブラしてたって言うのかな……えと、そんな感じ。かな」
 ブラブラっていうか、何かを探しているみたいだったけど。……それより僕の脳裏にさっきの吾川君の姿がよぎる。ま、まさか……デート?
「……へ、へぇ。そ、そうなんだ」
 よく分からないけれど、相楽さんはなんだか困ったような顔をしてるし……あまり突っ込んで訊かないほうがいいのかもしれない。
「あ、あのっ……久遠寺くん」
 僕が苦笑いを浮かべていたら、相楽さんは体をビクリとさせて慌てて言った。
「えと、その……もしかしたら久遠寺君、誤解してるかもしれないけど……そ、そういうのじゃないのっ。わ、私はその」
「いや、えっと……誤解って、なにが?」
 弁解めいた相楽さんの言葉だけど、なんのことかよく分からない。つまりデートじゃないってことなのかな?
「……う、ううん。なんでもないの」
 しかし相楽さんは言葉を濁してこれ以上何も言わなかった。もじもじと、穏やかに流れる川を眺めている。太陽の光が川面に当たってキラキラと乱反射してるのを浴びた相楽さんの顔は、まるで妖精みたいだなって思った。
 それからしばらく沈黙が続いた。僕は黙って相楽さんの横顔を見ていた。なんて言えばいいのか、かける言葉が見つからなかった。結局僕は、なんだかんだで篠之木先輩との関係に慣れてしまっているんじゃないだろうかと、悲しくなった。
「ところで久遠寺君」
 声を出したのは相楽さんだった。
「な、なに」
「く、久遠寺くんは……私が何やってるか、気になりますか?」
 体をこっちに向けて、上目遣いで伺うように僕を見る相楽さん。
 相楽さんの質問の意図は分からないけれど……気になると言えば気になる。だって僕と篠之木先輩は、それで相楽さんの後をつけていたんだから。
「うん。そりゃあ気にならないって言ったら嘘になるかな……」
「え、ほ、ほんとに……?」
 なぜか嬉しそうに顔を明るくさせた相楽さん。
「うん。だってそんなにお洒落な格好をしてさ……眼鏡だってしてないし」
「今日はコンタクトなの。久遠寺くんは……コンタクトの方がいい?」
 いきなりよく分からない質問をされた。
「えーと……僕はどっちでもいいと思うよ。たいして答えになってないけど」
 普段通りの相楽さんでもお洒落してる相楽さんでも、別に僕には関係ないんだし。
「そ、そうなんだ。久遠寺くんは眼鏡でもコンタクトでも――つまり、いつものそのままの私がいいんだ……。私は、ありのままの自然体でいいんだね。久遠寺くん……優しいね」
「……えっ?」
 なんか曲解してる? ちょっと僕には相楽さんの言っていることが分からないんだけど。
「ねぇ、久遠寺くんは覚えていますか……?」
 相楽さんは僕のことなどおかまいなしに右へ左へ話題を転換させる。なんで急に敬語?
「覚えてるって何を……?」
 もちろん僕は覚えていない。
「私達が初めて会った時の事です」
「初めて……会った時」
 全然覚えていない。というか高校に入学して教室に行ってそこでクラスメイトとして会ったのが初めてだと思うんだけど。それに……これまでまともに話したことだってないし。
 僕が頭を捻って思い出そうと頑張っていると、相楽さんは。
「お、覚えてないんですか……」
 ちょっと悲しそうな顔になって瞳をうるうるさせた。僕、なにか間違ってしまった?
「えーと……うん。ごめんね」
 僕と相楽さんの間には特別なエピソードがあったとは思えない。僕が忘れているとしたら、それはいったいなんだろう。
「ううん。覚えてないならいいんです……そ、それより久遠寺くん」
「え、なに」
 また話題が変わるの? ここで変えられてもすごく気になるよ。話してくれないんだ?
「な、なんか今日はカップルが多いよね……や、やっぱり休日だからかな」
「まぁここは若者がデートするには手頃な場所だからじゃない? それがどうかしたの?」
「も、もしかしたらその……私と久遠寺くんが一緒に歩いていたら……やっぱりそういう風に見られるのかな……」
 相楽さんがモジモジと蚊の鳴くような声で呟いた。
 相楽さんはお洒落してるし、それにただでさえ僕と相楽さんは若い男女なんだ。思われてもおかしくない。
「つまりカップルってこと? そうだね……相楽さん、今日は可愛い格好してるし」
「かっ、可愛い格好っ!」
 相楽さんが驚いた顔をして、ぴくんと飛び上がった。
「あ……うん……もしかしたら、そう見られるかもしれないね」
「あっ……や、やっぱりそう見えるのかな。お似合いの、誰もが羨むカップル……きゃっ」
 相楽さんは顔を赤くして困ったように俯いた。一緒に歩いていて僕が彼氏だと思われたら困るっていう遠回しの表現なのかな。
「そ、そんなの……私達が熱愛カップルだなんて……新婚夫婦に見えるだなんて……」
 相楽さんはなんかトリップしたみたいに一人でぶつぶつ呟いているけど……僕、新婚夫婦とまでは言ってないんだけど……。どうしちゃったんだろ、相楽さん。
 あ。そういえば相楽さんは誰かと約束があるって言ってた。つまりその人に見られたら困るってことなのかな。だったら……やっぱり相楽さんはデートするつもりで来たってこと? やっぱり相楽さんは誰かと付き合ってる――?
 それだったら、このままずっと相楽さんといると彼女に迷惑がかかる。もしや相楽さんはそれが言いいたかったけど、優しいからなかなか言い出せなかったんじゃないだろうか。
「相楽さん。それじゃあ僕はこの辺で」
 助けて貰っておいて、これ以上相楽さんを煩わせるわけにはいかない。空気を読んで、僕はそろそろおいとましよう。
「え。久遠寺くん……もう、行っちゃうの」
 しかし相楽さんは、なんだか寂しそうな顔をしていた。僕を気遣ってそんな顔をとっさにできるなんてさすがだなぁ。
「ああ。でも相楽さんも用事があるみたいだし」
「う、うん……用事あるけど……えと、久遠寺くんはこれからどうするの。もしよかったらもう少し……」
 僕の耳には相楽さんがもっと僕といたいような感じに聞こえるんだけど……それは僕が都合良く解釈してるだけか。
「んー……僕は篠之木先輩を探そうかなぁって。もうそろそろ頭も冷えてると思うし、ほったらかしにして帰ったら後がもっと怖いからね」
「そ、そう……ですか。うん。頑張って、久遠寺くん」
 演技が上手いな、相楽さん。心の底から残念そうに肩を落としている。
「今日は相楽さんのおかげで助かったよ。ありがとう」
「う、うん……。あの。久遠寺くん」
 その場を後にしようとしたら、相楽さんが僕を呼び止めた。
「なに?」
 振り返った僕に、相楽さんは空元気のような儚い笑顔を向けて言った。
「ま、また学校でね」
 小さく僕に手を振る相楽さん。
「うん。それじゃあね」
 僕も手を振って、橋の下の影から出た。
 太陽の眩しさに目が眩みそうになって、僕はまた繁華街の方へと体を向けた。
 チラリと後ろを振り返ると、相楽さんはまだ橋の下にいて、僕に気付くと笑顔で手を振っていた。少し寂しそうな笑顔だった。

 その後。僕は繁華街を歩き回ったけど篠之木篠之木先輩と会うことはなかった。
 日が沈む頃、僕は諦めて家に帰ることにした。こんなことなら篠之木先輩の携帯番号を聞いておけば……いや、それはやっぱりいいや。
 夕日が傾く街並みを電車の車窓から眺めながら、僕は今日1日が意外と楽しかった事にびっくりした。
 それは相楽さんのおかげなのか、それとも……。いいや、帰ってゆっくり休もう。


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