天使がきても恋しない!
第6章 愛ゆえに愛を――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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ノートPCの電源を切って時計を確認すると、いつの間にか日付が変わりそうな時刻になっていた。
僕はもう、いても経ってもいられなかった。
なんとしてもラヴに会わなくちゃいけない。
もうレディバグではない僕は、何の肩書きも飾りも付けないありのままの僕で天使と向き合う。
連絡先なんてもちろん知らない。どこに住んでいるのかなんて尚更だ。
それでも僕はじっとしていられない。
生まれ変わった僕のほとばしるパッションは、もはや抑える事はできないのだ。
だから僕は――家を飛び出した。
空には綺麗な満月が輝いていた。
ならば僕はオオカミだ。獣だ。その身を風に変えて走れ。
僕は何も考えずに町を駆ける。駆ける。駆ける。何よりも早く、音速を超え、光速を越え。
日付が変わった0時丁度の満月の下をひたすらに走る『ナニモノでもない僕』。
誰もいない寂しげな公園の横を走って、真っ暗の河原の堤防沿いを走って、シャッターが全て下りている商店街を走り抜ける。
何もかもを失って、しがらみもプライドもなくなってただ走る僕は――爽快だった。
なんて気持ちいいんだろう。なんて感動的なんだろう。
僕は今、叫びたかった。説明不可解なこの気持ち、理解不能なこの高揚。
考えたって答えなんて出ない。感じるんだ。言葉じゃない。理屈じゃない。
本能のままに走る僕。
こんな事に意味なんてなくても。無意味だとしても――僕は今、ここにいる。
加速しながら駆けゆく僕は、感じた。時間を越え、場所を越え――人生を回想した。走馬燈のように思い出が僕の頭を巡り巡った。
そして最後に出てきたのが、ラヴだった。
僕は――ラヴのことをほとんど知らない。今、ラヴがどこにいるかも正直言って分からない。
でも僕はただ目的もなく走っているわけじゃない。僕の心の根源的な部分が教えてくれる。
だから――ラヴの居場所に心当たりはあった。それを感じていた。
いや、そもそもラヴは天使だから僕が会いたいと思えばすぐに会う事だってできるかもしれない。だからやっぱりこうやって走っている事は無駄な事なのかもしれない。
それでも僕はそこに行く。あの時から時間が止まってしまった僕の人生をやり直す為に、僕は自分自身と決着をつける。あの時のさよならから、また始めるんだ。
あの日を……克服するために。
ラヴ。今度こそ僕は君を乗り越える。
僕はもう、君に壊されない――。
僕は町はずれにある、誰も使わなくなった廃校舎へ辿り着いた。
僕の恋がかつて、終わってしまった場所。僕が昨日、ラヴとさよならした場所。
満月に照らされる廃れた小学校は、静かで無機質な様相を呈している。周りには雑草が生い茂り、壁はところどころペンキが剥げていた。遠くで虫の声が聞こえた。
僕は決心して校舎の中に足を踏み入れる。
「…………」
中は真っ暗で、でも次第に目が慣れてくるとうっすらと見えてくる。破れた窓ガラスの穴や、壊れた壁の隙間から月明かりが漏れている。僕はその光を頼りに前進した。
目を凝らすと、野良猫がそこかしこにいるのが確認できる。
だけどそこにラヴの姿はない。
僕の足はまっすぐ向かって歩き続ける。廊下を渡り、階段を昇る。僕がかつて毎日通っていた通りに、あの頃と同じくらいの速さで。
そして僕は、とある教室の前に辿り着いた。僕がいた教室。僕が全てを失った教室。未だ僕の頭の奥にこびり付いて離れない、忌まわしき記憶の情景。
僕は錆び付いた扉を横に開けて、中に入った。
「……」
しかし中には誰もいなかった。ただ乱雑に机や椅子が並んでいるだけ。
……そううまい具合にはいかないのか。僕はてっきりここにラヴがいるものだと思ってた。一種の運命的なものを感じていた。しかしこれが現実なのか。
そこはなんて事のない、ただの一つの教室で。運命なんて……ないのか。
いや違う……運命は自分で切り拓くもの。必要なのは自分の力を信じる気持ちと、ほんのちょっぴりの勇気。
僕は乗り越える為に来た。ずっと目を背けてきた場所に来たんだ。
僕はここに、僕の為に来たんだ。
――だから僕は意を決し、腹の底から力の限り叫んだ。
「……ラヴッ!! ラァァアアヴゥゥウーーーーーーーーーっっっっっ!!!!」
生まれてから、ほとんど初めてと言っていいくらいの、全力の叫び声だった。
それは不思議と、とても気持ちよかった。ただただ……最高だった。
「ラヴーーーーーーーーーッッッッ!! いるんだろッ、ラヴーーーッッ!!!」
でも、いくら叫んでも僕の声は虚しくこだまするのみ。肝心のラヴは見つからない。
「どこにいるんだよ、ラヴ! 返事をしてくれ!」
でも僕は信じていた。ラヴはきっと僕の声に応えてくれると。来てくれると。
だって天使とは、そういう奇跡を与えてくれる存在だから――。
「……はい。私ならここにいますよ」
それは――前振りもなにもなしの、突然の返事だった。
「――っ……」
いきなり声が聞こえたので僕は思わず心臓が飛び出そうになった。
でも……やっぱりここにいたんだ。この小学校に。思い出の教室に。
窓から差す満月に照らされたラヴは、その姿を青く白くぼんやり浮かび上がらせた。
「それで……何をしに来たのですか、清貴さん。もう私のこと……嫌いになったんでしょ」
そっけない口調のラヴは、僕と目を合わせようともしない。
私服姿のラヴは可愛い普通の女の子にしか見えなくて、レディバグの称号を剥奪された僕は、なんだかラヴと話すのが非常に恥ずかしかった。敵としてではない女性との接し方が分からない。僕は……。
「いや、違う……その……昨日は言い過ぎたんだ。本当に――ごめん……ラヴ」
僕は上手く言葉が紡げない。
僕は最低だなって自分で思う。自分の都合で相手を振り回してるのは僕の方じゃないか。
「……レヴィアンの事ですよね。ムゥのパートナー……仮夢衣さんから聞いたんですか? それで私の力が必要だから……来たんですね」
いつものラヴではない暗い口調。ラヴはもっと明るく、無駄に前向きで、愛とか愛とかそんなことばっかり言うような奴だ。
確かに僕は悪魔を倒さなければいけない。でも今、僕がここに来たのはラヴに会うためだ。僕はもっとラヴの事を知りたいんだ。
「ラヴ……昨日ここで言ってたよな。滅ばさなければならない罪があるって。それっていったいなんなんだ。それって……もしかして僕に関係あることなのか?」
ラヴについて僕は本当に何も知らなすぎたんだ。
そして僕は――知ってしまったのだ。
僕は……予感していた。彼女は、天使ラヴラドルの正体は――。
「そう、ですか……もう、分かってたんですね……そうです。私はあなたにとても非道いことをしてしまいました」
ラヴラドル・ラブ・ライク。彼女は僕の始まりであり、全てを創り出した元凶。
「じゃあまさか……やっぱり君が」
「イエスです。私はかつて人間で、普通の女の子でした。そして清貴さん……あなたの初恋の人が私でした」
僕の中のトラウマ。僕を形成する核。僕の人生の始まり。僕のなくした愛の在処。
「君が、君が――僕が好きだった子……僕の初恋の人……?」
そんなのすんなりと信じられないような事だけど、ラヴは――。
「そう……だよ。私、ずっと君に会いたかったの……清貴くん」
天使――ラヴラドル・ラブ・ライクが、僕に初めて人間の女の子の顔を見せた。
その瞬間――僕の記憶の中の少女の顔がはっきりと浮かび上がった。
封印は解かれた。今、目の前にいる女の子は――僕の初恋の少女だった。
僕は……忘れていたのか。ずっと本人を前にしていたのに。どうして僕は……。
「私はね、体が弱くて、あまり長く生きられないって言われていたんだ」
僕がラヴの顔を見たまま茫然としていると、ラヴは女の子のまま話を続けた。
「全然……知らなかった」
僕はそんな事も忘れていたのか? 僕は好きな子のことについて、何も知らなかったのか。
「そしてあの日が訪れた――人間としての私が終わった日。そして私の最大の過ちの日」
僕がラヴにフラれた日。今の僕を形成した始まりの日。
「私はこの教室で……あなたの心を壊してしまったの」
僕の事が好きな少女は、かつて僕の恋心を踏みにじっていった。
「どうして……」
僕は振り絞るようにして、かろうじてラヴに疑問を問う。
「私はただ……あなたに私の事を忘れて欲しかった。だから私はあなたに私を捨てさせようとあんな手を使ったの。でもあなたは……私を捨てようとしなかった。ずっと心に残そうとした。だから――壊れてしまった」
僕は君を……覚えていたかったのか。ずっと……忘れようとしてたんだと思ってた。
僕はずっと――愛を捨てられなかったって事なのか。
「私は――あの日に死んだの。あの時、あなたの前に現れた私は、かろうじて人間だったときの私だった。最後にあなただけには話したかったから。私を……離したかったから……清貴くん」
死んだ――。僕の好きだった子。僕の初恋の子。彼女が……。
――ラヴが僕を傷つけたのには訳があった。僕を傷つけないために、自分が嫌われようとしたんだ。でも僕はずっとラヴを覚えていた。
「私の行動は間違いだったんだ。あなたの人生を滅茶苦茶にしちゃったんだ。私はどうしてもそれが心残りでなんとかしたくて……気が付いたら天使になっていたの」
「君はもしかして……僕の為に天使になって……」
僕の為にずっとずっと戦い続けてきたっていうのか……?
「それでも――やっぱり駄目だった。私は天使になってもあなたを救えなかった。天界でも私はやっかみ扱いされて、やっと掴んだチャンスであなたのところにこうして来れたのに……私は天使失格だね。私はあの時から――ずっと無力だったの」
ラヴはずっとずっと報われてこなかったのだ。
あの時の行動も、天使としての活動も。僕の為の行動が全て……。
僕はあの日、僕が少女に告白した時の光景を思い出す。
すると、僕は自然とラヴの言葉を否定できた。
「違う……そんなこと、ない。君は無力じゃない」
「そんなことないって……あるよ。そんなことあるよっ」
ラヴは碧眼の瞳に涙を浮かべて悲壮な声で叫ぶ。天使の声じゃない、女の子の声。まるであの時のような声。
そうだ。あの時の少女は、僕の目には確かに天使に見えたんだ。
だから――。
「お前は――天使だ! 正真正銘の天使だ! 人々に幸せをふりまいてるじゃないか!」
こいつはおばあさんだって救ったし、交番にお金を届けたし、猫だって拾ったんだ。
もう立派に町を救っている。動機やきっかけなんて関係ない。彼女はこの町の為に精一杯力を振り絞っているんだ。
「でも……私は、そんな――」
「僕を救っただろ! もう僕はとっくにお前に助けられていたんだよ! 僕の孤独な毎日を、変えてくれたのはお前だ! お前がいなかったら僕は今も一人で見えない敵と戦ってただけなんだ! お前は立派な天使、ラヴラドル・ラブ・ライクなんだ!」
僕はまるで愛の告白をするかのごとく大声を上げていた。
まるであの時の再来のようだと思った。
「……き、清貴くん。私、私……うっ、ぐすっ」
ラヴが嗚咽をあげて、小さな体を震わせた。
「う、わっ。ご、ごめん……そんなつもりはなかったんだ」
もしかして物言いが強すぎて泣かせたのかと思った。
「ううん……違うの。私、嬉しいの……清貴くんがこんなこと言ってくれたのが。私は……私はやっと報われた……うん。清貴くんがそう言ってくれるなら私、頑張れる……」
「ま、まぁ……確かにちょっと強引すぎるとこもあって、愛とかそういう部分で僕とは意見は合わないけど……でも、お前がいると毎日の生活に刺激があって楽しいっていうか、その……」
僕は照れくさくって言葉が上手く出てこない。
「うん……ありがとう……清貴くんっ」
ラヴはすっかり元気になって、僕に女の子の笑顔を見せる。
「は、はんっ。でも勘違いするなよ、ラヴ。僕はお前に協力はするけど、心まではお前に奪われてないからな……僕はあくまでも愛の敵なんだ」
たとえレディバグを追放されたとしても、僕はやっぱり女性の敵で愛を信じないのだ。矛盾してるかもしれない……でも、それでもいい。今はまだそのままでいいんだ。
「ふふ分かってるよ。私と清貴くんはあくまで敵同士なんだもんね。でも今は共通の敵を倒すのが最優先ってことだよね……さぁ、では――行きましょうか、清貴さんっ」
と言ってラヴは、女の子から天使になる。もうその顔に涙の後は残っていない。
「ああ。行こう、ラヴ」
本当に……強い奴だよ。ラヴだけじゃない。僕の周りの、どいつもこいつも。
「と、その前に……」
急にラヴが、感傷的になってる僕の顔にぐいっと急接近してきた。
「な、なんだ……?」
僕はたじろぎ仰け反る。なんかやな予感。
「清貴さんっ! 今のこの流れだと、そろそろここらでお互いの愛を確認し合う行為が始まってもおかしくないはずですよ! っていうか、さっきからそういう空気出してずっと待ってたのに、なんで何もしてこないんですかっ!?」
「えっ、えっ?」
いきなり怒られてるんだけど、なんで!?
「こうなったら仕方ありません。清貴さん、さっき言いましたよねぇ。私に協力してくれるって……さぁ、清貴さん。ラヴパワーの充電、もとい子作りを始めましょ〜〜〜〜〜っ!」
と、ラヴが僕の方に飛びかかってきた。
「って、なるかーーーーっっっっ!」
僕は飛んで来たラヴを手で押さえつけてガード。
「そ、そんな清貴さん〜〜」
「調子に乗るな。協力するって言ってもそこまでの関係じゃないっての! 僕を誰だと思っているんだっ!」
僕はこの世全ての女の天敵だった、城崎清貴なのだ。
「もちろん知ってますよ〜、未入力(童貞)の清貴さんですよねっ」
「僕の技名みたいな感じに言うなっっっ!!!」
「わわっ、ごめんなさいっ。じゃあ……女嫌い(男好き)」
「好きじゃねえし、なんのフォローにもなってねえ! むしろさっきよりひどい!」
こいつ、たまに僕の事を馬鹿にしてる気がするんだけど……童貞なのは確かだけどね。
「ラヴパワーが必要ならその時に必要な分だけやるから……ほら、離れろって」
僕は呆れて頭を抱えた。なんかこいつ本性を現してきたって感じだな〜。どんどん天使のイメージから遠ざかっていくよ。
「でもほら、戦う時になったら遅いかもしれないじゃないですか! 備えあれば憂いなしですよっ! ほら、キスっ。キスっ。キスっ! キスキスキス!」
ラヴが目を閉じて口を尖らせて僕に迫る。くそう……やっぱやめときゃ良かった。
「でもま……仕方ない。これも約束だからな……分かったよ、やるよ」
目を閉じて僕を待つラヴに、ゆっくりと顔を近づけた。
「ん〜……」
目を閉じ、僕を待ち構えるラヴの唇が小刻みに震えているのが分かる。もしかしてこいつ、緊張してるのか?
そう思った途端、僕の胸の中に何か熱いがわき上がるのを感じた。
そして――。
ぷちゅっ、と。
僕はラヴの額に軽く口づけした。
「ほら、終わったぞラヴ」
とても恥ずかしい僕は、ラヴから少し離れた。
「――ってえ、清貴さんっ。私はてっきりマウス・ちゅ〜・マウスをするものだとばかり思っていたんですがっっっっ……」
ラヴが驚きで目を見開いて僕を見る。まるでこの世の終わりを目撃したような大げさなリアクション。わなわな震えてるし。
「そんなもの女殺しである僕ができるわけないだろ、ラブラドール」
ま、レディバグの称号を剥奪されたから、正確にはもう女殺しじゃないんだけど。
僕の挑発にラヴも形無しさ。あっはっは。
「ち、さすが無接続(ED)……でも、それでもよしとしましょう。だって今――私の中に清貴さんの愛を感じていますから。清貴さんの愛が……溢れています」
ラヴは冗談の雰囲気を消し、目を閉じて胸に手をあてた。まるで自分の中に流れる生命の鼓動を感じるように。それは中世の絵画とかにありそうな、そんな光景だった。
「なっ……何言ってるんだよ、馬鹿っ」
うかつにも、無接続に対するツッコミも忘れてしばらくみとれていた僕は、恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「こ、こほんっ、さて戯れはここまでにして。これから悪魔退治に行くのですが……実は肝心のレヴィアンの居所は分からないんですよね」
ラヴは僕から離れると天使らしい優雅な振る舞いで、困りましたね〜、とあまり困ってるように見えない綺麗な顔で考えた。少し頬が赤くなってるのは気のせいかな。
「ああ、心当たりか……心当たりなら――あるさ」
今の僕ならそれが分かる。伏線なら既に散りばめられてるんだ。
そんなの、ラヴを見つける事に比べれば簡単すぎる問題だ。
「え……それは……?」
と、首を傾げて僕を見るラヴの顔に、
「……話は進みながらするから、とにかくこの薄暗い場所から出るぞ」
――僕は不覚にもときめいてしまいそうになった。
成長か退化か分からないけど、これが僕の小さな変化。
そして僕達は廃校となった小学校(2人の思い出の場所)を抜けて――夜の学校に向かった。