天使がきても恋しない!

    1. 第5章 愛なき

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     帰宅中に僕は明日からの連休をどのように過ごそうか考えてると、遠くに見える交差点の人混みの中に、見覚えのあるとても綺麗な少女の姿を見た。
     その美しさは周りにいる人々に紛れてもやけに目立つ、とても引き立った姿。
     桃色の髪に、スラリとした体型。服装はラフな格好で手はこんでなさそうだけど、それでもお洒落に見えてしまう不思議な魅力。
     ラヴラドル・ラブ・ライク。
     昨日会ったばかりなのに、なんだか随分久しぶりのような気がした。
     ラヴは僕のことには気が付いていないようで、ふらふらと交差点を横断している。
     彼女の姿を見失いそうになった時、僕は――自然と彼女の後を追っていた。
     商店街の方を歩いて行き、そこを抜けてまだずんずん進む。
     すると、ラブは小さな交番の前で立ち止まった。
     警察に何のようだ……。怪しい。
     ラヴが交番の中に入っていくのを見ると、僕は建物の側まで寄ってこっそり中の様子を窺う。
    「お巡りさん。10円玉が落ちているのを見つけました」
    「いや〜、いつも偉いねぇ。ラヴちゃんは。ありがとよ〜」
     落とし物を届けてたよ! しかも10円玉て! しかも頻繁にしてるっぽい! 逆に迷惑じゃね!?
     10円玉を警官に渡したラヴはくるりと踵を返し、交番を出てまたどこかへ歩いて行く。
     僕はばれないように隠れながら、再び後をつけた。
     ラヴは僕の事を慕ってくるのに、そのくせ自分のプライベートの事は全く話してくれないよな。
     もしかしてこのまま行けばラヴの住んでいるところに辿り着くのかもしれない――と思いながら、飽きずに僕はつけていく。
     いつの間にか夕暮れ時にさしかかって、空はオレンジに染まっていた。
     そして辿り着いたのは――町のはずれにある、とある廃校だった。
    「ここは……この学校は」
     僕はこの建物を知っていた。
     それは老朽化の進んだ小さな小学校。
     そこは僕がかつて通っていた小学校。
     そして――僕が運命の日を迎えた場所。
    「……こんなところに何の用があるんだろう」
     もう二度と来る事はないと思っていた場所に足を踏み入れた僕は、少なからず郷愁を感じていた。僕が卒業してすぐに、捨てられた学校。
     ラヴの後ろ姿は、捨てられた校舎に向かってまっすぐ進んで、入り口の前で立ち止まった。
     僕は物陰からその様子を見つめていると、ラヴは思い立った様子で廃校の中へと入っていった。
     後を追おうか追うまいか、僕は躊躇した。正直あの場所には――もう行きたくない。
     僕は引き返そうかと思ったけれど……何を考えてるんだろうか、気が付けば足は勝手に動いていて、ゆっくりと忍び足で校舎の方に近づき、こっそり中の様子を窺っていた。
    「…………」
     暗くて中の様子が分かりづらい。
     でもこの廃校……とても懐かしい感じだ。僕の心に焼き付くように存在する、あの時の情景が浮かんでくる。他にも小学生の時の思い出はあるはずなのに――なぜ僕はすぐにあの情景と結びつけるんだろうか。
     そしてラヴは、何故この場所に来たのだろうか。
     ……こうして入り口でじっと考えてても仕方ない。見たところ中にラヴの気配は感じないので、僕は思いきって中に入る事にした。
    「……風化するのは早いもんだな」
     使われなくなって数年でここまでひどくなるのかって位に、中は汚れていて、崩れかかっていた。
     懐かしさとか、緊張感とか、恐れとか感じながら廊下を歩いていると。
    「にゃあああ〜〜〜」
    「っっっっっっっっ!!!!!!」
     思わず大声を上げそうになった。
     これは――猫の声だ。
     僕が足元をみると、1匹の猫がうろうろ僕を囲むように歩いていた。
    「な、なんだよ……ここに住み着いてるのか?」
     僕はほっとして心を落ち着かせた。
    「清貴さん、ここで何してるんですか?」
    「うわあああああっ!!!!!」
     ほっとした時に突然僕の背後から声をかけられ、僕はとうとう叫び声をあげてしまった。
    「清貴さん、落ち着いて下さいっ。そして安心して下さい……私です、ラヴです」
     僕が振り返ってよく見ると、確かにそいつは先程まで僕が追っていたラヴだった。
    「あ、ああ……驚かせるなよ」
     闇に浮かぶラヴは、徐々にその姿を浮かびあがらせていった。
     ていうか、ラヴだからこそ安心できないんだけどな。
    「ごめんなさい、清貴さん。この猫は捨てられていたところを私が拾ったのです。この辺りには友達も多いですから……。この子に悪気はないのでどうか許してあげて下さい」
    「いや、元々この猫に罪はないからね」
     悪いのは猫じゃなくてむしろラヴの方だし。なんか猫が悪いみたいになってるのはどうして? つーかその行為こそが悪じゃね?
    「それで、ここには何しに来たのですか?」
     ラヴは相変わらずのペースで、いつもの調子で僕に尋ねてきた。
    「え、いや……たまたまだよ。それよりお前こそどうして――」
     僕が言い終わる前に、ラヴは笑顔で指摘する。
    「またまたぁ〜……知ってるんですよぉ。私の後をつけてきたこと」
     僕はギクリと体を強張らせた。僕がついてきた事を知ってたのか? それでこんな人気のないところまで僕をおびき寄せたというわけか?
    「えっ……そ、それは……」
     僕の視線は宙を漂い、体はラヴに対して萎縮してしまっている。
     こうしてまた、いつものように僕はこいつに翻弄されるままなのか?
     答えは――ノー。
     いい加減受け身のままでい続けるつもりなど毛頭ない。だって僕は――女の天敵。
     僕はたとえ相手が天使でも、女に負ける訳にはいかないんだ! それが僕の生き様ッ!
     なら僕は――レディバグとしてガチに天使とぶつかる(女狩りを開始する)。
    「そうだよ。つけていたよ……でもそれが何だっていうんだよ。教えろよ……お前……僕に対して本当に、愛なんて感情を持っているのか」
     色々聞きたい事はある。だけど僕はただ、今はそれだけを知りたかった。こいつの口から、直接ッ。
    「そ……それは本当ですよ。わ、私は……清貴さんの事が好きです。大好き……です」
     僕の気迫に押されたのか、ラヴの吐く台詞はたどたどしい。
     ふははッ。見える、見えるぞ! 貴様の気持ちが! 貴様の汚れた部分が!
     これが僕の――神の目(イビル・アイ)だッ!
    「どうした、ラヴ? なんだかハッキリしない物言いだなぁ? ちゃんと言ってみろよ」
     何が天使だ。しょせんお前も人間じゃないか! そうだ、天使も人間も同じようなものなんだ。同じように――カスでしかないんだ! ――オートスキルッ、堕落階級(見下し)。
    「わ、私は、す、好きです。清貴さんを……愛してます」
    「それは本心で言っているのか? まさか嘘じゃないよな? 天使が嘘なんて吐けないもんなぁ……そんな事したら、もはや天使じゃなくて堕天使になってしまうよなぁ」
     僕は天使を攻略する。僕が今まで培ってきた技術と不屈の精神で。僕はこの時、己の心を鉄にする事ができる。レディバグ特性――心未接続(マインド・エラー)。だから傷つける僕は傷つかない。
    「そ、そんな。き、清貴さん……私は、私は……」
     ラヴがとうとう言葉を濁らせた。
     ラヴ――やはりお前、嘘を吐いていたんだな。
    「もういいよ、ラヴ。お前が何も言えないんじゃ、僕はお前を信用する事なんてできるわけないんだよ。だったらさ……もう僕に近づいて来ないで欲しいんだよ」
     奥義、離して拒絶(僕に近づけない)。僕はレディバグの力を最大限に行使し、天使を倒す。
     この廃墟がお前の墓標だ――ラヴッ。
    「もうさよならだ。ラヴ――僕とお前の契約は、今をもって破棄する」
    「…………」
     そしてラヴは完全に沈黙した。ぐったりと俯いて身動き一つしなかった。
     ……勝った。僕は、天使を倒した。
     しばしの沈黙。
     崩れた校舎のところどころから夕日が差し込む薄明かりの中、美しすぎるラヴの姿と相まって、まるで空想の世界にいるような感覚に陥った。
     これで良かったんだ――もうこれ以上、こんな場所にいられない僕は踵を返して家に帰ろうとする。
     その時――。
    「あらあら。清貴さんは思ったより侮れない人ですね。イエスです。その通りですよ」
     この場に相応しくないような、やけに明るい声だった。
    「な、なに言ってるんだ、お前……」
     予想外の言葉。まずい、動揺してしまった。
    「……私はあなたを元々愛していた訳ではありません。私はただ――あなたに興味があったからパートナーに選んだのです」
    「くっ……」
     だ、駄目だっ。これは……この展開はまずいっ。
    「私は――あなたに愛がないからこそ、あなたを選んだんです」
     どういう事だ、ラヴは完全に開き直ったというのかっ? 何が何だか分からないがこれだけは言える――僕は、ラヴに主導権を奪われてしまった。
    「愛なき故に愛深き者。私はね、あなたに無限の愛を感じるんです。絶望を知っている者は幸せを誰よりも感じる事ができるんです。感情というのは起伏の激しさなんです。人の心は移り変わる、今のあなたの心は究極のマイナスに位置しています。ですがそれがプラスに反転した時、それは天使にとって究極の力になるんですよ」
    「だから……だから敢えて僕をパートナーに選んだのか? 僕の心を堕とせると見越して。僕の気持ちを蹂躙して」
     同じ10にいくなら、0からよりも-10からの方がより上がり値が高い。それだけの理由で。
    「違います。これはチャンスなんですっ。私はあなたに愛の素晴らしさを知ってもらいたいのです。愛こそ全てなんですよ。きっと、私と清貴さんは相性が抜群なんです。多分あなたとならどんなことだってできそうな気がするんですっ」
     女に決して堕とされない事を信条に掲げる僕と、天使の力で男を堕とす事に絶対の自信を持つ天使。なるほど確かに、決して相容れない敵としての相性はこれ以上ないくらい最高だな。
    「……一ついいか、ラヴ。パートナーの条件はお互いが相思相愛であることで、それは天界のシステムが選ぶんだよな。でも今回、ラヴのパートナーを僕に選んだのは……もしかしてお前の独断なのか?」
    「はい。イエスです。私はどうしても清貴さんじゃないと駄目だったんですよ。だからヴィーナス機関の意向を無視してあなたの元に駆けつけたんですよっ」
     それが当たり前のように、とても綺麗な顔で少女は言った。
     僕はその表情に、怒りよりも疑問が浮かんだ。
     ムゥはラヴが天界を裏切ったと言った。そして堕天したと言っていた。
     それは、もしかして僕をパートナーにするための行動だというのか?
     だったら……どうしてそこまでして僕をパートナーにしなければいけないんだ。
     強い力を得る為に天界から追放されるなら、そんなの本末転倒じゃないか。
    「――そこまで僕にこだわる理由はなんなんだ? 力のためか? そこまでして力を手に入れてそれでどうするつもりなんだ?」
     そもそも、本当に僕にそんな力が秘められているのかが不明だ。だって僕の心はとっくの昔に死んで、今もずっと壊れたままなんだ。
     そう――僕の遠い過去のトラウマ。その時の衝撃で、僕は彼女の顔も名前も忘れてしまった。そういう意味で今となっては、彼女こそ幽霊か天使か……そういった非日常の存在だったように思える。ただの現象として記憶に残る初恋の少女。
    「私には……どうしてもやらなければならない事があります。私には……滅ぼさなければならない罪があります。だから――私は何があってもあなたを救済します」
     ラヴの瞳は僕をまっすぐ捉えていて、それは僕の神の目を持ってしても本性が見抜けなくて、堕落階級を持ってしても存在を貶めることができなく、僕の心未接続は上手く機能してくれなくて――それでも僕は、君を離して拒絶する。
    「な、何を言ってるんだよ……それこそゲーム感覚じゃないか……ただ僕を自分勝手な面倒事に巻き込んでるだけじゃないか。いったいそれのどこに愛があるって言うんだよ……ただの自己満足じゃないか。これが、これがお前の言う愛なのかよ」
     僕を救済する――その言葉にまるで嘘を感じられなかった。彼女は、本気の本気で僕の事を救いたいんだ。その理由も分からない僕は、ただただ彼女が恐ろしかった。
    「ち、違いますよ。清貴さん誤解しないで下さいっ。私は……私にとっての1番は清貴さんなんですっ。ずっと清貴さんだけなんですっ」
     ラヴがまた少し動揺を見せ始めた。僕に嫌われたくないから必死になっているんだ。
     でもこれ以上ラヴの話を聞いていたら、僕はきっとおかしくなってしまう。
    「ラヴ。君が本当に僕の事を救いたいって思っているなら、もう僕に近寄らないでくれ。僕はお前のせいで、心がどうにかなってしまいそうなんだ。頼むからそっとしといてくれ」
    「き、清貴さん……っ」
     僕の祈りにも似た懇願に、ラヴはもう為す術もなくなっていた。
    「さらばだ、ラヴ。僕とお前はもう会う事はないだろう」
     僕は逃げるようにしてラヴから背を向けた。逃走でも不戦敗でも何でもいい。これ以上続けるのはとても危険だ。なぜなら僕は――。
     僕はもしかして、彼女に惹かれつつあるのかもしれない。そんなこと……絶対駄目だ。
     ……遠野。やっぱりお前の青春と僕の青春は全くの正反対だよ。
     そう、傷つく前に僕は傷つけるんだ。
     僕は――捨てられた小学校から外へと出た。
     僕の原初風景(トラウマ)から日常世界への帰還。
     そして黄昏時の焼けた町に足を踏み出した僕の耳に、聞こえるか聞こえないか位の声の、ラヴの悲壮な言葉が廃校舎(あの日の教室)から聞こえた。
    「――さようなら……城崎くん」
     僕の胸は杭で打たれたようにズシンと痛んだ。
     これじゃあまるで……あの時の再現だ。僕の方が最低な人間をやっているじゃないか。
     そうだ。ここはあの場所だったんだ。だってここは……この廃墟は、僕が昔通っていた小学校じゃないか。だったらこの地は決別の地なんだ。僕にとって運命づけられた悲劇の地。僕はずっとあの時を乗り越えられないんだ。
     僕は……何をやってるんだ。そう……僕は。
     僕は――最初からずっと、どうしようもなく彼女に負けていた。


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