僕の邪気眼がハーレムを形成する!

エピローグ 夏空

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

夏空

 
 朝になって、僕は学校に行こうと自宅を出た。
 外は相変わらず夏の日差しがきつく、ただいるだけで汗が滲み出てくる、そんな気温だった。
 早く学校に行こうと僕は歩みを早めるが……加瀬川珠洲の家の前まで来ると自然と足が止まった。
「別に僕が起こしにいく義理はない……」
 なのに僕は立ち止まってしまう。いつからだったろうか、僕が珠洲と一緒に登校することがなくなったのは……。
 そう……多分あの頃だ。珠洲が一度入院することになって、そして僕が1人で学校に行くようになって……僕は内心ほっとしていたんだ。いつも珠洲のために僕が1人で戦っていたから……だから珠洲がいなくなって僕はみんなと仲良くなれるかもしれないと思ったんだ。
 僕は自分のその気持ちに気付いて、そんな自分に嫌気がさして何もかもどうでもよくなって……それから珠洲から距離を置くようになった……他人と距離をとるようになった。
 僕は今になって思い出した。あの時もこんな風に珠洲の家の前に僕は立っていた。
 珠洲が退院して初めて登校する日だった。あの時僕は、学校に行く時に寝坊している珠洲を起こそうか迷っていた。迷ってしまっていた。丁度こんな風にセミの鳴き声がうるさい夏の朝。晴れ渡った空の下。
 ――あの時の僕はそのまま1人で学校に行ったんだ。
「僕は何を考えてるんだ。昔の事じゃないか……それに珠洲だってもう子供じゃない」
 あの時、迎えに来なかった僕に対して珠洲は何を思ったんだろうか。その日はついに珠洲と一度も会う事はなかった。学校に行ったのかどうかも分からなかった。
 そしてあの日から珠洲とはあまり会わなくなった。あまり話さなくなった。学校で時々すれ違った時に挨拶を交わすくらいになってしまった。
 珠洲が日傘を差して歩いているのを見るようになったのも同じ頃だった。
 ……僕は逃げただけだったんだ。他人を嫌いになったのを、人間関係が億劫になったのを、珠洲のせいにして彼女から目を逸らしていたんだ。
 僕は珠洲に全部を押しつけて、そして重みに感じた彼女を避けていたんだ。
 それが、皮肉にも邪気眼を手に入れて僕はまた珠洲と話すようになった。僕が邪気眼を手に入れたのは……もしかしたら。
 いや……けれどもう、全部終わったことだ――。昔のことは昔のことだ。今更僕がどうこう言う事じゃない。
 僕は僕の人生を歩んでいる。珠洲は珠洲の人生を歩んでいる。だから行かなければならない。
 だから、僕はあの夏の日のように、再び分岐点を過ぎ去ろうとして……。
 それでも、僕の足は動かなかった。何かの引力によって僕は過去に引き戻される。
「今日だけ……今日だけだ」
 僕は珠洲の家の方へと顔を向けた。
 僕は――やり直す道を選び取った。
 その時。かつての幼い僕が歩き去って行く、寂しげな後ろ姿が見えた気がした。
 夏の暑さが見せた幻か。幼い僕は陽炎の中に消えていく。
「……昨夜あんなことがあったばかりだ。今日だけは特別に起こしてやるよ」
 僕は、昔の僕に対していいわけするように言うと、玄関の方へと向かっていった。
 昔の僕と、今の僕。2人の僕は別の道へそれぞれ進んでいく。後悔なんてあるわけない。僕が選んだ道がこの僕そのものなんだ。
 僕は僕に誇りを持って玄関の扉をノックした。

 珠洲を迎えに行った僕は、珠洲の母親から起こて欲しいと頼まれて部屋に入った。そして寝ている珠洲の体を揺らしてみると、珠洲は真っ裸でそこで一悶着あって――なんだかんだいつものような日常だった。特に語るものでもない。

「九郎が起こしてくれなかったら、きっと遅刻してたところだよ〜」
 隣を歩く珠洲が、寝ぐせを片手で直しながら大きくあくびした。
「おいおい……仮にも10代の乙女である女子高生がそんなはしたない真似どうかと思うぞ」
 電車に乗ってる時も居眠りしてた……ていうか爆睡してたし。いびきかいてたし。
「いいよいいよ。私はそういう細かいことは気にしないの〜」
 珠洲は寝ぐせを押さえているのとは逆の手で、スカートの上からお尻を掻いた。
「珠洲が気にしなくても僕が気にするんだって……つーかケツを掻く女子高生なんて僕は初めて見たよ。君は天然記念物だよ、珠洲……。で、そういえば今更なんだけど、今日は日傘差してないようだね……いいのか?」
 体の弱い珠洲は夏の直射日光にあまり当たってはいけないらしいのだけど。
「平気だよ。私だっていつまでも貧弱な乙女じゃないの。昔よりはだいぶ丈夫になってるんだから余計な心配は無用。……って言ってもこの日差しの中ずっと外にいるってわけにはいかないけどねっ。えへへ」
「そうか。うん……よかったな、ほんと」
 太陽の下を元気に跳ね回る珠洲を見て、素直に僕は嬉しく感じた。
「私だって成長してるんだよ。九郎の知ってる私だと思って甘くみてたら痛い目みるぜぇ?」
 冗談めかして笑う珠洲。
 確かに僕達はあの頃とはもう違う。朝見た時強く実感したよ。珠洲も大きくなって……胸とか大きくなって……うん、すっかり女性らしい体になっているなぁ。
「な、なにジロジロ見てるの……? なんか、悪意を感じる視線な気がする……」
 珠洲は身を守るように僕から距離をおいた。そういう危機管理はできるようだな。安心。
「い、いや……別になんでもないよ……いやぁそれにしても珠洲って結構すごいんだなぁ。プンプン動画の女王だっけ? まさかあんなにファンがいるなんて。アイドルみたいだったぞ」
 なんか剣呑な流れになりそうだったので僕は話題を変えた。
「え〜、それを言ったら九郎もすごいじゃん。邪気眼なんて滅茶苦茶かっこいいよっ! 私も欲しいよっ!」
 単純な珠洲は僕の話にまんまと乗っかってくれた。こういうとこは昔と変わんないっていうか。でも邪気眼の話はまずい。
「あんまり大きな声で言うなって……一応邪気眼の事は秘密にしてるんだから……って、もう昨夜の時点で大勢の人にバレちゃったかな……」
 氷河苫との戦いは珠洲の手によって実況中継されていたらしい。だから当然、僕と氷河苫が守ろうとしていた邪気眼――氷河苫風に言うなら魔眼の力は、周知の事実となってしまったと考えていいだろう。
 ちなみにその時点でのアクセスランキングは1位だったらしい。むぅ……。
 しかし僕が険しい顔をして考えていたら、珠洲がちっちっち――と指を振って。
「私を見くびっちゃあ困るなぁ九郎……その点なら安心しなさい。大丈夫だよ九郎、そこは私がなんとか誤魔化したから。眼の力の事はみんなにはバレていないよ……たぶん」
「ご、誤魔化したって、どう誤魔化したんだよ」
「基本的に九郎と生徒会長さんは撮ってないよ。基本的に私が束縛されてたとこをメインに映していたし、話も眼の力に関係するところは音を拾ってないから」
「さ、さすが動画女王……プロだな」
「えっへっへー、もっと褒めなさいっ」
 珠洲は胸を張って得意げに鼻を鳴らした。一ノ宮さんほどはないにしても意外と大きな胸が強調されてるよ、珠洲さん。
 また珠洲に小言を言われるのもなんだから、僕は先に話を振ることにした。
「で、でも……どうして珠洲には僕の邪気眼が通用しないんだろうな。生徒会長の邪気眼は効いたんだから別段特異体質ってわけではなさそうだし……」
 結局そこだけは最後まで分からなかった。そのおかげで結構ややこしくなったのは事実だし。
 すると、ちょこまかと元気に動き回っていた珠洲が急に大人しくなって、
「そりゃあ効くわけないよ、九郎……」
 やけにしおらしいその声に、僕は思わずドキリとしてしまう。
「それはどうして?」
 珠洲はこんな顔もできるんだ。僕はやっぱり彼女の事を全然知っていないみたいだ。
「だって、だってそれは……」
 珠洲は言うのを躊躇っている。何か深いわけがあるのか……。僕も1度答えに行き着きそうになった事があったんだけど……やっぱり分からない。
「だって私はそんなものがなくても始めから――私は」
 何か決意した風に珠洲が声を大きく張り上げて、僕を見た時――。
「やぁ、柳木九郎に加瀬川珠洲」
 凛と――よく通った声が聞こえてきた。
「せ、生徒会長……」
 僕と死闘を演じたばかりの生徒会長・氷河苫が目の前にいた。
 僕は予想外の人物の登場に驚き、まじまじと氷河苫を見つめていると。
「あ、あまり見つめるな……その、まだ貴様の『魅了』の効果は持続しているんだ……」
 氷河苫は恥ずかしそうに僕から目を逸らす。どうやら敵意はもうないらしい。
 珠洲は少し不機嫌そうになって、氷河苫から顔を背けた。人見知りスキル発動だ。
「平気なんですか、生徒会長。今も魅了に耐えてるんでしょ?」
 敵対していたとはいえ、もう過ぎた話。僕は氷河苫の安否を気遣う。
「フ、ワタシの精神的強さを舐めるなよ。貴様程度の魅了でワタシの気持ちは動かない。それに……ワタシはもう生徒会長ではないぞ」
「えっ――生徒会長じゃ……ない、って?」
 唐突に告げられた驚きの言葉に、僕の思考が追いつかなかった。その意味するところ……それは。
「本日付でワタシは生徒会長を辞めることにした」
 長い黒髪を片手でサラリと払って、サッパリと言った。
「なっ……や、辞めるって。そんな事できるんですかっ」
 なんでもないように簡単に言うけど、そんな簡単な話には思えない。
「ああ、今の副会長に代理で生徒会長をやってもらうことにする。ワタシには劣るがアイツは優秀だからな、きっと上手くやってくれるさ」
「って、独断ですかっ!」
 全部1人で勝手に決めちゃってるよ……やっぱりやることなすこと無茶苦茶な人だ。
「そんな大事な事、辞めたいから辞めますって簡単にいかないでしょ。どう言うつもりです?」
「辞めたくなったから辞める。ただそれだけだ」
「小学生かっ! なんて自己中心的っ! そんなんじゃ絶対駄目ですよっ! もっともらしい事言わないといけませんよっ」
 すると、氷河苫はしばらく考えて、あっ――と何か思いついた顔をして言った。
「やっぱ、や〜んぴっ♪」
「…………園児じゃん」
 僕との戦いがあまりに熾烈すぎて、どこかちょっとおかしくなったんだろうか。
 ま、冗談はさておき。
「で……生徒会長を辞めて氷河先輩はどうするつもりなんですか?」
 今回の僕との戦いで、彼女も何か思うところがあったんだろう。生徒会長を辞めるというこの決断は、良きにせよ悪きにせよ僕がもたらした影響と言ってもいい。
 これから先、氷河苫がどうなっていくか。それは僕が立ち入る問題じゃない。
 氷河苫が、モデルのようなしなやかな体を伸ばして言った。
「うん、その事なんだが……ワタシも入ろうと思ってな……その、君の部活に」
「な……なんだってっ」
 当然僕は驚いたわけだが、この展開に僕以上に驚いたのが――珠洲だった。
「そんなっ……あ、あれですよっ、生徒会長さんは九郎の力がまだ残ってるからっ……」
 珠洲がやけに必死に見えるのは僕の気のせいか?
「そ、そうですよっ。珠洲の言う通りだっ。きっと邪気眼の影響ですよっ」
 僕も珠洲にならって氷河苫を諭す。あまりに信じられない展開だもん。
「いいや、ワタシはいたって理性的だよ。ワタシは考えたのだよ。ワタシに足りないものは何か、そしてそれはどうやって獲得すればいいのかを……そして行き着いた答えが柳木九郎。貴様だ」
「へ? ぼ、僕?」
「そうだ。貴様はワタシよりも弱いのにワタシを圧倒してみせた。だから貴様に近づき探そうと思う。ワタシが得るべき強さを。生物界の頂点に立つための条件を。ワタシの答えはその中にあるような気がしてならないのだ」
 ……まだ諦めてないのか、その夢。っていうか、どんどんスケールあがっていくのね。
 そしてそんな答えに珠洲は納得できないのか、
「せ、生徒会長さんは大人しく生徒会長やってればいいんですっ!」
 珠洲はヒステリックに叫んだ。
 う〜ん。この2人、犬猿の仲って感じだな。仲良くしてる図が想像できない。
「うるさいっ、黙ってろっ、加瀬川珠洲っ」
 氷河苫が珠洲をギンッと睨みつけた。
「……ん、ん……っ?」
 すると、珠洲の体が固まった。邪気眼じゃん! 普通に使ってるよ!
「ちょっ、生徒会ちょ……いや、氷河先輩。『固定』は反則ですよっ」
「黙れ、柳木九郎。貴様も固めてやろうか?」
「すいません。ご勘弁ください」
 勝ったとはいえ、やっぱり僕は氷河苫の『固定』にはかなう気がしない。
「そういうわけだ。これからはよろしく頼むぞ、柳木九郎。それと加瀬川珠洲……うかうかしてるとワタシがそのうち奪うことになるかもしれんぞ?」
 氷河先輩はよく分からない事を言った。
「ひょ、氷河先輩……それってどういう――」
「こういう事だよ」
 いきなり僕の顔の前に、氷河苫の顔が接近した。――というか、ぶつかった。じゃない……口と口がくっついた……唇と唇……こ、これは――。
 キス、だった。
「んむぅっ――!?」
 僕はびっくりして飛び上がりそうになる。しかし、氷河苫が僕の頭を両手でガッチリ押さえていて逃れられない。
「っ! ーーーーーーっっっ!?」
 横目で見れば、固まったままの珠洲がショックを受けているようなご様子。
 そして僕と氷河苫は長い接吻を交わして――ようやく彼女は僕の唇から離れた。
「貴様には責任がある。これからワタシの日常生活を充実させてくれよ? 柳木九郎」
 それだけを言い残し、氷河苫は僕達を通り越して先へ歩いていった。
 去り際の表情は、普段みたいな氷のような冷たさはなく、むしろ可愛い普通の女の子のようなもので……どちらにせよ、僕の心臓は高鳴っていた。
「勝手に決めて用が済んだらさっさと消えて……まるで嵐のような人だな……」
 僕は茫然と立ち尽くし、その背中を見つめていることしかできなかった。
「ふ、ふわぁっ……や、やっと動けたぁ!」
 すると、今まで固まっていた珠洲がやっと動き出した。
「だ……大丈夫か、珠洲」
 まだ唇のやわらかい感触が残ってる僕は、ぼんやりと珠洲の方を見て言う。
「私のことより生徒会長さんだよっ。なんなの、今のはっ!? 絶対許さないっ! い、いいの九郎っ? あいつ敵だったじゃん! 何か企んでるかもしれないよっ? ばかーっ!」
 珠洲は氷河苫に対して随分ご立腹のようだ。今の行動がそんなに気に入らなかったか。
 無理もないかもしれないけど、珠洲は随分と氷河先輩に対して苦手意識を持っているみたい。珠洲がやたら焦っているように見えるのは謎だけど……これからこの2人、ライバルになっていきそうな気配……どうしよう。
「まぁでも、大丈夫だよ……あの人はもう平気さ」
 そうだ、彼女は僕と似たもの同士だから分かる。氷河苫と争うことはないだろう。彼女はいい方向に歩き始めた。僕にはそれが、自分の事のように分かる。
 珠洲はちょっと拗ねたような、眉間に皺を寄せて渋い顔で言った。
「だったら、九郎――これからは3人でやっていく事になるんだね」
 珠洲は、聞こえるか聞こえない声で「1人余計なのがいるけど」と皮肉混じりに付け足した。
「……はは」
 正直に言うと、僕はこの『日常生活充実クラブ』を廃部させるつもりだった。でも氷河苫も加瀬川珠洲も僕の部活に自分の居場所を見いだそうとしている。僕が彼女達に影響を与えた。
 それに――氷河苫に世界の頂点に立つという野望があるように、僕にも野望がある。
 ハーレムの主人公。
 といっても実質まだ、ほとんど何も達成できてないんだけど……。
「大丈夫だよ、九郎。私がついてるよっ。また一からやってこ」
 何を勘違いしてるんだろうか、珠洲は僕を励ますように僕の背中を叩いて、元気いっぱいに言った。
「……そんじゃ放課後、部室に集合だな」
 こうして僕はまた、大いなる野望に向けて一歩を踏み出すことになった。
 だけど今度は1人じゃない。
 僕には強力な味方がついている。
「まずは部室の掃除からだね」
「そうだな。それが終わったらまたメンバー集めから始めようかね」
 僕の目標だったハーレム化計画はふりだしに戻ったけど、終わったわけじゃない。
 珠洲は心の底から楽しんでいるような、夏の太陽のような明るい笑顔で言った。
「一緒に頑張ろうね、九郎っ」
 本当に僕が求めていたものはハーレムという結果ではなくて、もしかしたらそれに至ろうとするまでの過程であって、エンジョイした日常なのかもしれない。
 日常生活を充実させるということは、つまりそういうことなんだろう。
 やがて歩いている僕達の前に学校が見えてきた。
 僕と珠洲は、2人並んで校門をくぐっていった。


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