天使がきても恋しない!

    1. 第4章 裏切りの悪魔

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     僕がラヴと別れた直後、家に向かって歩いている時だった。
    「やぁ、こんなところで奇遇ね。清貴」
    「あ、お前は――」
     僕の前に見知った少女が現れた。
    「……こんなところでこんな朝早く、何やってるんだよ。仮夢衣」
     肩まで切りそろえた髪に、大きな胸。勝ち気で活発な性格は、男よりもむしろ同性からの人気が高い少女――宇佐原仮夢衣。
    「別に〜……ただちょっと散歩をと思っていたんだけど……それよりあんたこそなにしてるのよ?」
     なぜか仮夢衣は僕のことを探るような視線で見つめている。
    「べ、別になにもしてないよ。ぼ、僕の方こそ、さ……散歩だよ」
     別にやましいことはないのに、僕はつい動揺してしまう。
    「ふ〜ん、あんたが散歩、ねぇ……なんだか怪しいわね。ホントに散歩なの? なにかしてたんじゃないの? 例えばそこの河原とかで」
     仮夢衣は先程僕達が悪魔と戦っていた辺りを指さして言った。
    「えっ!? いや、別に……な、なにかって、何をしてたって言うんだ?」
     僕はギクリとなってしまう。も、もしかして見られたのか!? いや、でも普通の人間には天使とか悪魔の姿は見られないはずなんだ。ラヴがそんな事言ってた。
    「そうね。例えば……天使と一緒に悪魔と戦っていた――とか?」
    「…………」
     やっぱり見られたっ!? というか……知られてしまっているっ!
     もう駄目だ……ここまできたら観念するしかない。仮夢衣に下手な隠し事は通用しないのは承知だ。
    「……どうしてそれを知っているんだ。仮夢衣……」
     僕は素直に認めた。
    「ふっ。やっぱり……あなたも天使のパートナーだったのね……清貴」
     瞬間、僕は衝撃に打たれた。も、ってなんだ。も……っていうことは、つまり。
    「仮夢衣……まさかお前、まさか」
    僕のクラスメイトであるのと同時に幼なじみでもある、宇佐原仮夢衣。
     そして彼女は――。
    「そうよ。あたしが――ムゥのパートナーよ」
     胸を張って高らかに答えた。
    「なっ……だってお前は女じゃないかっ! なんでお前がパートナーになれるんだよっ」
     ムゥとレヴィアンが激闘中であろう方向を見つめて僕は叫ぶ。
    「ほら、あたしって昔から同性にモテるじゃん? なんかそれでムゥの奴があたしに一目惚れしたとか言って突然現れて、それからしつこくってさぁ〜。あたしにその気はないんだけど、これも人助けだと思って。ま、それに何より結構面白そうじゃん?」
     仮夢衣は軽い口調でさらりと答える。っていうかムゥってそういう奴だったのか。なるほど……昨日僕があいつの肩に触れた時あんなに怒ってた訳が分かったよ。あいつ、男が嫌いなんだ。てか……そのくせさっきは僕に迫ってきたんだから恐ろしい。自分の気持ちを殺してまで……そんなに仕事が大事か?
     ラヴといい……天使は変わった奴ばかりだ。
    「にしてもそんな簡単に契約するなんて……仮夢衣。お前は相変わらずのお人好しだな」
     僕は天使に負けず劣らずの変わった幼なじみに心底呆れた。
    「そんなんじゃないよ……あたしは誰にでも優しいわけじゃないもん」
     と、仮夢衣はなぜかほんの少し頬を紅く染めて、僕から目を逸らした。
    「え……それはどういう――」
    「それよりさ、清貴」
    「な、なんだよ?」
     僕の問いを遮って、仮夢衣が逆に尋ねてきた。
    「あんたはあのラヴっていう天使のパートナーなんでしょ?」
     予想していた質問とはいえ、仮夢衣の口からラヴの名が出てくるとは。
    「……いや、僕達はそんな関係じゃない。僕はあいつのパートナーなんかじゃない」
     僕は一度だって認めてない。ただ全部あいつが勝手に言ってるだけなんだ。
    「そ、そうなんだぁ」
     仮夢衣はそれを聞くと、なぜか安心したみたいな顔でほっと息を吐いた。
    「なんでそんな事聞くんだ?」
    「えっ……いや、特に意味はないんだけど。その……実はね、基本的に天使って一つの町に1人が天界から派遣されるの。大きい町じゃ無い限り、よっぽどの事がないと同じ町に2人も天使は現れないのよ」
     それは聞いた話だ。ここは元々ムゥのテリトリーであると。
    「でもこの町には現に2人天使がいる、か」
    「そういうこと。あたしとムゥがパートナー同士になったのは半年くらい前なの。色々大変だけど、それなりに頑張って結構楽しい日々を送ってきたわ。町だってあたし達の頑張りで平和に保っていられているって思えてた……」
     半年前といったら……なるほどな、仮夢衣が以前にも増して親切な頼れるキャラになったのはこれくらいだったな。やはり天使の影響だったのか。
    「でも、ここ最近町の様子が変なの……そう。ちょうどラヴ……さんがこの町に来てから」
    「そうなのか? 僕は全然そんなこと気付かないんだけど」
    「そうね。まぁ、普通の人にはまだ町の変化なんて分からないと思うけど、あたし達は平和のために最前線で戦ってるわけだからね、町の異常には敏感になるのよ」
     そうか。僕だってついこの前まではスライムとかトゲトゲしたブタとかとは無縁な生活を送ってきたのだ。鈍感で当然とも言えるな。
    「で、ラヴがこの町に来たこととそれが関係あるっていうのか?」
    「分からない……だけどムゥが言ってたの。本来ラヴさんがこの地上に来るなんてあり得ないことなんだって」
     ムゥも言っていた。本来ラヴは天界にいるべきなのだと。
    「つ、つまりお前は何が言いたいんだ……?」
     僕は知らず知らずの内に身を強張らせていた。
    「つまり――天使ラヴラドル・ラブ・ライクには何か魂胆があるっていうことよ」
    「魂胆がある……でもいったい何を」
     ラヴは確かにおかしなとこが色々ある奴だが、悪いことを企むような奴じゃない気がする。いや……僕は何を考えてる。女を擁護するなんて……そうだ、僕がこんな事考えるようになったのも、全部ラヴのせいなんだ。
    「あたしにはラヴさんの思考が分からないけど……でも悪魔のレヴィアンだってラヴさんに触発されるように出てきたのよ」
    「そうなのか? ラヴがレヴィアンを追って来たんじゃないのか?」
    「もしかしたらレヴィアンはこの町に元々いたかもしれない。でもレヴィアンが悪事を頻繁に働かせるようになったのはラヴさんが現れてからなの。だからあたし達もその後始末にてんてこ舞いなわけなのよ」
     ラヴの登場と、悪魔の少女の活発な行動――その繋がりは。
    「レヴィアンは何かを企んでるってムゥが言ってたわ。レヴィアンはこの町で何かとんでもないことをしようとしてるのよ。もしかしたらそれはラヴさんにも関係あるかもしれない」
    「でも、まさか……」
     まさかラヴがレヴィアンと協力してるとでも言うのか。愛の為に戦う少女はみせかけで、実は悪の手先だって言うのか?
    「違うっ……ラヴは、ラヴはっ――」
     僕は自分でも知らない内に勝手に言葉が口から溢れていた。刹那。
    「そんな事はないですよぉ。城崎さん〜。ラヴには秘密があるんですよ」
     横から間延びした声が聞こえてきて、僕はそちらを見ると――堤防を上がってくるジュティー・ムゥの姿があった。
    「ムゥ……」
     レヴィアンと戦いを興じていたはずのの黄色い天使。しかし彼女は今、魔法少女の姿ではなく、一般人のするようなごく普通の格好をしていた。
    「あの悪魔は倒してきたの? ムゥ」
     仮夢衣がパートナーに冷ややかに尋ねる。それは普段の仮夢衣らしからぬ物言いだ。
     でも、ムゥはそんな態度にも全然気にしていない風で甘い声を出した。
    「あ〜ん。それがいいところで逃げられてしまいましたぁ〜。仮夢衣の愛をウチにもっと注入してくれたら、もっと強くなって今度こそ倒してみせますから。仮夢衣ぃ〜」
    「わわっ……こらこらっ、やめれって、ムゥ。あたしに同性愛の気はないって何度言ったら分かるのよっ。あたしにはあんたの頭撫でる位しかしないって言ってるでしょ」
     ムゥは両手を広げて仮夢衣に抱きつこうとして――仮夢衣は彼女の顔を押さえつけて寄せ付けまいと踏ん張っていた。
    「いや〜ん。いけず〜。ウチ今日は頑張ったからもうちょっとサービスしてくれていいのにぃ〜。あと、ウチのことはムゥじゃなくてジュティーって、甘く囁くような声で呼んでっていつも……」
    「嫌よ。女の子同士でそういう事やっていいわけないのっ。あなた天使なんだったらそれくらいわきまえなさいよねっ」
    「えぇ〜、そういう事ってどんな事っすかぁ? ウチ気になるっす〜。仮夢衣の口から聞きたいっすぅ〜」
    「だ、だからやめれって! この馬鹿っ。とにかくあんたはその性癖を直しなさいっ」
     なんというか……2人共普段の彼女達らしくない態度というか……ムゥも僕と接している時とは随分違うな、おい。
    「だってウチ、男には興味ないんすよ〜。この寂しさを癒してくれるのは仮夢衣しかいないんすよ〜」
     と、ムゥは僕に冷たい視線を一度向けた後、仮夢衣に体をすり寄せ甘え始めた。
    「なっ、なにごともチャレンジよ、ムゥ! ほら、丁度そこに男の子がいるじゃないっ!」
     ムゥにもみくちゃにされながら、僕の方を指さす仮夢衣。
     ムゥは――僕の方にチラリと顔を向けて、そして僕と目が合った。彼女は、
    「……いや、無理っす。汚らわしいっす。てか、こっち見んなっす」
     ゴミを見るような感じで一瞥して、すぐに僕の存在は無視された。
    「って、それが天使の言う事かよ!」
     傍観者気取りでいた僕は、ついつい2人のやりとりに口出ししてしまった。
     それにしてもなんてデレようなんだ。これが天使の愛なのか? 僕がこんな事になったら爆発して死ねるな。うん。
    「……って、あんたも見てないで止めなさいよっ!」
     仮夢衣が僕に助けを求めてきてるが、あいにく女同士のラブコメなんて興味ない。助けに入ったら男嫌いのムゥに何をされるか分かんないし。汚らわしいとか言ってんだもん。
     だが、これがもしも男と女のシチュエーションだったら、僕は迷わず助けに入ったけどな。もちろん男の方をだ。
    「それより、ムゥ。さっき何か言おうとしただろ? ラヴのことで」
     仕方ないし僕は話を進める事にする。たしか秘密があるとかどうとか。
    「ああ、そうそう。秘密ですね……ええ。それがですね、昨日城崎さんと話して別れた後、ウチ調べたんですよ……ラヴのことを」
     ムゥは仮夢衣にひっついた状態で話し始めた。
    「調べたっていうのはその……天界ってところに戻ってか?」
     だとしたら昨日行ってすぐ帰ってきたということか。案外簡単に行き来できるものなのか?
    「ええ、天界に戻って上司に直接話を聞いてきました。なんと驚くことに彼女はですね……堕天使だったんですよ」
    「え。堕天使?」
     昨日もムゥが言ってたこと、彼女の通り名。
    「そうです。堕天使です。ただの噂じゃないっすよ。ついこの間、彼女は堕天したんすよ」
     ムゥが、これはスクープだと言わんばかりに目を輝かせている。嬉しいのか? ラヴとムゥってどういった関係なんだろうか僕は少し気になるが、今はそんな場合じゃない。
     僕はムゥの話に食い気味に耳を傾ける。こんなに熱くなる僕も珍しい。けど何気なく見たムゥの隣にいる仮夢衣の顔は、なんだか寂しそうに見えた。
    「元々ラヴはウチらの間じゃ有名でしたからね。でも堕ちた天使と呼ばれていたラヴが、まさか本当に堕天するなんてねぇ」
     しみじみと遠い目をしてムゥが呟く。
    「……ムゥ、その堕天ってどういうことなんだ? それって悪魔になったって事なのか?」
     よほど悪いことなんだろうというのは予想できるんだけど……。
    「ああ……いえ、堕天して悪魔になるケースもあるにはあるんすが、ラヴの場合は規律違反による追放ってところですかね。堕天と言っても一応まだ天使の身分は失ってません」
    「それで……ラヴは何をやったんだ?」
     僕にはあの天使が悪人には思えないんだ。
    「はっきりは言ってくれなかったっすけど、恐らく度重なる命令違反ってところっすね。あの子いつも勝手な行動ばかりとってましたから、ウチはいつかこうなるんじゃないかって思ってましたっすよ。これは立派な――裏切り行為っすよ」
     命令違反。裏切り行為。ラヴが自分勝手な奴だってのは僕も知ってるけど……。
    「で、でもラヴはレヴィアンを倒そうと頑張っていたんだ。愛の為に戦ってたんだ」
     僕はいつの間にかラヴを擁護する立場になっている。
     僕は仮夢衣の方を見ると、やはり彼女は元気がない感じだ。さっきからどうしたんだ。
    「きっとラヴは再び天使に返り咲こうとしているんすよ……そんな勝手なこと、逆効果だって言うのに。その為にあなたは利用されてるんす――城崎さん」
     ムゥは僕にラヴの胡散臭さと危険性を伝えてくる。
    「そんな……ラヴが僕を利用してるなんて……」
     あいつは自己中で滅茶苦茶な奴だけど、僕の事を……僕の事を? いや、僕は、違う。そうだ。僕はそうやって他人を信じて傷つくのが嫌だから愛を憎んでいたんじゃないのか? 僕は……僕の心はどこに向かっているんだ?
    「それにラヴは謎の多い天使なんですよ。噂では元人間だったとか言われてるんですよ」
     ムゥの衝撃的告発。
    「に、人間だった……!?」
     確かにラヴは天使にしては人間くさいところがあるけど、それを言うならムゥだってそうだし、僕にはあいつが人間かどうかなんて興味ない……はずだ。
    「城崎さん。忠告しときますよ。ラヴはあなたに対して愛情なんて持っていません。あなたがラヴに対して愛情を持っていないのが何よりの証拠です」
    「そもそも僕は……誰に対しても愛情なんて持ってないんだ」
    「ならば尚更ですよ。彼女は天界では問題児です。もし地上で何か問題を起こすような事があるなら……今度こそ本当に悪魔に堕ちることになるでしょうね」
     悪魔……愛とは対極に位置する天使の天敵。愛を糧に戦っているラヴがそんなこと……。
     僕には信じられない。でも、もしかしてラヴは初めからずっと嘘を吐いてたんだとしたら? 僕を利用するためにずっと騙し続けてきたのか?
     ――いいさ。僕はどっちみち信じない。だからどっちにしたって僕は傷つかない。
    「あっ、そうそう。ついでにですが……あの悪魔、レヴィアンですけど、やっぱりあの河原に住み着いていたみたいでしたよ。橋の下に生活してた形跡がありましたっすから」
    「そうなの……それで何か手がかりは見つかったの、ムゥ」
     ムゥに抱きつかれたままの仮夢衣が元気ない感じで尋ねる。
    「なんか変な物が沢山ありましたっす。釣り道具とか衣装とか看板とかぬいぐるみとか……なにしてたんすかね」
    「さぁ。あたしには分からないけど……でもこれでまた悪魔を見逃してしまった訳ね」
     ふぅ、とため息を吐く仮夢衣にムゥは仮夢衣からようやく離れ、励ますように明るい声で話した。
    「あの悪魔の事なら大丈夫です。何を企んでいるかは知りませんが、次に会った時こそ退治して地獄に送り返してやれそうです。奴の魔力もほとんど残ってませんからね。ふ〜、これで悪魔騒動も一件落着しそうっす」
     ムゥが輝くような金髪を軽くかき分ける。
     仮夢衣はさっきから複雑な表情をして随分と大人しい。
     対称的な感じにムゥはまだ得意げに話し続けている。
    「レヴィアンの居所の目星なども大方見当はついてるっすからね、今日明日中にはチェックアウトっすよ」
    「チェックメイトね」
     仮夢衣がさりげなく訂正した。
     僕には何も分からないまま事が進んでいく。
     本当に――これで終わるんだろうか。
    「後は全て任せといて下さい。あなたはもうこのことは忘れて日常に戻っていいんですよ。それがあなたの幸せです。ウチ達天使は人間達の幸せの為に行動してるんすから」
     ムゥは天使の微笑みを僕に向ける。天使という役割としての事務的な笑み。
     日常に戻る。僕の日常……それは世の女性達を敵視し、孤独に毎日を送る幸せ。それが……それが僕の幸せ?
    「くれぐれも気を付けて下さい、城崎さん。ウチは悪魔と決着を着けに行きます」
     ムゥは手を振って颯爽とその場を去っていく。
    「……」
     僕も家に帰ろうかと踵を返しかけた時――。
    「あっ……清貴っ」
     仮夢衣が僕を呼び止めた。
    「なんだよ」
     振り返った僕の目が捉えた仮夢衣の姿はやけにしおらしく、儚かった。
    「……いや、ううん。春祭……春祭頑張ろうね、清貴」
    「え……あ、うん」
     こんな時に仮夢衣は何を言ってるんだか。僕は春祭なんかに興味はなくて、準備とかにも全く関わっていないのに。そう、僕は全然何にも干渉なんてしていないんだ。
     学校生活においても、天使と悪魔の騒動においても。
     僕はもうこれ以上、傷つきたくなかった。


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