天使がきても恋しない!

    1. 第一章 小さな恋の物語

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    1

     
     ケース1
    「あっ、ねぇねぇ城崎く〜ん。放課後クラスの親睦会があるんだけど時間空いてる〜?」
    「親睦会……だって? ふん、なんで僕がそんなものに行かなくちゃいけないんだ。僕は女子と親睦なんて深めるつもりないよ」
    「……」
     はい、相手の沈黙により僕の鮮やかな勝利。
     どうせその親睦会で僕の事を嘲笑おうっていう魂胆なんだろ? 残念だったな。貴様ら女子の下劣な考えなんて全てお見通しなんだよ。人の心を弄び、嘆く姿を見て喜ぶ生物。それが女なのだ。おお、なんという醜悪な!

     ケース2
    「城崎君。悪いんだけど、私の代わりに配布用のプリント先生から貰ってきてくれないかな? 少し量が多そうだし……日直の仕事交代するからさ」
    「はぁ。これだから女子は困るな。自分が任された仕事だろう? ちょっとめんどくさそうだったらすぐに女という盾を振りかざし男に甘える。生憎だけど僕にその手は通用しないんで」
    「……」
     僕の論理的且つ平等的な正論によって敵は怯んだ。はい、僕の勝ち。
     そうだ。女は何かあればすぐに男女平等にしろだのどうだの言うくせに、そのくせ自分達に有益な部分には何も言及しない。ていうか今の社会では実際に差別されてるのは男性の方だし。女性専用車両とかはまだ分かるけど、レディースデーとかって何なんだよ。ふざけんなっ、僕だって安い料金で映画見たいんだよおおおおオオオ!

     ケース3
    「清貴ぃ〜……あんたいい加減にしなさいよ。女子が嫌いだって言うのは分かるけど、いつまでもそんな態度とってたらいつか絶対後悔するときが来るわよ。もう高校生になったんだから少しは大人になりなさいよっ」
    「ふん、仮夢衣(けむい)。いくら幼なじみの君だからと言って僕は女には容赦しないし……そんな下らん戯言に付き合ってる暇もない。僕はね、そんな事くらい言われなくても十分承知なんだ。それを承知でこの修羅の道を進んでるんだよ。はは……あっはっはっは! あ〜はっはっはっはっはっ!」
    「……」
     呆れたような、憐れむような目でこっちを見てくるけど……僕の完封勝利でおk。
     そうさ! 後悔なんかあるわけない! 僕は狂った社会に迎合して、自分の心を殺しながら窮屈に生きるつもりはないんだ。そう、今の世の1人でも生きていける。科学と社会福祉の発達により一人暮らしでも不自由なく過ごせるし、結婚なんて男にとってデメリットでしかない。詳しく解説したいが、そうすると論文1冊できあがるのでここでは省略するけど。

     ケース4
    「城崎く――」
    「だが断る。っていうかそもそも僕は女子とは話したくないんだよね。さらばっ」
    「……」
     もはや瞬殺。僕と女に発生しうる全ての因果は断ち切られる。これぞレディバグ特性『無関係(かんけいない)』。女に裂かれる時間をゼロ化させるまでに至った神の領域。僕のレディバグとしての力はここまでに急成長を遂げたのか……我ながら自分の力が恐ろしいッ!

     ケース5
     人気のない中庭を歩いているとベンチでイチャイチャチュッチュしているカップルをみつけた! さぁどうする、城崎清貴。
    「ぶ……ぶぅううううわっかもーーーーーーーーんんッッッッッ!!!!! 健全な高校生がッ不純異性交遊してんじぇねえええええええええええええ!!!!!!!!! 天誅じゃああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
     ぷっつん頭にきた僕はカップルに乱入して乱闘騒ぎを繰り広げた。
     そして気が付けば――ボロボロになった僕がベンチの上に一人残された。


     とまぁ、最後のはともかく――そんなこんなで今日も僕は無敗神話を更新して、学校生活を無事一日生き延びた。最後のはともかく。
     果たして、この世界に真実の愛なんてものがあるのかどうかは分からないけど、そんな事は関係なしに僕は、とにかく女性全般に対しての敵意を持っていた。
     敵意というより、もはやそれは憎しみ。世の中の2種類に分けられる人類の内の半分を敵にまわす暴挙。それは孤独な戦いで、圧倒的に不利な戦い。
     だけど僕は戦う。何が僕をそんなに突き動かすのか分からないが……とにかく、城崎清貴は――異性を否定するのだ。
    「は〜っはははは〜っ! さすが僕だッ。今日もまた女に話しかけられる事もなく無事に一日を乗り切った! ようやく僕も女殺しとしての実力に拍車がかかってきたぞっ」
     高校生になって間もない4月のある日――。
     この僕、城崎清貴は相変わらず女性に対しての敵対心を胸に日々を戦っている。
     ちなみに今は、学校が終わって家に帰る支度をしている途中である。
     それにしても……ははは、クラスの連中もようやく僕の恐ろしさというものが理解できてきたな! 僕はあいつらなんかとは違う、人類の進化の最前線に立つ存在なんだよ!
     僕は今、とても上機嫌だ。高校生活が始まって日が浅いため、つい最近までは僕の在り方を理解していないクラスメイトの女子やらが話しかけてきたりしたのだが……この頃になるとさすがに薄々と浸透していった。
     つまり――城崎清貴は、異常者であると。
     一度たった噂は広まるのが早く、次第に誰も僕には近寄らなくなって――今では話しかけてくる者はほとんどいなくなった。だが問題ない、例年通りだ。
     級友と仲良くなんかしなくても、影でいろいろ言われてようと、誰に嫌われていたって大丈夫。元々クラス内の雑音なんて全てシャットアウトしているのだ。
     だけど――僕は孤独だとは感じない。そんなもの感じる人間は、しょせん1人で生きることもできない、心が弱い人間だからだ。そして僕は強くて孤高なのだ。
     僕は強い信念の目でもって、周囲をくるりんと見渡した。
     教室の中にはまだ人が残っている。
     実はこのクラスメイト達は、来週に迫った『春祭』とやらの準備で色々と忙しいようだ……が、この僕にはそんな事全く関係ない。僕はもちろん今日もこのまままっすぐ帰るつもりだ。
     すると――僕の前の席に座る、外見がすごく整っているクラスメイトが、うんざりした口調で語りかけてきた。
    「おいおい城崎。お前もうちっと自重しろって。ますます女の子から嫌われるぞぉ」
     それは僕の数少ない友人の1人、遠野友晴(とおのともはる)だ。
    「遠野ぉ〜、君は何を言ってるんだ。僕を誰だと思っているんだ」 
     遠野の的外れな助言に、僕は失笑しながら胸を張る。
     嫌われるだって? ……最高じゃないか!
     けれども遠野がぱっちりした瞳で僕を見つめる目は、冷ややかなままだった。
    「自称、『女殺し』の恥ずかしい人だろ? ってかお前もう高校生だろ……まだそのキャラ続けるつもりなのか?」
     ぐさり。
    「ぼ、僕はキャラでやってるんじゃねえ! ふ……ふん。これだから思春期真っ最中のガキは困るんだ。色欲狂いの我が友よ……いずれその欲望が身を滅ぼすことになるぞっ」
     でも……なんかちょっと傷ついた。正直その言葉は反則だろ、遠野。
     それに遠野だって僕と似たようなもので、かなり恥ずかしい人間なんだ。
     彼の最大の特徴、それは女好き。
     彼の女好きはただの女好きじゃない。彼のそれはあまりに凄まじすぎて屈折しすぎて、女に好意を寄せる故に女に嫌われるという矛盾が発生しているのだ。要するに女性に興味津々な思春期のリビドーが暴走し、アプローチが積極的すぎて女子からモテないということ。
     そう、つまり遠野は僕と対照的な存在と言える。女好きと、女嫌い。
    「ったく、変な事言ってんじゃねーよ。俺は女の子に対してとって〜も、優しいだけなんだ。俺は女の子を尊敬してるからね〜」
     自覚できてない遠野は僕の助言を軽く一蹴した。
     歪んだ性格の遠野の顔は、整っていてまつげも長くて体の線も細くて――一見すると彼自身が女の子にも見えなくなかった。ま、それを言うと本人は怒るから、今は敢えてその事には触れずにおいておく。
    「はぁ……それが色欲狂いと言ってるんだよ……君こそもうちょっと自重しろと言いたいんだがな。ま、それは無理な相談か。そういう意味では君も僕と同じだもんな」
     見た目だけなら美少女である遠野友晴。大人しくしとけばモテそうなのに、なぜこいつにはそれができないのか最大の謎である。
     ――ていうか、むしろ男子にモテているという噂もあるけど、それを言ったら本人は本気で気にする。でもたまに遠野を変な目で見てるクラスメイトいるしね。マジで。
     ちなみに僕は言わずもがなモテない……ちゅーか、モテてたまるかクソッタレな感じなので――結局2人共その突き抜けた性格が原因で、クラスの2大モテない王として僕達対称的な存在の2人が選ばれているのだ。
     そして人は我々を――1年3組2大嫌われ王と呼ぶ。
    「そんなことよりさ、城崎。俺がさっき職員室行った時に宇佐原(うさはら)さんに会ってさ、伝言頼まれたぜ。清貴、今日こそは春祭の準備手伝え〜ってな」
     見た目は草食、心は野獣、性犯罪者一歩手前の2代嫌われ王の一角、遠野友晴がにやけ面で報告してきた。その手には、間近に迫った『春祭』の告知チラシ。まだ未完成っぽい。
    「そりゃあ……まずいな……仮夢衣に会ったらまた面倒な事になりそうだし……なら僕はさっさと退散するよ」
     2代嫌われ王のもう一角の僕はそう答えた。
     こんな学校、さっさと退散するにこしたことない。それにこれ以上遠野と仲良く喋ってたら、また僕達のホモ疑惑が浮かんだり、薄い本が作られたりしそうだからな。
    「んじゃな。俺は城崎とは違って真面目で協調性のある人間だから残って手伝うよ」
     遠野はくだらないチラシを机の中にしまって、入れ替わりに様々な小道具を取りだした。
    「エロくて下心のある人間の間違いじゃないのか?」
    「うるせいっ、帰るんならさっさと帰れっての」
    「言われなくても帰るよ。せいぜいフラグ立てに精を尽くす事だな。僕はそんなフラグが発生する余地もなく帰宅するッ。これぞ、必殺・先制逃走(エスケープフロムここ)ッ!」
     そう言って僕は鞄を持った。僕達はプライベートではほとんど付き合いはない。
     女を敵視する人間の数少ない友達、それは性に貪欲で女顔の変態。
     うん……僕達がホモ達扱いされるのは僕の責任が大きいからな。遠野まで巻き込むわけにはいかないんだ。
     それに宇佐原仮夢衣(うさはらけむい)――か。
     クラスメイトであり僕の幼なじみ。最近いろいろと因縁をつけてくるので避けているのだ。ま、主に僕がクラスメイトと馴染もうとしないのが原因だけどね。
     教室の隅にはぬいぐるみかかぶり物みたいなのが転がっていて、みんなゴチャゴチャ頑張ってるけど、僕はなるべくそれらを視界に入れないようにして、教室の扉を開けて廊下に出た。
     すると――やべえ。あの特徴的なでかい胸……噂をすればその少女が廊下の向こうからこっちを見てる。
     僕は気付かないふりして帰ろうとした。
    「あっ、おおーい、清貴っ。何帰ろうとしてんのよっ! 今日こそ春祭の準備手伝いなさいよねーっ」
     ちっ……呼び止められてしまったし。
    「宇佐原さん、また例の問題児? あんな男放って置いたらいいのよ」
    「そうよそうよ、言ってる事訳分かんないし、痛い人だし、あまり関わり合いにならない方がいいわよっ」
     なんか取り巻き的なものが僕の悪口言ってるし。あいつはあいつで同性から好かれてるからな〜……もちろん性的な意味で。
    「ねぇみんな、あまりそういう事は言わない方がいいわよ……お〜いっ! 清貴ってば〜!」
     仮夢衣は未だに校舎中に響きそうなくらい大きな声を上げていたけど、僕は聞こえなかったフリを貫き通し、背中を向けてそのまま歩き出す。
     ていうか全部聞こえてるよ。君の友達の悪口的なものまで丸聞こえだよ。
     涙が出るのを堪えながら、僕は歩くスピードを速める。
    「あ、こらっ、清貴ぃっ。待ちなさいっての! 無視するなっての!」
     とかいう声がなんか後ろから近づいてきたような気がしたので、僕は不自然なくらいにさらにスピードを速めて、逃げるように学校から脱出する。
     よし、本日の戦い終わり。非のつけどころのない勝利だった。

    というわけで僕は現在、愉快に笑いながら自宅の道をまっすぐ進んでいた。
    「はは、あははははっ。今日もつつがなく女をスルーしたし、面倒臭い春祭の準備からも逃れられた。僕は本当に凄い人物だなぁ!」
     特に家に帰ってどうこうするつもりはない。ただ、学校には自分の居場所がないから帰っただけ。女殺しの自分に安らぐスペースはそこには確保されていないんだ。だから僕は関わらない。
     だけどそれは決して寂しいとかそういうのではない――きっと。
     自然と僕は自分を鼓舞するように、前をまっすぐ向いて歩いていた。
     ほとんど散ってしまったが、まだかすかに残る桜の並木道を僕は1人歩く。
     夕暮れの寂しい小道。だけど1人なのはいつもの事で、いつもの光景だった。
     変わらない日常の帰り道。
     だけど――変化は前触れなく訪れる。
     僕はこの時、非日常を目撃してしまった。
    「え、なんだ……あれは?」
     僕が寂れた公園の前を通った時、ふと何か異様なものが視界に入った。
     それは――怪物だった。
    「ってえ、怪物……?」
     公園の砂場にいる全身が真っ黒の、まるで影のような物体。それはこの世のいかなる生き物にも比類していない。強いて言うならばそれは――。
    「スライム……?」
     ゲームなどでよく見かける、丸くてぽにょぽにょしてる、ゲル状っぽい感じの空想の生物。まさにスライムと形容すべき存在だった。
     その空想の生物が、帰り道の公園の砂場にいる。
     僕はこの異常で異形で異端のものを目にして――心を弾ませていた。
     そうだっ。僕は平凡でつまらない一般人の思考を遙かに超越しているのだッ!
     僕は愛を知らないし、女性に興味なんてないし、人にだって興味ない。だから――僕は非日常を許容し、幻想を求める。愛を捨てたからこそ、つまらない人間の感性を超えられる!
     僕は愛という感情を捨てていた。だから常に孤高でいなければならない。そしてそれは、同時に寂しさを己の身に宿さねばならぬという宿命なんだ。
     だから僕は埋めたかったのかもしれない。その空いた心を代用できる何かで……。
     果たして目の前の非日常は自分の心を満たしてくれるのか――そんな事を考えながら僕は公園の中へと入っていった。
     だが、好奇心猫を殺すとはよく言ったもので……僕はこの後すぐ激しく後悔する事となる。
    「――ぽみょ?」
     一見愛くるしくも見えるこのスライム状の化け物が、無害な生き物だとは限らないという可能性を、僕は念頭に置いていなかったのだ。
     僕が砂場にいるスライムにゆっくり忍び寄っていくと、
    「……ぽ、みゅ。ぽみゅぽみゅ……ぽ、みゅううううううう〜〜〜〜〜〜〜んっ」
     スライムが僕の存在に気付いて、突如――無害そうだった顔が恐ろしいまでの形相に変わって、奇声を発し始めた。
    「な、なにっ?」
     予期せぬ展開に僕は混乱する。これはつまり……どういう事なんだ?
    「みゅぅぅぅぅぅぅん……」
     真っ黒のスライムは、尚も変な奇声を発しながらジリジリとこっちに近づいて来ている。僕はとても嫌な予感がしてきた。こ、これは……もしかしてこれは。
    「みょおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
     予感的中。黒きスライムはどう猛な本性を現した。
     こんな可愛い顔してるのに……迂闊だった。
     そして――スライムは、ぴょんぴょんぴょんぴょんぴょぴょぴょぴょぴょん!
     もの凄い勢いで僕に襲いかかってきた。
    「うわああっ!」
     僕は足がもつれそうになりながらも駆けだした。踵を返して公園を抜けてただただ走った。
     後ろを振り返ると、スライムがぴょんぴょんと跳ねながら追いかけてきている。
     道をただただ走り抜ける僕。後ろからはスライム。
     そしてこんなにも非日常な現象が起こっているというのに、なぜか通り過ぎる人達はみんな何事もない顔で、いつも通りの日常を過ごしている。
     注意を向けるとしても、それは僕が必死の顔で全力疾走している点に興味を持っているという感じだった。
     もしかしてこの人達にはスライムの姿が見えていないのか? 僕はひたすら逃げながらも冷静に分析する。
     路地に入って人通りの少ない場所へと入って行って……僕はとうとう路地の突き当たりにまで追い詰められてしまった。
    「絶体絶命だぁ〜」
     間もなく日が暮れようとする黄昏時の空。オレンジ色に包まれる周囲は廃墟のように閑散としていて、静かで、壁に囲まれていて、周りには誰もいない。
     スライムがずずずずって感じに近寄ってくる。僕は思った。スライムってこんなにも凶悪な生き物だったなんて知らなかった、と。
     一つためになる知識を手に入れて僕は壁を背にする。そしてスライムがやってくるのをただ茫然と見つめる。
     ずずずーんっと、スライムが僕との距離を詰めると、
    「ぽおおおおおおおおおおおん」
     思い切り高くジャンプして、そして僕の体めがけて落下してきた。
    「う、うわあああああっ」
     僕は恐怖で目を閉じてしまう。条件反射とはいえ最悪なパターンを選んでしまった事を早くも後悔する。
     この惨めな人生だった自分の死を覚悟した瞬間に――。
     シュン――と風に乗って何かが現れたような気配を感じた。
    「……」
     そして、しばらくの沈黙。
     ……何も起こる気配はない。
     僕はどうしても気になって恐る恐ると目を開けると……。
     そこには1人の少女が立っていた。
    「……とうとう見つけた。うふふ」
     僕を見て嬉しそうに微笑む、美しい少女。いや……あまりにも美しい存在。
     それは小柄だけどスラッとした体型で、ややたれ目気味の目はピンク色。顔は彫りが深く日本人離れしていてまるで人形のよう。肌の色も真っ白でそこはかとなく彼岸の世界から来たような幻想的雰囲気を感じる。
     つまり少女は――レディバグのこの僕がそんな感想をつい脳に浮かんでしまう位に、とんでもなく美しく可愛い美少女だった……だけど。
    「でも……なんだ? その服……てか、翼? あんた……いったい」
     少女の美しさを霞ませるくらいに、その少女はとっても変わった格好をしていた。
     まるでアニメに出てくる魔法少女のようなドレスみたいにヒラヒラした派手なコスチューム。髪の色もピンクだし、手には矛先がハートマークの形になってるオモチャのようなステッキを持ってる。それに……なぜか背中には天使のような翼があった。
     まさにメルヘンかファンタジー。
     僕は何が何だか分からないままに謎の魔法少女をじっと見つめていると――目を細めてまるで愛おしそうに僕を見ていた少女は、はっと慌てたように表情を変え声高らかに宣言した。
    「は……はぁ〜いっ! 世界の隅々までに愛を届ける天使見習い〜、らららラブりぃキューピッドっ。ラヴラドル・ラブ・ライクちゃんで〜すっ」
     アニメ声優のような甘〜い声で、そしてカメラ目線な感じで、魔法少女――ラヴラドル――はクルクルと回転して翼を広げて、いかにもなポーズを決めた。
     ちなみに辺りを見回してみたがカメラはどこにもない。
    「い、いや……意味が分からないし」
     ――それが僕の第一印象。完全に引いていた。ていうか天使って。
    「私が来たからにはもう何も恐れることはありません。私はあなたを助けに来たというわけです。だから安心して……むっ?」
     ラヴラドル・ラブ・ライクとかいうふざけた名前の天使は、まるで本物の天使のような慈愛に満ちた顔で僕に語り聞かせていると、突如その表情が歪んだ。
    「まだいたのですか。使い魔さんはとっとと引っ込んでいて欲しいものです」
     まるで全然天使には思えないような笑顔だった。
     そして、僕も気付いた。天使・ラヴラドルの背後に……スライムが忍び寄っていることに。
     僕がそれに気付いた瞬間――スライムがラヴに飛びかかった。
    「あ、おいっ。気を付けろっ。後ろにっ……」
    「そんな事は百も二百も三百くらいも承知ですよお〜」
     僕の言葉を遮って、ラヴラドルが素早く振り返る。そして振り向きざま、手に持っていたおもちゃのようなステッキで――、
    「ラブ・すとら〜〜〜〜〜いくっっっ!」
     ぽっか〜ん! と――思いっきりスライムを叩きつけた。
    「おお〜。ホームランですねぇ」
     甘い声を張り上げて、天使の少女は空を見上げる。
     どう見てもそのハートマークのステッキはオモチャなのに、威力は絶大。スライムは気持ちよく、ぴゅ〜っと空の彼方に飛んでった。
    「滅茶苦茶だ……」
     僕は呆気にとられて、少女と同じように空を眺めてた。
     そうすると――またおかしな現象が起こった。なんと空中でスライムの体は、まるで蒸発するように煙となって――オレンジの夕暮れ空に消えてったのだ。
    「な、なんなんだ、あれは……」
     煙が消えた後も空を見上げ続けながら僕は呟く。
     そうすると、ようやくラブラドル・ラブ・ライクとかいう奴が、僕に向かって話しかけた。
    「あの子は使い魔……悪魔の手先です。魔界ではマスコットみたいなものですから怖がってちゃ駄目です」
     それは心に響くような透明な美声だった。
    「いや使い魔ってそもそもなんだよ。さらりと悪魔とか魔界とか、理解しがたい単語が連発してるんですけど……」
     むしろ僕はどっちかっていうと、この少女に対して怖がってるし。
    「大丈夫です。悪に恐れる事はありません。神はいつも天から見守ってくれています。さぁ、信じましょう。祈りましょう。心に愛を、胸に希望をっ」
     なんか少女は1人で盛り上がって空を仰いでいる。その格好からして最初から薄々分かってたことなんだけど……相当痛い人なんだね、君。むしろ全然大丈夫じゃないよ。
    「ていうか助けて貰ってなんなんだけど……君こそ誰なんだ」
     平然とフランクリーに話しかけてくる少女に、僕は至極もっともな疑問を口にした。ある意味、さっきのスライムよりも謎だ。なんたって天使だし。中二病?
    「むむぅ……さっきの私の登場シーン聞いてなかったのですか? まあいいですけど……こほんっ。私はこの世界の愛と平和を守るために天界からやってきた愛の使者なのです。悪い悪魔は退治なのです。変身して戦うです。どうぞ私の事は気軽にラヴちゃんと呼んで下さい」
     ラヴちゃんは天界から来た愛の使者だったんだって。へぇ〜。
    「いや、もうツッコミどころ満載だし。天界ってなんだよ。悪魔ってなんだよ。変身ってなんだよ。そんな設定を軽く流せるほど僕は適応力高くないんだけど!?」
     世界観がぶっとびまくってて僕はそろそろうんざり気味になってきた。
    「それはおいおい説明しますよ。ほらほら、清貴さん。まずは場所を変えましょうよ。こんなとこで立ち話というのもなんですし」
     そう言うとラヴラドルは目を閉じて、軽く深呼吸して――。
    「人間界モード――オ〜〜〜ンっっ」
     甘ったるい声で叫ぶと、ラヴラドルの体が徐々に白く発光していって、その姿がぼんやりと淡くなって七色の光が周囲を満たした。
    「な、なんだこれは……?」
     もはや怪奇現象の類である。自然発火現象? 人間モード? などと僕が考えていると。
     ぴかぴかぴかー、と極彩色のキラキラが一層強くなってラヴラドルを包み、その姿が見えなくなる。
     そして次の瞬間、光が弾けるように閃光を放ち――そこには衣装チェンジしたラヴラドルの姿があった。
     ピンクと白を基調にしたコスプレ衣装が一瞬にして、世間一般の常識ある女の子の服装に変化していた。もちろん背中に翼はない。人間界モードだもん。
     春らしい涼しげな白のワンピースを着こなす彼女。先程までの光景を目の当たりにしたら、こんな不思議な出来事も些細な事のように思えるけど……。
    「ていうか……いや、なんか自然な流れで進んじゃってて危うく見過ごしそうだったけど……そういえばなんでお前僕の名前知ってるのっ!? 僕名乗ってないよね!?」
     敢えて変身のこととかには触れずに、それよりもっと大事な事を問いただす。ちょっと怖いし。ストーカー?
    「もう〜、しっかりして下さいよ〜。あなたは私のパートナーとなる存在なのですから」
     こうして見ると、僕とさほど歳の違わなさそうな少女は、何を今更〜といった感じに呆れ声で言った。
    「え、ああ。悪い。そうなのか……だったら知ってて当たり前……って、え? え? パートナー? パートナーってなにっ、僕とお前がっ? え、なにそれっ!」
     そんなのもちろん初耳だし、なに勝手に決めてんの。全然当たり前ちゃうし。
    「だからパートナーですよ。私は天使見習いとして地上に降り立ったのですから、当然愛のエネルギー源が必要な訳ですよ。しっかりして下さいってばっ」
    「しっかりするのはお前だよ! なんで当然の知識みたいな感じに言ってんの!? 僕そんなの何も聞いてないよ!」
    「私の事はラヴって呼んで下さいな。……む? 詳しい事は後です、清貴さんっ。さぁ、行きましょう。新たな刺客がやってくるその前にッ!」
    「え? なに? 刺客? なんなの、まだいるのっ? さっきみたいなのがまた来るの? バトル? バトル系なのっ?」
    「とにかく移動しましょう。話はそれからです」
     半ば強引に天使見習いの少女に引っ張られて、僕はどうすればいいのか分からないまま一緒に走った。絶対僕、騙されてる気がするんだけど……。
    「さぁ、清貴さん。あなたのお家に案内を!」
    「分かった! って……いや、まだそこまで心を許してねーよっ」
     あとこれから先も許す気はないんだけど……とにかくこんな得たいの知れない少女を家に連れて行けるわけないので、近くのファミレスに入る事にした。
     それにしても……なんだろう。僕はどうもラヴと名乗るこの不審者を以前から知っていたような気がする。こんな強烈な人外の存在、一度見たら忘れなさそうなのに。
    「ああっ、あそこに大きな荷物を抱えたおばあさんがっ!」
     僕がわけの分からない郷愁を感じていたら、ラヴがなんか遠くのおばあさんを指さして叫んでた。
    「いいよ! 別におばあさん大丈夫だって! 最近の年寄りみんな元気なんだって! そんな無理矢理天使っぽいキャラ付けはいいから! さっさと行くぞ!」
     しかもそんな重そうな荷物じゃないし。全然許容範囲の大きさだし。それに信号変わりそうな交差点を強引にダッシュで渡っていったし。
    「はぁ……やれやれ」
     でも、ふと冷静になって考えてみたら……成り行きとは言え、僕は今普通に女性と会話しているんだという事実に気付いた。
     いや、天使なんだから女性としてカウントしていいのか分からないけど……。
     だけど、自分の気持ち的には――僕の今日の試合結果は敗北に終わっていた。だから僕はもう一度溜息を吐いて批難の目をラヴに向けようとしたら――。
    「……うふふっ」
     ラヴの方も僕の顔をみていて、そして彼女は嬉しそうに微笑んていた。
    「ん? 今度はなんだ? また助けを求めている人でも見つけたか……?」
     僕はうなだれたままラヴに訊いて――そして少し驚いた。ラヴのその顔は、なんだかとっても安らかな顔だったから。まるで何かを懐かしんでるような。僕と一緒にいることが念願だったとでもいうような。なんだろう……その顔は。まるで僕を知ってるような顔で。そして僕も、なぜかラヴの顔を知っているような気がして。
    「いいえ、何でもありません。ただ……」
     ラヴは微笑んだまま、風にたなびくピンクの髪を押さえて、静かに答えた。
    「ただ……?」
     僕はその表情と仕草に、不覚ながら心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
    「――なんだか嬉しくって」
     ラヴは、よりいっそうの笑顔を僕に向けた。
    「……はあ? 何が?」
    「ふふっ」
     きょとんとする僕に対して、満面の笑みを浮かべるラヴ。
     本当に意味が分からない。やっぱりこんな不審者には関わるべきじゃないだろう。
     どっと疲れてしまった僕。そんなこんなの内に、ようやくファミレスに入ることができた。


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