天使がきても恋しない!

    1. 第6章 愛ゆえに愛を――

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     今日は土曜日で学校が休み。だというのに今日も母親は仕事らしく、僕が目覚めてリビングに行くとテーブルの上には『土日は仕事で戻らない』とのメモが残されていて、僕はやることもないのでレディバグ団を訪れようかと思ったが……なんとなく行きづらかった。みんなに顔向けできないような、そんな罪悪感のようなものを感じてた。
     だから僕はただぼーっと過ごした。
     そして僕からレディバグをとったら、本当に何もないんだなと気付いて虚しくなった。
     ただ僕の頭に浮かぶことは、ラヴのことばかりだった。
     まるでこんなの恋愛じゃないか、と僕は思考を何度も中断させる。でも僕の頭にはすぐラヴの事でいっぱいになるし、それを止めることはできない。
     僕はラヴのことなんて好きじゃないんだ。やめろよ、こんなこと……。
     僕がそうやって部屋で1人苦しんでいた時だった。
     ぴんぽーん。と、誰かが呼び鈴を鳴らす音。
     誰だろう、と僕は条件反射のように重い体をあげて玄関へ向かう。
     そして扉を開けると――。
    「はぁ……はぁ……た、助けて、清貴っ」
     そこに立っていたのは僕の幼なじみ、宇佐原仮夢衣だった。
    「なっ……どうしたんだよ。仮夢衣! なんかボロボロじゃないか!」
     長袖シャツにジーパン姿のラフな格好をした仮夢衣の服装は、ところどころ破れていたり、埃やら土やらで汚れている。そして胸元もはだけていて、その特徴的な巨乳が胸元を少し覗かせていた。
     ここまで走ってきたのだろうか、仮夢衣は荒い呼吸をあげて必死で何か伝えようとする。
    「悪魔が……悪魔が……」
     呼吸の度に胸を揺らしながら話す仮夢衣。
     その単語は、今の僕にとって1番聞きたくない言葉の一つだった。
    「あ、悪魔がどうしたんだっ」
     だけど聞きたくないと言ってられない状況。僕はなんだか凄く不吉な予感がした。
    「悪魔にやられたの……ムゥもやられたっ。どうしよう……どうしよう、清貴っ。このままじゃこの町がっ……」
     それは普段の彼女からは想像もつかないような弱い姿。これが女の子の姿。
     僕があの時心に傷を負ったときも、僕が女性を憎むようになった時も、それでもいつも僕のことを気に掛けてくれた少女。ずっと見守ってくれていた少女の一面。
    「――落ち着くんだ、仮夢衣。いったい何があったのかゆっくり教えてくれ」
     僕はまたらしくもないことをしている。僕は女を狩るための力を失ってしまったのだろうか。僕の心が解凍されてしまったのだろうか。僕は……愛に目覚めたというのか。
    「……あたしとムゥはレヴィアンの居場所を見つけたの。誰も住んでない空きアパート。そこでレヴィアンを退治するはずだった。実際ムゥとレヴィアンの戦いが始まったらムゥが押してたの」
     まるで仮夢衣はうわごとのように、焦点の合わない目で言葉を紡ぎ続ける。
    「でも……突然だった。ムゥがレヴィアンにとどめをさそうとした時、いきなりムゥの体が吹き飛ばされたの。傍にいたあたしも吹き飛ばされて……気付いたらボロボロになったムゥがあたしを逃がしてくれて――でもあたしは心配になって戻ったら、そこには誰もいなくて、戦いの跡だけあって……そして、抜けた白い羽もたくさんあった。多分ムゥの……それに彼女とは連絡もとれなくて……きっと、もうっ」
     仮夢衣はそこまで言うと、嗚咽をあげて頬を涙で濡らした。
     なんだかんだ言ってても、仮夢衣とムゥはいいパートナー同士だったんだ。僕とラヴが同じ状況に陥ったら、僕は同じように泣くのだろうか。
     いや、そんな事あるはずない。
    「仮夢衣……こんなこと言うのもなんだけど、これは天使と悪魔の戦いなんだ。人間の僕達はただ巻き込まれてるだけなんだ。別にお前がここまでする必要は――」
    「いいえ、あるのよ」
    「え……?」
     仮夢衣の力強い眼差しに、僕はきょとんとなってしまった。
    「確かにあたしは、ムゥがやって来て初めの頃は、パートナーとかそんなの嫌だったけど……でもあたし、気付いたの。この町の平和の為にムゥと戦ってる新しい日常に、楽しんでる自分がいるって……。だから、今ならはっきり言える。あたしはムゥのパートナーだって」
     そう言う仮夢衣の顔つきは、いつの間にかいつも通りの仮夢衣のもので、男勝りで勝ち気な少女だった。
    「でも……ムゥがやられたんだろ? だったら……」
     かなりやばいってことじゃないか。
    「うん。でも……あたしは諦めない。自分にできる事は少ないけど、その中で精一杯の事をする。だからあたしは清貴とラヴさんに頼みたいの。お願い……レヴィアンを、悪魔を倒して。彼女は地上と魔界を繋ぐトンネルと創ろうとしてるの。もしそんな事になれば魔界の悪魔達が次々こっちに攻めてくることになる……助けて、清貴。もうあなた達しかいないの」
    「………」
     そう言えば……僕の心が壊れる前までは、こういう風に仮夢衣から頼られていた時期があったような……ずっとずっと遠い昔だ。ああ……あの頃の仮夢衣は今みたいに男勝りでも勝ち気でもなかったな。いつも僕の後ろに隠れてるような――そんな子だった。
     彼女が変わったのは……僕が変わってからだったような気がする。
    「……あたし、清貴ならやってくれるって信じてるから……だって清貴はあたしの知ってる清貴と昔からちっとも変わっていないもの」
     仮夢衣は照れるような笑顔を僕に向ける。
     そこだけはあの頃から同じだった。変わったのは、ただ僕1人だった。
     それは昔見たのと同じ、とても女の子らしい笑みだった。
    「ふん。仮夢衣……お前はやっぱりお人好しだな。僕がそんな事すると思――」
    「するよ。だ、だって清貴は……あたしの……あたしが」
     仮夢衣はきっぱりと断言して、でもすぐに言葉を濁し、何を言ってるのか最後まで聞き取れなかった。
    「ん? なんだって?」
     だから僕は聞き返したのだけど、仮夢衣は勝ち気な顔を僕に向けて――。
    「なんでもないわよっ。とにかく清貴――あたしとムゥの思い、託したから。あなたと……ラヴさんの2人に」
    「……でも、僕とラヴは」
     決定的に相容れないし、断絶しているし、わかり合えてない。
    「……ふふ。そんな顔しないで、清貴。心配しなくても全然平気よ。だって、あんたとラヴさん……お似合いのパートナーじゃない」
    「そ、そんな事は……っ」
    「ううん。見てたら分かるわよ。あたしとムゥの関係……いや、それ以上にあなた達は息がぴったりよ……悔しいけど」
     悔しいの意味は分からないが……まるで仮夢衣はなんでもお見通しみたいな言い方をする。
    「なんで分かるんだよ?」
    「そんなの分かるわよ……だってあたしは――」
     と、仮夢衣が珍しく煮え切らない態度で口ごもった。僕から視線を逸らして顔も赤くしている。
    「け、仮夢衣……?」
    「ふ、ふんっ。なんたってあたしはあんたの幼なじみなのよ。それ位分かるのっ。だから任せたからねっ!」
     仮夢衣は声を張り上げて、強引に話を切り上げて僕に背中を向けた。
    「ど、どこに行くんだ」
    「帰るのよ。さすがにこんな格好じゃまずいし、少し……休みたいから」
     明るく振る舞っているが、彼女だって心身ともに激しく消耗しているはずなのだ。そうでなきゃ彼女は僕に頼まず、自分でレヴィアンの元に行くはずだから。
     それじゃあ、と仮夢衣は素っ気なく手を振って、玄関の扉を開けて――そこで立ち止まって、僕に振り返った。
    「あと……あたしはあんただから頼んだの、それは忘れないでね……清貴」
     肩まで伸びる黒髪を指でいじる仮夢衣の表情は今まで見たことないような、か弱い女の子みたいなもので――僕にそれだけ言うとそそくさと帰って行った。
     その背中はどことなく寂しそうで……僕は何故か、その姿に胸がチクリとするを感じた。
     それでも僕は……それでも結局最後まで、やってやるよ――という、昔のようなそんな言葉を、仮夢衣に言ってやることができなかった。
     今の僕を見て――あの頃の何も知らなくて、不完全で、でも無垢だった僕が笑っているような……そんな幻を感じた。


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