喪女につきまとわれてる助けて

エピローグ 僕の嫌いな先輩

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 朝起きて、僕はいつものように学校に行く支度をする。
 服を着替えて歯を磨いて朝食を食べて、そして行ってきますと玄関の扉を開けて外に出た。
 今日も晴天だった。朝の眩しい日差しがキラキラと僕を照らす。僕は目を細めて綺麗な空をうっとり眺めた。
 うん。今日はいいことがありそうな日だ。僕は腕を上げて、大きく伸びをした。
 が、その瞬間――快晴だったはずの空がみるみるうちに雲に覆われて、雷鳴が鳴り響いた。
 こ、このあからさまに不吉な前触れはなんだっ!? ま、まさか――っ!
「久遠寺〜〜〜〜。今日はえらく上機嫌じゃないかぁぁぁぁあああ??? なにかいいことでもあったのかぁああああ????」
 地の底から這い上がってくるような声を上げながら、篠之木先輩が唐突に目の前に現れた。
「ひいいいいっ! 篠之木先輩ぃいいいっ!?」
「何をそんなに驚いている久遠寺〜〜〜っ?? 私がこうして、お前が遅刻しないように迎えに来たのがそんなに意外かぁぁぁ〜〜〜〜?」
 地を這うヘビのようにおどろおどろしい声。
「わっ、わざわざ起こしに来てくれたんですか……そ、それはどうも……」
 まったくもって余計なお世話だ。迷惑以外のなにものでもない。
「なんだ、久遠寺。あまり嬉しそうじゃないなぁ〜〜〜? 私はここで2時間15分もお前を待っていたというのに」
「ええっ! そ、そんなにっ!?」
 重いっ。重すぎるっ。僕の気分はどんどん憂鬱になってくる。
「気にするな久遠寺。さぁ、学校に行こうじゃないか」
 篠之木先輩はそう言うと、長い黒髪をふわりと風にたなびかせ歩きだした。
「……はい」
 僕は嫌々ながらもそのあとについていった。まぁ……今日くらいは我慢しよう。だって今日は、篠之木先輩が1週間ぶりに学校に行く日なんだから。
「くっくくく……こうして清々しい朝日のなか登校していると、やはり学生の本分は勉強だと思わされるよ。健全な若者は恋愛なんぞにうつつを抜かしちゃいかんのだ」
 ようやく停学が解けて篠之木先輩は嬉しいんだろう。いつもよりも軽快な足取りのようにみえる。台詞はじじくさいが。
 でもま、篠之木先輩も割とまともな人なんだなと思って、僕も少し嬉しくなった。
「ところで、久遠寺〜〜」
 篠之木先輩がピタリと足を止めた。
「な、なんですか先輩っ」
 僕は思わず緊張して声が震えた。なんだかすごく嫌な予感がする。
「実はな、今回活躍したお前のためにプレゼントを用意してきたのだ」
 篠之木先輩は、制服の上に羽織っている黒コートの内ポケットをガサゴソ漁り始めた。
「え、プレゼントですか。そんなわざわざ」
 今回の事件を通して、篠之木先輩が女の子らしくなったことに、僕は嬉しい反面……気を付けなければいけないなと思った。だって僕は篠之木先輩の事は嫌いでなければならないから。
 でもプレゼントかぁ……。いったいなんだろう。楽しみだなぁ。
「ほら、久遠寺。受け取れ」
 篠之木先輩が取りだした物を、僕に手渡した。
「……え。いや、これなんですか?」
 僕の手には、お坊さんが使うような数珠があった。
「見て分からないか、数珠だ」
「あ……そうじゃなくて……僕が言いたいのはなんで数珠なのかな〜って」
「ふふふ……よくぞ聞いた。これは普通の数珠ではない。一個一個の珠に私の思いを込めた特別の数珠だ。これを持っていると久遠寺は私の加護を受ける。つまり、常に私を傍に感じられる、魂の込められた数珠なのだ」
「……あ、あはは……じょ、冗談きついんですから」
 全然いらない。一刻も早く捨てたい。本当に呪われていそうだもん。
「くっくっく……冗談ではないぞ。この数珠を通して私とお前は血よりも強い絆で、永遠に繋がり続けるのだ。そう……永遠に」
「あ、あはははー。うれしいなぁ……」
 こ、怖い! ぜったい捨てる! 学校に到着したら即捨てる! いや、むしろお寺でお祓いしてから処分してもらう!
 僕はぎこちない笑顔で数珠をポケットにしまって、学校を目指す。
 僕の隣を篠之木先輩は、何を考えてるのか分からない顔をして歩いている。
「妹のやつがな……週に1度は私に会いに来てもいいって言ったんだ」
 黙って歩いていると、不意に篠之木先輩が言った。
「……そうですか」
 僕は先輩の方を見ずに、素っ気ない態度で答えた。
「ありがとう……久遠寺」
 と、篠之木先輩が短く呟いた。
 僕は何も答えず、黙ったまま、なんとなく空を見上げた。入道雲が浮かぶ透きとおった空だった。もう夏はすぐそこまでやってきている。今日は、とても暑くなりそうだ。
 なんだかんだでここまできた。だからもしかすると……嫌いな先輩につきまとわれていても、なんだかんだで僕の日常はこれでいいのかもしれない。
 夏が目前に迫った青色の空を眺めながら僕は思った。
 ……学校に着いて教室に入ったら、自分から相楽さんと吾川君に話しかけてみよう。そして、橘さんともゆっくり話をしよう。
 僕はチラリと、隣を歩く恐るべき先輩を伺った。彼女は僕の視線に気付くと、ニタリと不気味な笑顔を浮かべた。
 ――強いて言えば。これは仮定の話だけど、もしも僕に気をつけなければいけない事があるのなら……それは、この滅茶苦茶な先輩に心惹かれないようにすること。
 そしてそれは、もしかしたら案外難しいことなのかもしれないと――篠之木先輩の横顔を見た際に、そんなあり得ない考えが僕の脳裏をよぎった。
 そうだよ……やっぱりそんな心配は無用だ。些細な問題だ。少なくとも当分の間は。
 僕は歩くペースを速くした。篠之木先輩も僕に合わせて歩幅を大きくした。どこからともなく、セミがけたたましく鳴く声が聞こえてきた。いつの間にか、夏はもう既に来ていたようだ。
 僕はこれから、僕の人生がもっとよくなっていくような、そんな予感がした。

                                  ――了


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