天使がきても恋しない!

    1. 第6章 愛ゆえに愛を――

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     仮夢衣が帰った後、僕はずっと部屋に引きこもっていた。
     僕はどうすればいいんだろう。僕はどうしたいんだろう。
     仮夢衣は僕に託していった。責任感の強く面倒見のいい仮夢衣が、この重要な問題を僕に任せた。本当は、仮夢衣はムゥと2人でこの問題を解決したかったはずだ。
     でも仮夢衣にはその為の力がない。
     そして僕にはそれがある――いや、あるの……だろうか。
     僕とラヴは決して分かり得ない。分かり得ない……はずなんだ。
     それでももう、この町でレヴィアンを止めることができるとしたら、それはラヴと――この僕の2人なんだ。どっちが欠けていてもいけない。僕達2人が。
     でも僕はレディバグなんだ。女と協力したり、ましてや愛の力なんてとんでもない事なんだ。僕は……僕は自分でかけた呪縛にかかっているんだ。
     そんな下らないものに僕は頭を悩ませてるけど、僕にとってその戒めは僕の全てなんだ。
     僕は数少ない友達の言葉を思い出す。下らない呪縛や戒めとは無縁の人間。遠野友晴。
     あいつは誰かに嫌われても、それでも人を好きでいられた。
     傷つくのを恐れているわけじゃない。大人になって後悔をしたくなかったから。今の自分に嘘を吐きたくなかったから。
     大人の僕――。
     果たしてあの頃の僕――あの運命の日を迎える前の僕は、今の僕を見て笑うんだろうか。
     きっと笑われるだろう。少なくともあの頃の僕は純粋に誰かの事を好きでいられた。
     好きな人。初恋の人。僕はその顔を思い出そうとする……だけど、その情景を思い出せても、その娘の顔も名前もどうしても思い出せない。
     僕はどうして彼女が好きになったんだろうか……。
     僕は――ずっと誰かにとっての1番になりたいって思っていた。その人にとってのかけがえのない人。1人挙げられるとしたら、すぐに僕の事を選んでくれる人。
     彼女なら僕を1番にしてくれると思っていたのかもしれない。でもそれは敵わなかった。
     1番は僕だと言い切ったのは――ラヴだった。なぜか分からないけど、僕はあの日のことを思い出すと、自然にラヴの事も脳裏をよぎるのだ。
     そのラヴは僕と決別する前に、言った。
     僕を救済する――。その台詞を放った時のラヴの顔が、僕の頭から離れなかった。
     僕はずっと昔からその瞳を知っていた気がする。
     僕は――なぜかまたあの時の情景が頭に浮かんだ。僕のアイデンティティーが形成されたあの日の出来事。運命の日。それは悲劇であり、喜劇。
     最初で最後の恋。
     ……廃墟を出る前、ラヴが僕の背中にかけた言葉はなんだったっけ。
     あれは……あれはたしか。
     もしかして僕は、彼女の事を知っているのかもしれない。
     もしかして僕は、ラヴをずっと以前から知っているのかもしれない。
    「……駄目だ。なにやってんだ、僕は」
    僕は考えるのが嫌になって――レディバグ団へ寄った。
     あの時の事を考えると頭が痛くなるから。だから僕はオアシスへ行くのだ。
     そしてオアシスには一人、団長だけがいた。
    『お、おお……君はキヨくんじゃないか! よくぞ来てくれた!』
     僕が入った瞬間、団長は大げさすぎる反応を示してきた。
    『だ、団長……どうしたんですか? 何かあったんですか?』
     ただならぬ雰囲気に僕は、驚きを禁じ得なかった。
    『いや、君が来てくれて俺はとても嬉しいのだよ! さあ、互いの無事を祝して踊ろう!』
    『え? あ、はい……わぁい』
     よく分からないけど、僕と団長はしばしの間、お互いの無事を喜び合った。気持ち悪いので割愛。
    『――ところで団長は何をそんなにうかれているんです? それにノンケ君は今日はいないんですか?』
     しばらくして、落ち着いた僕は団長にその様子の変化等を訊いてみた。
     しかし――団長から帰ってきた言葉は、まさに青天の霹靂だった。
    『そのノンケ君だが……実はキヨくんが来るちょっと前まで俺はノンケ君と話していたのだ。そして彼はこの団を抜けた。彼は……ノンケ君は――男性殺し(マン・イーター)に堕とされたのだ』
    『え? なん……だってっ!?』
     ノンケ君が――殉職。いや、ダークサイドに堕ちた。
     男性殺し。男の心を堕落させる、我々にとっての敵にやられて。
    『だって、あんなに誓い合ったのに……世の女性と戦おうって決めたのに……』
    『仕方あるまい。奴も男なんだ……。女に心奪われた者はここを去らねばならぬという鉄の掟がある。ノンケ君はその掟に従ったのだ。だけど、それは彼ににとってむしろ幸せな事なのかもしれないのだ。だから……彼を温かい目で見送ってやろうじゃないか。それがここを去る者に対する、我々残された者のやるべき事なのだ』
    『団長……』
     さすがに団長は言う事が違う。さすが僕の憧れの人。僕は彼から様々なものを与えられているし、かつて壊れた精神(こころ)の再編成にも大いに影響を受けたのは言うまでもない。
    『こんな俺達だからこそ……仲間の幸せをまず第一に想うべきではないのかね』
    『そうですね。こうなればもう……ノンケ君がここに戻ってこない事を祈った方が彼の為なんでしょうね』
     それは寂しいことだけど、それがノンケ君の幸せなら、彼のこれからの未来を祝ってやろうじゃないか。幸せを削りながら戦う僕達だからこそ……。
    『だけど、団長。僕はいつまでもこのレディバグ団の一員であり続けます。この組織は僕が守ります』
     愛の力は僕達の世界を浸食していく。
     僕は悪魔からも愛からも攻撃を受けている。
     周りは敵だらけで、僕が頼れる人はもういないのか?
     ――僕の脳裏に、ラヴの顔がよぎった。
     ラヴラドル・ラブ・ライク……。そうだ。団長に話そう。僕のこの状況を。ラヴに対する対応を。迷いを断ち切ってもらうのだ。団長が言ってくれれば僕は安心できる。団長に戦えと言って貰えればそれで何も考えなくていい。きっと僕はまた戦える。
    『聞いて下さい、団長……。実は僕、団長に相談したい事があるんです……』
     そして僕はラヴの事について話した。天使のこと、悪魔のこと、パートナーのこと、そしてラヴのことと、僕の心がラヴに開きつつあるこの状況を。
     信じられないような話だけど、一通り僕に起こっている事情について話した後――しばらくの沈黙があって――団長は僕に宣告した。
    『なかなか面白い話じゃないか、キヨ君。少々現実感に欠けるがね。その話は何かの比喩として受け取っておいていいのかな?」
     やはり信じて貰えないみないだ。まぁ無理もない。
    「それでいいです……だけど大まかな事は真実です」
     その方が話が通じるのなら、いっそ信じて貰わなくて構わない。
     さぁ、団長。僕を……僕を導いて下さい。
    「ならキヨくん……君は、レディバグ団から出て行け。君はその女の子に負けたのだ』
     それは――無慈悲な解雇通知。俺の敗北通告。死刑宣告。
    『え……い、いや……』
     僕は我が目を疑った。天と地がひっくり返る程のインパクト。
     そ、そ……そんなの――嫌だ。
    『……団長。嫌ですよ。僕は負けてない。だって僕、ここから出て行くつもりないです。僕はレディバグ団の一員として戦っていきたいんです。だから僕はその女の子と付き合うつもりはないです!』
     僕にはここしかないんだ。ここがなくなったら心の隙間をどこで埋めろと言うんだ。だからそんな事言わないで下さい、団長っ!
     しかし、そんな僕の心を見透かしたというのか――団長は烈火の如く怒った。
    『――このたわけがあッッッッ!!! お前の負けなんだよッ、キヨォォオオオッ!!』
     団長の叫び声。いつも温和で紳士的な団長の……初めの怒り。
    『え、団長……』
     僕は言葉を失ってしまった。頭にたくさんあった言い訳が全て吹き飛んだ。
    『俺はお前らが憧れを抱くようなかっこいい大人じゃないんだ……羨ましい。これが俺の正直な気持ちだ。口では色々言ってきて自分を誤魔化してきたけど、これが真実だ。俺はお前が羨ましくて羨ましくて憎くて仕方がない……俺だって、俺だってホントはモテたいんだ! 女子にチヤホヤされたいんだよぉおおおおおおお!!!!!』
    『だ、団長……あなたは……あなたは』
     あの団長が……何を言っているんだ。嘘だ。冗談だ。これは現実じゃない。
    『お前は……大事なものが見えなくなっている。確かに居心地の良い場所かもしれないが、所詮ここは満たされない心を癒す為の場所でしかないんだ。女性から相手にされないというルサンチマンを発露する場所なんだっ!』
    『そ、そんな……嘘だ……嘘でしょう……団長』
     このレディバグ団を引っ張ってきた団長が……何を言ってるんだ。駄目だろ。そんなの。
    『はっきり言わないと分からないか……ならば言おうっ! 俺が団長として頑張っているのは今までモテなかった事に意味が欲しかっただけなんだッッッッッ!!!! そうでもしないと俺の今までのみじめな人生は報われないんだよおおおっっ! モテない事を正当化したいんだよおおおおお……』
    『ち、違います……僕は……違います。僕は本当に女と戦うために――』
     そうだ。ここはそんな消極的な場所じゃない。僕はモテないからこんな事をやってるんじゃない! 団長はそんな事言わない! 思ってるわけない! 少し混乱してるだけだ!
    『違うッ、キヨッ! お前はこう考えつつあるはずだ――もしかしたら女性は悪ではないかもしれないと。今のお前は、ただこの場所にいたいから……レディバグ団の一員という自分のアイデンティティーを守りたいだけで女を無理に憎んでいるに過ぎないッ』
    『……それは』
     僕はしかし、悲しいかなはっきり違うと否定する事ができなくて、それが悔しくて。
    『キヨくん……もしそうだとすれば――それはお前が不幸になるだけにしかならない。そんなのは俺が――いや、レディバグ団全員が望まない。お前は今、女性と戦うという事に疑いを持っているのだろう? だったらこの場所はお前にとって毒でしかない。お前には未来がある。こんな吹き溜まりにいていい人間じゃないのだっ!』
     乱心してるはずの団長の言葉は、けれど僕の胸を突き刺す。なら、そうなのか? 団長が正しいのか?
     きっと団長は……正しいのだろう。だって僕は今、モニターの前で涙を流している。僕はこうやっていつも団長の言葉を素直に信じてきたんだ。
    『だ、だんちょお……』
     だから僕には言葉がない。何も反論できない。何を信じればいいのか分からない。音を立てて崩れていく。レディバグ団が。僕の全てが――。
    『それに、そんな考えの人間にいられても迷惑なだけだ。俺達の足を引っ張るだけだ。ここにはリア充の居場所はない。消えるんだ。そして……もうこんなところに戻ってくるんじゃないぞ……幸せになれよ、キヨ』
    『……だ、団長っ団長っだんちょ――』
     プツン――と、チャット画面が強制終了された。
     僕は団長の手によって部屋から強制的に追い出されたのだ。
     僕はレディバグ団から除名処分となった。
     僕は全てを失った。僕に誇れるものはもう何一つない。
     そして僕は――レディバグ以外を、一から一歩ずつ始めていく。
     僕は止まったあの時間から、自分をやり直す。たとえ何年経っていても、いつからであっても……やり直すのに遅すぎる時なんて決してないんだ。
    「ありがとうございます……団長。そして――今までお世話になりました」


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