天使がきても恋しない!

    1. epilogue

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    アイ・ラヴ・ライク

     
     ぽち。ヴィィィィン――。
     深夜の静寂を破り、ノートパソコンが機械音を上げて立ち上がった。
     僕がレディバグ団を脱退してから、こうしてパソコンの電源を入れたのは随分久しぶりのような気さえする。
     僕はもうレディバグではない。だからもう来るべきはずじゃないのに……それでも自然と僕の足はここへ訪れていた。
    『あ、あの……こんばんわ』
     恐る恐る訪れた場所。僕が追放されたエデン。『レディバグ団』。もうここに僕の居場所はないけれど。称号は剥奪されたけれど――。
    『お帰り、同士よ』
     しかしそんな僕にかけられた言葉は、想像の範囲外のものだった。
     僕を追い出したはずの団長は、優しく僕を迎え入れた。そして――。
    『あ、お久しぶりっス。キヨさ〜んっ』
     そこには僕より少し前に脱退したはずの、ノンケ君がいた。
    『え……ノンケ君っ。君は男性殺し(マン・イーター)に堕とされて脱退したはずじゃ……』
    『えへへ。別れちゃったんスよ〜。これでまたオレもレディバグ団員として復活です〜』
     なんとも軽いノリで答えるノンケ君。こ、ここはそんな場所じゃないぞっ。
    『だ、だって、僕達はもう女に堕とされたんだぞ! もう僕達がここにいる資格なんてないはずなんだよ! ねえ、そうでしょう? 団長!』
     自分だって戻ってきているくせに何を言っているのだろう。
     だけど僕が言うことは正しいはずだ。
     ここはそんな簡単に抜けたり戻ったりできるような生ぬるい場所じゃないんだ。
     ところが団長は、
    『――キヨくん、いいのだよ。そんなに固く考える必要はないんだ。俺だってノンケ君と同じだし、君とだって同じなんだ』
    『な、何を言ってるんですか……団長。同じって……』
     団長はこの間から様子がおかしい。僕はまた嫌な予感がした。
    『ああ、人間は弱くて変化する生き物なんだ。それは悪いことじゃない。人間なんてそんなものなんだし、それでいいんだ。要は自分自身がどうしたいかだ。結局は……自分が決めることなのだよ。現にノンケ君や君はこうして戻って来た。それだけだ』
     団長が言った。
     僕は霞む視界の中、モニターをただただ凝視する。
    『だからどうしても戻りたくなった時は――またここに来ればいいんだ。それも君達の自由なんだ。だって俺達は既に仲間だろう?』
    『で、でも団長……』
     団長は僕達とは違う。団長の闇は僕が考えているより深いのだ。僕は、女にもてたいと惨めな部分を晒け出していた団長を思い出した。
    『勘違いするな、キヨくん。俺は君達を許すと言っているんじゃない。むしろその逆さ……。この前はあんなにみっともない部分を見せてしまったのに、それでも君はここに帰ってきてくれた。こんな俺でも必要としてくれる事に、俺は礼が言いたいのだ……心の友に』
     僕はその言葉に感銘を受ける。
     僕の喪失していた穴に、再び確固たる何かが埋まったのを確かに感じた。
    『団長……ぼ、僕は何があっても団長を見損なったりなんてしませんよっ! 僕はこの団の団長としてあなたを尊敬してるんです! みっともない部分も何でも見せたって!』
    『ふ……こんな俺を団長と認めてくれてありがとう。そうさ……ここは戦いの為の場であるのと同時に、安らぎの場でもあるのだ。君達が己をレディバグ団の一員だと感じるのならば、俺はいつだって君たちを暖かく迎えるさ。だから君はここに戻って来たのだろ? さぁ、これからも共に戦おうではないか。俺は君達の力が必要なんだ!』
     それに……俺の人生はお前達といる今が一番輝いているんだ――と団長が言った。
     僕は気付けば――モニター越しで涙を流していた。もう号泣。
    『だ、団長ーーーーーーーっっっっ!!』
     ていうか耐えきれなくなって僕は叫んでいた。ネット上で、そしてこの現実で。
     団長が目の前にいたなら思わず抱きついていただろう。ネットでよかった。
     さぁ……もう一度やり直そうじゃないか。だって僕は胸を張って言える。城崎清貴はレディバグ団の一員なのだと――。
     その後、我々の絆を取り戻すように、僕達は熱く男の友情を深め合った。
     そしてしばらくしてから僕達は別れて、パソコンの電源を切った。
     しかし現実に戻った瞬間、何故かとたんに虚しくなった。悲しみが押し寄せてきた。
    「…………」
     また僕は元の状態に戻ろうとしている。これは逃避の行動でしかないのか?
     ラヴと過ごした日々は何だったのだろうか。僕は果たして――これでいいのだろうか。
     いや、先程はあんな事を言っていたけれど、そもそも僕は本当に戻ることができるのだろうか。僕は今までと同じようにレディ・バグを実行していけるのだろうか、また何の躊躇いもなく続けて行くことができるのだろうか。
     だって僕はもう、ラヴと関わり合ってしまったんだ……。
     もしかすると、もう僕は……どっちつかずの中途半端な存在でしかないのだろうか。
    「はぁ〜あ……」
     思わずため息が出てしまう。
     気が付けば窓の外の景色が白ずみ始めてきた。もう朝が来たんだ。
     あの激闘の後、家に帰った僕は眠る事ができなくて、こうして今までネットしたりしていたのだ。
     外からはチュンチュンと雀の声が聞こえてきて、町がまた徐々に喧噪を取り戻し動き出す。
    「そういえば――春祭が始まるんだったな」
     僕は学校の支度をして、そして家を出た。


    「清貴――おはよう」
     春祭ムードで盛り上がっている学校に行く途中、幼なじみの宇佐原仮夢衣が僕に話しかけてきた。
     その顔はいつも通りの、勝ち気で男勝りなものだった。でもどことなく今日は――やけにその姿がしおらしく見えた。
    「むぅ……仮夢衣。いつも言ってるだろ。僕は女を敵対する者なのだ。馴れ馴れしく話しかけないでもらいたいね。ふん、僕の『不受愛(あいされず)』は常に発動してるはずなのに……」
     すっかりレディバグのしての尊厳を取り戻した僕は、さっそく生まれ変わったその力を遺憾なく発揮させる。
    「……あんたって相変わらず空気の読めない馬鹿なのね」
     仮夢衣がおもいっきり白けた顔になって僕を見ていた……さすがに僕もちょっと傷ついた。
    「それで僕に何か用か? まさか春祭の準備を手伝えとか言うんじゃないだろうな。春祭もう本番だぞ」
    「そんなの分かってるわよっ。あたしが言いたいのはね……その、あの事なんだけど……」
     と、仮夢衣はそこまで言って言葉を濁らせた。……あの事か。
    「ありがとう、清貴――あなたのおかげよ」
     仮夢衣はモジモジと、両手の指を絡ませながら言った。
    「僕は何もやってないよ……ただ右往左往している内に解決したんだ」
     無事に全部が解決した後、僕は仮夢衣にメールで伝えていた。悪魔を倒した事、そしてムゥは無事でいるから安心しろ、と。
     そしたら深夜だというのに、すぐに電話がかかってきた。電話の向こうの仮夢衣の声は震えていて、落ち着かなくて、でも……とても嬉しそうな声だった。
     僕達が学校の前まで来ると、仮夢衣は校門の前で立ち止まって、はにかむように言った。
    「でも、あなたが右往左往してくれたから全部上手く終わらせられることができたの。あなたがいなかったらきっと駄目だったと思うの。……昔みたいに、あなたがあたしを助けてくれたのよ。嬉しかったよ、清貴」
     僕は破顔した仮夢衣の、少女のような面構えに……鼓動の高鳴りを感じてしまった。
    「ふ、ふんっ。何を言う! 僕はレディバグの城崎清貴! 女などに心を開くつもりはない! 僕は常に1人で完結できる人間なんだ! あっはっはっは!」
     僕はわざと大きく声をあげて、校舎の方へと歩いて言った。
     僕の後ろから、仮夢衣の小さな声が届いた。
    「……なによ。天使の彼女がいるくせに」
     ぼそりと不服そうな声。振り向いてみればなぜかちょっと不機嫌な顔をしてる。
    「な……それはちがっ」
     僕は仮夢衣のとんでもない誤解な発言に、とっさにそれに否定しようとしたら――。
    「ええええええっっっっ!? しィ、城崎てめぇ、彼女がいるって本当かよっっ!?」
     なんかいきなり現れた遠野がメッチャ怖い顔で僕に食いかかってきた!
     つーかどこから出てきたんだよ……。
     そして、そんなことよりもいつの間にか。
    「城崎ころす城崎ころす城崎ころす城崎ころす城崎ころす城崎ころす城崎ころす」
     ところどころから怨嗟の声が聞こえてくる。いや、これは幻聴……じゃない!
     よくみれば、これまたどこから出てきたのか、クラスメイトの男子達が僕を敵対の眼差しを向けていた。
    「本当にいつの間にいたんだよ、お前達! って……いやっ! そもそも彼女じゃないし! 僕はそんなの認めてないからな!」
     ここは否定しないと命が危ないと感じたので、僕は必死で首を振った。
     ラヴはもう戻って来ないんだぞ。くっそぅ……仮夢衣め、何を言ってるんだ。
    「……っていうかお前だっているじゃないか。それでどうなんだ? 彼女とは」
     僕は意味深な感じで仮夢衣に尋ねてみた。うん、あの後どうなったか気になるしね。
    「きゃ……きゃあ〜〜〜っっ! 宇佐原さんに彼女ーーーっっ!?」
     と、今度はクラスの女子達から悲鳴があがった。
    「やっぱり宇佐原さんはそっちの人だったんだぁーっ」
    「わ、私もっ私も宇佐原さんの彼女にして欲しいーっ。きゃ〜」
     黄色い叫びがウェーブのようにあちこちから聞こえてきた。なんで校庭の人口密度がこんな上がってるんだよ。
    「ち、違うってっ! だからあの子とはそういうのじゃないってのっ。あんたが変な事言うから変な騒ぎになっちゃったじゃない! どうすんのよ!」
    「あ……あの子だって! きゃ〜! いや〜〜っ!!!」
     火に油を注ぐ仮夢衣の発言で、周囲の黄色い声はますます盛り上がった。こいつはしっかりしてるようで意外と抜けてるとこもあるんだ。昔から変わらないな。
    「ふん、仕返しさ。そっちが先にやったんだろう。僕はたとえ幼なじみでも女には容赦しない。それが女殺しの女殺したるゆえんなのさ。これぞ秘技・目には目を(ダブルペイン)ッ」
     やられっぱなしでは終わらない男……それがレディバグだ!
    「意味分からない事いってんじゃないわよっ」
     パコンと仮夢衣が僕の頭をはたいた。くそッ……この痛みもいつか10倍にして返してやるからな!
     という風に……まるで僕達は昔に戻ったみたいなやり取りを交わしつつ、やがて春祭が開催された。


    「よう、城崎。お前相変わらず1人なのな」
     僕が校舎の屋上から、祭りで盛り上がってる人々の様子を見ていると、後ろから声を掛けられた。
    「……なんだ、遠野か。てっきり女が来たのかと思った」
    「いや、だからそのネタはやめろってのに……。それよりなにやってんだよ、せっかくの春祭だっていうのに」
     女顔の我が友人は僕の隣に立って空を見た。
    「こういう賑やかなのは僕の性に合わないからな。こんなにもいい天気だから空を眺めていたんだよ」
     僕は適当に答えて空の遠くを見渡す。
     遠野はフェンスにもたれ、ぼーっとした感じに話を切り出した。
    「……空で思い出したけど、そういえば今日の深夜にさ、この近くで虹みたいなのが出たらしいぞ」
     虹……か。それはあの七色の光の事だろう。ラヴが放った愛の砲撃。
     あの神聖な光を思い出し、僕は自然と笑みをこぼす。
    「……ま、そんな事もあるだろうさ」
     と、僕がさほど驚かないでにやにやしてるのを見て、遠野は少し首を傾げていたが、すぐに飄々とした顔になって口を開いた。
    「まぁいいや、そんなことより色々あったけど、俺は無事に春祭を迎えられて嬉しいよ。怪物の着ぐるみも無に事見つかったことだしな」
     春祭日和の朗らかな青い空の下で、遠野友晴の整った顔が爽やかに僕の方を見た。
    「見つかったのか……それで、どこにあったんだ?」
    「それが不思議なんだけど……なぜか裏庭に放置されてたんだよ。今朝それが見つかってな。ま、そんなことより……お前も春祭くらい楽しんだらどうだ? みんな盛り上がってるぞ」
     また僕は笑いそうになった。まさかその着ぐるみがこの町を滅ぼそうとしてたなんて、遠野に言っても信じないだろう。
    「君の方こそこそいいのか? 女子と仲良くなれるまたとない日なんだぞ。青春を女に賭けた男なら、僕の事なんて放っておけばいいのに」
     ここは盛り上がる学内とはまるで別次元のように、ひっそりと寂しくただポカポカ日当たりがいいだけの場所だ。こんなとこ好きこのんでいたってしょうがない。
    「いや、クラスの女子と一緒に春祭まわろ〜って声掛けたんだけど、駄目だったわ〜」
    「既に行動済みだったのか! さすが遠野だ。何人にチャレンジしたんだ?」
     諦めずに頑張れば1人くらいは誘いに乗ってくれるはずだろ。遠野は顔だけはいいんだからな。
    「クラス全員の女子を誘った」
    「まさかの全滅っっ! そして早えよ! まだ午前中だよ!? 始まってまだ間もない頃合いだよっ!?」
     遠野は僕の想像の上をいく女好きだった。こいつもしや……いずれレディバグにとっての最大の脅威となるやもしれん! 要注意人物リストに登録しておこう。いや、心配ないか。
    「ま、そんな訳だ。女子は無理そうだから仕方なくお前で我慢しておくよ……行こうぜ、城崎」
    「いいのか? 僕と一緒に春祭を回るなんて、ますます変な誤解が生まれそうだけど」
     僕が女に興味がないのと同様に、遠野は男に興味がないものだとばかり思ってた。
    「ううっ、それは困った……だけど、まぁ今日くらいはいいだろ。なんたって今日は祭りなんだからよっ」
     遠野はまるで僕を元気づけようとするかのように、にやりと悪巧みをするような顔をした。
    「……ふん、分かったよ。君には借りがあるし……なによりここにずっといてても暇なだけだから――たまには付き合ってやるよ」
    「ははっ、どうして女の子になったらこんな風にいかないのか、自分でも不思議だよ……で、借りってなんの話だ?」
    「さぁね、こっちの話だよ」
     こうして僕は、日だまりの屋上を後にする。そして、遠くから眺めていただけの祭りに僕は加わる。そうだ。僕は教えて貰った――僕は、楽しんでもいいのだ。


     空がオレンジ色に染まる頃、春祭の一日目がようやく終わって、僕は帰り道を1人歩いていた。
    「あ……清貴っ。清貴ぃ〜〜〜〜っっ!」
     僕が歩道を歩いていると、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
     っていうか、聞こえてるからあまり大きい声出すなよ。恥ずかしいだろ。
    「なんだよ、仮夢衣」
     本当は無視して帰りたかったけど、これ以上僕の名前を叫ばれるのは癪だし仕方なく宇佐原仮夢衣の方を振り向いた。
    「せっかくだから一緒に帰ってあげるって言ってんのよ。で、春祭楽しめた? 遠野君と2人で馬鹿やってたみたいだけど」
     大きな胸を揺らしながら仮夢衣が僕のところまで走ってくると、息一つ乱さずにぶっきらぼうに聞いた。
    「無理矢理あいつに付き合わされたんだ。おかげでこっちはいい迷惑だったよ」
     主に女関連で。
    「ふ〜ん……そういう割にはなんか随分楽しそうな顔してるけどね〜」
    「そ、そんなことないぞ……け、仮夢衣。そういえばあいつ――ムゥはどうしているんだ? もう天界から帰ってきたのか?」
     僕は照れくさくなって話題を変えてみた。
    「実はさっき会ったんだけどね……ていうか春祭に来てたんだけど……天界の報告も終わって、またこの町に戻るんだって。なんかラヴさんが来たせいで自分のテリトリーが荒らされたって不満そうに愚痴ってたわよ」
    「……そうか。あいつは滅茶苦茶やってたみたいだからな」
     町を好き勝手にかき回すだけかき回して去っていった天使。僕を求めて降臨した少女。
     色々な思い出を残していった、少女。
     僕が彼女との短い思い出を回想していると、仮夢衣が寂しげな表情で僕を見ていた。
    「どうした、仮夢衣?」
     尋ねると、仮夢衣は妙にせわしなく視線を彷徨わせて、落ち着かない声で話す。
    「え、いや……あの……ラ、ラヴさんがいなくなって残念かもしれないけど……ほ、ほら、あたしで良かったら、その……相談に乗るから。こ、今回の騒動の後始末とか」
     仮夢衣が挙動不審に見えるのは、きっとそれだけラヴから迷惑をこうむったからだろう。仮夢衣は人がいいから言いづらいんだな、分かるよ。
    「なんか悪いな……あいつのせいで色々迷惑かけたみたいで……でも僕は大丈夫だ、心配しなくていいさ」
     ラヴのパートナーとして、僕は仮夢衣に謝った。
     本当に迷惑ばかりだ。おかげで、僕はいまだ夢心地な気分から抜けきれないでいる。
    「そ、そんな……清貴が謝る事じゃないし……い、いいわよ、そんな事気にしなくて……あ、あたしはむしろ嬉しかったんだから。だってその、昔みたいに、清貴と一緒に……」
    「……うん? なにが?」
     僕はぼーっとしていたから、仮夢衣の言った事がよく聞こえなかった。
     仮夢衣はなぜか言葉を濁してむぐむぐしていた。
    「なっ、なんでもないっ! あ……ほら、さっさと帰るわよ! 明日は本番なんだからね! 今までずっとサボってた分、清貴もしっかり働いてもらうわよっ!」
     だけど――仮夢衣はすぐにいつもの仮夢衣に戻って、僕をいじめる。
    「やれやれ、まったく仕方ないな。まぁ……仮夢衣には一応借りがあるからな。たまにはこういうのもいいか」
     そうして僕は、昔みたいに仮夢衣の横に並んで歩いた。


     いつの間にかすっかり日が傾いた。
     帰り道が別になり仮夢衣と別れて、僕が1人で歩いている時だった。
     人気のない公園の前を通り過ぎようとしたら、驚くべきものが視界に入った。
    「あ、あれは……?」
     僕が公園の中に見たもの、それは現世から浮世離れした絶世の美少女。
     夕暮れに溶け込むような儚い横顔。僕の初恋の少女の幻影。
     公園の真ん中にぽつりと存在する砂場に――天使はいた。
    「…………」
     僕は何も言わずに、砂場にしゃがんで一心不乱に砂の城を作っている天使の少女の元まで行った。
     公園の中には他に人気がなく、ここはまさに僕の原初風景(トラウマ)そのものだった。
     ざっざっ――と、僕の足音に気が付いた少女はゆっくり顔を上げる。
    「あ……清貴さん」
     少女の頬には少し泥が付着していた。よっぽど真剣に作っていたんだね。
    「よう、こんなとこで何してるんだ。ほっぺたに泥ついてるぞ」
     僕は自分の右頬を指さしてみせた。
    「わわっ……これはいけない。つい熱中してしまいました。いえ、子供達がお城を作っていたんですが途中で壊れたみたいで、私が手伝ってたんですよ……ねぇ? って誰もいないですッッ!!!!」
     なるほど……1人で熱中している内に子供達は帰って行ったんだな。想像できるよ。
     少女は頬を手で拭うと、ゆっくり立ち上がって僕と顔を合わせた。
    「私、戻って来ましたよ。清貴さん」
     いつものような朗らかで慈愛に満ちた微笑みを向ける少女。
    「でも……なんで」
     彼女は僕のために命令違反を起こしたせいで天界に連れ戻されたはずだ。
    「そんなの決まってるじゃないですかぁ。だって私は清貴さんの天使なんですから。私達はパートナーなんですからっ」
     彼女の説明にもなっていない説明に――僕は小さく笑った。
    「……ああ、そうだな――ラヴラドル半島」
    「はい――清貴さん……って、違うですッッ!!! 今までで1番近いけど、ある意味1番離れてますっ! 既に生物ですらなくなってますよっっ!! スケール大きすぎますよ!! 途中までで正解だったのにッ!」
     たしかに島がその辺を歩いていたら大変だもんな。
    「ごめん、しばらく会ってなかったからお前の名前忘れてたんだ」
    「いや、何言ってるんですか……私達離れてからまだ一日も経っていないですよぉ〜……はっ! それとももしかして、清貴さん。それは私と少しでも多くの時間を共に過ごしたいという清貴さんの遠回しの愛情なんですねっ。いいですよ、清貴さんっ。私なら……ほら、この体をおうぐぐ……」
     僕はそのうるさい口の中に、大量のイチゴジャムを詰め込んだ。
    「にゃ、にゃんでそんなもの持ってるんでふかぁぁぁあああ……」
     うごうご身もだえながらラヴは尋ねる。そんなの決まってる……これがお前の大好物だからだ。
    「ひ、ひどいでひゅ……昨夜は私にあんな大胆な告白をしたって言うのに……しかもあんな大声で」
    「なっ……違うッ! あれはほらっ、その場のムードっていうか、流れっていうか……そう、お決まりみたいなもんだよっ! 社交辞令だよっ!」
     ラヴのいきなりの不意打ちに僕は恥ずかしさに叫びたくなる。
     そして、いつものように僕は愛を否定する。それが僕の生き様、それが僕の根源だから。
    「えぇ〜、そうですか〜? そんなに否定するなんてひどいです〜。私達もうラブラブじゃないんですか〜? もう、照れ屋さんなんだからぁ」
     いつの間にかラヴは僕の手からイチゴジャムの瓶をとってペロペロ食べていた。
     こうして僕とこいつは、またいつものように敵同士の関係に戻るのだろう。
     それがレディバグとしての僕の在り方。それが天使見習いとしてのラヴの在り方。
     でも僕は……今だけは、ほんの少しだけ――勇気を出そう。そう思えた、だから。
    「ラヴ――」
     僕はおいしそうに口の中のジャムを味わっている天使見習いの名を呼んだ。
    「――ふえ?」
     油断しきった目で、なんとなしに僕を見るラヴラドル・ラブ・ライク。
     僕は宝石のようなその綺麗な瞳に――、
    「おかえり、ラヴ」
     僕は笑いかけた。
     たとえそれがぎこちない笑顔で、天使の微笑みとは程遠いものでも……。
     そしたらラヴは、天使というよりも――一人の女の子としての笑顔を返してくれて。
    「……えへへ、ただいまっ」
     僕達は、こうして歩き始める。あの日から止まってしまった刻をやり直すように。
     失った時間はもう戻らないかもしれないけれど、あの日を取り戻すことはできないかもしれないけど……でもいつからだってやり直すことはできる。
     僕の人生はここから再開するんだ。
     さぁ、明日は春祭の2日目だ。そこでとうとう僕達のクラスが活躍する。
     ちなみに僕達のクラスの出し物は演劇で、題目は『天使が来るから恋をしよう』。
     それは小さな町で巻き起こる、天使と悪魔と人間の……勇気と正義と――愛の物語。

    ――fin.

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