喪女につきまとわれてる助けて

第3話 オールハートイーター

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 次の日も、僕は比較的平和な時間を過ごすことができた。朝学校に行く時も篠之木先輩は現れなかったし、学校に到着してからも教室に篠之木先輩がやってくることはなかったし、休み時間になっても篠之木先輩の気配を感じることはなかった。
 篠之木先輩が何もしてこないというこの状況、逆に気味の悪いものを感じたけれど、せっかく手に入れた安らぎの時間なんだ。この時くらい篠之木先輩の事を考えるのはよそう。それよりも……僕には気になっている事がある――吾川君だ。
 ただいま僕の前の席に座って数学の問題を解いている吾川君は、いつもと変わらない様子だけど――僕は彼の秘密を知っている。
 僕は数学の問題を解いているフリをしながらずっと考えていた。
 どうして吾川君は別の女の子と一緒に歩いていたのだろう。2人並んで歩いている姿はカップルそのものに見えたけど、もしそれが正しいなら――なぜ吾川君は2人の女の子と付き合っているのだ。少なくとも僕の知ってる吾川君はそんな事をする人じゃない。
 僕は様々な可能性を考えていた。兄妹。いとこ。幼なじみ。友達。でも僕は吾川君からそんな存在を聞いたことない。考えたくない結論だけが脳裏に浮かぶ。
 橘さんは、オールハートイーターを見つけたら直ちに知らせるように言っていた。でもまだ確証がない限りそれを言うことはできない。
 それに……もし僕がそれを確信したところで、果たして橘さんに報告することができるのだろうか。吾川君は数少ない僕の友達なのだ。中学の頃からの……親友。
 僕は今後どのように行動すればいいのか悩んでいると、授業終了を告げるチャイムが鳴って昼休みに入った。
 僕はようやく勇気を振り絞って、ある行動に出ることにした。
「吾川君、今日は食堂で食べない?」
 数学の教科書を片付けている吾川君の背中に、僕は珍しく自分から語りかけた。
「うん? 食堂で? いいよ」
 振り返った吾川君は別に怪しむ様子もなく爽やかな笑顔で答えて、僕達は廊下を出て食堂の方へと向かった。
 しばらくして大勢の生徒で賑わっている食堂に入った僕達。
 僕はうどんを、吾川君はきつねそばを頼んで、運良く端の方の席に腰を下ろすことができた。周りに声が漏れ聞こえないだろう、席を。
「そういえば昨日から、久遠寺くんのところに篠之木先輩来なくなったね。なにかあったの?」
 吾川君はきつねそばをズズズと勢い良くすすってから尋ねた。
「まぁね。篠之木先輩も最近忙しいみたいなんだよ。僕としてはその方がありがたいんだけどね」
「あはは、久遠寺くんも毎日毎日あんな先輩に付き合わされてほんと大変だね」
「だったら僕と代わっ――」
「それは遠慮しておくよ。もう間に合ってるからね」
 即否定する吾川君。間に合ってる……か。確かに2人も彼女がいたら充分すぎるだろうし、逆に2人は多すぎるだろう。
「そうだったね。なんというか……吾川君も大変だね」
 僕は声の大きさを抑えて言った。ここから僕は――攻撃をしかける。
「大変? 大変ってことはないと思うけど……」
「だって……隠れて付き合ってるんでしょ? 人目を気にしてデートするのもなかなか疲れるよね」
 あまり触れてほしくないと思うけど、僕は思いきって彼女の話題に触れた。
「う……うん。まぁね。でもデートといってもたまにしかしないし、それに彼女とはあの休日の日以来会ってないからね」
「え、会ってないの?」
「うん。あの子とデートするのは週に1回くらいだよ。こう見えても僕、いろいろと忙しいからさ」
 色々忙しい……か。それは、別の女の子とデートするのに忙しいという意味なのか。
 でもまさか吾川君がこういう話をするなんて。中学の頃の彼なら絶対彼女なんて絶対作らなかった。ねえ、君になにがあったんだい。
「とにかく、彼女がいると言っても僕にはまだあんまり実感なくてね。付き合ってる感覚もあんまりないし……何しろ初めての彼女で、まだ付き合い始めたばかりだから……とにかくデートだってまだ数える程度しかしていないのが現状だよ」
「そ、そうなんだぁ……」
 吾川君……君はなにを言ってるんだ。昨日会っていたというのに。や、やっぱり吾川君は嘘を吐いている。いや、嘘は吐いていないけど……大事なことを隠している。
「あ、吾川君……君、彼女のことをどう思ってる?」
 そう尋ねる僕の声は、少し震えていた。
「な、何を言わせるんだよ。久遠寺くん……そんなの、恥ずかしくて言えないだろ」
「あ、あはは。そ、そうだね……悪かったよ。じゃ、じゃあ質問を変えるよ。吾川君は……女の子と付き合うっていうことをどう思っている?」
「…………どうしてそんなことを?」
 一瞬、吾川君の表情から色が消えた――ような気がした。
 僕はぞっとした。それは吾川君と知り合って数年間、一度も彼が見せた事のない顔。
「え、えーと……ほら、僕はまだ彼女とかできたことないからさ……後学のために聞いておこうと……」
 なんかこんな言い方だと、墓穴を掘っているような感じもするけど……この際プライドは捨てよう。
「……そうだね。僕の見解ではね、付き合うっていうのはお互いが楽しむことにあるんだって思うよ」
 僕の言い訳が通用したみたいで、吾川君は疑う素振りもみせずに答えた。
「た、楽しむ……?」
「そう、楽しむ。人と人の出会いは一期一会なんだ。デートという形で、普段話さないような人と普段話さないような内容で、普段感じないような気分を味わいながら楽しむ。そういうものだと僕は思うんだ。恋愛は自由であるべきなんだ」
 吾川君のその顔は、とてもやましい事をしている顔に見えなかった。
「僕はね……高校生になってすぐその事に気付いたんだ。ある人に教えて貰ったんだ。大切なのは……自分に正直になることだってね」
 その時――僕は確信を得た。
「……そっか。分かったよ、ありがとう吾川君。参考になったよ」
 僕はこれ以上何も言わず、ただ笑顔を浮かべて、うどんを食べることに集中した。うどんは、さっきよりも伸びていてぬるくなっていて、おいしくなくなっていた。
 その後は僕と吾川君は他愛もないことを話ながら昼食を続けた。昼休みも半分くらい過ぎようという時間に僕達は昼食を食べ終えた。
 僕達は食べ終えた食器をカウンターに返却した後、教室に戻ろうと廊下を歩いた。そしてトイレの前を過ぎようとした時。
「あ、久遠寺くん。僕はちょっとトイレに行くから先に教室戻っといてよ」
「うん」
 僕は男子トイレに入っていく吾川君の姿を見届けると、踵を返して教室へと足を踏み出しかけた。
 そして振り向いた僕の目の前には――相楽早苗さんの姿があった。
「――っ!?」
 思わず僕は驚いて体を硬直させた。
「……え、えと。久遠寺くん……」
 どうやら相楽さんは僕に話があるようだ。モジモジと体をくねくねさせていて、眼鏡の奥の瞳はせわしなく動いている。
「さ、相楽さん……、何か僕に用事でもあるのかな」
 なんだかんだで最近、相楽さんと絡むことが多くなったなあ。
「……ね、ねえ、久遠寺くん……少し、いいですか」
 彼女は表情をキリっとさせて僕を見た……何か大事な話でもあるのだろう。彼女は大人しくてシャイだけど、真面目な人だからいざという時は勇気を出して前に進めるんだ。僕は彼女の、そんな顔ができるところが羨ましかった。
「うん。いいけど……」
「なら、ここじゃなんですから……屋上までついて来てもらっていいかな、久遠寺くん」
「……うん」
 僕に話ということは、ひょっとして休日での出来事についてだろうか。僕は先を進む相楽さんの後についていきながら、胸の鼓動が高まっていくのを感じた。
 階段を昇って校舎の1番上まで行くと、相楽さんは屋上へ続く扉のノブをガチャガチャ回す。当然と言えば当然だけど扉は施錠されているようだった。どうするんだろう、もうここで話すのかなと思っていると――相楽さんは横にある窓の辺りを調べ始めて、なんとそこから鍵を取りだした。
「ここに屋上に通じる鍵が隠してあるんです。知っているのは一部の人だけ……えへ」
 照れ笑いのような表情を浮かべて、相楽さんはドアに鍵を差し込み屋上への扉を開いた。
 やっぱり……いざとなったら行動力あるなぁ、相楽さん。
 相楽さんは屋上へ出ると、フェンスのある方まで歩いて行って、そこからグラウンドを見渡した。僕は黙って相楽さんの隣に立った。
 快晴の空の下、僕達はしばらく並んでグラウンドを眺めていると――やがて相楽さんは独り言を言うように呟いた。
「ひ、人がゴミのようですねっ」
「ええっ? だ、第一声がそれっ!?」
 まさか相楽さんの口からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかった僕。
「あっ、わわっ。ま、間違えましたっ。何か気の利いた事を言おうと思ってそれでっ……」
 間違えたとしても、気の利いた台詞でそれが出てくるのは逆に凄いと思う。
「別に気を利かせる必要はないよ。僕達はクラスメイトだからさ」
「あ、え……と。でも……ほら、こんなところまで呼び出しましたからっ」
 相楽さんはフェンスを両手で握って緊張した様子で眼下を見下ろしている。はぁはぁと荒い呼吸まで聞こえてくる。もしかしてして高所恐怖症? それか変な空気になってきて緊張してるのかな。僕もたいがいだけど、人付き合いの苦手な子だなあ。
「そ、それで……相楽さんは僕にどんな話があるの?」
 助け船じゃないけど、僕は相楽さんに用件をきいてみた。
 すると、相楽さんはフェンスから手を離し、荒い息づかいを止めて――僕の方に体を向けて言った。
「あ、あの……さっき、吾川くんと何を話していたのかなぁ……なんて」
 相楽さんは伏せ目がちに、顔を赤くして尋ねた。
「え……さっきって……食堂でってこと?」
 意外な質問に僕は少し拍子抜けする。
「う、うん……そう」
「え、いや……別にいつものようにたわいない事を話していたんだけど……なんで相楽さんは僕達が食堂にいたことを知ってるの?」
 僕が知る限り、相楽さんはいつも自分の机でお弁当を食べていたはずだ。
「そ、それは……たまたま私も近くにいたからっ。きょ、今日はお弁当っ、作るの忘れていたからっ……それでっ」
 そう答える相楽さんの口調はどこか言い訳めいていた。
「それで、ち、近くにいたんです……」
 全然気付かなかった。僕はちゃんと周囲には気を配っていたつもりなのに。だったら……まずい、もしかして――僕達の話を聞かれたかもしれない。だったらマズイぞ。
「あ。いえっ……。え、えっと……ち、近くってわけじゃないけどっ……と、遠くから見えたから……そ、それで……気になって。何を話してたのかな……とか。です……」
 相楽さんはテンパっている模様。結局話は聞こえなかったって事でいいのかな。
「そ、そう……でも別に普通だよ。普段のこととか日常会話しかしてないよ」
 吾川君を裏切るわけにはいかないので、彼女の件については当然だけど話さない。
「そ、そうなん……です、か」
 相楽さんはどこか残念そうに、肩の力をだらりと抜いた。
 ……怪しい。僕の中に相楽さんに対する不審感が募る。そもそも、どうして相楽さんが吾川君のことを訊くんだ。気になったからって、わざわざこんなところまで呼び出すのか?
 ま、まさか……相楽さんは吾川君のことについて何か知っている?
 そういえば相楽さんもあの時、繁華街にいたんだ。そしてこともあろうか、誰かと会う約束をしてたと言っていた。
 僕は不安を覚えた。これはただの偶然か。それとも……。
「久遠寺くん。久遠寺くん……」
「えっ?」
 僕は相楽さんの呼び掛けで我に返った。どうやらトリップしていたみたいだ。
「ご、ごめん相楽さん……ちょっと考え事をしていて……」
「も、もう予鈴鳴ってますよっ。せ、先生に怒られますよ」
 相楽さんが不安そうな顔で僕を覗き込んでいた。
「あ、本当だ」
 いつの間にか昼休み終了のチャイムが鳴り響いていた。聞こえていなかった。
「も、もうすぐ午後の授業が始まるよっ。教室に戻りましょう、久遠寺くんっ」
 さすが真面目な相楽さんは、早く教室に戻りたそうに体をうずうずさせていた。
「うん。そ、そうだね」
 僕は曖昧に答えて、先行く相楽さんの後をついていって校舎へと引き返した。
 そして階段を下りようとして――、
「きゃ……きゃあっ!」
 なんと、前にいる相楽さんが足を滑らした。
「あ、危ないっ!」
 僕はとっさに彼女の腕を掴む。が、そのせいで僕もバランスを失った。そして――。
「うわあっ」「きゃああ」
 僕達は階段を転げ落ち、折り重なるように倒れた。
「い、いててて……」
 だけど不幸中の幸いといったところか……少し打撲しただけで、どうやら僕には大した怪我はないようだけど。柔らかいものの上に落ちてクッションになったようだ。
「さ、相楽さんは大丈……」
 その時、僕は気が付いた。僕がクッションにしていたものの正体に。僕が相楽さんの上に倒れていることに。僕が押し倒したみたいな格好になっていることに。
 しかも。僕の両手は相楽さんのふくよかな胸にそれぞれ当たっていて、というか握られていた。もみもみ。すごく柔らかい。このクッションだったら無傷なわけだ。
「って、いやっ……さ、相楽さん……そのっ……これは不可抗力というか……」
 まずい。これはよく見かける古典的なパターンだ。まさかこの僕がこんな事になってしまうなんて夢にも思ってなかった。何を言っても無駄と分かっていてもやっぱり言ってしまうものなんだって、この時実感できた。 
 そしてこの後は、ボコボコにされるか軽蔑されるかに別れているけど……相楽さんの性格だったら後者だろうか。
 相楽さんの選択は――。
「あの……どいてくれると助かるんだけど……」
 落ち着いた声で僕に言った。その落ち着いた様子から見ると……やっぱり後者だったか。ってか冷静に分析してる場合じゃない。
「ご、ごめんすぐにどくからっ」
 僕は慌てて相楽さんの体から離れた。よかった。相楽さんにも怪我はなさそうだ。
 僕は覚悟を決めて、歯を食いしばって黙っていると――相楽さんは。
「えと……その……。は、早く行かないと授業始まっちゃうよ……ほ、ほらいこっ」
 顔を真っ赤にして、僕と目を合わせようとせずに早口で言った。あれ……? もしかして怒ってない?
「さ、相楽さん……ご、ごめんっ」
 僕は頭を下げて謝罪する。
「う、ううんっ。い、いいよっ。今のは不可抗力だし、慌ててた私が悪いんだから……む、むしろ久遠寺くんは被害者っていうか、私を助けてくれた……お、王子様みたいな」
 手をバタバタ動かして、一気にまくし立てる相楽さん。
「く、久遠寺くんが手を掴んでくれなかったら、どうなってたか分からないし、で、でも……久遠寺くんは私を押し倒したし……せ、せきっ、責任は取って下さいっ。け、結婚、とか……あ、いえ! なんでもないですっ! そ、それじゃあ私は教室に戻りますっ!」
 何を言っているのか理解できない言葉をひとしきり述べた後、相楽さんは廊下を走り出した。
 僕はいまだに相楽さんのキャラクター像がよく掴めずにいる。
 その後――僕が教室に入ると同時に、次の授業の先生も入って来て授業が始まった。
 僕は気になってときおり相楽さんの方を見たけど、その度に相楽さんは顔を赤くして僕から顔を背けた。というか相楽さんも僕の方をチラリチラリ伺っている。
 ……やっぱり嫌われたのかもしれない。せっかく篠之木先輩にからまれなくなったというのに、また新たな問題が生まれたみたい。
 少し憂鬱になったけど、無事に午後の授業も終わって放課後になった。
 僕はすぐさま帰る支度を済ませて、教室を出た。
 今日の僕にはやるべき事がある。篠之木先輩が来ない今がチャンスだ。
 僕は――吾川君の後をつけていた。


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