喪女につきまとわれてる助けて

最終話 恋愛狩りのキューピッズ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 時刻は午後4時半を過ぎたところ。僕と篠之木先輩は電車に乗って繁華街に来ていた。この場所に来るのは、あの休日の日以来だった。
「それで吾川澄志との取引に使う証拠物とはなんなのだ?」
 隣を歩く篠之木先輩は真っ直ぐ前を向いたまま言った。日の光を浴びる彼女の肌は、とても白かった。
「それはこれです」
 僕はポケットから小型の機械を取りだした。昨日相楽さんから受け取ったものだ。
「これは……なんだ?」
「ボイスレコーダーです」
「ああ、なるほど……。録ってたのか、吾川澄志の下劣な言葉を」
「そうです。相楽さんが隠し持ちながら吾川君との会話を録音していたんですよ」
「そうか……。吾川澄志にしてみれ、それは何があっても消したい物的証拠だということか……ふぅむ」
 篠之木先輩はなぜか得心いかないといった顔をして、顎に手を当てて何やら考えていた。
 自分の浮気性な言葉が録音されたボイスレコーダーを取り返すために相楽さんを人質にした――。篠之木先輩は、吾川君の行動の何に引っかかっているんだろうか。
「そこまでするのなら、なぜ奴はこんなにも大胆に行動する……まるで自分から罠にかけてくれと言わんばかり……データならコピーされる危険もあるのに……いや、ならば証拠なんかどうでもいいのだとしたら……なら奴の目的はなんだ……私は何か大きな見落としをしているのか……もしかすると……背後にもっと大きな何らかの存在が……」
 篠之木先輩は不気味にぶつぶつ独り言を呟いていた。
 道を歩くカップルや、友達同士のグループやらが奇特な目で僕達を見ている。さすがにちょっと恥ずかしいので僕は篠之木先輩に尋ねてみた。
「篠之木先輩、何か納得できないことでも――」
「どうせお前には分からないよ久遠寺。黙って歩いとけ」
 キッパリ僕をはねのけた篠之木先輩。僕を無視してマイペースに歩く篠之木先輩は、どうやらすっかりいつもの調子に戻ったようだった。
 ちょっと悲しい反面、不覚にも僕はちょっと嬉しい気持ちになっていた。だけどそんな感情は気のせいだと自分に言い聞かせ、僕は黙って歩き続けて――ようやく公園に到着した。
「着きました。ここの公園で取引するそうです。ここでボイスレコーダーを吾川君に渡す。それで相楽さんは解放されるみたいですが……」
 繁華街だというのに、ここは人気のない公園だった。というか僕と篠之木先輩以外誰もいない。さらに公園なのに遊具もろくになく、あるのはシーソーと、動物をかたどった椅子のようなものだけで……あとはところどころ雑草が生えた土が広がってるだけだった。小さな公園の周りは古い建物に囲まれていて、人目にもつかなさそうで気味が悪い。
「なるほどな……ここなら人目につかず取引をスムーズに行えるし、久遠寺から証拠を受け取ったらすぐ人ゴミに紛れてそのまま逃げるつもりか……恐らく私の存在を警戒してのこと。それならどうして私まで呼ぶ必要がある……もしや目的は私だとしたら……」
 篠之木先輩はますます険しい顔をして腕を組んだ。
 その時、公園の入り口から1人の人物がやってくるのが見えた。僕はその人間が吾川君であるものだと思い込んでいた。けれど違った。それは予想外で悲しくなる事実だった。現れたのは――。
「さぁ――渡して貰うわよ。アナタが昨日受け取った物を」
 現れたのは僕達の通う高校の制服に身を包んだ少女。ショートカットの髪に知的そうな銀縁の眼鏡をかけたきつそうな性格のその少女は――風紀委員長、橘織香さんだった。
「た、橘さん……どうして」
 今日の昼休みに助けを求めて情報を包み隠さず話したばかりだというのに……僕は橘さんの登場にショックを受けた。
「あら、アタシはあなたに協力するとは言ってないわよ。ただアナタの話を聞いただけ」
「……やっぱり、あなたと吾川君は手を組んでいたんですね」
 僕は橘さんを信用していた。けれども信用しきれない自分がいたのも確かだ。残念だけどその予感はしていたんだ。計画は……失敗だ。
「フン……久遠寺よ。だから私は言ったんだ。風紀委員長は信用できない。関わらない方が身のためなんだ」
 篠之木先輩がぎっと橘さんを睨み付けて言った。
「あら、ひどいわね篠之木来々夢。私達、小学校の時からの付き合いじゃない」
 橘さんは篠之木先輩を挑発するようにおどけた声をあげた。
「たまたま一緒だったというそれだけだ。どうせ吾川澄志の使い走りで来たのだろう? 自分は安全な場所で隠れているのか……。どこまでも卑怯な男だ……吾川澄志」
「慎重なだけよ。またアナタに殴られちゃうのが怖いのよ。そういうわけで――見たとおり相楽早苗さんもここにはいないわ。無事に吾川君に例の物が行き渡ったら、その時に彼女は解放されるわ」
 さぁ、どうする? と言って、橘さんは僕を見た。
 ここは完全に橘さんのペースだ。言う通りにする以外に展開を進める術を知らない――橘さんの言葉に従う他にないのか。
「篠之木先輩、どうすればいいでしょう……」
「相楽早苗から受け取ったのはお前だろう。お前が私にした時のように、お前がいいと思う決断をしろ」
 普段なら僕を引っ張ってくれる篠之木先輩が、僕に判断を委ねた。
「……分かりました。今から渡します」
 僕は大人しくボイスレコーダーを橘さんに渡すことにした。
「物わかりいいわね、ありがたいわ」
 橘さんは悠然と僕に近づいてくる。
「…………」
 篠之木先輩は黙って僕と橘さんを見くらべていた。
 否応なく心臓の鼓動は早まる。
「ほら。相楽さんから受け取ったものを渡しなさい」
 僕の目の前で立ち止まった橘さんが右手を差し出した。
「はい……これです」
 僕はポケットに入れていたボイスレコーダーを取りだして、橘さんに手渡した。 
「なるほど……ボイスレコーダー、ね……他にはもうないの?」
 しげしげとボイスレコーダーを眺めて橘さんは僕に訊いた。
「ええ、これだけです。中身が偽物だったりデータをコピーしたりはしてませんので安心してください」
「そんな言葉で安心はできないと思うけどアタシの役目は運び屋だからね……うん、確かに受け取ったわ。これで取引は完了。あと……アナタ達はアタシが公園を出た後もしばらくはここに残っておくこと。そうしないと相楽さんは解放しないそうよ」
 恐らくは尾行を警戒してのことだろう。なんとも用意周到だ。これも全部、吾川君が1人で考えたことなのだろうか。いや……なにか、違うような気がする。
 橘さんは僕達から距離をとって、公園の出口へ向かう。
「た、橘さん……あなたは吾川君に味方するんですか? それで……いいんですか」
 僕はその背中に問いかけた。
 振り返った橘さんの姿は、儚げに見えた。
「……アナタには何も分からないわよ。……それじゃあね、久遠寺くん。そして篠之木来々夢……」
 そして背中を向けて公園から立ち去った橘さん。
 公園には再び、僕と篠之木先輩だけになった。
「……篠之木先輩。追いましょう。見失わないうちに」
 僕は篠之木先輩に顔を向けて提案した。きっと橘さんは吾川君の元に行くはず。こっそりと見つからないように追えば大丈夫だ。
 だけど篠之木先輩は――。
「いいや、久遠寺。どうやらそれは無理そうだな」
「な、なんでですか。先輩らしくないですよ」
「そういう事じゃない。ほら、あれを見ろ――」
 と言って篠之木先輩は、公園の入り口を指さした。
「……あれは」
 そこには、まるで橘さんと入れ替えになるように、1人の男が公園の中へと入ってくる姿があった。
「マジであいつの言った通りだ。こんなトコでまた会えるなんてなぁ……メスガキぃ〜」
 怒りを露わにするその男は僕達の前まで来ると、嫌らしい笑みを浮かべて言った。
「よう、この前は世話になったな。お嬢さん〜」
 誰だ? 体つきのいい、大学生くらいの男だけど……いや、なんだか見覚えがある気がする。篠之木先輩の知り合い?
「失礼だがお前、誰だ? 私達は忙しいのだがな」
 だけど篠之木先輩は知らないらしい。
「ちっ! オレなんかの事は記憶にないってか! お……オレはこの間からお前の事をずっと考えて過ごしてきたよっ! オレはな、お前のせいであの女と別れることになっちまったんだよ! せっかくあの娘いい体してたってのによおおおお!!!!」
 男の咆吼で僕は思い出した。あれは、この前公園で篠之木先輩に気絶させられた大学生風の男。篠之木先輩のカップル狩りで犠牲となったボクシング部の男だ!
「何を言っているのだ? 私はお前を知らないぞ」
 ……だが篠之木先輩のはまだ思い出せないらしい。記憶力はいいはずだけど、関心のないことについてはすぐ忘れてしまうのだ。
 僕はゴクリと唾を飲んだ。男はすぐにでも爆発しそうな程に目を血ばらせている――が、しかし、男はふと冷静になって口元をにやりと引きつらせた。
「覚えてないならそれでいい。じっくりと思い出させてやるだけだ。実を言うとな……今日はテメェからもらったアドバイスを参考にして、仲間を連れて来たんだぜぇ」
 男が下劣に笑うと、片手をまっすぐ上にあげた。すると、今までどこに隠れていたのだろうか。公園のあちこちから人影が姿を現した。
「仲間のボクシング部員達だ。テメェの忠告どおりに5人連れてきたぜ?」
 どれもこれも体が大きく、筋肉の発達した男達だった。それが僕達の周りに集まる。
「くっくっく。このほっそりした女の子にやられたってマジすか、先輩〜〜〜」
「うわ、オレめっちゃ好みなんですけど。すっげー可愛い〜〜」
「でもこう見えても先輩がやられるくらいだ。油断するなよ」
「可愛がってあげるからね〜。ぎへへへぇ」
 この前倒した男を含め、僕達を取り囲んだ6人の屈強そうな男達は、僕のことなんか眼中にないらしく、全員が篠之木先輩を見つめていた。
 怖い。どうしてこんなことになった。なんでこの前のボクシング部の男がここにいるんだ。なんで仲間を連れてここにいるんだ。まるで……待ち伏せしていたように。まさか……そんな。
 僕が恐怖で身がすくむ。怖い怖い怖い怖い怖い。
「――ここは私に任せろ、久遠寺。今なら間に合う。お前は橘織香を追うのだ」
 僕が震えていると、隣に立つ篠之木先輩が僕の手をとって言った。
 僕はいつも怯えていた篠之木先輩の声に、今は不思議と心が安らいだ。
「で、でも先輩……」
 6人の男達に囲まれて1人で切り抜けるつもりなのだろうか? しかも相手はボクシング部員だ。
「おいおい、彼氏〜。まさか女の子を置いて1人で逃げるのか〜?」
「みっともないね〜。彼女に守ってもらうなんてさ〜。ぎゃはははは!」
「別にオレ達はテメェみたいなクソには興味ないからさ〜。逃げたかったら惨めにシッポ振ってさっさと消えろよ。目障りだからさ〜」
 男達は大げさに僕を嘲笑する。僕は情けないけれど……悔しいよりも、怖い気持ちの方が勝っていた。だ、誰か助け――。
「クソは貴様らの方だああああああっっっ!!!! こんなか弱い美少女に対して貴様らは卑劣にもよってたかって襲おうというのかあああっ!? 貴様らは既にウンコ以下の存在だ! もう何の言い訳も聞かない! そこに一列に並べええええええ!!!!」
 篠宮先輩が吼えた。
「せ、先輩……」
 あまりの迫力に、色々あるツッコミどころも吹っ飛んだ。
「心配するな、久遠寺。私を誰だと思っている。私は私ができることをする。それだけだ。そしてお前はお前ができることをやればいいのだ」
 そして篠之木先輩は、慰めるように僕の背中を押した。
「はい……気を付けてください、篠之木先輩」
 僕は知っている。篠之木先輩がこんな奴らに負けないってことを。だから僕は、まっすぐ前を向いたまま、篠之木先輩から遠ざかった。
「ふ……それでいいんだ。久遠寺」
 篠之木先輩は、滅多にみせない笑顔を浮かべた。
「マジかよ。逃げるのかよ! 情っけねえ!」
「しょんべんチビって一生ママのスカートに隠れてろ」
「ぎゃはははは!」
 僕はもう男達の言葉が気にならない。ここは、僕とは関係のないシーンなのだ。
 僕は篠之木先輩を信じて走った。後ろは振り向かない。僕がここにいても役には立たない。僕は、僕にしかできない事をやりに行くんだ。
 僕の背後から篠之木先輩の声が聞こえた。
「貴様ら、覚悟はできているだろうな。ああ……できているからここに立っているんだもんな。お前らなんて本当はボクシングなんて全く興味なくて、合コン行ったときに女ウケするってだけでボクシング部なんだろう!? 練習なんて全くしてないんだろっ!? そんな奴らに私が負けるかっ! 私はいま機嫌が悪いんだ! だから――手加減はしない!」
「はぁ? なに言ってんだ、ガキ。立場をわきまえ――うぎゃぁあっ!」
 男の悲鳴と、何かが炸裂する衝撃音が聞こえた。
「私はいつも久遠寺を馬鹿にしているがな……私以外の人間で、私の久遠寺を馬鹿にする奴には――地獄を見てもらうっ!」


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