喪女につきまとわれてる助けて

最終話 恋愛狩りのキューピッズ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2

 
 屈強な6人の暴漢を篠之木先輩に託した僕は、公園を出てがむしゃらに走った。橘さんはまだ遠くには行ってないはずだ。
 人通りの多い、広い通りに出た僕は、ようやくその姿を見つけた。
「い、いた……橘さんだ」
 このところ、何度もやっていたから追跡は慣れてしまったのだろう。あっさり見つけることができた。これで僕は絶対に彼女を見逃さない。
 本人にバレないように、こっそりとその跡をつけた。まぁ人が多いからバレる点では心配なさそうだけど、それ故に橘さんの姿が人混みの中に消えて何度も見失いそうになる。空もどんどん暗くなっているから余計に難しい。
 それでもなんとか橘さんを追っていると――ようやく彼女の足が止まった。
 ベンチと木々が等間隔に並ぶ歩行者専用の道路だった。周りは若者が行くような店が建ち並んでいる。
 その中に、ベンチに座っている1人の人物がいた。帽子を目深に被りサングラスをしていているけど、僕には分かる。彼は吾川君だ。
 橘さんは吾川君へとまっすぐに近づいていくと、彼女の存在に気付いた吾川君も立ち上がった。そして橘さんは先程僕から受け取ったボイスレコーダーを吾川君に手渡した。
 吾川君は手にしたボイスレコーダーを見つめながら橘さんと言葉を交わしていた。
 僕はできるだけ近くまで寄って、その会話に耳を立てることにする。
「ああ、相楽さんならとっくに解放したよ。というより監禁なんて僕がするはずないだろ? 僕は彼女のケータイを没収して、今日は学校を休んでもらってるんだよ。僕が本当に脅していたのは相楽さんなんだ。ケータイがその人質ってわけさ」
 その言葉からして、帽子とサングラスの人物はやはり吾川君で間違いない。
「つまり……ハッタリだったってわけなの?」
 さっき公園で話した時はうって変わって、不安そうな声で話す橘さん。
「まぁね。久遠寺君もこんな手に引っかかるなんて馬鹿だね、ほんと。あっはっは」
 人質は相楽さんではなくて、相楽さんの携帯電話だった――。
 ……よかった。相楽さんは無事だったんだ。最初から、誘拐なんてなかったんだ。心の底から安堵した僕は、あやうくため息を漏らしそうになった。
「で、でも本当にこれでいいの? これで来々夢はまっとうな生徒に戻れるの? 停学にまでする必要はあるのっ?」
 橘さんが吾川君に訴えかけた。その表情には悲壮感が浮かんでいる。こ……これは予想外の光景だ。
「そんなの分かりませんよ、篠之木先輩の問題なんですから」
「そ、そんな……アタシは来々夢の為だからって、く……来々夢がよくなるからって言われたからやってきたのに! 昔みたいにまともにしてくれるって……っ!」
 取り乱して叫ぶ橘さんは、僕が知っている橘さんじゃない。橘さんは篠之木先輩を嫌っていたんじゃないのか?
「落ち着いて下さい、橘先輩。そして勘違いしないで下さい。立場をわきまえて下さい。あなたは僕に脅されているんですよ?」
 吾川君はそう言うと、サングラスを外して橘さんを睨み付けた。
「やっぱり……アナタは初めから、自分の目的の為にアタシを利用していたのね。来々夢のためだと言ってたのも――全部嘘だったのね」
 橘さんはぐったりと脱力して、諦観の混じった声をあげた。
「……気付いてたんですか?」
 吾川君は鋭い視線を橘さんに向けたまま、サングラスを胸ポケットにしまった。
「そりゃあね。アタシだって馬鹿じゃないわよ。仮にも風紀委員長やってるんだから」
「ははは、でもあなたは騙されてると分かっててもオレのいいなりになってきた。オレの駒に成り下がるしかなかった。だったら一緒だ――橘先輩は馬鹿だ」
「……それは、どうかしらね」
「はは。負け惜しみを……もう知っていたんなら話は早い。それでは先輩。さよならです。ああ……分かってると思いますが、学校ではもうオレに話しかけないで下さいね」
 橘さんはもう用済みとばかりに、下卑た笑顔で手を振る吾川君。
「あなたはこのままで……済むと思うの?」
 負け惜しみのように恨み言を放った橘さん。
「オレの前に立ちはだかる存在は全て排除する。篠之木来々夢だってもう怖くない。オレには強力な協力者がいますから。とても信頼できる、尊敬できる人ですよ」
「な……助っ人ってなんなの……来々夢に何をするつもりなの……」
「何をするつもり――か。ははははは! 時既に遅しですよ、橘先輩! あはははっ、いまごろ篠之木先輩はどうなっているだろう! アイツらにボコボコにされたか、それとももっと酷いことになってるか!」
 下卑た笑いがどんどん醜悪になっていく吾川君。
「そんな……そんな……来々夢」
 橘さんの瞳からは生気が消えた。
「橘先輩。あなたも自分の身が可愛かったらオレに関わらない方が身のためですよ。ああ、もちろんこの事は誰にも言っちゃいけませんよ。じゃあね」
 吾川君は、茫然と立ち尽くす橘さんにそう告げると、歩き始めた。
「まっ……待つんだ、吾川君――」
 僕は2人の前に姿を現した。吾川君をこのまま逃がすわけにはいかない。
「く、久遠寺っっ!」
「久遠寺くん……?」
 吾川君は驚いた顔をして、橘さんが虚ろな顔で僕を見た。
「ちっ……あとをつけられていたなんて……ホント使えない人だ。橘先輩も」
 吾川君は帽子を脱ぎ捨てて橘さんを一瞥した。
「吾川君……」
 僕は今にも崩れ落ちそうな橘さんの傍まで行くと、すっかり人格の変わってしまった吾川君に向き合った。
「おいおい久遠寺君。なんだいその目は……? まるで僕の事を敵対するような目じゃないか」
「敵対しているんだよ。吾川君……君は嘘まで吐いて、大勢の人を傷つけてまでたくさんの女の子と同時に付き合ってる。そこまでしなきゃいけない理由はなんなんだい?」
 相楽さんに篠之木先輩に橘さん……吾川君はたくさんの女の子を傷つけた。彼は……中学の時はこんな人じゃなかったはずだ。どうして……。
「愛は自由であるべきだ。好きという自分の気持ちを大切にしている。愛をかけがえのないもと考えている。現にこの世の中、愛が絶対的に素晴らしいものだと誰もが言っている。愛は何にも勝ると誰もが疑わない。愛を憎む方こそが悪なんだ。そして僕はその愛を崇拝している。自分の愛の気持ちに正直に生きているだけだ。それの何が悪い?」
 開き直った吾川君は挑発するように鼻をならした。
「それで女の子を悲しませる事になってもかい?」
「それも貴重な人生経験だよ。たとえ悲しむ結果になったとしても、その恋を経験する事でその娘にとって成長する機会を与えたんだから、僕はむしろ褒められてもいいと思うんだけどねぇ」
「なんて自分勝手なことを……吾川君、残念だよ。君がそんな風に変わってしまって」
 ……彼がこうなってしまったのには原因があるはずだ。僕は中学の時から彼とは友達だった。なにが……何があったんだ、吾川君。
「……ちげぇよ。僕は何も変わってねーよ。元々こうだったんだよ。ただ、抑えていた自分が馬鹿らしくなっただけだよ」
 吾川君の声は震えていた。
「いいや、馬鹿なのは今の君だよ。僕は友達として、君を止める!」
 僕は拳を握り、吾川君を強く睨んだ。
 すると、吾川君は本性を現した。
「――一時でも夢の時間を与えてやったんだよ! 感謝こそされても、君がオレを憎む権利なんてどこにもねえよっ!」
 いつも僕と接していた彼は、仮面を被っていたんだ。その仮面が今、外れた。
 だけど僕は、一歩だって引かない。
「吾川君の言うとおり、確かに夢だね……正真正銘、全部が全部、偽物だ。ねえ……吾川君。君にいったい何があったんだ? 何が君を変えてしまったんだ。君が愛に盲目になっているっていうのなら……だったら僕はキューピッズとして、君を悪い夢から醒めさせるっ!」
 僕は力強く叫んだ。
「だからなんで久遠寺がオレの生き方を否定するんだよぉ。なんの権利が……」
「――だって僕は君の親友だ。それで充分かい?」
 ピタリと、吾川君の表情が固まった。
「は……はは……あははは。この期に及んでまだハッキリそう言えるところが君の凄いところだよなぁ、久遠寺くん。君が篠之木先輩から認められている理由も分かるような気がするよ。……分かった。だったら好きにしたらいいよ。でも具体的にどうするつもりなんだ? 僕を説得するかい? 大事な証拠はもう僕の手の中だァァッ!」
 吾川君はボイスレコーダーを見せびらかすように前に掲げた。
 確かに吾川君の言うとおり、僕の手にはもう証拠はない。だったらどうする? 吾川君に関しては暴力では何の解決にもならないだろう。そもそも僕に喧嘩なんてできない。
 僕が言葉を見失っていたとき、僕の後ろに隠れるようにして立っていた橘さんが唐突に声をあげた。
「証拠ならここにあるわ」
 生気を失ったかすれた声。
「は……? 何言ってるんだ橘先輩。あんたはもう用済みだって言ったでしょ? ドロップアウトした駒がいつまでも舞台に立っていられちゃ困るんですよ」
 だが、吾川君の突き刺さる言葉を無視して、橘さんは僕の元へとやって来た。
「……久遠寺くん、これを受け取って」
 そして橘さんは弱々しい動きで、僕に黒っぽい機械のようなものを手渡した。
「これは……」
 それはとても見覚えのあるものだった。それは――僕がさっきまで持っていたものだった。
「こ……これは……なんだっ。な、なんでこれがっ!」
 様子を見ていた吾川君がそれに気付くと、自分の手にあるボイスレコーダーと――僕の手に渡ったボイスレコーダーを見比べた。
「これは、さっきアタシが久遠寺くんから受け取ったボイスレコーダーよ」
 橘さんは吾川君をキッと見つめてそう答えた。
「な、に……じゃ、じゃあオレが持ってるこれは……」
「だからアタシも馬鹿じゃないって言ったでしょう? それは予めアタシが用意していたダミーよ」
「……な――ん、だとおおおおおおおおおっっっ!?」
 さすが橘さんだ。僕はてっきり彼女を敵だとばかり思っていた。だけど……話しておいてよかった。頼ってよかった。相楽さん……君の言う通り、橘さんは信用できる人間だった。
 なら――作戦はまだ生きている。橘さんが僕の思っている通りの人なら、きっと上手くいく。
「久遠寺くん……あとは頼んだわよ」
 橘さんが眼鏡の奥の瞳を和らげて言った。
 ああ、いける。あとは僕が――吾川君を倒すその計画を発動させるだけだ。
「これで僕の勝ちだ、吾川君……」
 僕はそう言って、ボイスレコーダーの再生スイッチを押した。
『――相楽さん、君を僕の初めての彼女にしたい。他の誰よりも君が好きなんだ』
 聞いていて鳥肌が立ちそうな内容の声が聞こえてきた。吾川君の声だった。
「お、お前……久遠寺ぃ。これは……この声はぁ……」
 吾川君は顔中に汗を垂れ流して目を見開いている。
 よし。うまくエサに食いついた。ここからが重要だ。これから僕は吾川君を倒し、そして――みんなを救う。
 僕は大きく息を吸って、覚悟を決めた。
「さぁ、吾川君……色々言いたいことはあると思うけど……いま君がやるべきことは1つじゃないのかい?」
「久遠寺……それを、それをオレに渡すんだ……さ、相楽さんがどうなっても……」
「相楽さんは初めから無事なんだろう? 能書きはいいよ、吾川君。……これが欲しかったら、僕をつかまえてみろよ」
 そして僕は――全力で走った。


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