僕の邪気眼がハーレムを形成する!

終章 邪気眼 対 魔眼

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

瞳を合わせて

 
 深夜12時を5分前に控えた真夜中の空の下。藍色に輝く星空を眺めてから僕は正面を向く。
 目の前にあるのは古びた建物。そしてここは町外れの空き地。夏だといっても少し肌寒い空気を感じながら、今は使われなくなった倉庫の前に僕は立っていた。
 ――大きな建物だ。中は広くて視界も良好で、多分邪気眼を使うのにうってつけの空間だろう。きっとこの中に氷河苫と加瀬川珠洲がいる。
 僕は勇気を胸にゆっくり目を閉じて、重い扉に手をあてて、力を込めて開けた。
 ギィ――と音がして、中から眩しい光が漏れてくるのが分かる。
 僕は一歩、倉庫の中へと足を踏み出す。後ろで扉が閉まる。
「待っていたぞ、柳木九郎」
 前方から氷河苫の声が聞こえてきた。……距離は結構離れているようだ。
「生徒会長……やり過ぎですよ。珠洲を返して下さい」
 姿は見えないけれど、この倉庫内のどこかに珠洲がいるはずだ。本当は今すぐにでも珠洲を連れて帰りたいところだが、そうもいかない。
「ああ、安心しろ、加瀬川珠洲は無傷だ。ただ眠っているだけだよ。すぐに返してやるさ。だがその代わりに条件がある」
 コツンコツンと、僕の方に何者かが近づく音が聞こえる。僕はいやがおうにも緊張する。
「条件って、なんですか」
 けれど僕は気圧されないように氷河苫に立ち向かう。
「条件……それはだな、簡単なことだよ。今度こそ貴様には――死んで貰うっ」
 氷河苫の怒声が響き渡った。――邪気眼を発動させたのだ。
 僕の体はピタリと固まる。
 ――にしても生徒会長さん……死んで貰うって、冗談だろ? この人はいちいち大げさすぎると思ってたけど……人殺しはいくらなんでも言い過ぎだろ。……冗談だよね?
 僕が考えていると、氷河苫はそこから何か感じ取ったのだろうか、
「ふふ、動こうとしても無駄だ。ワタシの魔眼は貴様のそれを上回っている。貴様にどうこうできるものじゃないのだよぉっ」
 氷河苫は不敵に笑っている。勝利を確信した笑みだ。
「……」
 僕は気持ちを悟られないよう、黙ったまま固まっている。ただひたすらに固まっている。
「どうした、さっきから黙って。固定はしているが話すことはできるはずだが?」
 ずっと黙っている僕に、氷河苫は気味悪さを感じたのだろうか。
 だったら話そう。僕が知りたかったこと。ずっと疑問だったことを。
「生徒会長……ひとつ聞かせて下さい。どうして……どうしてあなたはこんなにも僕達を目の敵にするんですか。僕が邪気眼遣いだからっていう理由だけですか?」
 氷河苫の心の闇は彼女の口から直接聞いた。人を嫌っていると聞いた。1人で生きていくと。世界の頂点に君臨すると。
 氷河苫は、「邪気眼ではない、魔眼だ」と訂正してから声を落として語った。
「貴様と同じだからだよ。ワタシは自分が特別だと思っていた。ワタシは今まで惨めな人生を歩んでいた。だがチカラを手に入れた……今までの無意味だと思っていた人生には、全部意味があったのだ。孤独こそがチカラを持つ者の条件なのだ。だからチカラを持つ者は人間を使役することはあっても馴れ合ってはいけないし、共存していくこともしてはいけない。だからこそワタシは選ばれた。ワタシはチカラを行使できる」
 氷河苫はまるで、今までずっと自分の中に留めていた言葉を放出させるかのように、勢い良く話す。僕の胸にその言葉が浸透していく。
「だけど僕とあなたとでは違う点があります。僕は人と馴れ合って生きていきます。それは僕の能力の性質上でもありますし、なによりその生き方の方が楽しそうだから」
「……そこが、そこが気に入らないのだ柳木九郎……。超越者であるワタシ達は普通の幸せを享受しようと思ってはいけないのだ。孤高にいなければならないのだ……でなければ、ワタシの生き方はなんだったのだ。ワタシは、ワタシは無意味なんかじゃないのだああああ!」
 氷河苫は言葉を荒げる。彼女の怒りが僕にひしひしと伝わる。
 ああ……同じだ。やっぱり僕と氷河苫は同じなんだ。ただ違うのは、目指すべきところ。隔絶された孤高の位置と、集合の中の中心点。君臨する生徒会長と、輪の中心である部長。ただそれだけの違いで僕達はこうも争わなければならない。
「だからワタシは貴様を倒す。やはり頂点は2人も存在してはいけないのだ」
 氷河苫がすぐ傍まで来て、足音がピタリと止まる。僕の目の前に対峙した。
「――いいや、あなたに僕は倒せない」
 僕は強がりでもなく挑発するでもなく、ただ当然の事実を述べる。でもそこには特に何の感慨もなかった。嬉しい感情とも怒りの感情とも違う。ただ強いて言うなら悲しい気持ちだった。
「倒せないだと? 何を言い出すかと思えば……無駄だ、貴様は体を動かすことができない。動けるわけがない。ワタシの能力は全てを停止させるのだ。そうだ、その状態でワタシの攻撃を止めることなんてできないのだ」
 風を切る音が聞こえた。氷河苫が木刀を取りだしたのだ――。
 そしてヒュン――と大きく振りかぶる音。僕の頭を狙って攻撃しようとしている。
「では安らかに眠れ――柳木九郎ッッッッッッッッッッ!!!!!」
 ブンッ――と僕の頭めがけて木刀が振り下ろされる。僕は――。
「えっ……」
 振り落とされた木刀を、僕は交差させた両腕で受け止めた。
「そんな馬鹿な――ッッ! な、なぜ動けるんだあああッ!!」
 氷河苫が激しく狼狽する声が聞こえる。絶対の自信を持っていた能力が破られた事が相当ショックのようだ。
「痛つつ。……生徒会長。あなたの『固定』は最強です。僕の『魅了』じゃまともに戦っても太刀打ちできません。だから僕は――眼に細工を施しました」
 僕は氷河苫に説明する。ゆっくりと、時間をかける必要があるから。
「さ、細工だと……それはいったい……え、あ……ま、まさかその眼……その眼は……っ?」
 僕の細工に気付いたらしい氷河苫は狼狽える。まだ僕の腕に木刀を当てたまま震えている。腕に感触があるから分かる。目を閉じていてもそれくらいは分かる。
「目を、目を閉じているうううううう!!!!?????」
 氷河苫の絶叫が聞こえる。貴重なシーンだけど、残念ながら目を閉じているから僕には見えない。
「そうだ。僕はここに入った時からずっと目を閉じていたんだ!」
「そんな……ならそれは、まさかその瞳は……」
「ああ、そうだ。あなたが瞳だと思っていたのは……メイクですよ」
「め、メイク……だって!?」
「ええ、クラスに1人、とても上手な人がいるんですよ」
 長田野あすか。僕のクラスメイトで男嫌いの彼女は典型的なギャルを地でいく少女で、彼女の特技はメイク。その技はプロレベルに到達していると言っていい。
 だから距離が離れている人間や、感情が高ぶっている人間に対して、少しの時間くらいなら騙せるくらいの瞳を描くことは可能――。
「そんなまさか、まぶたに目を描き込んでいただとぉ……こ、こんな間抜けな作戦で……こんな下らない戦法にひっかっかるなんて……っ」
「そこは僕も賭けだった。けれど僕は成功する自信があった。それはあなたの性格です。僕はあなたが周りが見えなくなるほど感情的になりやすい性格を知っていました」
「冷静に観察すればすぐに看破できたものを……柳木九郎め、ワタシ以上に大胆不敵なやつ。――だが、種がばれてしまえば恐るるに足らない」
 氷河苫はそう言うと、突然気配を消した。やはりそうくるか。
「目を閉じている貴様にワタシの姿は見えない。つまり貴様は格好の的になるというわけだが……しかしだからと言って目を開けた瞬間、たちまちワタシの魔眼が貴様を射止めるだろう」
「ええ、そうですね。僕もそれは怖いです。でも僕にはまだ策がある」
 さっきから僕がこうやってペラペラ話しているのには理由がある。
 そろそろ時間だけど……こんなことならもっと早くにしておけばよかった。念には念を入れて3分後って言っておいたが……まだか……はやくしてくれ。
「何をハッタリを……そうやってワタシを戸惑わせようとしているのはお見通しだ」
 氷河苫はそして、声を押し殺して足音を消した。彼女が今どこにいるのか僕には見えない。
「くっ……」
 今のままではあまりに無防備だ。も、もしかして僕は見捨てられたのかもしれない。今まで僕が冷たく当たってきたから。よく考えたらこんな事する義務なんてないんだ。
 すると背後から風を切る音が聞こえた。殺気を感じた。
 や、やられる――僕は木刀の攻撃から身構えようと、くるりと後ろを振り返って腕を前に突き出した。
 ――それと、ほぼ同じタイミングだった。
「なあっ……なんだっ! 急に暗く……停電かっ!?」
 氷河苫の狼狽する声。まぶた越しに見えていた光が消滅する感覚。
 ――やってくれた。成功だ。
「ど、どこにいった! 柳木九郎っ。くそ……み、みえないっ」
 氷河苫の声と、そしてブンブンッと木刀を振り回す音だけが聞こえる。
 僕は闇に紛れる。そして、待つ。
 いーち、にー、さーん……。
「柳木九郎っ! これはもしや貴様の仕業かっ!? だとしても無意味な抵抗だぞっ! 暗闇で目が見えないのは同じ条件! ワタシは貴様を倒すことはできないが、また貴様も加瀬川珠洲を救出することはできないぞっ!」
 しー、ごー、ろーく……。
「いいえ、救出はします。そして僕の勝ちですよ……先輩」
「そこかぁああああっっっっ!!!!!!!!! ……くっ」
 ブンっ――と大振りに木刀が振り下ろされる。
 氷河苫がもがいている。僕を倒して覇王の座を得んともがく。
 しーち、はーち……。
「はぁっ……はぁっ……くくく、柳木九郎……そうやっていつまでも逃げ回っていてはワタシは倒せんぞ……それに、だんだん目が慣れてきた……貴様の姿もぼんやりと見えるぞっ!」
 氷河苫は睨みつけるように僕の方を見て、木刀を構えた。
「きゅーう、じゅーっうっ!」
 しかしもう全ては終わった。僕は声高らかに宣言した。僕の勝利を。
 戸惑った顔をしている氷河苫は、
「……突然なにを言って……あっ。し……しまったっ! まさかっ」
 ようやく気付いた氷河苫がすぐに僕から顔を背けた。だがもう遅すぎる。
「ああ、もう逸らしていい。視線を逸らしてもいいぞ。だってあなたはもうすでに、僕の魅了にかかっているのだからっ!」
 僕は背を向いている氷河苫を見つめ続けながら、彼女の敗北を告げる。
「そんな……馬鹿な……あ、ぅんっ……」
 氷河苫は彼女らしからぬ蠱惑的な声をあげた。
「ふ……体が焼けるように熱いでしょう? 頭がクラクラして胸がチクチク痛むでしょう? それが――恋ですよ、生徒会長」
 その時、ようやく倉庫内の明かりがチラチラと灯り始め、辺りは光に包まれる。丁度1分だ。よくやってくれた……贄。
 僕はここで初めて倉庫内の全容を見た。
 そこは倉庫という割には、ほとんど何もない、広い空間だった。廃棄されたから空っぽなのだろうか。だから辺りは見渡しやすく――隅の方に口を塞がれ、両手両足を紐で結ばれた加瀬川珠洲をすぐに見つけることができた。
「……っ、……っ!」
 僕と目が合った珠洲は嬉しそうに体をジタバタさせた。
 とりあえず珠洲が無事でよかった。僕がほっとすると、背後から氷河苫の恨めしそうな声。
「柳木……九郎……ぁぅっ」
「もう気付いているでしょうけど……そうです。僕はあなたの顔が見えていました。僕が目を閉じていたのはあなたの『固定』対策のためでもありますが……そっちはフェイクです。本当の目的は……暗闇の中であなたの瞳を見続ける為、だから僕はずっと目を閉じていたんです」
 僕は背を向けたまま説明した。明るい場所からいきなり暗い場所に行くと起こる現象。視界は急激な明るさの変化に慣れる時間が必要なのだ。だから僕は明るい倉庫の中に入る前に目を閉じていた。電気が消されるのを待って。
「明かりを消したのは僕の友人です。予め頼んでいたんですよ。僕が中に入って3分経ったら明かりを消して、その1分後にまた明かりを付けてくれって」
 つまり僕の秘策とは、長田野あすかと贄丈哉の、2人の協力があったからこそ成し遂げられたのだ。
「そんな……そんなことぉ……」
 悶えるような声を上げる氷河苫。彼女は時折僕を攻撃しようと木刀を持って僕と面向かうが、すぐに顔を赤くして背を向ける。
「無理しないほうがいいですよ、生徒会長。ただでさえあなたは先日僕の魅了を受けているんだ。今日はさらに相乗効果で威力が上がっているはずです」
 そういうわけで、氷河苫はもう恐るるに足らない。
 完全なる勝利を収めた僕は、珠洲の元へと向かった。
「大丈夫か、珠洲」
 んーんー唸っている珠洲のところまで来た僕は、彼女の口を塞いでいたガムテープを剥がし、手足の紐を引きちぎっていく。
「ぷはぁっ……う、うん。なんとか……でも九郎……なんなの、魔眼って」
 珠洲は大きく息を吸い込んで、赤くなった手足をさすりながら僕に聞いた。
「それは……」
 僕は言葉に詰まった。珠洲に何もかも知られてしまった。
「ううん。言わなくてもいいよ。もう分かってるよ。最近変だって思ってたんだ……九郎が妙に女の子にチヤホヤされてるのを見てたからさ。九郎がモテモテなんておかしいもんね」
「……気付いてたのか」
「うん。だって私、九郎のことはずっと見てたから。九郎の幼なじみだからなんでも知ってるよ。でも凄いね……本当にそんなのがあるんだ」
 珠洲ははにかんだ顔を僕に向けた。目の端には涙がうっすら浮かんでいた。
「幻滅しただろ……僕は邪気眼を使って人の気持ちを弄んでいたんだ。酷いと思うだろ?」
 嫌われて当然のことである。今思えば、魅了が発動中に僕に触れると、反作用で僕の事が嫌いになるというペナルティは、僕の非人道的な行いに対する当然の代償なのかもしれない。
「確かにひどいとは思うよ……でも、幻滅はしない。私は九郎を見放したりはしない」
 珠洲はまるで邪気眼をかけられた人のような顔を僕に向ける。
 珠洲には効かないはずなのに。珠洲には一度もかけたことないのに。
 でも珠洲は、今の氷河苫と同じような顔をしている。
「邪気眼が効かなかったのは……まさか。珠洲……お、お前……もしかして……」
 加瀬川珠洲。僕の幼なじみにして体の弱い半引きこもり。僕の邪気眼が珠洲に効かないのは……耐性を持っているからじゃなく……ひょっとして、彼女は、僕が。
 僕がもう少しで答えに行き着きそうになったとき、珠洲が言った。
「うん……そうだよ。私は……えっ?」
 何かを告白しようとした珠洲が――突然僕を通り越した向こう側に視線を向けて、口を開けて放心するような顔をした。
「ど、どうしたんだ珠洲……」
 僕はとても嫌な予感がして、後ろを振り返った。
 ――氷河苫が、長い黒髪を乱し、呼吸を乱しながら、僕達を睨みつけ、立っていた。
「ぅ……柳木九郎ぉ……。邪気眼ではない、魔眼だと言ってるだろうがぁぁああ……」
「そ、そんな状態になってまだ立ち向かってくるなんて……」
 僕はその精神力に恐怖を感じた。
「き……貴様なんかとは違いワタシには信念がある。魔眼使いとしてのプライドがある……っ」
 半死半生の如くフラフラと左右に揺れる氷河苫の姿は、さながら幽霊のよう。
「柳木九郎〜〜〜〜っっ。ワタシの魔眼は貴様のものよりも優れている……のだァ」
 顔を上げ、僕を見る氷河苫。その瞳は、氷のように青く、冷たい色で――。
「なっ、なにいいいいいいい!? ど、瞳孔が……開いているっっっ!?」
 その瞳は、邪気眼発動の際の輝きだった。
 ま、まずいッ――僕はとっさに顔を逸らそうとするけど――体が動かない。
 しかも……話すことさえできない。最悪なことに、今度は完全に停止させられた。
 あ、あいつのどこにそんな気力が残っているんだ……この妄執はなんなんだ。
「か、かろうじて……『固定』することはできた。ワタシの全身全霊をかけて……固定したから、貴様はもう話すことすらできないだろう。これで……小細工はできないぞ」
 氷河苫がユラリユラリと近づきながら、落ちていた木刀を拾って僕の元に近づく。
 く……せめて口が動かせれば魅了状態の氷河苫を動揺させて、視線を外させる事ができると思ったのに……。なにか、なにか手はないのか……。
「決着を着けてやる……柳木九郎ぁぁああああああ」
 氷河苫が木刀を構える。一気に僕に襲いにかかる。
「まずいっ!」
 魅了が発動したから、それに抗うために氷河苫は僕に絶対近づかないものだと思ってた。
 なのに彼女はその逆! まさか僕に向かってくるなんて。これは捨て身。捨て身の戦法!
 だがこれが1番僕にとって脅威の行動なんだ。僕の邪気眼の弱点――『魅了』にかけられた人間が僕に触れると、その愛情が憎悪に反転してしまうという究極のペナルティー。
 しかもたったいま邪気眼をかけたばかりだから、もし解除されてしまえば1日は氷河苫に邪気眼をかけられない。
 つまり僕は氷河苫に殺されてしまう――。
「成敗するッッ!!! 柳木九郎おおおおおおおあああああああああああ!!!!!!」
 侮っていた。彼女の不屈の精神を。ねじ曲がるほどの執念を。
 せめて珠洲の無事だけでも――僕が死を覚悟した時。
「生徒会長さんっっっっ!!!! あなたは完全に包囲されましたっっっ!!!」
 この場の緊張を一気に解放するかのような高い声が響き渡った。
 氷河苫が、立ち止まった。
「くっ……加瀬川珠洲ぅ〜……それは、どういう意味だぁああああああ」
 氷河苫がグルンと視線を後ろに向ける。とたん、僕の体の自由が少しだけ回復した。
 氷河苫の視線の先を追うと、こざっぱりした倉庫内の一際なにもない空間に、珠洲が立っているのが見えた。
「説明します、生徒会長。私はプンプン動画の女王を自称しています。固定ファンをたくさん持っている、名だたる有名動画配信者です」
 自分で言うのか……と僕は思いながらも珠洲の言葉に耳を傾けた。
 あらゆるインターネット世界を網羅するネット中毒者で、今はプンプン動画の超一流動画配信者の加瀬川珠洲――。
 氷河苫ではないが、彼女が何をするつもりなのかさっぱり分からない。
「この建物の周りには既に私のファン達がみんな集まっています。私はただ黙ってつかまっていたわけではありません。私は――動画配信者ですから」
 珠洲は手に持っていたケータイを氷河苫に掲げて見せた。
 画面に映っていたのは――珠洲のリアルタイムな姿。己自身を撮っている。
「ま、まさか……貴様……加瀬川珠洲ぅうううう……」
「全て配信していました。動画タイトルは実況中継――加瀬川珠洲の誘拐拉致事件!」
「ゆ、誘拐拉致っ……!」
 氷河苫がその言葉の意味することを悟って狼狽した。いや、気付くの遅すぎるだろ。お前がやってきた事はそういう事なんだよ。
「場所も彼女達が特定してくれたようですから私が集合をかけたんです――これ以上おおごとになったら困るのは生徒会長なんじゃないですか? さぁ……もう九郎を狙うのは諦めて下さい」
 それだけ外に人が集まっているというなら、いずれ警察が出動することになるかもしれないし、もしかしたら誰かが通報したとなっては本当の意味で事件となる恐れがある。
 しかし執念の塊と化していた氷河苫はもう歯止めが効かない状態だった。
「ま、まだだ……まだ終わってない」
 氷河苫が再び僕に顔を向けた。その瞳は青色。血走った蒼色。狂ったような碧色。
「な、なにを……する気だ」
 氷河苫の精神状態が不安定なためか、『固定』の能力が弱まっている。僕はかろうじて話すことができるし、わずかにだけど体が動く。
 だったら、邪気眼を発動させてやる――同じ相手に2回連続なんて初めての事だけど……どうなってもしらないぞ、氷河苫ッ!
 僕は瞳孔を開ける。瞳の色を変化させる。耐えてくれ――10秒!
「ちっ、そうはさせるかぁああ……貴様はワタシが絶対に倒すんだあああああ!!!!」
 氷河苫が吼えてふらつく足を動かして僕のところへ。しかし。
「少し…冷静になりましょう…生徒会長」
 そこに新たな声がした。無機質で無感動な、機械のような声。
 僕はその声がする方――倉庫の入り口付近を見た。
「……え? 此花さん?」
 そこにいたのは此花薫。元リア充部の部員である無口な少女。
「それだけじゃないよ。ボク達もいるよ、柳木くん」
 聞き覚えのあるハスキーな声が別の方向から聞こえてきた。
「あ、君は……弥生ちゃん!」
 僕の中のアイドル、五行弥生ちゃん。
「どうやら大変なことになってるようだね。でも、喧嘩は駄目だと思うよ?」
 清楚な笑顔でやんわりと僕をたしなめる弥生ちゃん。いつもの弥生ちゃんだった。
「で、でもどうしてここに……だって」
 だって今日、僕が彼女達に頼みに行った時はっきりと断られた。決別してしまったのだ。
「珠洲ちゃんにお願いされて仕方なく来たんです〜」
 さらに別のところから、今度は一ノ宮紅葉。
「一ノ宮さんまで……」
「珠洲ちゃんがピンチだから助けて欲しいって言ってたから……でもまさかこんな事になってるなんて驚きですぅ〜」
 口元に手を当てて驚きを表現する一ノ宮さん。
「…別に柳木君が心配だから来たわけじゃないんだからね」
 此花さんも弁解がましく言った。ツンデレになってるけど。
「どういう状況かよく分からないけど……とにかく生徒会長の暴走を止めればいいんだよね、加瀬川さん」
 弥生ちゃんが氷河苫を見据えてジリリ――と近づいた。
「うん、そうだよ五行くん……そしてありがとう、みんな。私のお願い聞いてくれて」
 よく見れば此花さんと一ノ宮さんまで氷河苫を追い詰めるように立っていた。
「なんで……こんな、こんなに……貴様は」
 3人の少女に囲まれた氷河苫は動揺を隠せない。彼女はトラウマから女性が嫌いなのだ。克服したと言ってはいたが、魅了状態で3人の少女に囲まれていては心が保たないだろう。
 珠洲はスマホを操作しながら意気揚々と言う。
「私にはみんながいます。多勢に無勢ですよ、生徒会長」
 珠洲の言葉を受けた氷河苫はしつこいことにまだ諦めようとしなかった。どころか。
「くそ……許さない……絶対に許さない……ただの人間がワタシの邪魔をするなんて」
 その瞳にはもう、邪気眼のチカラは宿っていない。僕も自由に体を動かすことができる。
 でも、氷河苫は悪あがきする。
 僕への攻撃は不可能だと悟った氷河苫は――体の向きを変えて、全速力で珠洲の方へと走り出した。
「せめて貴様を道連れにしてやるっ、加瀬川珠洲ーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
 思いがけない氷河苫の行動。そうだった。最後まで油断するべき相手じゃなかった。彼女は僕の想像を上回る破天荒な人間だって分かってたのに……っ。
「まっ、まずいっ……珠洲っ!」
 僕の位置からだと間に合わない。
 氷河苫が珠洲の目の前まで来て、そして飛びかかろうとした時――。
「どっせええええええええええええいいいっっっっっっっっっ!!!!!」
 黒い影が珠洲と氷河苫の間に現れて、それが野太い豪快なかけ声をあげた。
 次の瞬間。
「きゃあああああああああっっっっ!!」
 それは僕がほぼ初めて聞く、氷河苫の女の子らしい叫び声だった。
 彼女の体はポーン、と宙に舞って、そのまま固い床の上に落ちた。
「わひゃあっ!」
 床に倒れた氷河苫は、短いうめき声を上げてぐったりと動かなくなった。僕の邪気眼で限界まですり減った心の糸がとうとう切れたんだろう。気絶したみたいだ。
「何をしとるんだ、生徒会長さんよぉ! 冷静になれってえの」
 氷河苫を投げ飛ばした、図体のでかい人物が不満そうに腕を組んでいた。
「な……お前、贄じゃないか! か、帰ったんじゃないのか……!」
 僕のピンチを救ってくれたのは、僕のクラスメイトにして悪友。そして僕に友情以上の感情を持っていそうで敬遠していた男――贄丈哉だった。
「時間になったら明かりを消せってことだったけどよー、それだけで帰れって言われても訳が分からんだろ。心配になって見に来たんだよ。会いたかったぜー、九郎ーっ!」
 ドタドタドタと、贄が嬉しそうな顔で僕の元へ走ってきた。
「や、やめいっ、近づくな、気持ち悪いっ」
 僕にくっついて頬をすり寄せてこようとする贄を、僕は両手で引き離す。
「うわぁ……べったり」
 一ノ宮さんが明らかに引いている。違うよ、僕にはそんな趣味はないからね?
「ほ…ホモ。ガチムチホモっ。こ、これが見れただけでも来てよかった…ぱしゃ」
「ちょっ、此花さんっ! いま写メとった!? とったよね!?」
「とってない…ぱしゃ」
「とってるじゃん! 言ったそばからとってるじゃん! パシャッって音してるじゃん!」
「…はしゃ」
「覇者!? 全然意味分からないけどなんか凄い!」
「は、はは……仲いいね」
 弥生ちゃんが呆れたように乾いた笑いをする。
「むぅ……」
 そして珠洲が、僕達の様子を一歩離れたところから見ている。
 それは邪気眼を使っていた僕達の風景と同じだった。僕は邪気眼なしでもこうやって笑うことができる。みんなと笑うことができる。僕は……これが欲しかったんじゃないだろうか。
 その時ふと僕の視界の端に、床に座り込んで黙ってただ見ている氷河苫が映った。もう意識を取り戻したのか。でも、彼女にはもはや戦う気力は残っていないみたいだ。その姿はどことなく儚げで、寂しそうに見えた。
 僕の視線に気付いた氷河苫が、うなだれるような声で言った。
「貴様は……貴様はなぜ、そうやって笑っていられる」
「それは……みんながいるからじゃないでしょうか」
 僕は迷わずにそう答えることができた。
「それが貴様の強さか……ワタシは、ワタシは何がいけなかったのだ」
「あなたの敗因は1つです――あなたには信頼できる仲間がいなかった。それだけです」
 答えを聞いた氷河苫は、遠い目をして、表情を綻ばせて、
「ワタシの負けだ……」
「大丈夫です、先輩。僕がいます。僕達は同じチカラを持った者同士仲間でしょう? 僕が責任を持って先輩を幸せにしてみせます。だって僕は……日常生活充実クラブの部長ですからね」
「…………その言葉、忘れるなよ」
 そう言った氷河苫の顔は、今までで1番綺麗に僕の瞳に映った。
 ――今度こそ本当に終わった。
 こうして僕と氷河苫の、邪気眼と魔眼の対決は幕を閉じた。

 倉庫から出た僕達を迎えたのは老若男女たくさんの人々だった。
 珠洲の顔を見ると誰もがみな一様に歓声をあげた。
 これが加瀬川珠洲の築き上げたもの……僕の知らない幼なじみの顔。
 ファン達に笑顔を向ける珠洲を眺めながら僕は少し感傷に浸った。
 なんとなく空を眺めてみると、そこに広がるのはここに訪れた時と変わらない夏の星空で。
 賑やかな夜だった。


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