天使がきても恋しない!
第5章 愛なき
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1
僕に穏やかな日常生活が舞い戻った。
「城崎〜、いよいよ明後日からだな。春祭」
昼休みに僕が購買部でパンを買い教室に戻っている途中の廊下で、同じくパンを片手に持った遠野友晴が話しかけてきた。
「ああ。そういえば月曜日からだったよな、春祭」
今日は金曜日。つまり明日明後日の休日を挟めば、いよいよ生徒達がこの日の為に準備してきた春祭が開催されるのだ。
ま……僕には関係無い話だけど。
「あ、そうだ遠野。あの件はどうなったんだ? ほら、着ぐるみが盗まれたって話」
僕は思い出して尋ねる。確か春祭に向けてせっかくみんなで作った着ぐるみがどうとか、遠野が卑猥な妄想してたとか、そんな感じのこと。
「ああ、あれか……いや、まだ見つかってないんだよ。それどころか……なんか最近変なんだよな」
遠野が僕の隣を歩きながら釈然としない声をあげる。
窓からは真昼の太陽光が差し込んできて、廊下を黄土色に染めている。
「……変ってなにが?」
女嫌いの僕が、美男子の遠野と歩いていたら勘違いされそうだから嫌なんだけど、そこは我慢して聞いた。
「いや、なんか俺達のクラスだけじゃなく、他のクラスでも色々な物が盗まれたりしてるんだよ。しかも嫌がらせとしか思えない、お化け屋敷の小道具とかメイド服とか使い道のないようなもんばっかだぜ……くそッ。許せねーぜッ」
「そうだな。メイド服が盗まれて悔しいんだな」
たぶん結局、遠野にとってはそれが全てなのだろう。
「な……なぜ分かったッ!? まさかの先読みっ!?」
「くくく……レディバグの力を舐めるなよッッ。これぞ、妄想迷宮(マインド・オブ・ラビリンス)」
ふはははは、常に女の思考を理解し戦ってきたのだ。遠野の考えくらいたやすく分かる。
「ふ……言ってる事は分からないが、さすが城崎。盗まれるくらいなら先に俺が盗んで、そのメイド服をくんかくんかふんふんふんはぁはぁはぁ――ってこと、全てお見通しだった訳かぁ〜」
「いや、僕はさすがにそこまで読めてなかったよ!」
僕の友人はもう引き返せないところまでいってたんだね。もう止めやしないさ。
「……それにしても、そんなもの盗むっていったい誰が」
僕には関係ないけど、犯人がなぜそんな事するのか興味はあった。
「さぁな。誰かは分からないけど、恐らく夜中に誰かが学校に忍び込んでんじゃないかって話だ。あと……城崎。他にもおかしいところがあるんだよな」
危ない空想から帰って来た遠野は、サラサラの髪をかき分けて言った。妙に清々しい顔をしているのは気のせいだ。
「おかしいって何が?」
「うん。これも学校全体のことなんだけどさ、なんか春祭の準備とかしてたらやたらと不幸な事が起こるんだよ」
「不幸な事……」
その単語を聞いて、僕は1人の女の子の事が頭に浮かんだ。悪魔――レヴィアン。
「不幸な事って言っても大した事はないんだ。小道具が盗まれたりするって他に、怪我したりとかあるクラスでみんな風邪を引いたり、差し入れで食べた物が原因でみんな腹を下したりとかそんなんだけどさ……」
確かにそれほど騒ぎ立てるような大きな不幸ではなさそうだけど……僕は気にしてしまう。愛とか幸せとか不幸とか、今の僕にはそれらの単語に敏感なんだ。
「しかもそれが学校だけじゃなくて町にも広がってきてるような気がするんだ。俺ん家の隣で飼ってる犬が逃げたりとかその程度なんだけど……。ま、不幸不幸って気にしてるからそう感じるだけかもしれないが」
レディバグ団では、近頃周囲では幸せが溢れていると言っていた。しかし今度は不幸が広がっているというのか。つまり――天使と悪魔の戦いが、社会に影響を及ぼしているということなのか?
「そういうわけで今年の春祭は、始まる前から色々なハプニングに見舞われた訳だけど、こうしていよいよ目前に迫ったわけなんだよ」
遠野は手に持った焼きそばパンの袋を開け、一口かじりながら放つその言葉はやけに改まった口調だった。
ていうか腹が減ったか知らないが廊下で食うなよ。
「で……だからどうした?」
僕にとって春祭とかいうもの関連は、全て関係のない話なので適当に受け流す。
「城崎君、この調子だと今年の春祭は波乱が巻き起こるに違いないんだよ。だから我々はなんとしても成功を収めたいわけなのだ!」
う〜ん。エロの力はかくも凄まじい原動力なのか。
「それで、だから遠野はどうするんだ」
もうなんか嫌な予感しかしない。
「それで城崎。今日の放課後にクラスで成功を祝しての決起集会があるんだけど――」
「いかないよ。愚問だね、遠野。僕がこう言うことは分かってるはずだろ?」
僕は光の速さを上回る速度で遠野の誘いを断った。
「ああ……そうだな。言うと思っていたよ。思っていたけどさ、それでも一応誘っておいた方がいいと思ったんだよ。友達として」
遠野は決して僕を諦めたりしなかった。僕が彼の期待に応えられる答えなんて、今まで一度だって言ったことないのに、それでもずっと僕を誘い続けてくれた。
僕は思いきって、遠野に質問した。
「遠野……お前はどうして女をそんなに好きでいられるんだ?」
僕はずっと遠野に聞いてみたかった。遠野にそれを聞かずにいられなかった。
お前は――傷つくのが怖くないのか?
「ははは、お前らしくもないこと言ってんのな。俺はなぁ、城崎。ただ後悔するのが嫌なだけなんだよ」
「後悔……か」
僕の問いに遠野は大して考えないで語る。
「ああ。青春は絶対に取り戻せないし、巻き戻すことなんてできないんだ。俺は大人になった後に、ずっともしもの事を考えながら生きていくのが嫌なだけなのさ……もしもあの時ああやっていたら、もっと勇気を出していれば、って具合にな」
真昼の太陽に照らされる遠野の姿はやけに堂々としていて、誇らしくて、その瞳はまっすぐだった。
女顔だとか変態だとかの記号ではない――遠野友晴が持つ強さ。
僕にはそれが眩しすぎた。
「一度しかない人生、俺は今の俺に忠実に生きる。いろいろ言い訳なんてしてる暇はないんだ。だって、高校生活は人生でたったこれっきりしかないんだぞ? だったら全力で楽しまないと未来の自分に申し訳ないもんな。だから俺は何度転んだって、自分に嘘を吐いて諦めたり、気持ちを誤魔化しながら青春を消費させたりなんてしない。1秒だってな」
それはまるで僕を責めているように、僕の胸に響いた。僕の気持ち。現在の僕は果たして、未来の自分に絶望されない僕でいられているんだろうか。
「だから俺はお前がそんな生き方でも、それがお前の正直で精一杯の全力の青春ならそれでいいと思ってるんだ。お前はお前のやりたいことを、思いっきりやればいいんだよ」
僕のやりたいこと――。
僕は……今の僕を好きでいるのだろうか?
「…………」
僕は悔しくも、遠野に胸を張ってそうだと答えることができなかった。