天使がきても恋しない!

    1. 第4章 裏切りの悪魔

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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     あれ以来、僕はレヴィアンと急速に仲を深めていった。
    「おい清貴っ、ダークエネルギーの回収にいくぞっ!」
     今日もレヴィアンは意気揚々と町に悪を振りまこうと躍起になっていた。
    「うん! 今日はどこに遊びにいく? レヴィちゃん」
    「遊びにいくんじゃない! あとレヴィちゃん言うな! 様をつけろっ!」
     レヴィは駄々をこねる園児のように僕の背中をぽかぽか殴った。
     とてもいい天気の日曜日。
     僕達はいま、近所にある川原にいた。
     ちなみになぜ川原なんかにいるのかといえば、それには悲しい事情があるのだ。実はレヴィちゃん、魔界から来たばかりの彼女は住むところがなく、仕方なく今はこの川原の橋の下に住んでいるというのだ。そしてお金も持っていないから、食べる物も川で魚を釣ったりして自給自足で孤独に生活しているのだ。それを知った僕は時々こうしてレヴィアンに食料を届けに行ったりしてるわけであるが。こ……こんな小さな子がこんな苦労して生きているなんて……聞くも涙、語るも涙じゃあないかッッッッ!
    「き……清貴……いきなり涙を流してどうしたのだ? も、もしかして痛かったのか?」
     気が付けばレヴィアンが僕からちょっと距離を置いて、不審者を見るような目を向けていた。
    「ううん。なんでもないよ。……レヴィちゃんの苦しみに比べたら」
    「な、なんか哀れみの目で見られているような気がするのだが……」
    「んーん。なんでもないよ」
    「……そ、そうか。とにかく、今日行くところは……おいしいお菓子屋だ!」
    「え? さっきまでお菓子食べてたのに、まだ食べるの? やっぱりレヴィちゃんはお子様だなぁ。そして食いしん坊でもあるなぁ」
    「お子様言うなっ、食いしん坊言うなっ。べ、別にお菓子を食べに行くわけじゃないんだからな! あくまでダークエネルギーを得るために行くのだからな! こっそりと商品に全部わさびを入れてそれを客に食べさせるのだ! 不幸ゲージを大量ゲットだ! ふひゃひゃひゃ!」
     せこい! 且つ可愛らしい発想!
     僕が温かい目でレヴィアンを見つめていると――高笑いしていた彼女の動きが突如ピタリと止まった。
    「ん? どうした?」
    「……ん、いや……なんでもない。あ、ちょっ……ちょっとワタシ、忘れてたものがあった。すぐに戻ってくるから少し待っててくれ。あはははは……」
     レヴィアンは冷や汗をかいたぎこちない笑顔でそう言うと、ぎくしゃくした動作で堤防の階段を上がっていって、そのままどこかへ行った。
    「……トイレだな」
     さっき僕が届けたハバネロスナックを夢中で食べてたからなぁ……辛いのが苦手なくせにどうして辛いものを好んで食べるのか……もしかしてキャラ設定?
    「……長くなりそうだな」
     一人橋の下に残された僕は、川辺にしゃがんでぼんやりと水面を見つめていた。太陽の光を反射して線香花火のように光っていた。キラキラを見ながら僕はなんとなく考えた。そういえば……ゲーセンの一件以来、ラヴとは一度も会っていないな……と。
     なんでこのタイミングでラヴの事を考えるのか分からないけど……気にならないといえば嘘になるのは確かだ。
    「……でも今はレヴィちゃんと楽しい時を過ごしているんだ。何もかも忘れよう!」
     レヴィアンと遊ぶようになってから、レディバグに行くことも少なくなった。それは罪悪感からだろうか……まぁでもレヴィちゃんは女だけどまだ子供だから全然いいよね。ノーカンノーカン。あはははははは。レヴィちゃんがいれば他は何もいらないや。
    「って、なに一人で笑ってるんすか……思ったよりも重症っすね、こりゃ」
     と、声がした。僕の隣にジュティー・ムゥが腰掛けていた。
    「むむむむむっっっっ、ムゥ!? なななっ、なにしてるんだっっっ!?」
     僕は驚いて飛び上がった。
    「どうやらここがレヴィアンの隠れ家のようっすね。あいつは今どこにいるか分かるっすか?」
     立ち上がったムゥは僕の質問に答えることなくキョロキョロ辺りを見回していた。橋の下にはカップ麺や寝袋やなんかよく分からないガラクタなど生活の痕跡がありありと伺える。
     ……やばい。目がプロのものになってる。きっとムゥはレヴィアンを倒しに来たんだ。ここは、お兄ちゃんである僕がなんとかするしかない。
    「……いや。ここにはレヴィアンなんていないぞ」
    「でも橋の下で誰か生活してるみたいっすよ。とりあえず住人を確認するっす。それまでここで待ってるっす」
    「な、なんでそこまでして……」
     そう言うと、ムゥは作り笑顔を僕に向けて答えた。
    「もちろん、レヴィアンを退治するために決まってるっす」
     ……。まずい。非常にまずい。レヴィアンがトイレから戻ってくるまでそう時間はかからない。それまでにムゥをここから立ち去らせないとレヴィアンの命が……ッ。
    「そうか……でもな、残念だけどムゥ」
     僕は声を落として言った。
    「ん? なんっすか?」
    「ここ、僕の家なんだよ」
    「…………」
     ムゥが笑顔のまま一歩僕から遠ざかった。
    「……冗談だよ」
    「じゃあ誰の家なんすか? ていうかレヴィアンっしょ? 知ってるんすよ。あなた、まんまと悪魔に誘惑されちゃって……それでも天使見習いのパートナーなんすか……幻滅っすよ」
     と、呆れ声のムゥ。
    「ひ、人聞き悪いなあ……な、何を根拠にそんな事言うのかしらん」
     僕がそう言うと、ムゥが「それでははっきり言いましょう」と、息を大きく吸って。

    「あなたからダークエネルギーがバンバンわき出ているんすよっっっっっ!!!!」

    「び、びっくりしたぁ……いきなり大声出すなよ……だ、ダークエネルギーとかそんなの僕しらないし」
     ひゅ〜ひゅ〜と空気だけの口笛を吹きながら、僕はしらばっくれてみせた。
    「隠しても分かるんすよ。悪魔に魅了されてる人間からは悪魔の瘴気が放たれますからね。城崎さん、マジぱねえオーラっすよ。マジびびるわ、悪魔なんかに心ときめかすなんて……」
     ムゥが軽蔑するような視線を僕に向けた。僕の中で、何かがプツンと弾けた。
    「僕の悪口はいい……だが、だが……ッッ!!! レヴィちゃんの事を悪く言う奴は許せねえええええええ!!!!! レヴィちゃんは全ッ然悪くないんだああああああ!!!!!」
     僕は両手の拳を握って、気合いを解き放ち、思いの丈を叫んだ。
    「な、なに言ってんすか……マジ引くわぁ」
     ムゥはさらに僕から距離をとっていた。引くなら勝手に引いてればいい! レヴィちゃんの事を何も知らないくせに、悪魔だからってだけで拒むお前の心こそが悪なのだ!!!
    「レヴィちゃんはなぁ……悪魔だけど本当は綺麗な心を持ってるんだっ! そこらにいる取り繕って嘘ばっかりで内面真っ黒な女なんかとは全然違うんだよっ! レヴィちゃんは……僕の天使なんだあああああ!」
     僕は号泣しながら魂の主張を轟き叫んだ。
    「だ、駄目だこの人……もう手遅れっす。完全に染まってるっす。ていうか、いやいや……天使はウチですし。そもそもレヴィちゃん悪魔だし」
    「うるさい! つーかもう天使なんて古いんだよ! 今は悪魔の時代なんだよっ!」
    「いや、悪魔もそろそろ食傷気味だと思うんすけど……まったく聞く耳もとぬといったようですね。これはかなり重症みたいっす。ふふ……なら、仕方ないっす。強硬手段に入るしか」
     すると、ムゥは着ていた上着のボタンを外して、脱いだ。
    「な、なにをしているうううっ!?」
    「ふふ……これから愛のパワーを城崎さんに注入するっすよ。大丈夫、既に周辺には人払いの結界が張ってあるっすよ」
     Tシャツ姿になったムゥは、口元に妖艶な笑みを浮かべた。
    「あ、ああああ……愛のパワー注入って……な、ななななにを……」
    「うふふ。そりゃあ……気持ちいいこと、っすよ」
     官能的に言うと、ムゥはシャツにも手をかけた。
    「なななななぁあああああ!!?? なんでええええええ!!!!!!」
     何故だか分からないけど急展開。城崎清貴くん、貞操のピンチです。
    「……天使は愛ある行為でラブパワーを得られることは知ってるっすよね。天使の愛ある行為には神聖な力が込められてるっす。暗黒面に堕ちた魂を清らかに浄化することができるっすよ。それに、魂を浄化すればウチも大量のラブパワーが手に入るっすよ。みんなが幸せになるっすよ。これぞウィンウィンの関係っすね」
     言い訳がましくムゥが説明すると――ふぁさり、とシャツを脱いで下着姿になった。ラヴよりも胸が大きかった。……ていうか、天使はみんな胸が大きいものなのか。母性的な感じで。
     そんな場合じゃねえ。
    「や、やめ……」
     僕はじりじりと後退して橋のふもとまできた。背中にコンクリートの冷たい感触があたった。
     ついには履いていたジーンズまで脱いで、僕に迫ってきたムゥ。
    「なんすか、嫌なんすか? ホントはウチだってしたくないっすよ……男となんて。でもこれも仕事だから、割り切って仕方なく……」
     どんな仕事だよ! 天使って風俗業だったのっ?
    「だ、だから僕は嫌なんだっ。それのどこに愛があるっていうんだよ。それに、僕はレディバグなんだ。絶対に女なんかに心を許すものか……っ」
     こんなの愛じゃない。僕はこんなの絶対いやだっ。
    「ウチは愛の天使っすよ? レディバグだか何だか知らないけど、ウチに落とせない人間なんて地上に一人だっていないっすよ?」
     下着姿のムゥの顔が僕の眼前に迫る。甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。頭がぼーっと熱くなるのを感じた。
     全ての女を敵に回す僕と、全ての人間を落とす天使。しかし、僕の方が若干押されているのは確か。感覚が麻痺していく。このままでは……僕はこの見習い天使に――ッッッ。
    「ちょっ……ちょっと待っ……」
    「大丈夫……一生忘れられない思い出にしてあげる……」
     ムゥが僕の耳元で囁いた。吐息がこそばゆく、僕の全身から力が抜けた。
     そしてムゥは僕の頬に手を触れ、その作り物のような綺麗な顔を近づけてきた。
     その時――。
    「やっめなさあああああああああああああいっっ!」
     堤防の上の方から大声が近づいて来たと思ったら――突如目の前にラヴの姿が現れて、ムゥを蹴り飛ばしていた。
    「むごおおおおっ!?」
     クリーンヒット喰らったムゥは、勢い良く地面に倒れた。
    「ら、ラヴっ!」
     よかった……助けに来てくれたのか。ピンチを救われるなんて、ラヴに感謝だ。
    「清貴さん、大丈夫ですかっ? ムゥに変なことされませんでしたかっ?」
    「ああ……ギリギリのとこだったけど、助かったよ。感謝するよ、ラヴ」
    「そうですか。では清貴さん……さっそくですが」
     安心したラヴがそう言うと、何故か服を脱ぎ始めた。
    「えっ? ちょっと待って! えっ!? なんでラヴまで脱ぐのっ!?」
    「そりゃあ勿論、清貴さんをレヴィアンのダークエネルギーから解放する為に決まってるじゃないですか……私が体を使って、清貴さんを癒すんですよ」
     ラヴは恥ずかしそうに、脱いだ服を地面に置いた。ムゥと同じように、上下ともに下着姿になった。ブラとパンツはピンク色のお揃いだった。
    「や、やややややっっ! そそそそれはだから駄目だってっっっっ」
     さっきと同じ展開じゃねえか! なんだこれは!
     僕が逃げようとすると、いつの間にか意識を取り戻していたムゥが立ち上がって。
    「それなら、清貴さんに決めてもらいましょう! 私とムゥのどっちがいいかをっ!」
    「なっ……なんでそんな事を僕がっ――」
    「なんであなたが出てくるのっ。清貴さんは私のパートナーですよっ。ムゥは自分のパートナーのとこに帰りなさいよっ」
     僕を無視してラヴが答えた。
    「ふふ〜ん……ラヴ。あなた、ウチに城崎さんがとられるのが怖いんすね? 自分のパートナーが他の天使見習いにとられるなんて、すっごく恥ずかしいっすもんね〜」
    「そ、そんなことないですっ。清貴さんはムゥよりも私の方が好きなんですっ」
     いや、どっちも好きじゃないんだけど!?
    「…………。わ、分かりました、ムゥ。そこまで言うのなら受けて立ちましょう! 清貴さんを賭けて勝負です!」
     まんまと乗せられてるし!
     ――助かったと思ったけど前言撤回。大ピンチだ。
    「ま、待て待て! それどういう展開だよ! いったい何で勝負を決めるんだよ!」
    「そりゃあ気持ちいい方を……」
     半裸となったラヴが誘惑するような猫なで声で僕に迫ってきた。
    「ばかっ」
     僕はラヴの頭をはたいた。
    「いたぃ……わ、私はただ……近頃、清貴さんと心が離れているような気がしたから。それで……」
     涙目になったラヴが頭を押さえて言い訳する。
    「それで体を使ってご奉仕ってわけですかっ!? いやだよ! やめろよ!」
     むしろ悪魔みたいなやつだ。淫魔達だ。
    「城崎さん、観念するっすよ。3人で一緒に気持ち良くなるっすよ〜」
     ラヴに負けじと、ムゥも僕に迫ってくる。逃げられないように僕の両腕を押さえた。
    「さぁ清貴さん、恋人同士の口づけを……んちゅ〜〜〜」
    「ひ、ひえええええ……」
     ああ、さらば僕の清らかな子供時代。そしてこんにちわ、汚れきった大人世界……。
    「お、おいっ! オマエらっ! さっきから人のウチでなにやってんだーっ!」
     僕が全てを諦めきったその時――堤防の上から幼い怒鳴り声が聞こえてきた。
     顔を向ければ、レヴィアンがわめきながら僕達の元へ走ってきていた。
    「れ、レヴィちゃんっ」
     助かった……じゃないよ! 最悪のタイミングじゃん!
    「清貴、なにやってんだ。こんなとこで?」
    「に、逃げてレヴィちゃん! 天使だーーーーーっっ」
    「ふ、ふえええ?」
     立ち止まったレヴィアンは頭に疑問符を浮かべていた。
    「なっ……清貴さんっ。まさか天使ではなく悪魔に肩入れするなんて……完全に悪魔崇拝者化していますっ。清貴さんあなたはレヴィアンに騙されているんですよっ。目を覚ましてくださいっ。このままでは身も心も暗黒に堕ちてしまいますよっ!」
     僕を見るラヴはとても悲しそうな顔をしていた。
    「ちっ……さっきから好き勝手な事を言って! いいか、ラヴ! お前らなんかと違ってな、レヴィちゃんこそ天使なんだ! こんなに可愛い少女が僕を騙しているわけがないんだ! そうだろ、レヴィちゃんっ?」
     僕は立ち尽くしているレヴィアンの方を見た。
     彼女は――ニタリと、不気味に笑った。
    「――え?」
    「ふ……ふふふ……いいだろう。そろそろいいだろう! もうそろそろ飽きたところだっ!」
     レヴィアンが、普段僕と遊んでいる時に見せないような顔をして凶悪な声で言った。
    「な、なにが言いたいんだ……レヴィちゃん」
    「レヴィちゃん言うな! ふひゃひゃ……そうだよ、全部ラヴの言う通りだよ! 全ては、城崎清貴っ! アンタを暗黒面に落として大量のダークエネルギーを得るための作戦だったのだ! この瞬間のため、アンタを絶望に突き落とすために今まで付き合ってやったんだよっ。ふははははっ! 怨むならパートナーであるラヴと、そして生まれ持った多量の感情エネルギーを怨むんだなっ! ひゃひゃひゃひゃひゃ〜〜〜!!!」
     レヴィアンが高笑いすると、その姿が黒い霧に包まれていった。そして黒い光に包まれたレヴィアンの衣装が、前に見た際どいものへとチェンジしていく。
     ――レヴィアンが悪魔の姿に変身した。
     だが僕はレヴィアンの変身シーンよりも彼女の言った言葉で頭の中が真っ白になっていた。
     僕は利用されていた。騙され続けてきた。僕はまた――女の子に裏切られたのか。
    「くっ……しまった! 清貴さんのメンタル値が激やばですっっ!」
    「先にレヴィアンの方っす! 変身するっすよ、ラヴッ!」
    「くっ――分かりました……トランスフォームッッ!」
     2人の天使が、同時に変身した。
     でも僕はそれをどこか遠い光景としてみていた。僕は今、かつてのトラウマを思いだしていた。
    「かかってくるか、天使見習いたちよ」
     レヴィアンがふんぞり返って笑っている。なにがおかしいんだろう。
    「ふふっ、天使2人を前にしてよくそんな余裕があるっすよね」
    「2人? 何を言ってるの。ラブパワーのないラヴなんか、もうワタシの敵じゃない!」
    「な、なに言ってるの、ムゥ! 私だって戦えるわ! さぁ、清貴さん! 心が弱ってる時に申し訳ないですが、ムゥに手柄をとられる前に私にラブパワーを注入してくださいっ!」
     ラヴが瞳を閉じて唇を尖らせた。
     いきなり振られたよ。なに言ってんだ、僕の答えは……決まっているだろ。
    「……えと、ごめん」
     それはできないんだ。
    「なっ……なんで……レヴィアンを倒さないと、清貴さんのような不幸がまた生まれてしまうんですよっ」
    「…………」そういう事じゃないんだ……僕はただ、愛が信じられないんだ。怖いんだ。
     声に出して言おうとするも、もう僕にはそんな気力はなくて、ただ口をパクパクしていた。
    「城崎さんはもう駄目っすね。完全に心が折れてるっす……。ラヴ! 城崎さんを連れて逃げるっすよ。レヴィアンはウチが倒すっす!」
    「ふひゃひゃ……パワーアップしたワタシをアンタ一人で倒せるかな?」
     僕のことなんて目もくれずニヤニヤ笑っているレヴィアン。
     僕の足が、自然と前に出た。
    「れ、レヴィちゃん、どうして……レヴィちゃんは僕と過ごした日々に何も感じなかったの? レヴィちゃんはずっと嘘をついていたの?」
     僕は焦点の定まらない視点をレヴィアンに向けて、よろよろと近づいていった。
     するとレヴィアンが面倒臭そうな目をチラリと僕に向けた。
    「……あ、危ないっ。清貴さんっ!」
     ラヴの叫び声が聞こえた。
     その刹那――レヴィアンが黒いマントから大きな鎌を取りだして。
    「雑魚はすっこんでなっ」
     僕に向けて鎌を振りかざした。
    「う……うそだ……レヴィちゃん。レヴィちゃんが僕にそんなことッ――」
     そして無慈悲に襲いかかる衝撃波。
     や、やばい――僕は強く目を閉じた。
     空気を切り裂く斬撃が直撃――と思ったそのとき……僕を庇うように目の前にラヴの後ろ姿が飛びこんで来た。
    「ら、ラヴッ……?」
     直後。ラヴの体が上空高くに浮き上がって、そのまま遠くまで吹っ飛ばされていった。
    「きゃあああっっ」
    「うしゃうしゃしゃ。たった一撃とは……本当に弱くなったなぁッ、ラヴっ」
     レヴィアンが意地の悪い表情を浮かべて笑っていた。
    「らっ、ラヴっっっ!」
     目が醒めた僕は、脇目もふれずにラヴの元まで走って行った。
     背後からはムゥとレヴィアンの言い争うような声と、金属同士が打ち合うような音が連続して響いてきたけれど、それでも僕は振り返ることなく走った。


    「ラヴ……お前、大丈夫なのか? 肩貸してやろうか?」
     砂埃にまみれて倒れていたラヴをなんとか立たせて、僕達は川原を後にしていた。
     後ろではムゥとレヴィアンの熾烈な戦いが尚も続いている。
    「……大丈夫です」
     そう答えたラヴはどことなく不機嫌な様子だった。
     しばらく黙って堤防沿いを歩いていた僕達だったが、一度も僕の方を振り返らないラヴ。重い沈黙が流れていた。
     僕を庇って傷を負ってしまったラヴ。彼女は既にもう変身を解いていて、私服姿になっていた。
    「さ……さっきまでは下着姿だったのに、いつの間に服を着替えたんだよ。はは」
     場を和ませようと軽くジョークを言ってみたり。
    「……それ、セクハラですか?」
     ラヴの声はとても冷たかった。
     ……や、やりづらい。
    「な、なあラヴ。これから僕の家に寄ってって朝飯食べていかないか。学校までにはまだ時間があるからさっ」
     つーか僕は何を言ってるんだ。女に対して気を遣うなんて、レディバグとしてあり得ない事なのに。
    「昨日の夕食の残りで冷凍食品とか総菜とかたくさんあるんだけど食べきれないからさ、お前も手伝ってくれよ」
     それでも僕はラヴの機嫌をとるように明るく声をかける。
     負い目からきてるんだろうか。
     いきなり立ち止まったラヴは、前を向いたまま僕の手を握った。
    「……清貴さん。どうして私に愛を与えてくれないのですか?」
     ラヴの寂しそうな声。今までにない悲壮な声。
    「愛を与えるって……なんだよ」
     なんとなくその手をふりほどくことができなかった。
     僕はばつが悪そうな感じに尋ねたが、ラヴが言いたいことは分かる。これは批難だ。
    「昨日レヴィアンと戦った時もそうでした……。清貴さんからは意地でも愛を信じない、頑なな決意を感じます」
    「そ……それは言っただろ。僕はレディバグなんだ。女に対してそんな事できない。さっきは僕をかばって怪我させてしまったことは悪いと思ってるけど……そもそも僕は巻き込まれてるだけなんだ……」
     それを言うのは卑怯だ、と思いながらもツルツルと口が滑る。僕の生き様――それがレディバグ。僕が何よりも優先させるべきものなんだ。
    「ですが私は愛の天使なんです。愛がなければ戦えないんです。パートナーである清貴さんが愛をくれればレヴィアンに勝つことだってできたんです」
     ラヴは僕の手を離して、こちらを振り返った。そのたれ気味の目に、いつものような優しさはなかった。勝手に巻き込んでおいて勝手なことを言うやつだ。
     でも――僕が信じるレディバグは、町の平和の為にボロボロになって戦う少女を救うことよりも重要なものなのだろうか。
    「なんで他の人間じゃ駄目なんだ。僕はこんなに嫌がってるんだから他の奴に頼めよ」
     それでも僕は、自分のプライドを守る為に必死で責任から逃れようとする。
    「それは……私があなたをパートナーにすると決めたから。一度決めてしまえば解除するのに時間を要するんです……」
    「僕の知らないところでそんな大事なこと、なんで決めてしまうんだよ」
    「それは……あなたは私と相性が完璧に適合する相手なのです。清貴さん以外にいないんです。だから――」
    「だから協力しろっていうのか。下らない愛を広げるため、悪魔と戦うために。そんなの勝手すぎるだろ。僕がお前に協力する義理がどこにあるんだよ。僕はむしろ被害者なんだぞ! 僕はそもそも愛なんて言葉が大嫌いなんだ! 僕はそんなものとは無関係な場所で、心穏やかに傷つくこともなく、ただ平凡に暮らしたいだけなんだ!」
     僕は自然と感情が口からこぼれ落ちていた。そう、僕はただ傷つきたくないだけなんだ。もう――あんな気持ちを味わうのはごめんなんだ。
    「そんな……清貴さんっ。そんなの嘘です! そんな訳ないです! 清貴さんだって恋がしたいはずです! 私を好きになるはずです! なにを意地になってるんですか! いい加減にしてください! 素直になって下さいよっ! 清貴さんがこんなんだから、レヴィアンに勝てないんですよっっ!」
     ラヴが感情的になって叫んだ。そして叫び終わった彼女は、しまったという風に表情が暗くなっていった。
    「あ、あの……清貴さん。こ、これは……」
    「天使ってのはずいぶん高慢なんだな」
    「……き、清貴さ――」
    「ひとつ、いいことを教えてやろう。僕が女の何が嫌いかって――こういう男を見下したところが1番気にくわないんだよッ! お前だってどうせ面白がってやってるだけなんだろ……僕はもうお前の遊びに付き合ってられない。これ以上利用されるのはこりごりだ」
     僕はラブの言葉を遮って彼女に背を向けた。
    「あ……ま、待って下さいっ。清貴さんっ、清貴さんっ!」
    「うるさい! もうついてくんなっ!」
     僕はラヴを拒絶して、朝日に照らされる堤防沿いの道を一人歩いていった。
     やがてラヴが僕を呼ぶ声も聞こえなくなって、そっと振り返って見ると、ラヴがしょんぼりと肩を落として去っていく後ろ姿が見えた。
     レヴィアンに裏切られたからだろうか、僕は無性に心が痛かった。


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