僕の邪気眼がハーレムを形成する!

第1章 邪気眼『魅了』

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 結局僕が目を覚ましたのは保健室のベッドの上で、昼休みはとっくに終わっている時間だった。
 その後、教室に戻った僕は何事もなかったかのように午後の授業を過ごして、そして放課後が訪れた。
「それじゃあまた明日な、柳木」
 柔道部の贄は、今日も部活で精を出そうとはりきっている。
「うん。またな」
 帰宅部の僕は特に用事もないのでまっすぐ帰るわけだけど、下駄箱で靴を履き替えて校舎を出ようとすると、
「あっ……九郎」
 僕の後ろから、慣れ親しんだ少女の声が聞こえてきた。
「……」
 何も言わずに僕が振り返ると――そこにいたのは、照れたような笑顔で僕を見る、長めのツインテールが特徴の少女。
「九郎……今から帰るところ?」
 彼女の名前は加瀬川珠洲――僕の幼なじみで体の弱い少女。そして特異な体質を持った少女。
 家が隣だという事もあって昔はよく遊んだものだけど、ある日を境に僕達の距離は遠くなった。いや……それはいいとして、当然家が隣だから僕は邪気眼を彼女に試そうと何度か試みたのだが、何度やっても発動しなかった。
 そう。何を隠そう喜多方珠洲は、僕が知る限りにおいて邪気眼が効かないただ1人の例外なのだ。なぜなのか、その理由は見当もつかない。引き続き調査する必要がある。
「ああ……今から帰るとこだよ。どうせ僕は部活にも入ってないし、友達も少ない人間だよ」
 僕は冗談めかして自嘲するように言った。
 例外か……たしかに彼女は、昔から僕にとって例外だった。
 僕が邪気眼に目覚めるより以前、女子とまともに会話できなかった僕が唯一まともに会話できたのが珠洲だった。僕達は2人でよく遊んでいた。
「何言ってんのよ。友達少ないのは私の方だよ」
「なんかサラリと悲しい発言するのな」
 でもそれも事実だった。体の弱い珠洲は学校も休みがちで、友達も僕以外にいなかった。
「えへへ。私は友達が少なくても、その少ない友達の仲をより大事にすることの方が大切だと思うから」
 珠洲は両手を合わせて胸に置いて、目を閉じて微笑んだ。
「……でもお前、そんな仲いいような友達いたっけ?」
 友達ができたのなら僕としても嬉しいけど……あまり誰かと話しているところ見ないな。
「確かにいないね」
「即答かよ!」
 なんか聞かなきゃよかったよ、知りたくなかったよっ。
「まぁいいじゃん。友達いない者どうし一緒に帰ろうよ。えへへ」
「もう諦観の域に達してるよ! 頑張ろうよ! これから友達作っていこうよ!?」
 幼なじみとしてすごく悲しくなっちゃったよ。
「珠洲……僕が言うのもなんだけどさ、部活入ったりとかしないのか? もっと青春をエンジョイしようぜ。体だって昔に比べたら良くなったんだろ?」
「いいよ。だって私がやりたいような部活なんてこの学校にはないし、それに友達いなくても九郎には私がいるし、私にはプンプン動画のみんながいるから……ね」
「そうだな。僕にはお前、お前には……って、そこは僕でいいじゃん!?」
 なんか僕が可哀相な人みたいじゃないか。
「まぁまぁ。冗談だよ。学校でエンジョイできなくても私生活でカバーできてるからいいの。ネット空間での友達だったらいっぱいいるもん」
 そう言って靴を履き替えた珠洲は歩きだして、僕も後を追った。
 こいつは僕の知らない内にどうやらインターネット依存症になったらしく、休日は一日中掲示板に書き込んだり、動画サイトみたり、呟いたり、変なサイト探したりしてるのだ。
 きっと珠洲の言う友達って、多分顔も本名も知らない友達なんだろうけど……まぁ本人が幸せならそれでいいや。
 校舎の外に出て、珠洲は白い日傘を差した。……まだ太陽の光に弱いんだな、珠洲。
 にしても……こうやって、僕達は何回同じ帰り道を歩いたのだろうか。僕はここ数日のうちに劇的に変わったというのに、それでも僕達の関係はまるで昔からちっとも変わっていない。それなのに……随分久しぶりだ。こうやって一緒に帰るのは。
 僕はいつから、珠洲と一緒に登下校しなくなったんだろうか。
 太陽が傾きかけた空の色を体にまとって、僕と珠洲は同じ道を並んで歩いていく。僕はそのことに懐かしさのようなものを感じる。だから僕は考えるのをやめた。
「な、なぁ……それで……まだハマってるみたいだな。その……プンプン動画ってやつに」
 なんとなく交わす言葉が減ってきたから、僕は思ったことを口にした。
「面白いよ、プンプン動画」
 珠洲は前を向いたまま、大して面白くなさそうな声でそう言った。傘の下の彼女の顔は、影で薄暗い。
「僕にはただ構って欲しいだけの人間が、自分の恥部を晒しているだけにしか見えないけどね」
 最近まで珠洲とはほとんど話してなかったけど、その間に彼女は遠くまで行ってしまったもんだな。
「失礼だね、九郎は。私は人気者なんだよ。プンプン動画の女王なんだよ」
 珠洲は僕の挑発に眉間に皺を寄せて反抗した。
 ネット中毒の加瀬川珠洲はその中でも特に、プンプン動画という動画配信サイトにご執心のようで、彼女は今やプンプン動画の大人気配信者なのだ。
 彼女が上げる動画はもの凄い勢いで再生数が伸び、ファンの人数も数知れない。ネットアイドルというか、半ば神格化されている。若干うそくさいが。
 でも何がいいんだろうな、あんなもの。確かに珠洲は顔はまぁ可愛いと言えなくはないし、スタイルも平均よりは上だと思うし、彼女の上げる動画は歌にゲームプレイに廃墟探索と多岐に渡っていて、それらは総じてクオリティーが高いとの評判であるようだし……。
 あれ……なんか褒めてる? いやいや、いくら見た目とネットでの評判が高くたって、中身と現実の生活がダメダメだったら意味はない。
 珠洲は人見知りが激しくて、友達が少ないし、運動神経も悪いし頭だってそんなによくない。どれも中の下といったところ。
 珠洲の唯一輝ける場所がプンプン動画なのだ。
「な、なに……さっきから変な顔してジロジロ見てるけど……むぅ〜」
 僕の視線に気付いた珠洲が不満そうに頬を膨らませていた。
「気のせいだよ。僕もお前と同じようなもんだからさ」
「なっ、意味が分かんないよ。なんでちょっと憐れむような目で私を見てるの」
「だから気のせいだって」
 こうやって珠洲と話していると、僕は安心する。人付き合いの苦手なはずの僕なのに……。
 それは彼女が幼なじみだからなのか、自分と似たもの同士の、平均以下の人間だからなのだろうか。
 僕の邪気眼が効かない唯一の例外――珠洲は僕にとって、どこまでも特殊だった。
 いずれにしても、珠洲が僕の邪気眼を受け付けないというのは、おかしいことかもしれないが、僕にとってむしろ幸いだったと言えるのだ。
 邪気眼の効果がないからこそ、僕は珠洲と気兼ねなく接することができる。彼女の前では僕は邪気眼遣いではない、ただの柳木九郎になれるのだ。
 それに心なしか……近頃僕と昔みたいに頻繁に話すようになって、珠洲の方もなんだか楽しそうにしているっていうか。まぁ、それは僕の思い過ごしか。
「……? どうしたの、九郎?」
 僕の視線に気付いたか、珠洲が僕の方に顔を向けた。
 夏の陽光を日傘で防ぐ彼女を見て僕は……自分の精神的弱さを痛感する。
「いや……なんでもないよ」
 ――僕の邪気眼の弱点は3つある。
 1つは10秒間、魅了させる相手の目を見つめ続けなければならないこと。
 2つ目は魅了状態になった者が僕の体に触れるとその効果はたちまち消えて、反動で僕に対して嫌悪感が沸いてしまうこと。
 そして3つ目が――この僕自身にある。
 それは僕のメンタル面。
 魅了という、人の心を強制的にねじ曲げ偽物の好意を抱かせる能力。それを手にするということはつまり、僕は人の心を捨てなければいけないのだ。
 僕は誰に対しても常に非情でなくては駄目なんだ。たとえそれが幼なじみであっても。
 ……そんな強さを、僕は揺るぎなく保ち続けることができるのだろうか。何の罪悪感もなく使い続けることができるのだろうか。
 僕は――それでもやる。
 僕がこのチカラを手に入れたのには訳があるんだ。僕は選ばれたんだ。だから選ばれた僕は物語を進めないといけない。その義務があるのだ。
 だから――僕は次のステージに進む。
「ねえ、九郎。九郎ってば」
 気付けば、珠洲が僕の袖を引っ張りながら呼び掛けていた。
「ど、どうした……珠洲」
「どうしたって、もう着いたって言ってんの」
「あ……」
 気が付けば僕達の目の前には見慣れた家があった。僕の家と、その隣にある珠洲の家。
 僕が考え事をしている間にいつの間にか到着したんだ。
「それじゃあ、九郎。また明日ね」
 珠洲は白い日傘をくるくる回しながら僕に手を振った。
「随分急いでる感じに見えるけど、またプンプン動画にアップロードするのかよ」
「そんなのあったり前じゃん。だから私は九郎と違って忙しいの。そんじゃまたね、九郎」
 珠洲はいそいそと加瀬川家の中へ入っていった。
 僕も自宅の扉をあけて帰宅。そしてすぐ部屋に引きこもった。何もすることはない。僕の貴重な青春はこうして浪費していく。
 今頃隣の家では珠洲が僕と同じように部屋に引き込もりながらぷんぷん動画にのめり込んでいるのだろう。
 何やってんだろうな……こんなんじゃ僕は駄目だってのはなんとなく分かってる。
 人生とか未来とか、そういうの道筋ってのがなんとなく分かってしまった。僕の場合きっとこのままいっても、僕が求めるような明るい未来なんてないんだろうなって薄々気付き始めてしまった。僕は何にもなることはできないって分かってしまった。
 本当に大事な何かも、まだ見つけられないでいる。
 ――でも、僕はチャンスを与えられた。何もしないことは罪なんだ。日々を無為に過ごすことが1番の悪なんだ。未来を掴むためにはそれ相応の行動をしなくてはいけないのだ。
 ――そろそろ僕は行動をしなければいけない。このチカラを活かす為の何かを考えなくてはいけない。僕には存在の意味を与えられた。生きていていいと許された気がした。
 その時……珠洲の家の方からかすかに音楽が流れているのが聞こえた。同時に、音楽に合わせて歌声も聞こえる。珠洲だ。鈴がぷんぷん動画に上げる為の歌を歌っているのだ。
 放課後に部活もやらずに真っ直ぐ家に帰って、1人でせこせこと歌っている珠洲。その姿を想像して、僕は無性に胸が痛くなって……そして僕の脳裏にに、ある発想が浮かんだ。
「そうだ……部活だ。青春を謳歌するのも、これからの人生を充実させるにも部活なんだ。僕が……僕が部活を創ればいいんだ。このチカラで……僕の為の僕の部活を」
 僕の邪気眼があればハーレムくらい簡単につくれる。覇王になるための第一歩だ。これは僕の初めての組織となるだろう。
 なんていい考えなんだ。部活で楽しい青春を過ごし、そしてメンバーからはモテモテで、帝王となるための経験も積める。これしかない。これが僕の正しい道筋だったんだ!
 ここからだ……ここから僕の物語は大きく動き出す。正真正銘、僕が主人公の物語だ!
 いまこそ野望の第一歩を踏み出す時だ。


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