天使がきても恋しない!

    1. 第2章 愛の普請者と愛の不信者と愛の不審者

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    3

     
     学校が終わって、今日も春祭の準備から抜け出し帰宅している時だった。
    「……ん?」
     歩道橋を渡っている時、僕は一人の少女を見た。橋の上に佇んでいるモデル雑誌の撮影かと思うくらい存在感のある美しい少女。
     でも僕はできるだけ視線を合わせないようにして足早に進む。
     しかし、少女は僕に気付くとニコニコした顔で話しかけた。
    「お疲れ様です、清貴さん。お帰りですか? よければお供しても――」
    「断る。帰れ。ついてくるな、ラブラドール・レトリバー」
     少女の呼び掛けに僕は一蹴する。それは少女が女性だからという訳ではない。いくらなんでもレディバグだってここまでの暴挙はしない。
     それは少女が――天使見習いのラヴだったからだ。
    「ひ、ひどいじゃないですかぁ。清貴さん。あなたを待ってたっていうのにぃ。そして私の名前はラヴラドル・ラブ・ライクですってば! ワンちゃんじゃないんですってば!」
     ラヴはブリッ子ぶった挙動で頬を膨らませる。きっとこの顔をみれば大抵の男は心が揺さぶられるだろうという位に。
    「それが余計なお世話なんだよ。いい加減僕に付きまとうのはやめてくれないか? 生憎だけど僕はお前の期待には応えられそうにないんだ」
     どう足掻こうが僕は堕とせない。天使見習いラヴの顔を見ることないまま僕は歩き続ける。
     拒絶されたラヴはしかし……それでも僕の後ろをついてきていた。
    「大丈夫です。私があなたを改心させてあげます。共に愛を学び愛を育んでいきましょう、清貴さんっ」
    「……まったく嫌気がさすよ。僕が本気で嫌がってるってのが分からないのか?」
     必殺、ブレイクハートッ! 魂を傷つける言葉の刃。僕の言葉は綺麗な氷のようさ。
    「そんなの嘘ですね。清貴さんがそんな事本当に思ってるわけないですもんね。ツンデレなんですもんね」
     しかしラヴには全然通じていないよう。なかなかやるな……さすが天使ッ!
    「いいか、僕はレディバグなんだ。レディバグの心は人間のそれを既に超越した! これぞ僕の鉄の意志(アイアンメイデン)ッッ!」
    「わぁ……すごいです〜(棒読み)。 きしょ」
    「ふふふ……そうだろ、すごいだろ。特別に僕を敬う事を認めてやろう。でも……なんかちょっと最後に変な雑音が聞こえたような……」
    「気のせいですよぉ。天使の私がそんな事言うわけないじゃないですか〜」
    「だ、だよね〜。そんな事言うわけ……って、あれ!? そんな事!? そんな事ってどんな事なの!? やっぱりなんかやましい事あるんじゃねっっ!?」
     予想以上に手強い相手だ。だが強い敵ほどやりがいがあるというもの。
     だったら作戦変更。奴に畳みかける。
    「ラヴよ〜、お前こそもっと本性を現したらどうだ? 本当は仕事だから嫌々やってるだけじゃないのか〜? 裏では僕に対して愚痴ばっか言ってるんだろ〜?」
     ゴシゴシ攻めていく僕の言葉の衝撃波。必殺・ワーズワーズマジック。
    「ぎくッ! い、言ってないですよっ! そんな事言うわけないじゃないっすかッ!!」
     と唐突に、ラヴが血相を変えて大きな声を張り上げた。そのあまりの勢いについ僕は、
    「い、いや……悪い……って――なんでマジギレしてんだよっ! てことは絶対言ってるじゃん! てか、ぎくって言ったじゃん! 今の台詞の全部がそれを認めてるじゃん!」
     ちょっとなんか本気で泣きそうになってきた。
     にしても、それなら何故ラヴがここまで自分に付きまとってくるのか分からない。
     ラブの言う愛が到底信じられないし、僕がラヴを好きになる事はありえないのに。
     だからこれからは強硬手段も辞さない。僕に近づこうとすればするほど傷つくだけだぞ。
     なのに、それでもラヴは僕の気持ちも知らないで懲りずに口を開く。
    「えへへ〜。またそんな事言ってぇ。照れちゃってさ〜」
    「照れてねえ。心の底からの本心だよ」
    「そうですね、始めはいがみ合う関係ってのが、ラブコメの基本ですもんね。さすが、清貴さんっ、分かってらっしゃるっ!」
    「お前が全然分かってねーよっ! さっきから何言ってんだっ! グッジョブみたいな顔すんな!」
     はぁ……僕はもはやラヴに対して、怒りを通り越してあきれ果てていた。
     僕はため息吐きながら歩道橋を渡りきって、階段を降りようとした時。
    「ふ、来ましたわ……」
     と、ラヴが僕の背後でらしくない――シリアスな声を上げた。
    「え? 来たって何が……わあっ?」
     僕がラヴの方を振り返ろうとした時、突然ラヴが僕の手を引っ張って、素早く後ろに引いた。僕の体は歩道橋の上を転がった。
    「ってぇ、ちょっ……なにすんだよっ。ってか、来たって何が……えっ?」
     僕が声を上げて前に立つラヴを見た。すると――ラヴが身構える先に来訪者の姿がちらりと見えた。
     こつーん、こつーんと階段を昇ってくるそれ。
    「あれは……?」
     こちらに近づいて来る異形なものに、僕は見覚えがあった。
     それはつい昨日のこと――そう、あのスライムと同じやつだ。だけど今、僕の目の前にいるものはスライムなんて形容できるものではなかった。
    「じゅるるるるぅ……」
     それはトゲトゲしたハリを背中に生やした獣だった。四足歩行で歩く獣は一見するとハリネズミっぽいけれど、体はそれより全然大きく、ネズミと言うよりむしろブタっぽい感じ。温厚な顔をしていて可愛くも見えるが……どう考えても触ったら怪我する。刺さる。
    「あれはハリモゲラですね」
     僕の前に立つラヴが振り返ることなく冷静な声で言った。
    「ハリ……え?」
     ハリネズミみたいな名前で、ハリネズミみたいな獣を見ながら僕は説明を請うた。
    「ハリモゲラですよ。魔界に生息する獣で、悪魔とかが使い魔として飼ってたりします。一時期ペットブームで流行ったんですけど、すぐに飽きられて捨てられて、野良ハリモゲラが問題になったりしてましたけど……」
    「なんか悲しい背景抱えてるんだな、おい。むしろ知りたくなかったよ」
     ていうかペットブームってなんだよ。なに、魔界ってそんなとこなの?
    「ま、安心して下さい。こんな相手なら簡単に退治できますから」
     なんとも頼もしいことを言ってのけるラヴ。そう考えればこいつも世界の平和の為に戦ってるんだ。女だからといって無為に邪険にはできないよな。僕のライバルとはいえ、平和を乱されるのを黙って見てるわけにはいかないし、この町に住む者として僕もできるだけ協力は惜しまないよ。
    「でも、なんで立て続けにこういうモンスターが現れるんだよ?」
    「きっとそれは清貴さんがこっち側の世界に干渉したからですね。一度別の世界を垣間見ればもう無関係ではいられなくなるのです。別世界なんてね、清貴さん……日常のどこにでも広がっているんですよ」
     ラヴは意味ありげに微笑んで――ハリモゲラと向かい合った。
    「ふがふがふが……」
     平和を乱す悪、ハリモゲラはラヴを睨みながら鼻を鳴らしていた。威嚇しているようだ。
     協力を惜しまないと言ったはいいが、僕はどうしたものかと立ちすくんでいるしかできない。
     それに比べ、さすがプロフェッショナルのラヴ。彼女は落ち着いた様子のまま、
    「変身します――」
     そう言って、ラヴはどこからかハートのステッキを取り出してくるくる回し始めた。
     魔法少女に変身するのだ――僕は固唾を呑んでラヴを見た。
    「愛こそが全てっ。愛の力を私に! らぶらーいくっ!」
     そうラヴが叫んだ瞬間――その体が光に包まれ、きらりらりーん。という感じでラヴの変身シーンが始まった。
     ラヴの体が空中に浮き上がり服が脱げていく――だけど、キラキラした光が大事なところを隠すように絶妙加減で体を包む。一度ラヴは空中で全裸になって――それから僕が昨日見た、ヒラヒラしたコスプレみたいなドレスがどこからともなく現れてラヴの体を覆う。
     ピンクと白が7対3くらいの服にスカート。実用性に欠けまくった靴。暖かすぎそうな白い手袋。そして何故か顔に化粧が施してある。まつげも長くなって、瞳の色が碧眼から服と合わせたピンク色に。髪の色も普段よりもっと明るいピンク色になって、しかも少しキラキラと輝いている。そして髪の量もボリュームアップ。
     ラヴはそれらの変化全てに身を委ねている風に体を脱力させている。そして――ラヴの髪型とか細かいところまでお洒落な感じになって最後、背中に天使の羽が生えて――変身は完了した。
    「愛の天使見習い、ラヴラドぉぉぉぉルッ・ラブッ・ライクっっっっっ!」
     どっから出てきたか派手なエフェクトをババァァアアンと背景にして、ラヴは翼を広げてビシッとポーズを構えた。
    「うわぁ……これは……うわぁ」
     その光景に僕はただただ絶句するのみである。引きまくっていた。ラヴのこの姿を見るのは2回目だけど、そう言えば変身シーンを見るのはこれが初めてだな。
    「ちょっと、清貴さん〜。なんですかその顔は。なんでそんなリアクション薄いんですか、もうっ」
     ヒラヒラした格好で不服そうに頬を膨らませているラヴ。髪のボリュームが大幅に増えて若干髪色も明るくなってテカテカしてるから、なんか近寄られたら目が痛くてうざったい。
    「いや、知らないよ。そんなことよりまずはこの怪物をどうにかしろっての」
     化け物がいるのになんとも緊張間のない戦いだ。
    「ふぅ〜……分かりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」
     ラヴは天使らしからぬ面倒くさそうな感じに言って、そしてトテトテとハリモゲラの方へと進む。
    「ふがほご……」
     ハリモゲラは心なしか若干ラヴに怯えているようだった。
     僕はなんだかハリモゲラが可哀相に思えてきたよ。もはやラヴの引き立てにしか見えないもん。
    「さぁ、魔物さん。今、退治してあげますからねぇ〜」
     と、にこにこ顔で近づくラヴは、きっとハリモゲラからしたら恐怖以外の何者でもないだろう。
    「ほげふが……」
    「それではいきますよ〜」
     ハリモゲラのすぐ傍まで来たラヴは手に持っていたステッキを大きく振り上げて――。
    「愛の名のもとに。ラブ・すとら……って、えっ?」
     ラヴがステッキでハリモゲラを思いっきり打ち付けようとしたその時、突如ラヴの動きが停止した。
     そして僕は驚愕する。新たに現れた登場人物に。
    「ひゃひゃひゃひゃひゃっ! まさかと思ったが、貴様がこんなとこにいるなんてなぁ、ラぁ〜ヴぅ〜っ!」
     それは、黒衣の少女。素肌の上から布のような真っ黒のボロを体に纏った、水色の髪は長く、前髪ぱっつん。やたらと肌の色が白く、生気を失ったような顔した――小学生くらいの小柄な女の子だった。日常の景色から浮いている幼女は、やけに目立っている。
     ここで解説しよう。僕が女性に対して敵対しているのは周知の事実だが、何も全ての女性に対して敵対してる訳ではない。幼い女の子だったら僕は普通に優しいお兄さんとして振る舞うことができるだろう。それ位の子なら女というよりも、まだまだ子供として通用するからだ。いずれは女として目覚めてしまうが、まだ綺麗で純真な心を持っているのなら、そんな無垢で汚れを知らぬ存在に罪はないッ。
     ……いや、僕がロリコンとかそういうのではないからね、決して。
     しかしやっぱりというか……その女の子はただの女の子ではなかった。
     少女の背中には黒い翼。カラスのような漆黒の翼があった。
     もしかしてこいつも、魔物なのか?
    「ワタシの使い魔をよくも可愛がってくれたな〜、ラぁヴゥ〜」
     黒の少女はハリモゲラを庇うようにして、ラヴとハリモゲラを挟んだ場所に立っていた。というか……少女は少し宙に浮いている。
     ハリモゲラは短い足でバタバタと黒衣の少女の元に駆け寄って行った。
    「よちよぉ〜ちっ。怖かったでちゅねぇ〜。ごめんねぇ、モゲたん。もう危ない目には遭わせないからねぇ〜。ほら、お家帰ろうねぇ〜」
     黒衣の少女は地面に降り立ちハリモゲラを抱き上げると、ワシワシと頭を撫でた。つーか、ハリが刺さって痛くないのか……と思ったら、ハリモゲラの背中に生えていたトゲトゲしいハリが全く消えていた。
    「ハリは攻撃態勢の時に出てくるんです。普段はしまってるんですよ」
     僕の横からラヴが説明。なるほどね。
    「さ、この中に入ってようねぇ〜」
     と、ひとしきりハリモゲラを撫でた黒衣の少女は、そのマントの中にハリモゲラを包み込んで――ハリモゲラの姿がなくなった。四次元マントかよ。
     そして黒衣の少女は、再び空中へと浮上する。
    「なんだよ、この子は……」
     僕は黒衣の少女を見つめる。ラヴの妹っていう感じには見えないし。
     なんかもう既に僕が許容できる世界を大きく逸脱していた。僕は完全に非日常の世界に迷い込んでしまったようだ。でもこれだけは分かる。この少女は悪い奴だと。
    「……清貴さん、気を付けて下さい。この方はレヴィアンさんと仰りますが、正真正銘の悪魔なのです。こんなに可愛らしい顔をしているのにも関わらずです」
     ラヴはステッキをしまい、表情を曇らせて語った。
    「って、可愛らしい言うなっ! ワタシは悪魔なんだぞ! とっても怖いんだぞ! もっと恐れろ、おののけ〜〜っ!」
     レヴィアンという名の可愛らしい悪魔は、これまた可愛らしい声でわなないた。
    「ま、まあ悪魔ってのは何となく予想はしてたけど……全身黒づくめだもんね」
    「ふひゃひゃ! 人間よ! 黒は悪魔の象徴なのだ! 純粋な血統の悪魔であるワタシは、より闇のパワーを高めるために黒で身を固めているのだっ。そんな基本もしらないとは、貴様まだまだパートナーとしては未熟者と見たわ〜っ!」
     未熟者というより、僕まだラヴのパートナーになったつもりないけどね。
     でもそんな事を言う割にはレヴィアンの肌は、ラヴに負けず劣らずの白さだ。
     ラヴが西洋人形だとしたら、レヴィアンはまるで日本人形みたいだと思った。
    「……あなたも相変わらず元気そうですね。その様子だとまだ善良な人達を苦しめることに没頭しているのですか? そんな事しても心が痛むだけでしょう。本当は自分の心も傷ついているのではないですか? いいかげんもう懺悔して……私の胸に飛びこんでも構いませんよ、レヴィ」
     先程からのラヴの様子を窺う限り……どうやら2人は知り合いらしいぞ。
    「誰が飛びこむか! 気色悪い! あとワタシをレヴィって呼ぶな! フン……心なんて全然痛んでないね。なぜならそれが……悪魔の仕事なのだから! けれどまさかラヴ〜。この街がアンタの担当だったなんて。アンタが相手ならワタシもやりがいがあるってもんよ!」
     レヴィアンという悪魔の見た目と口調が合っていない。見た目だけなら大人しそうな幼女なのに。僕はラヴが好きじゃないけど……レヴィアンには勝たないといけない気がする。この町の平和の為に。
    「そうですか。私は争いは嫌いですけれど、レヴィアンの悪事を見逃すわけにはいけません。悪魔であるあなたに愛の素晴らしさを説いても無駄でしょうが……お相手になりますよ」
     と言うとラヴはステッキを構えて――すかさずレヴィアンへと飛びこんでいった。
    「うひゃひゃっ。ラぁヴ〜、相変わらず容赦ないな貴様は。さすがワタシが宿敵と認めただけはあるッ」
     レヴィアンは慌てる様子もなく、どうやって携帯していたのか、マントから大きな鎌を取り出して――
    「全て刈り取れっ、ソウルリーパーアアアアッッ!!!」
     空間を切り裂くように鎌を振った。すると、その衝撃で突風が舞い上がる。さらに川の水がヘビのように唸って、まるで意思を持った竜巻のように舞い上がり、ラヴの方へと流れ込んだ。
    「うわっ!」
     なんていう威力だ。僕は腕で顔を覆って下がる。地面にぶつかった水が弾き飛び僕の体にかかる。衝撃で体が倒れそうになるのをなんとか堪えて、ラヴの方に注意を向けると。
    「うっ……やっぱり駄目ですか。使い魔ならともかく悪魔相手には、今の私ではパワーが足りなさすぎます……」
     水の直撃を避けたラヴは、僕と同じように踏ん張っている。おいおい、なんか弱気な事言ってるけど大丈夫なのか?
    「てか足りないって、どうすればいいんだよ、ラヴ」
     更なるパワーアップを果たすとでもいうのか? とりあえず頑張れラヴ。僕には何もできないけど。
    「清貴さん。さぁ、あなたの出番です!」
    「って、ここで僕かよっ!」
     完全に他人事の気分で見てたのに、まさか矛先が向けられるなんて思ってなかった。
    「いいですか、私は愛の天使見習いなんです。天使見習いは戦闘形態に変身すると本来の力を取り戻します。その力で戦うのです」
    「それは知ってるけど……」
     昨日聞いたわけ分からんシステムだ。
    「ええ。ご存じのように私達は下界に来る際に本来の力を大幅に落としています。ほとんど人間と同じ位の力です……ですが、変身しても完全に元の力を取り戻すわけではないのです」
    「えっ、なんだって?」
     そうだったのか。なんてお約束みたいな。
    「ふふっ、何を企んでるか知らんが、どう足掻いてもワタシには勝てないよ、あひゃひゃひゃひゃ!」
     ラヴが説明してる間、レヴィアンはその翼で上空に飛び上がって優雅に僕達を見下ろしている。攻撃してこないのは余裕の表れか、空気を読んでいるのか。
    「清貴さん。天使のエネルギー源は愛の力なんです。そしてそれは主にパートナーから供給されるのです。与えられた愛のエネルギーに応じて本来の能力が引き出せるのです」
     なるほど、今のラヴにはレヴィアンを倒せるだけの愛がないと言うのか。
    「……つまり、パートナーである僕がお前に愛を与えなければならないと言うんだな?」
    「その通りです。今の私のラブパワーは変身するのがやっとで、ほとんど空の状態です。だから清貴さん。私に愛をください……」
     ずい、と僕の肩に手を置いて、じっと目を見つめてくるラヴ。
    「いや……愛って。具体的に僕にどうしろって言うんだよ」
     なんだかすっごく嫌な予感がするんだけど。
    「愛のある行動ならなんでも構いません。要はその行為によって私が受け取った愛情の強さが、そのまま天使としての力になりますから。ま、例えばキスなんかは典型的な例ですね。もちろん……それよりもっと愛のある行為であればあるほど、強大な力が得られるので望ましいですよね」
     まるで宣教師のようにペラペラと無理難題を要求するラヴ。僕がラヴにやるべきこと。キス。そして。
    「……それよりもっと愛のある行為」
     僕はニコニコ微笑むラヴを見ながらそのシーンを想像して――。
    「嫌だ。悪いが遠慮しておくよ」
     断った。
    「ええっ? なぜっ……どうしてなんですか。清貴さんっ」
     タコのような口をして何かを待っていたらしいラヴは、信じられないという顔をした。いや、無理だって!
    「あっひゃっはっ! これは前代未聞だ! まさか天使見習いと契約しないパートナーが出てくるなんて。たしか相思相愛がパートナーとしての基本条件じゃなかったのかぁ?」
     さすがラヴの宿敵。長年戦ってきてるからその辺の事情はお見通しということか。
    「清貴さんっ! このままだと私達負けてしまいますよ! 清貴さん!」
     ラヴは哀願するように僕の肩を揺さぶり続ける。僕は視線を合わせずただ黙っていた。
     そんなの……卑怯じゃないか。こんな展開ずるい。僕のポリシーやプライドは、町の平和の為なら簡単に捨てられるような軽いものだったのか? 
    「ちっ。お互いの愛も信じられないような奴にワタシが負けるわけがないのよおおっ!」
     僕が態度をとりかねていると、レヴィアンが突然怒って空中で鎌を空高く掲げた。
    「清貴さん、早くっ!」
     魔法少女姿のラヴは、僕に強く愛を求める。敵と戦うために。
     なんだよ……まるで僕が悪者みたいじゃないか。いや、そうか。愛こそが正義なら、僕は悪なんだ。僕こそが悪魔だったんだ。
    「僕は、僕は……」
     もしたとえ、ここで僕がラヴにキスしてやっても……こんなの絶対……愛じゃない。
     愛は状況で仕方なく創られるものじゃないんだ。愛はもっと……。
    「一方通行の愛でワタシを倒せるなんて大間違いだ、ラヴ。さぁ、昇天しなさい!」
     レヴィアンが鎌を大きく振りかぶる。そして僕達に向かって、その鎌を――。
     と。その時だった。
    「なによ〜……その条件じゃあ、ウチ達も落第ってことじゃないですかぁ」
     その時僕の背後で、状況にそぐわない間の抜けた声がした。
    「なっ……誰だっ、勝負の邪魔をするのはっ」
     レヴィアンが攻撃の手を止めて声を荒げる。
     僕は「え?」と、とっさに後ろを振り返る。
    「あっ、あなたは……」
     そして、ラヴが目を見開いた。
     またしても新たな登場人物が現れた――その少女はラヴと同じような格好をしていた。
     それはまるで魔法少女を彷彿とさせるドレスのようなヒラヒラした服。全体的に黄色を基調とした派手な衣装で、髪の色もそれとお揃いの金髪。そして、白い天使の翼。
     少女の少しつり気味の目が、不敵に笑っているように見えた。
    「ふっふう〜ん。やっと本体のご登場ってわけっすか……でもまさかその正体が、こんなに可愛いウチ好みの子だったなんてね、悪魔さぁ〜〜ん」
     イエローの魔法少女は実際に不敵に笑っていた。
     突然割って入った魔法少女にどう対処してよいか僕が測りかねていると、ピンクの天使ラヴがイエローの魔法少女に険しい顔をして声をかけた。
    「久しぶりですね――ムゥ。ここにいるという事はあなたはまた天使昇格試験に失敗したのですね。それで今度はこの町を担当する事になったわけですか?」
     ラヴはイエローに対して、それほど好感を抱いてなさそうな感じに話した。
    「余計な詮索どうも、ラヴ。で、あなたこそなんすか? ここは私の担当すよ? しばらく見ないと思ってたら、どうしてここにあなたが? そもそもあなた下界に来て何やってるわけ? ……まぁいいっす。話はこの悪魔を倒してから聞きましょう」
     2人は意味ありげに視線を交わす。どうやら同じ天使見習いのようで、仲が悪いようだ。
    「……やっぱりお前の知り合いだったのか」
     似たような格好をしているからそうだと思ったけど、と小声でラヴに耳打ちした。
    「イエスです。簡単に言えば私の同業者ですね。彼女の名前はジュティー・ムゥ――今はこの町を担当する天使見習いです」
    「そうでぇ〜す。以後お見知りおきを〜」
     つり目の天使、ジュティー・ムゥが調子のいい声でわざとらしくペコリとお辞儀をした。
    「って、さっきからワタシの事をまるっきり無視するなんて……腹立たしいっ! よく分かんないけど、雑魚が何人いたところで一緒だ。返り討ちにしてやる!」
     半ば放置されていたレヴィアンが存在感を取り戻すように怒ってた。そういえばいたな。
    「余裕言ってられるのも今の内っすよぉ、ロリっこ小悪魔さぁん。ウチのラブパワーはそこの落ちこぼれ天使なんかとは大違いですよぉ〜」
     にゃははと笑って、ムゥがステッキを取り出し、それをくるくる回す。
     ていうか落ちこぼれ? それはラヴのことか?
    「なにせウチのパートナーに対する愛は本物の純愛! たとえそれが一方通行だとしても、それが禁断の愛だったとしても……障害を乗り越えてこその力があるんすよぉ〜っ」
     なんだかこっちもこっちで色々事情がありそうな感じだけど……ムゥが叫ぶと――その瞬間、ステッキの先から光が飛び出して。
    「ひゃふぁ!? こ、これはっ!」
     レヴィアンが驚愕の声を上げる。僕も目が釘付けになる。
     おもちゃみたいな杖にこんな効果があるなんて。そして――。
     ステッキから稲妻のような閃光が瞬いて――悪が吹き飛んだ。爆発。
    「ひゃ、えひゃああ〜!」
     レヴィアンの可愛らしい叫び声が煙の中から響いた。
    突如発生した爆発による轟音と爆風。舞い散る砂塵。辺りは真っ白な煙で何も見えない。歩道橋は今、完全に混沌に支配されていた。僕はただただ混乱するのみ。
    「清貴さんっ、大丈夫ですか、清貴さんっ」
     煙で何も見えない僕の耳にラヴの声が届いた。
    「あ、ああ。大丈夫だっ。でも、これはなんだよっ。どうなってるんだっ」
     僕はどこにいるか分からないラヴに向かって叫ぶ。
    「ムゥが砲撃魔法を使ったんです。今、レヴィアンとムゥが戦っています。だからここは危険です。離れましょう!」
     砲撃魔法って……もうなんでもアリなんだな、お前ら。もうはっきり魔法って言ってるし。
    「てか、煙で何も見えないし、どっちに行ったらいいか……うわっ?」
    「さぁ、こっちです!」
     と、僕の腕がいきなり掴まれて引っ張られていった。
    「ちょ、いたっ……いたいっ。もう少しやさしくっ」
     僕はわめくが、だけどその要望は受けいられず歩道橋の上を駆け抜けて行った。
     そのとき、僕は自分の手を握る、ラヴのものであろう柔らかい感触に、不覚にも少しどぎまぎした。けれどできるだけ考えないようにした。だって僕はラヴに愛を与えられないし、与えて貰う資格もない。
    「はぁっ……はぁっ……」
     煙の中、ようやく歩道橋を越えた僕は肩で息をした。
    「まだ戦っているみたいですねぇ」
     対してラヴは息一つ乱さず、歩道橋を見上げている。
    「なんだよ。あいつら……っていうか滅茶苦茶すぎるだろ」
    「私とムゥは天使でレヴィアンは悪魔です。お互いは敵同士で戦うのが宿命なのです。いわばこれは愛のため」
    「愛のため……か」
     僕にはその愛が分からない。僕は愛を否定したから。愛とは無縁の存在だから。
    「それよりも行きましょう、清貴さん。ここはムゥに任せましょう。元々この土地は彼女の担当エリアなんですからね」
     振り返って見れば、川の水が空高く昇っているのが確認できた。
     そして今も歩道橋の上で戦い続ける彼女達に背を向けて――僕達は家に帰った。


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