僕の邪気眼がハーレムを形成する!

第4章 ハーレム系主人公

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「ふぅ〜……今日のところはこれくらいにしておきますかぁ」
 下着姿の一ノ宮さんが一息ついて背伸びした。
「そうだね。これ以上やったら柳木くんも死んじゃうかもしれないし」
 と、肩で息をしながら弥生ちゃん。
「それに痛みの感覚に慣れて体が麻痺してきたら、拷問の効果も半減するからね〜」
 此花さんが恐ろしい事をさらりと口にする。
 でも今の僕にはそんな事ツッコむ気力すらない。
 僕はボロクズのように崩れ落ちている。
 無限のように感じられた地獄のような数分間だった。
「こんな姿を見られてもうわたし、お嫁に行けないですぅ」
「ボクは脱がなくてホントよかった……」
「…それは私が少し残念」
「いっそ記憶が消えるまで痛めつければよかったですねっ」
「そ、そこまではいくらなんでもやり過ぎだと思うけど……ま、自業自得だね」
 みんなそれぞれ僕に対する不平不満を述べながら服を着替える。
「んじゃあ、そろそろ行きましょうかぁ」
 身なりを整えた一ノ宮さんが、ふわりと髪を掻き上げ言った。
「ええ、そうね…さっさと帰りましょう」
 此花さんは無感動に答えて、ドアを開けて部屋を出ていった。
「そういうわけだから、さよなら柳木くん」
 僕に別れを告げて弥生ちゃんが、此花さん一ノ宮さんの後に続いて部屋を出た。
「ま、待ってくれみんなっ! ど、どこに行くんだっ。僕の家で遊ぶって約束はっ!?」
「私がどうかしてたのよ…忘れて頂戴」
「ううん、薫ちゃん。悪いのはわたしなの。わたしがあみだくじで決めようって言ったから……」
 もうこれ僕、すごい悪者だよ! 最悪に嫌われちゃってるよ!
「柳木くん。そういうわけで悪いんだけど……ボク達はもう退部する事にしたから。新設したばかりなのに……ごめんね」
 弥生ちゃんがすまなさそうに、だけど無慈悲にそう告げて玄関を抜けて外に出た。
 僕もふらつく足取りで3人の後を追って外に出るが、夏のギラつく日差しにフラリと地面に膝をついた。
「……そ、そんな。部室だって手に入ったところなのにっ。全部これからだったのにっ」
 僕のハーレム計画が音を立てて崩れていく。全部を手に入れようとした僕は、皮肉にも全てを失ってしまうのか。
「今から思ったら……どうしてボクはこのクラブに入りたいって思ったんだろう……?」
 弥生ちゃんが立ち止まって小首を傾げてみせた。
 ……それは、それは僕が邪気眼を発動させたからだ。僕が無理矢理に君の気持ちをねじ曲げたんだ。
「…私も同感。五行君がいないならこのクラブにも興味はないわ」
 此花さんにも邪気眼を以前に使っている。魅了が解除されれば此花さんはこんなクラブに少しの興味もないのだ。また弥生ちゃんのストーカーに精を出すのだ。
「わたしももういいです。ここはなんだか……楽しくなさそうなのです」
 一ノ宮さんは失望するような、まるで世の中の仕組みが分かったつもりになった思春期の少年のような、すごく残念そうな顔をしていた。その顔が、僕の胸に鋭い痛みを与えた。
「み、みんな……ま、待っ……」
 待ってくれ。もう一度やり直そう――と言いたかったはずなのに、僕の口からはそれ以上なんの言葉も生み出されなかった。
「……」
「そうだ。帰りにどこか寄ってかない? おいしいケーキ屋見つけたんだ」
「わぁいっ。ケーキ大好きですぅ〜」
「…五行君のお勧めケーキ屋…とても興味深い。行きましょう」
 五行弥生と一ノ宮紅葉と此花薫の背中が遠ざかっていく。
 3人はすっかり意気投合している。あそこだけで関係が完結している。僕は既に異物だ。
 ……結局、僕の人生はこんなものなのか。僕は何も手に入れられないのか。
 取り残された僕は、セミの鳴き声を背景にただ茫然とうなだれる事しかできない。
 だけど、全部を失って1人になったと思っていた僕だったけど――。
「……九郎」
 後ろから、か細い声が聞こえてきた。――珠洲の声だ。
「珠洲……リア充部はどうやら解散のようだ。お前も僕に幻滅しただろ? もう、帰っていいんだぞ」
 僕は後ろを振り返ることなく呟いた。
 どうして邪気眼の効かない珠洲がリア充部に入ってくれたのか分からないけど、僕のわがままにこれ以上巻き込ませるわけにはいかない。
 だけど、いつまで経っても珠洲が立ち去る気配はなく、そして彼女は。
「私はいいよ――やめないよ」
 その声は穏やかで、暖かなものだった。
「ど、どうして……?」
 僕はうなだれたまま、ゆっくりと振り返る。心地いい風が僕の体を通ったのを感じた。
 そこにいたのは病弱で、いつも僕の後にくっついていた頃の、いつも一緒に遊んでいた時の加瀬川珠洲がいた。それは、僕の見た白昼夢のようなもので目の錯覚だってすぐに分かったけど……でも僕は珠洲に釘付けになる。
「私は知ってるよ、九郎が本当はとっても心が綺麗なんだってこと……えへへ」
 邪気眼が通用しない、ただ1人の例外。加瀬川珠洲。小さい頃から病弱で、学校を休みがちだった少女。引っ込み思案で友達がいなかった少女。
「九郎はいつも私を気にかけてくれたよね? 学校で1人でいた時も遊びに来てくれたし、男子にからかわれた時も私を助けてくれたし……そのせいで九郎に迷惑ばかりかけたし」
「……そんな昔のこと、よく覚えてないよ」
 正直言うと、僕は珠洲が苦手だった。僕には彼女に引け目があるし、僕には彼女の気持ちが分からない。僕は珠洲に怯えているのだ。
 あの夏の日、僕が彼女から逃げ出した時から。
「うん。でも、それでも九郎は私を救ってくれた。九郎は人の気持ちを思いやる心を持っているし、人が傷つくのを放っておけない人だって知ってる」
 珠洲は穏やかな表情で断言する。
「それは……違う。僕を買いかぶりすぎだ」
 まったくの真逆だ。僕は人の気持ちをねじ曲げる。思いやる心なんて微塵もない非情な外道なのだ。
「違わないよ。九郎はただ優しすぎて心が繊細すぎるから……だからちょっと今は弱ってるだけなんだよ。私のせいで九郎までいじめられたから……だから他人が信じられなくなったんだよ。きっとそれだけだよ」
 珠洲……なんでお前はそんな事が言える。なんで僕をそんな風に言える。だって僕は。
 僕は責任を捨てて逃げたんだ。君を重荷に感じてしまったんだ。
「……違うんだ。そうじゃ……そうじゃないんだ。僕には、僕には特別なチカラがあるんだっ。もう他人の事なんてどうだっていいんだ」
 僕はもう他人の気持ちなんて考える必要なんてなくなった。他人の考えを推し量って怯える必要なんてなくなったんだ。だから何も気にしなくていいんだ。重荷から解放されるんだ。
「ねぇ……九郎。どうしたの? 最近様子がおかしいよ?」
 ……珠洲は薄々と気付き始めている。僕の身に起こった劇的な変化を。
「別に。なにもないよ。珠洲には関係ない」
「ううん。関係あるよ。私が九郎に救ってもらったように、今度は私が九郎を救いたい。だから力になりたいの。ねえ、今日は特におかしいよ? それにみんなの態度も急にかわっちゃったし……ねぇ、九郎。何か関係あるんでしょ。教えてよ」
 いつも自信のない珠洲が、僕の事を想ってこんなにも真剣な眼差しで問い詰めてくる。うっとおしく思われるかもしれないのに。ありがた迷惑だって思われるかもしれないのに。
「……す、珠洲……実は」
 僕は口を開いて、今までの事全てを言いそうになって――だけど。
「教えてやろうか、加瀬川珠洲。それは、この男が下劣な力を使ったからだ!」
 見当違いの方向から声が聞こえてきた。その声は氷のように冷たく、刃物のように鋭い声。
 この声を僕は知っている。恐怖に震えながら視線を向けるとそこに。
「せ、生徒会長……氷河苫……なぜここに?」
 先日、僕の邪気眼によって倒されたはずの、氷河苫がいた。
「後をつけさせてもらったのさ。貴様を倒すチャンスを窺うためになァ」
 血走った瞳をぎらつかせて氷河苫は口元を歪め笑った。
 綺麗な顔をしているはずなのに、僕には彼女の姿がとても不気味に映る。
「まさか、だって……」
 僕が今日感じていた、誰かに後をつけられているような気配。それは氷河苫だったのか。
 だけどなんだって氷河苫が。魅了の効果はもう切れたのか? どっちにしろわずか2日でもう僕に立ち向かってこれるその精神力。やはり危険すぎる人物だ。
「くっくっく……ずいぶん驚いているようだな?」
「それは当然です……こんなに早く、再び僕に挑んでくるなんて正直思ってませんでしたから」
 いつか復讐しに来るかもしれないとは思っていたが、これは想定外だ。氷河苫に対して何の対抗策も持っていない。
 いや……幸いなことに切り札ならある。なら恐れることはない。冷静になって対処せねば。
 すると、その切り札である加瀬川珠洲が氷河苫に語りかけた。
「ねぇ、それより……生徒会長さん。さっき言った事……九郎が下劣な力を使ったって、それは……どういう事なんですか」
 珠洲が怯むことなく、氷河苫に対してまっすぐ向き合った。
「なっ……す、珠洲っ?」
 な、何を言っているんだ、珠洲。バレてしまう、珠洲にばれてしまう。僕は焦りを隠せない。
 氷河苫は真っ正面に合わされた珠洲の瞳から視線を逸らして、
「ふ、ふふ……聞きたいか、加瀬川珠洲。ならば教えてやろう」
 ババッとマントを翻すように氷河苫は両手を広げ、もったいぶるようにタメをつくる。
 ……いや。心配するな柳木九郎。冷静に考えたら分かる。
 こいつは――絶対答えない。氷河苫は僕以上に『目の能力』に固執している節がある。それは彼女の人格に露骨に現れる程だ。つまり己の『魔眼』に対する執着は異常といっていい。
 そんな氷河苫が、己の存在理由そのものである『秘密』をそんな簡単に部外者に言うわけがない。なにしろ彼女は自分以外の『能力者』を狩ろうするぐらいなんだ。これはきっと、僕に対する揺さぶり……。
 しかし、僕の考えを嘲笑うように、氷河苫はよく通る声で話した。
「教えてやろう――この男、柳木九郎は『魅了』の力を持っている。視る者全てを自分の虜にする能力。相手の意思も尊厳もないがしろにして、ただ自分に好意を向けさせるチカラ」
 い……言った。バラしただと! 氷河苫が秘密を打ち明けただと!?
「く、くぅ……」
 まさかこんな簡単に言うなんて……、僕はいいわけする余地もない。
「な、なにを言ってるんですか……?」
 当然の反応だろう、珠洲は氷河苫の言った言葉の意味が分からず、瞳をぱちくりしている。
「説明した通りだ。ここ最近、彼や彼の周囲に対して変だと思ったことはないか? 突然、女性が柳木九郎に対して、不自然な程の好意を寄せたりしたことはなかったか?」
「そ、そういえば……。で、でもまさか……九郎、それって本当なの……?」
 珠洲が唇を震わせて僕に尋ねる。僕は何も言えない。
「ふふっ……答えられないという事はイエスだという事だ。これで分かっただろう、加瀬川珠洲。柳木九郎は人の心を弄ぶ人間なのだ」
「……」
 珠洲は俯いて黙りこくった。
 ……あれだけ僕を信用していたのに。僕は――珠洲までもを裏切ってしまった。
「さぁ、じっくりと調理してやろう。言ったよな、柳木九郎。これ以上『魔眼』を使うなと。それがよりにもよってワタシに対して使うとはな……おかげで感情がミキサーにかけられたようにグチャグチャに混乱して相当気分が悪い……こんなもの、二度と御免だ……そうだな。その目、潰してやろうか?」
 狂気の笑顔を浮かべて氷河苫はジリジリと僕に近づいてきた。
 決着を着ける気だ――瞬間、僕は氷河苫から視線を外し後ろに下がる。
 狂っている。目を潰すなんて冗談でも正気じゃない。いや、彼女なら本気で言っててもおかしくない。
「無駄だ無駄だ。ワタシの魔眼からは逃げられないよ、柳木九郎ォォォオ!」
 氷河苫が叫び声を上げた時、後ろ向きに歩いていた僕は、何かにつまづいてその場に転んでしまった。
「いっつ……ッ」
 僕は尻餅をついて慌てて立ち上がろうとして――前方から車のクラクション音が聞こえた。危ない――と、立ち上がりと同時に顔をあげて確認する。
 だが、それは氷河苫のトラップだった。
「し、しまっ……」
 僕の視界が捉えたもの、そしてそれを認識した瞬間、僕の体は硬直し動かなくなった。
「これで貴様の命運は尽きたぞ、柳木九郎」
 大型トラックをバックに、氷河苫が不敵な笑みを浮かべて僕を見ていた。
 しかし、その瞳は血も凍るような青で、全てを停止させる氷の青だった。
 目が――合ってしまった。
「くっくっくっく……」
 大型トラックの運転手は暴言を吐きながらクラクションを鳴らし、氷河苫をどかそうとするが、それでも氷河苫は落ち着いた様子で、ただ僕だけを見つめている。
 やがて氷河苫は僕から視線を離さないまま、端に寄ってトラックに道をゆずり――僕の元へと向かってきた。
「ひっ、く……くるな……やめろっ!」
 目……目が……目が潰されてしまう。
 僕は動くこともできず、氷河苫が近づくのを見ている。殺される殺される殺される。
「く、九郎を……九郎を傷つけないでええええええええ!」
 その時、氷河苫の後ろから珠洲の叫び声が聞こえた。
 僕の視界に、氷河の後ろに立つ珠洲の姿が目に入った。
「加瀬川珠洲……貴様はこの男がどんなに外道なのか分かっていないのか? ひょっとすると貴様も柳木九郎の犠牲者なのかもしれないのだぞ? その感情もこの男によって作られた偽物なのかもしれないのだぞッ?」
 氷河苫は表情を歪めて言う。その顔は憎しみそのもの。全人類を敵にまわした顔。
「私は……それでも九郎を嫌いにならない。私が九郎を助けるっっ!!!!」
 珠洲は……珠洲のこの気持ちはどこからくるんだ。どこにあるんだ。どうして彼女は僕なんかを……。
「生徒会長……そう言うあなたにも何か特別な力があるんですよね。それで九郎は動けなくなってるんですよね? だったらあなただって同じじゃないですかっ。九郎を解放してっ」
 そう言って――珠洲が氷河苫の元へと走り出した。
「す、珠洲……やめろ。危険だ」
 そうでなくとも珠洲は体が弱いんだ。
 でも――邪気眼に対して耐性のある珠洲なら、このピンチを切り抜けられるかもしれない。
「くっ……うっ……」
 氷河苫は、僕と珠洲の方を交互に見ながら明かに動揺している。珠洲とは目を合わせようともしていない。
 よし……いけるぞ。珠洲……! 微かではあるが、徐々に体が動くようになった僕は勝利を予感した。だが――。
「わ、ワタシを舐めるなよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
 それまで、躊躇うように視線を泳がせていた氷河苫が、ギンッッッ――と、僕から鋭い瞳を逸らして、珠洲の方を見た。
「う――ええっ? 体がっ?」
 ――瞬間。氷河苫の元へと駆け出していた珠洲の体が、ビデオの一時停止みたいにピタリと止まった。
「って。な――なぜだっ!? す、珠洲に邪気眼が発動しただとっっっっ――!?」
 全然分からないっ。効かないはずだ。珠洲には邪気眼が通用しないはずなんだっ!
「なにを不思議がっている? 柳木九郎」
 氷河苫が僕に背を向けたまま訊く。僕はまだ体が自由に動かない。
「珠洲は邪気眼が通用しない存在なんだ。僕の『魅了』だって効果ない。なんであんたの『固定』が……」
 わけの分からないまま僕は、体を動かそうと力んでいる珠洲を見守る。
 氷河苫が黒く長い髪を風になびかせ、珠洲の元へ歩み寄りながら言った。
「何を言っているんだ、貴様は? この世の理を越えた万物のチカラに耐性を持った人間なんているわけないだろう?」
 その声に嘘や偽りはない――本当に不思議がっている声だった。
「で、でも……それならどうして……あんただってこの前、珠洲に邪気眼を発動させることができなかったじゃないか」
「……邪気眼ではない。魔眼と呼べと何度言ったら分かる。ふん。いいさ……答えてやるよ。何を勘違いしているか知らんが、ワタシはあの時そもそも加瀬川珠洲に魔眼をかけようなんてしなかったのだよ」
「えっ? そ、それってどういう……」
 かけなかった? 邪気眼を……? なぜだ。だってそのせいで氷河苫は僕に負けたのに……。
 僕の疑問に答えるように、氷河苫は珠洲の目の前まで来ると立ち止まって、それから躊躇するように一呼吸置いて、告げた。
「それは――ワタシがただ単に苦手なだけなんだよ……女子が」
「え?」
 言っている意味がよく分からない。
「……元々ワタシは、教室の隅で本を読んでいるような暗い人間だった。そういえばマンガも書いていたな」
 僕のことをおかまいなしに、珠洲を見つめ続けながら氷河苫は話を続ける。
「く、くぅっ……」
 珠洲はなおも体を動かそうと苦悶の表情を浮かべているが、為す術がないようだ。
「よく女子のグループから目をつけられていじめられたよ。ワタシは人が嫌いになってますます自分の世界に閉じこもるようになった。ワタシにもチカラがあれば……1人で生きていけるチカラが欲しい――そう望んでいた」
「それで……手に入れたんですね、チカラを」
 氷河苫があれほどまでに己の魔眼に盲信する理由が、常に世界全体に対して怒っているような雰囲気を出している理由が、分かったような気がする。
「何かが起こる瞬間、それは何の前触れもなく誰にも気付かれる事なく始まる……ワタシはこの魔眼を手に入れた……このチカラさえあればワタシは誰にも干渉されずワタシだけの世界を手に入れられる。ワタシが世界の覇者となれる」
 僕は氷河苫の根源を垣間見た気がした。彼女を全て理解した――気がした。
 結局……彼女は僕と似たもの同士だった。きっと、それだけなのだ。
「ところで――なぜこんな恥をさらすような事を告白したと思う? 柳木九郎」
 しばらく沈黙が続いた後、氷河苫が自虐にも似た声で僕に問いかけてきた。
「…………」
 当然のように僕は何も答えられない。
「……ワタシは過去を乗り越える。このチカラを手に入れたワタシは生まれ変わる必要がある。だから不要なものは全て捨て去る。同じチカラを持った敵も、自分自身の弱さも――」
 背を向けている氷河苫の表情は僕には分からない。でも僕にはその顔が想像できる。彼女は、僕なのだ。僕達は出会うべくして出会って、戦うべくして戦っているのだ。
「貴様がワタシの前に現れた事には意味があったのだ。これはワタシにとっての試練なのだ。だからワタシは徹底的に立ち向かう」
 そう言って氷河苫は、動けないでいる目の前の珠洲に向かって――手刀を繰り出した。
「はうっ……」
 珠洲は嗚咽をあげて、ゆっくり目を閉じた。
 そして、体が倒れていく。それを氷河苫が受け止めた。
「な、なにをするんだ……生徒会長!」
 僕の体もようやく動くようになって、氷河苫のところへ行こうと足を引きずるように進む。
 だけど――。
「貴様はそこで停止していろ」
 珠洲の体を抱えた氷河苫が振り返って、僕の瞳を射抜き動きを再び止めた。
「す、珠洲を放せ……」
 僕は氷河苫の眼光に決して怯まない。珠洲が僕の為に立ち向かったように、僕も珠洲を救うために戦う。
 氷河苫は僕の要求には何も応えず、自分の要求を言ったのだ。
「……ここで貴様を打ち崩すのは容易いことだが、柳木九郎。それじゃあ永遠に終わらない。ずっとワタシ達の報復合戦になってしまう。だから――貴様に最終決戦を言い渡す」
 それは氷河苫の宣戦布告。彼女は僕をライバルとして認めた。
 彼女はもしかして、ただ戦いたいだけなのかもしれない。能力の使い道が欲しいだけなのかもしれない。そこに目的も野望もない。ずっと静止している。ただ手段だけがあるのだ。まさに彼女の能力のように、『固定』しているのだ。
「……負けた方は二度と魔眼のチカラを使わない。そしてこれから先、お互いに干渉しない。それでいいな?」
「嫌だって言ったら?」
「言わないさ。その為の加瀬川珠洲だ。勝負が終わるまでワタシは加瀬川珠洲を人質にとっておく事にする。時間と場所は後で伝える。では――さらばだ」
 僕から眼を逸らし背中を向けた氷河苫は、背中に珠洲を担いで、そのまま珠洲を引きずるように出ていった。
 最終決戦。魅了と固定の、邪気眼と魔眼の対決。
 珠洲を人質に取られた以上、僕に選択権はない。
 ――正直言って僕にはもう、邪気眼なんてどうでもよかった。一ノ宮紅葉と此花薫と五行弥生が去りゆく姿を見て、そして魔眼に縋りつく余り己を見失った氷河苫を見て、僕は全てがどうでもよくなった。
 けれど……僕は氷河苫の言うように決着を着けねばならない。珠洲を救うために、氷河苫を救うために、そして――僕を救うために。
 そして空っぽになってしまった僕だけど、いま確かに言えることが1つある。
「――僕はもう……邪気眼を使わない」
 それからすぐ、僕は体が自由に動くようになって、そのまま家に帰ろうかと思ったけれど、僕はなんとなく帰れなくて、蒸し暑い公園で1人時間を潰した。
 いつもセミの鳴き声でうるさい公園だけど、今日はやけに静かだった。
 日が暮れるまで僕は、ベンチに座って子供達が遊んでいる姿を見ていた。
 その光景に、僕はかつて珠洲と共に、同じように公園で遊んでいたことを思い出す。
 僕が失ったと思っていた大切なものはもしかすると、僕が自分で捨てていたのかもしれない。僕はそれにずっと気が付かなかっただけなのかもしれない。
 僕は氷河苫に勝つ――日が落ちて公園の街灯が灯り始めた頃、無邪気に幼なじみと遊ぶ遠い記憶の中の僕にそう誓った。


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