喪女につきまとわれてる助けて

第1話 嫌な先輩

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2

 
 学校は地獄だけど、それでもまだ救いがある時間帯というものはある。それは授業中だ。
 なぜなら僕と篠之木先輩は1学年違う。僕は1年で先輩は2年。すなわち授業で篠之木先輩と関わる事なんてほとんどないのだ。
「久遠寺くん。今日はまた一層と元気がないね……大丈夫かい?」
 登校した僕が自分のクラスの教室に入って、憂鬱な気持ちで1限目の準備をしていたら、前の席に座ってる吾川澄志君が僕の方を振り返って話しかけてきた。
「いや、まぁ……うん。そうだね。今日はちょっと朝から酷い目に遭ったもんだからさ」
 吾川君は僕の中学の時からの友人だ。僕は気が弱くて大人しいから友達があんまりいないけど、吾川君も大人しい性格だからなかなか気の合う友人だと僕は思ってる。正直、吾川君と一緒のクラスになれて本当によかった。
「ああ、そうか……また例の先輩に絡まれてたんだね。黒魔術師の篠之木来々夢先輩……久遠寺君もとんでもない人に目をつけられたもんだよね」
 吾川君は苦笑いを浮かべて僕に同情してくれた。
「ありがとう、吾川君。そう言ってくれるのは君だけだよ」
「なに言ってるんだよ。僕達は友達だろ。困ったことがあったらいつでも相談に乗るから、無理はしないようにな。……大丈夫、きっとそのうちいいことあるさ」
「そうだね……あるといいね。いいこと」
 それでもきっと吾川君では篠之木先輩をどうこうする事はできないだろう。僕は吾川君の気持ちだけ受け取っておくことにした。
 はぁ〜……と、僕は大きなため息を吐いて教室を見回した。すると偶然クラスメイトの相楽さんと目が合った。
「…………あぅ」
 だけど相楽さんは僕と目が合ったその瞬間に、恥ずかしそうに顔を赤くし、手に持っていた文庫本に慌てて視線を向けた。
 僕は不思議に思ったけど、大して気にする事なく授業の準備を続けた。
 そして予鈴が鳴って朝のHRも滞りなく終わって、心休まる授業が始まった。
 みんなは授業がつまらないとか退屈だとか言うけれど、僕にとってはこんなにありがたい時間はない。
 誰にも邪魔されることなく一生懸命勉強に取り組むことができる。とても素晴らしいことじゃないか。みんなはこの時間を長く辛いと感じているかもしれないけれど、僕にとってはあっという間の時間だ。
 ほら、気付けばもう1時間目の授業も終わりに近づいてきて……終了を告げるチャイムが鳴った。
「……よし」
 僕はコソコソと小動物のように、周りを伺った。うん……教室におかしな様子はない。黒魔術師の気配は感じられない。
 ふぅ……さすがに1時間目が終わってすぐに来るほど暇じゃないか。
 僕にとって休憩時間は、到底休憩できるような時間ではない。というか休憩時間なのにこんなに気を遣わなければいけないなんて……全部あの先輩のせいだ。
 ここまでビクビクしていたらいくら体があったってもたない。気分転換もかねてトイレにでも行ってリフレッシュしよう。僕は席を立つ。
「あ、トイレに行くのかい? だったら僕もついていくよ」
 と、僕につられて吾川君も席を立って、僕達は廊下を出てトイレに向かった。
 だが、トイレの前まで来たとき――僕の心臓は思わず止まりそうになった。
「ふっふっふ、久遠寺〜〜〜」
 不気味な笑顔を浮かべた篠之木先輩が、男子トイレの入り口で仁王立ちしていた。
「せ、先輩っ! どうしてこんなところにぃ!」
「それはお前がトイレに行くところを見たかったからに決まっているではないかっ」
 邪悪に笑う篠之木先輩。聞きようによっては犯罪にもとれる発言。一回この人は刑務所に入れるべきだと僕は思う。
「く、くくく久遠寺くん……」
 僕の隣では吾川君が恐怖で立ちすくんでいた。黒魔術師と恐れている本人が目の前に現れたんだから仕方がない。
「うん? 久遠寺の隣にいるお前……どうやら久遠寺の友人らしいが?」
 篠之木先輩が邪悪な瞳で吾川君を見つめた。
「わわっ……あっ、はいっ。クラスメイトの吾川澄志ですっ」
 吾川君は背筋をピンと伸ばして答えた。その声は震えている。
「くふふふ……そうかそうか。吾川澄志君か……ところで吾川君。つかぬ事を聞くが、君に彼女はいるのかな?」
 篠之木先輩はまるで吾川君を試すように尋ねた。
 分かってるよね、吾川君? 答えを間違ったら死に繋がるよ?
「か、彼女は……いないです」
 よかった……。吾川君のベストな答えに僕は胸を撫で下ろした。
「そうか、いないか。君はいい人間だ。なかなかみどころがあるぞ。君のような人間がいるなら日本の未来は明るいな!」
 それは言い過ぎだし、むしろ僕には全然明るくなるなんて思えなかったけど、ほっとした。吾川君がここで答えを間違えていたら今頃どうなっていたことか。彼女がいなくてよかったよ。いや、吾川君にとってそれがいいのか悪いのか分からないけど。
「くっくっく……吾川、吾川、吾川澄志かぁ。新たなる生け贄としては丁度よい子羊だな〜」
 よく分からないけど不吉な感じのする台詞を吐きながら、篠之木先輩は吟味するように吾川君を眺めている。ねっちりした視線。
 し、しまったっ。あんまり興味を持ちすぎるのも困りものだ……僕の数少ない友人にまで手を出させるわけにはいかないっ。このままじゃ吾川君まで僕の二の舞になってしまう恐れがある。地獄の日々を送るのは――僕1人で十分だ。
「あっ、吾川君っ。君、用事があるんだろ? 僕は先輩と話があるから先に行っててよ。それで先輩。さっきの話の続きですけど、僕がトイレに行くところを見てどうするつもりなんですかっ?」
 僕は早口でまくし立てた。先輩の注意を引きつけて吾川君を逃がす作戦だ。
 僕の意図を悟った吾川君は、すまなさそうに両手を合わせて小走りで駆けた。
 どうやら僕の行為は上手くいったみたいだ。篠之木先輩は廊下を引き返していく吾川君から僕に視線を移した。
「ふ……なぁに。単純なことだ。これでお前について私はまた1つ理解を深めた。……ふへへ、そうか。1時間目の終わりにトイレに行くということは……朝にお前がトイレに行ったのが7時過ぎだから……だいたい3時間のスパンでトイレに行くということだな。くくく……そうか。久遠寺亮貴のトイレ間隔は3時間弱、と」
 篠之木先輩が不気味なメモ帳を取りだして何やら書き込んでいた。
「ていうかそんな情報を知ってどうするつもりなんですか……やめてくださいよ、ほんと」
 すごく気持ちが悪いし、何に使うのか想像しただけで悪寒が走る。
「くく、なにを言うか。久遠寺がどのくらいの頻度でトイレに行くかを毎日事細かにチェックする事によって、健康や体調を測ってやろうと言っているのだぞ」
「……いや、だからそれが余計なお世話なんですけど……」
「なんだとぉ〜? 貴様ぁ〜。私がこれほど久遠寺の体を心配しているというのに、お前はそれが迷惑だとぉ? ならば致し方ない。ちょうどお前の体調を万全にするのにうってつけの物がある。私特製のトカゲとカエルをコーラで煮込んだ栄養ドリンクを飲んでもらう事に――」
「あ、いやっ、ごめんなさいっ。僕が間違ってました! すごく嬉しいです! 篠之木先輩が僕の事をそこまで大事に思ってくれてるなんて感激です! 文句なんて全然ないです!」
 本当はまったくその通り迷惑なんだけど……そもそも僕の体を気遣ってくれているなら、さっさとトイレに行かせて欲しいんだけど……。
「そうかそうか。そう思ってくれるなら私も嬉しいぞ。我々は不純な男女を取り締まっていくパートナーだからな。常に健康には気を遣って、共に戦っていこうじゃないか」
 篠之木先輩は綺麗な顔で不気味に微笑むと、僕に背を向けて廊下の向こうへと姿を消した。
 疲れた……。だから僕は先輩に会いたくないんだ。これじゃあストレスで余計に体を壊すだけだよ……。
 どっと疲れた僕はため息を吐いて、ようやく男子トイレの中へと入った。
 じゃー。と、用を足してトイレを出る。
 先輩のせいで休憩時間もほとんど残っていない。さぁ帰ろうか、と方向転換した時――僕は最悪なものを見つけてしまった。
「……ふふふ、3分ジャストか。小にしては少々長いな。手を綺麗に洗っていたか、それとも尿のキレが悪いのか……ふむ。興味深い」
 物陰に体を隠した篠之木先輩が、僕の方をじっと見つめていた。
「って、先輩っ! 帰ったんじゃないんですかっ!?」
 あと、なにが興味深いのっ!?
「くっくっくぅ〜……私はいついかなる時も久遠寺を見守っているのだよ。そうだ。尿のキレが悪いのならこれを飲むといい」
 篠之木先輩はそう言って、懐から何やら怪しげな小瓶を取りだした。
「いや、絶対無理です! なんか中身が紫色ですし、ちょっと泡だってますし。あと尿のキレ別に悪いわけじゃないですし!」
「なぁに。ちょっとくらいまずくても我慢しろ。良薬口に苦しと言うだろ」
「それ以前の問題ですよ! そもそもこれ良薬じゃないですって! あまりに毒々しすぎますよ!」
「良薬かどうかは実際に飲んでみないと分からないだろ。ほら、一口飲んでみるんだ」
 キュポっと、篠之木先輩は小瓶のフタを開けて、僕に飲ませようと強引に迫って来た。
「うわっ……ちょっ、や、やめて下さいっ先輩っ! 無理、無理ですっ。この時点で毒薬だって分かりましたよ! なんか凄い匂ってきますし、目に染みてピリピリ痛むしっ」
「なかなか強情な奴だ……。あ、久遠寺っ……あれはなんだっ?」
 篠之木先輩があらぬ方を指さした。
「えっ?」
 僕は迂闊にも思わず注意を逸らしてしまう。瞬間――。
「ほら飲め」
 ぐいっ――と、篠之木先輩が僕に未知の薬を飲ませた。
「うっ? しまっ……ぐっ……ごく……う、ん」
 な、なんてこと……僕は紫色の液体を一気に全部飲んでしまった。
「す、すごく苦い……でもなんともなさそう。あ。もしかしたらこれ、本当に良薬だっ……が、あ? う……うげええええええええええあああああ!!!!!」
 僕の意識はここで途切れてしまった。


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