喪女につきまとわれてる助けて

第4話 安息の日々と解放

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 翌日、僕は気もそぞろに学校に行った。
 落ち着かないからって早く来たせいか、教室にはまだクラスメイトが数えるほどしかいなくて、僕の目当ての2人の姿もなかった。
 それから僕は席に座って教室の入り口の方をずっと見ていた。だけど2人はどちらも来る気配がなく――そのまま予鈴を告げるチャイムが鳴った。
 とうとう僕は――相楽さんと吾川君の姿を確認することができなかった。
 授業中も僕は気がそぞろじゃなかった。正直授業どころじゃなかった。
「…………」
 あの後、2人になにがあったのだろうか。
 相楽さんが吾川君を探っていたことは、恐らく本人にバレただろう。
 望ましいのは本人に連絡して訊きたいところだけど……残念ながら相楽さんの連絡先は知らないし、吾川君は電話しても繋がらなくてメールしても返事が返ってこなかった。
 って……なんだよ。僕がやってることって、これじゃあまるで篠之木先輩じゃないか。せっかく篠之木先輩の呪縛から逃れられたというには僕は何を……。成り行きとはいえ、僕がここまでやる必要があるのか。
 いくら吾川君と相楽さんのためだからって、話は予想以上に大きくなりすぎてしまった……もう僕の手に負える範疇じゃないのは明らかだ。ここが引き際なんだ。
 それにどうせ……僕がやれる事なんて何もないんだ。相楽さんと吾川君に何があったか分からないけど……明日になったら学校に来るだろう。僕はことが終わるのを待っていればいいんだ。
 僕はそんな自分勝手な結論で無理矢理自分を納得させて……そして4時間目の授業が終わって昼休みになった。
 昼休みを告げるチャイムが鳴り終わった直後に、吾川君からメールが届いた。
『やぁ久遠寺くん。昼ご飯食べてるかい? もう分かっているけど、今日僕と相楽さんは学校に来ていないよね。でもなんで相楽さんの事まで僕が知ってるかだって? それは相楽さんが僕の手中にあるからだよ。つまりね……相楽さんは預かった。返してほしくば、ってやつだ。質問は受け付けない。日時や場所、詳しい内容は後ほどメールするよ』
 吾川君からのメールを読んだ僕は、しばらく茫然とせざるを得なかった。
 それは、テレビドラマでしか見ないような脅迫状を読んだからではなかった。
 それは皮肉にも、そのメールによって僕の迷いが断ち切れたからだ。
 僕が篠之木先輩や相楽さんのように――まっすぐ道を進むことを決意したからだ。
 今夜、僕はこの事件に決着を着ける。キューピッズとしての僕が、初めて愛を砕くために戦う時がきた。
 僕はケータイをしまってから大きく息を吸うと、席を立って教室を出た。


「橘さん――話があります」
 風紀委員室に入ると、そこには都合のいいことに風紀委員長の橘織香さんただ1人だけがいた。
「なにかしら? 篠之木来々夢の停学が解けるのは明日よ? 鬼が帰ってくるまで久遠寺くんは、残り少ない穏やかな学生生活をエンジョイしてなさいよ」
 机に向かって何やら書類の束と格闘していたらしい橘さんは、目だけを動かして僕を見つめると、冷たい声で言い放った。
「いえ、そうじゃないんです。実は……橘さんに手伝ってもらいたいことがあるんです」
「手伝うってなにを? 私はこう見えても……っていうか、見ての通り忙しいの。あなたの役には――」
「オールハートイーター……いえ、吾川澄志君の件についてです」
 僕がキッパリとそう言うと、橘さんは手に持っていた書類をゆっくりした動作で机に置いて――顔をあげた。
「そう……。なら話だけでも聞こうじゃないかしら」
 橘さんは余裕そうに口元を緩めていたけれど、その瞳は真剣なものであった。
 だから僕は、橘さんを信用することにした。僕は昨日相楽から受け取ったものを取りだして、僕の知っていることを語った。
 そして僕は――吾川君を倒す為の作戦を橘さんに説明した。


 橘さんとの話を終えた僕は、午後の授業をサボって学校を出た。こんな事をするなんて初めての経験だけど、なんだろう。罪悪感とかは感じなくて……むしろ、とてもいい気分だった。約束の時間まではまだ充分時間はある。僕はそれまでの間にやっておかなければいけない事がある。
 夏も近づく暑い日差しの中、僕の足は目的地に向かってまっすぐ進んでいた――。
 それにしても、吾川君のメールにあった『相楽さんは預かった』とはどういう意味だろう。まさか本当に誘拐しているとは思えない。だってそれじゃ本当の犯罪者だ。
 でも相楽さんが学校に来ていないことを吾川君は知っていることは確かだし、相楽さんを何らかの方法で拘束していると考えていい……。
 その後吾川君から来たメールには、僕が昨日レストランで相楽さんから預かった物を吾川君に手渡せと書いてあった。さらに、理由は分からないが、取引には篠之木来々夢も連れてこいとあった。そうすれば……相楽さんは解放される。
 ……篠之木先輩を同伴させる意味は分からないが、僕が受け取った物はそれだけ彼にとっては重要なもので、手に入れないといけないものらしい。
 つまりは――これが僕の武器となる。そうだ。僕はただ吾川君の思い通りにことを運ばせるつもりはない。きっと相楽さんもそう思っている。今まで頑張ってきた相楽さんの意思を無駄にするわけにはいかない。相楽さん……君の勇気を貸して貰うよ。
 今の僕が考えることは――無事に相楽さんの身を解放して、そして吾川君の悪事を暴き二度と彼が行き過ぎた恋愛をしないよう完膚無きまでに倒すこと。
 だけどそのためには、篠之木先輩の力が必要だった。
 いや……それはただ単に吾川君が連れてこいと言っていたからじゃない。僕は思ったんだ……このままじゃきっと吾川君を倒すことができないと。
 これは気持ちの問題だ。僕は篠之木先輩とのわだかまりを解決して、その上で全てに決着を着けたかった。このぐだぐだした気分のままでは絶対に作戦は上手くいかない。
 だから、きっと吾川君に言われるまでもなく僕は篠之木先輩を連れて来ただろう。だって恋愛中毒者を倒すのは、篠之木先輩の役目なのだから。
 だから僕は――。
「先輩、この前はすいませんでした。大切なお話があるんです。だから、中に入れてくれませんか」
 僕は篠之木家の前に立って、インターホン越しに頭を下げていた。
「……1分だけ聞いてやる、入れ」
 インターホンから篠之木先輩の声が聞こえて、玄関の扉が開いた。


「そういうわけです。篠之木先輩……どうか僕に力を貸してください」
 部屋に通された僕は、もう一度篠之木先輩に頭を下げて、今僕が置かれている状況を事細かに説明した。
 そして僕の説明が一段落すると、篠之木先輩は。
「ふん、約束の1分はとうに超えているぞ。それで……話はそれで終わりか、久遠寺。だったらもう帰れ」
 僕の顔を見ようともしないで捨てはいた。
「せ、先輩……」
 篠之木先輩はまったく聞く耳を持ってくれない。まだ僕に対して怒っているんだろう。
「昨日私が言った言葉をもう忘れたのか? お前の顔は二度と見たくない。消えるんだ」
 篠之木先輩は部屋の扉を開けて、出て行くように促した。
「待って下さい篠之木先輩! もう少し考えてください! 先輩の力が必要なんです!」
「私に構うな。お前が1人でやればいいだろう。お前だって私の顔は二度と見たくないんだろう?」
「だから……それは謝ります。昨日は勢いに任せて、思ってもない言葉を口にしてしまいました。ごめんなさい」
「果たして本当にそれが思ってもない言葉なのかな? フン、お前がそこまでして大嫌いな私の力を借りたいとは……そんなに学級委員長のことが大切だというのか」
 篠之木先輩は軽蔑するような口調で言った。だがその瞳の奥は少し悲しげに見えた。
 そもそもなんで篠之木先輩は僕を遠ざけるようになったんだ。なんで篠之木先輩は拗ねた子供みたいになってるんだ。わけが……分からないんだよ!
 どうしても僕の言葉を分かってくれない篠之木先輩に対して、僕は次第に感情が高ぶってしまう。
「な、なんでそこで相楽さんがでてくるんですか。そういう問題じゃないですよっ。なんで先輩は僕のことを避けるんですかって話を――」
「だって私はお前のことが好きだからだっっっっ!」
 篠之木先輩は、まくし立てる僕の言葉を遮り――叫んだ。
「……え?」
 僕はぽかんとなった。好きって……それは。
「あっ、いや……好き、なのかも、しれない……」
 茫然とする僕を見て、篠之木先輩は視線を逸らして慌てて言い直した。
 ……好きだって? 篠之木先輩が僕のことを好き? それは以前橘さんも言ってたことだけど……まさかそんな事はないと思っていた。だけど本当だったんだ……。だ、だから篠之木先輩は僕のことを避けていたというのか?
 これがいつもの僕だったら、きっと動揺して何も言えなかっただろう。気まずい気持ちで立ち去るしかなかったろう。でも。
「だ、だから……篠之木先輩が僕を好きだったら、何が駄目なんですかっ?」
 僕は僕を乗り越えないといけない。いつもより一歩、足を前に踏みだすんだ。
 篠之木先輩は普段よりも強く出る僕の態度に、意外そうな顔をして……その顔はどんどん赤くなっていった。
「だ、駄目じゃないか。だって私は愛の敵なのだ。そんな私がこんな感情を持つなど……」
「どういうことなんですか、それは」
 モジモジする篠之木先輩に、それでも僕は容赦なく問いただす。
 僕の一貫した態度に、篠之木先輩も正面から僕に向き合う。
「わ……私はカップルが憎い。恋愛を憎悪している。それは昨日お前に言っただろう。……私は恋愛とは無縁の人間なんだ。誰かを好きになってはいけないのだっ。そうじゃないと……いったい今までの私はどうなってしまうっ。私は何の為に戦ってたのだっ」
 篠之木先輩はまっすぐ僕に向かって自分の考えを伝えた。
 誰かを好きになってはいけない――。そんなことを決めつける権利は誰にもないのに、彼女は自分で自分を縛りつけている。自分がやってきたことを否定するのが怖いから。
 これが彼女の生き方。これが彼女のアイデンティティー。
「だから久遠寺。お前は帰れ」
 篠之木先輩は僕に背を向けた。
 馬鹿だ……先輩。あなたはなんて馬鹿なんだ。彼女は気付いていないんだ、恋愛とはどういうものかを。だから僕は言わねばならない。篠之木先輩に対する思いを。僕が篠之木先輩に対して感じてきた本当の気持ちを。
「だったら大丈夫ですよ、先輩。やっぱり先輩は僕と一緒に吾川君を倒しに行くべきです」
「……は? お前は私の話を理解していないのか?」
 振り向いた篠之木先輩の顔はとても凶悪だった。僕はその顔がとても怖い。それは僕が初めて篠之木先輩に会ったときからずっと感じてきた印象だ。
 だからこそ僕は安心した……なら、やっぱり大丈夫だ。篠之木先輩の恐れは杞憂だ。
「これからも世の中の乱れた風紀を正すために、2人でまた戦っていきましょうよ」
 僕は篠之木先輩に手を差し伸べて、微笑んだ。
「はぁ? わ、わけが分からない……」
 篠之木先輩は顔をますます赤くさせて、顔をしかめさせて困惑しきっていた。
「き、きき聞いてなかったのか。私はお前のことが……す、すすす……好き……なのかも、しれないんだ……ぞ?」
 普段の篠之木先輩からは考えられない態度。もしかして、本当に篠之木先輩は僕のことを好きなのかもしれない。いや……たとえそうだとしても。
「いいえ、それはきっと――先輩の気のせいですよ」
 僕は笑顔のまま言った。
「え? 気のせい……?」
 篠之木先輩は首を傾げて口をあんぐり開けて、高ぶっていた感情が一気に抜けたような顔をしていた。
「そうですよ。何言ってるんですか、篠之木先輩。先輩が人を好きになるわけないじゃないですか。先輩は世のカップルを撲滅させる戦士なんでしょ」
「え……いや……でも現に私は……その」
「たとえ先輩がどうであっても……少なくとも僕は篠之木先輩が嫌いです。何があっても篠之木先輩を好きになることはありません。だから安心してください」
 僕はこれ以上ないくらいきっぱり言い切った。
 篠之木先輩は僕の発言に、一瞬茫然とした。悲しむというよりも呆気にとられた顔だった。
「……で、でも私が久遠寺をす……好きだったら……その……支障がでるというか」
 篠之木先輩は口をまごつかせながら口答えした。
「それなら心配しないでください。もし篠之木先輩が、たとえ万が一にでも僕を好きになったとしても――その時は、僕が先輩を粛正しますよ」
「く、久遠寺……」
「僕の粛正は怖いですよ。たまりに溜まった篠之木先輩への恨みがこもってますからね」
 僕は拳を握りしめて、わざと意地悪く口元をにやつかせた。
「そ……そうまでして、お前は私と一緒に……どうして」
「簡単ですよ。僕1人の力では吾川君……いえ、オールハートイーターは強力すぎて倒せないからですよ。変な勘違いはしないでくださいよね。先輩のためじゃないですから」
「……なら、どうしてお前は吾川澄志を止めようとするのだ……相楽早苗のためか?」
「ふ……愚問ですね、先輩」
 僕は不敵に微笑んで、胸を張って答えた。
「だって僕達は――熱愛カップルも黙る、天下のキューピッズなんですよ? そこに愛がある限り、立ち向かうのが僕達なんじゃないんですか?」
 確かに僕がやっていることは間違いかもしれない。僕自身の首を絞めているだけかもしれないし、篠之木先輩がまともになるチャンスを潰そうとしているのかもしれない。
 だけど――今の篠之木先輩を見ていたら、こうするのが一番いいように思ったんだ。
 たとえイジメられても、つきまとわれても、僕は普段の篠之木先輩の方が篠之木先輩らしいと思った。僕は先輩の保護者じゃないんだ、成長は自分のペースでゆっくりしていけばいい。とりあえず今は……篠之木先輩はいつもの篠之木先輩でいいのだ。
「ふっ……ふふふ」
 先輩は小さく息を吐いて笑みをこぼした。
「ああ、そうだな久遠寺。私がどうかしていたよ。みっともないとこ、見せてしまったな」
「篠之木先輩……」
 篠之木先輩は机の上にたたんで置かれていた黒いコートをバサリと格好良く羽織った。
「ああ、私達は熱愛中のカップルも黙る地獄のキューピッズだ。愛という幻想をズタズタに引き裂こうじゃないか、久遠寺っ」
 黒魔術師・篠之木来々夢の完全復活だった。


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