ヒーローズ

第2章   漂流劇場

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 翌日、学校へ行った碧之はとても憔悴していた。目の下にはくまができていた。昨日、『フォルス・ステージ』へ行って帰ってきたはいいが、結局碧之はその日興奮して寝付くことができなかったのである。
「ふわぁああ……ねむぃ……」
 教室に入って自分の席に着くなりあくびする碧之。そして教室の中を一通り見渡す。
「……まだ来てないのか」
 教室の中に煤ヶ崎煤利の姿はなかった。碧之は少し気を落とす。もちろん昨日の事について尋ねてみたい気持ちもあったが、でも、今はただ彼女の姿を目に入れたかったのだ。クラスメイトとしての彼女の姿を。
「……ふふ」
 でもよく考えれば不思議なものだ。同じクラスにいながら今まで会話したことなかったのに、まさかこんな奇妙な共通点を持つようになるなんて。なんだか重大な秘密を共有しているみたいで碧之は少し嬉しくなった。
「ははは、なに嬉しそうに笑ってんだ〜?」
 と、にやけている碧之に不意打ちに声がした。
「う、うわあっ! ……って、ああ、贄冶(にえや)君。脅かさないでくれよ」
 いつの間にか、碧之の前の席にクラスメイトの贄冶刀烏夜(にえやとうや)がいたのだ。
 贄冶刀烏夜――成績優秀、運動神経抜群で、さらには大人びたルックスで女性からモテて、性格も優しくて爽やか、誰とでも気さくに話せるというクラスの人気者であった。
 そんな欠点の見当たらない贄冶だから、わざわざ碧之みたいな落ちこぼれも気に掛けけし、さらについこの間あった席替えで碧之の前に贄冶が配置されてからはよく話すようになった。そう、贄冶は碧之にとっての学校での数少ない話し相手……とは言ってもさすがに友人と言えるほどには親しくないし、そこまで言うのは気が引ける碧之だった。
 だから――単なるクラスメイトなのだ。
「特になにもないんだけどさ……ただの思い出し笑いだよ」
 碧之は誤魔化すように視線を中空に向けて、そのままチラリと煤ヶ崎煤利の席を見た。そこには誰も座っていない。
 だが贄冶刀烏夜が誰にでも気さくに話せると言っても、実は唯一話さない人間がいる。何を隠そうそれは煤ヶ崎煤利。だが別に彼が煤利を嫌っているとかそういうのではなく、煤利が贄冶を拒絶しているからだ。誰から話しかけられてもその全てを拒否するから煤利は自然と一人になっていった。だからさすがの贄冶も煤利に話しかけることはないのだろう。それはまあ、煤利の自業自得と言えばそうなんだろうけど。
 碧之はなぜ煤利が学校でそれほど人と関わろうとしないのかが分からなかった。昨日、公園で話したときは楽しそうな顔をしていたのに――。
「ふ〜ん、なら別にいいんだが……それよりな、碧之」
 碧之が考え事をしていたら突然贄冶が話を振ってきた。碧之は我に返る。
「え、なに?」
「いやさ……なんつーか、最近変な噂が流れてるんだよ」
「え、変な噂って……?」
 学校では浮いた存在の碧之は、生徒達の間で流れる噂話なんかには疎いので、そんな事話されても困るだけだったが。
「ああ。この辺りでさ、神隠しが多発してるみたいなんだ」
「か、神隠し?」
「そうだ、近頃この辺りで人が行方不明者が続発してるんだ。で、その消えた全員の関係者に問いただしても原因に心当たりないし、警察が調べても犯人の痕跡もないし、どこに行ったのかも分かっていないんだ」
 なんだかおっかない話だった。だけどこの手の噂は昔からどこにでもあるものだ。
「そ、そんなの都市伝説じゃん。信じられないよ。ただの家出とかじゃないの? ただの噂じゃないの」
 碧之は引きつる笑顔で馬鹿げた噂を一蹴する。しかし贄冶は一層声を落として呟いた。
「でもな、碧之。実はこのクラスにも行方不明者が一人いるんだぜ?」
「行方不明者? そんな人いたの? って、あ……そういえば」
 言われて碧之は思い至った。碧之のクラスの中に、入学して数日後から全く姿を見せない女子生徒が一人いたのだ。わずか数日しか見ていないので顔は完全に忘れたが、登校拒否だろうということで大して気にしていなかったのだ。
「だからさ、気を付けろってことだよ……碧之」
 贄冶はやたら真剣な表情で、やけに重々しい口調で碧之に忠告する。その言葉に碧之は疑問を持った。
「え? 気を付けるってなんで僕が……? そもそもなんで僕にこんな話を……」
 こんな変な噂話をする関係でないし、贄冶もそんな話を好むような性格に見えない。
「あ、いや……別に。なんとなくだよ、なんとなく。ほら、お前ってなんだか色々危なっかしそうだからよ」
 歯切れ悪く答える贄冶。
「ふーん……」
 色々危ないって一体何が危ないのか全然分からなかったがとりあえず碧之は頷いた。
 贄冶の態度が気になる碧之だったが、特に問い詰めるようなことでもなかったので、話はこのままチャイムによって打ち切りになった。
 結局、ホームルームが始まっても煤利が来る事はなかった。そして碧之が煤利の存在に気が付いたのは昼休みに入ったときで、いつの間に学校に来ていたのか、教室の隅で一人細々とサンドイッチを食べる煤利の姿を見た。
 思い返せば彼女はそういう存在だった。意図して気に掛けなければ気が付かない。いつからいたのか、いつからいないのか分からない。現実世界において彼女の存在感はあまりに希薄だった。昨日のことがなければきっと、碧之はこれからも彼女の存在に気付くことはなかっただろう。そう思うと碧之は無性にやるせなくなった。
 だから碧之は彼女に話しかけてみようかと、そう思った。
 しかし当の煤利は完全に外界を遮断しているのか、視点をサンドイッチから離さず、機械のようにもくもくと食べている。話しかるなオーラがもの凄く立ちこめていた。
 机の上に焼きそばパンと紙パックの牛乳を広げながら、碧之は煤利に声をかけようかどうか迷っていた。チラチラ煤利を見ながら会話の切り出しをどうしようか考えていた。
 碧之は煤利の事がもっと知りたかった。ある意味2人の関係は一言では説明できない深い関係であると言えるのだ。秘密を共有する2人……その響きに碧之は浮かれていた。
 そんな碧之の熱い視線に気が付いたのか、煤利はサンドイッチを持ったままゆっくり立ち上がって碧之の方を見た。そして――、
「―――――」
 煤利の口が動いた。
 碧之はその時、煤利が何かを言ったような気がした。
 遠くにいるからか、あるいは声が小さすぎるからか、あるいはただの口パクなのだろうか、何を言ったのか聞こえなかったけど――何を言おうとしたのか碧之には分かった。
『ついてきて』
 そして煤利は静かに教室を後にした。背中を向ける際、煤利がほんのかすかに微笑んだような気がした。
 碧之は考える間もなく、迷わず煤利の後を追うことにした。焼きそばパンと紙パックの牛乳を持って行くのを忘れずに。
 その時、教室の開け放たれた窓からそよ風が吹いた。

 着いた先は校舎の屋上だった。
 碧之の先には背中を向けた煤利が立っている。2人の他には誰もいない。
 天気は快晴で、透きとおるような春の空が広がっている。まるで昨日行った『フォルス・ステージ』の空のようだった。
「碧之君。勘違いしているようだけど……」
 だしぬけに、煤利は碧之に背中を向けたまま語り始めた。碧之は自然と頬を緩ませる。
「……あくまで私とあなたの関係は、共にフォルス・ステージを戦う者同士でしかないのよ……あまり変な期待を持たないで頂戴。学校ではなるべく私には関わらないで」
 その声は抑揚が無く、感情のこもらない声だった。
「……」碧之の笑顔が、凍り付いた。
 返す言葉が見つからない。言葉が出ない。何と言ったらいいのか分からない。
「ここは現実の世界なの……だからここでの私は向こうの私とは別人なのだから、あなたはその昼食を持って教室に引き返しなさい……私達はそういう関係じゃないのよ」
 振り返ることなく煤利は冷たく言い放ち、そのままコンクリートの地面にしゃがみ込んでサンドイッチをほおばり始めた。氷のような表情だった。
「……」
 碧之には上手い言葉が出てこない。声が出ない。何か言ってもいいのか分からない。
 確かに煤利の言うとおり、ここはどうしようもなく現実だった。
 碧之は何も言わずに教室に引き返して、自分の席についた。焼きそばパンはもう食べる気にならなかった。
 けれどもこのまま席に着いたまま、昼休みが終わるのを待っているのもどうかと思った。そこで碧之はある人物の事を思い出してその場所に向かった。
 そこは『学生カウンセリング室』。
 名前の通り、生徒の心理カウンセリングを行う場所。高校生にもなると色々な悩みとか出てくる――例えば恋とか友人関係とか――そこで学校の生徒達のそんな悩みを解決するために設置された部屋だと言うのだ。
 碧之は少し前からこのカウンセリング室に通っていた。初めは暇つぶし程度のひょんな好奇心から入ったのだが、今では学校内の数少ない話し相手となってくれる人物がいた。心根酔~(こころねすいしん)。この学校の心理カウンセラー。普段は小さな病院で働いているらしい。正確な年齢は分からないけど、見た感じでは20代前半くらいの好青年だ。白衣と縁なしの眼鏡が良く似合っていた。
「やあ、碧之君。元気かい? 今日も来てくれて嬉しいよ。なにせ毎日暇で暇で死にそうなんだ。みんな滅多に来てくれないからね〜」
 まぁ、来ない分にはそれだけみんな心が健康って事だから良いことなのかもしれないんだけどぉ〜、と笑いながら心根は碧之にお茶を渡した。
 友達がいなくて人付き合いの苦手な碧之だったが、心根と話す時間はまんざら悪くないと近頃思うようになってきた。
「それで、今日は何かあったのか〜い? 見たところ悩みがありそうな顔に見えるけど」
 心根は心理カウンセラーとして人の話をよく聞くが、同時によく喋る一面もある。
「……あのぉ、心根さんは別の世界って信じますか?」
 碧之は思い切って尋ねた。フォルス・ステージの話は他人にするなと煤利に念を押されていたので、あくまで遠回しだけれども。
「うん? 別の世界……かい? あはは、君は相変わらず面白い事を言うねぇ」
 心根は大げさにリアクションを取って笑う。そして茶を一口飲んでから言った。
「……うん。僕は信じてるよ、別の世界を」
 意外にも心根は真剣な表情で、碧之の顔をまっすぐ見つめて言った。
「えっ……そ、それはなぜですか?」
 碧之は心根の視線にたじろぎながらその真意を訊く。
「だってね、僕は思うんだよ。日常にある全てが一つ一つの世界であり、僕達のいるこの世界もそんな一つ一つの中の小さな一つなのかもしれないって」
「……ちょっとよく分からないんですけど」
「つまり映画やドラマや漫画の一つ一つの物語って、この世界とは独立した世界じゃないか。それがたとえ想像の世界だとしても、創られた時点でその世界は存在するんだ」
「それで……僕達のいる世界もその中の一つって事なんですか?」
 この世界は現実であり誰かに創られたわけではない。偽物はフォルス・ステージだ。
「あはは。確かにそうかもしれないね。もしこの世界を創った神様がいるのだとしたら……もしかしたら神様がやってることって僕達と同じなのかもしれないよ」
「なんだか難しいですね……哲学的っていうか」
「はは、僕はこう見えて結構ロマンチストなんだよ。素敵だろ〜。惚れちゃ駄目だぜ〜。んでもさ、碧之君〜。どうしていきなりそんな事を僕に聞くんだい?」
 心根は微笑みながら目を細めて碧之を見る。碧之はまたもたじろいだ。
「それは……」
 答えに窮する碧之。まさかフォルス・ステージの事を正直に言えるはずもない。
「それに、君が本当に聞きたかったのはそんな事なのかな〜?」
 言葉に詰まる碧之にさらに追い打ちをかける心根。
「なっ? どういう意味ですかっ?」
「ふふぅ〜ん、僕が一番得意とするのは……実は恋の相談なんだよ〜」
 と心根は言ったが、碧之は何の話だと逡巡。そして、頭に煤利の顔が浮かんだ。
「う……しっ、失礼しますっ」
 瞬間、碧之は顔を赤くして逃げるようにカウンセリング室を後にした。心根酔~には敵わない。彼とのやり取りはいつもこんな調子だった。

 結局、教室に戻った碧之は、昼休みが終わった後も煤利の様子を気にしていたが、彼女は碧之の視線を気にもとめずに淡々と一人の時間を過ごしていった。
 そして放課後、碧之はついに煤利が誰かと会話する場面を見ることがなかった。
 教室から人が出て行く中、煤利はそれでもなお帰ろうとする素振りを見せなかった。
 そして何故か碧之も帰る事ができなかった。俯き加減でじっと席に縮こまっていた。
 やがて空の色がだんだんとオレンジに染まってきた頃、とうとう教室の中には碧之と煤利の2人だけが残された。
「……」「……」
 2人きりの空間は静寂で支配される。碧之は煤利にかける言葉を何も持っていなかった。けれど碧之は、煤利にかける言葉はなくても、煤利の事を気に掛けるようにはなってしまったのだ。碧之は煤利とはもう無関係にはいられないのだ。
「あの……さっきはごめん」
 だから碧之は勇気を振り絞って言葉を放つ。
「いいの。気にしてないから」
 煤利の声は冷淡で感情のこもらないもの。それは普段の煤利の声。
「煤ヶ崎さん。君はどうして……」
 碧之は尋ねようとした。煤利の本心を。煤利のことを。
 けれど煤利は碧之の言葉を無視するように、小さく口を開いて言った。
「さあ、それじゃあ行きましょうか、碧之君」
 煤利の言葉に碧之は驚かされた。その声は昨日の時のものだった。ゲームの中の声。
「え? 行くって」
 さも当然のように言う煤利に碧之は呆気にとられる。
「行きたいのでしょう? フォルス・ステージに。うふふ……そんなの分かるわよ。だってあなたはもう知ってしまったのだから」
「……ま、まあ」
 確かに、昨日の体験はとても刺激的で毎日が鬱屈していた碧之にとってはまさに人生が変わるような体験であったと言える。
 だけど煤利を見ていると、碧之はとてもじゃないが素直にそのことが喜べなかった。
 ふと碧之が見た煤利の顔は、既にクラスの暗い少女から、妖しい朱を纏った幻想少女のものへとなっていた。
「ついてきて、宮臥」

 そして辿り着いた先はまたしても公園の砂場。
「う〜ん、今日も人がいないな。これも結界ってやつか?」
 空は橙色だがポカポカと春の陽気が心地よい公園内は、昨日と同様人の気配がなかった。
「ええ。特に意図して私が張っているわけじゃないけれど、言うなれば世界が人を近づけないようにしているという事かしら。世界にとって、別の世界の存在があまり多くの人間に知られるのは困るでしょうからね」
 煤利はセーラー服をはためかせながら、晴れ渡る空を見上げていた。その華奢な体は、ともすれば風に乗って飛んでいきそうだなと、碧之は思った。
「……それって、世界が考えを持ってるとかそういうこと?」
 地球自体に意思があるとかいう説。心根酔~の時といい、今日はやたらと神秘的な話を聞かされる碧之だった。
「私も分からないわ。私だってこの世界を知ったのはそんなに前の事じゃないんだから」
 煤利は会話するのが面倒といった感じで辺りを見回しポジションを確認している。
「あ……そうだ。煤ヶ崎さんはなんでこの世界を……」
 煤利の言葉で碧之は大切なことを思い出した。昨日は途中ではぐらかされたが、彼女はなぜこの世界の事を知ったのか。そのきっかけは何か。そしてその世界を創ったという創造主とは何か。今日こそはそれらを聞こうと碧之は尋ねる。
 キョロキョロしていた煤利はピタリと動きを止めて、ゆっくりと碧之の方を向いた。
「そうね……宮臥。あなたが言いたい事は分かるけど、それはまだ伏せておくことにするわ。ま……カウンセラーに教えてもらったとでも言っておきましょうか」
「カウンセラー? え? それって……」
 碧之はとっさに学校の専属心理カウンセラー、心根酔~の顔を思い浮かべた。
「それはいいの。ま、とにかく結界が張られるのはね、こっちから向こうに行く時と、向こうからこっちの世界に戻る時ってことだから」
 話を無視やり結んで、煤利はスタスタと公園の奥の方へ進んでいき、木々が生い茂る場所まで行くと、懐から紙切れを取り出して中空に投げた。扉を創るらしい。
「ふぅ……またそうやってはぐらかすんだから……まぁいいや。答えたくないなら無理にきかないよ」
 碧之は煤利の言うカウンセラーが気になってしょうがなかったが、帰ってからでもいいかと諦めて煤利の元へ向かった。
 煤利が投げた紙切れは風に乗った瞬間に、白く光る楕円形のゲートへと姿を変える。
「ねえねえ、煤ヶ崎さん。あの紙が現実とフォルス・ステージを繋ぐ道具になってるの? それ誰かから貰ったの?」
 世界を結ぶ通路生成の仕組みがさっぱり分からない碧之はとにかく煤利に質問攻めする。
 そんな碧之に対し――煤利は眉間に皺を寄せてああん? と舌打ちした。
「ああもう、いちいちうるさいわね。あんたは小姑かってのっ! ええ、そうよっ、貰ったのっ。私をフォルス・ステージに連れて行ってくれた人にね! ちなみに私はこの高校に入る少し前くらいからフォルス・ステージには行ってるわ。はい、もう質問タイムは終わり。さっさと行くわよっ」
 すっかり性格が変貌した煤利は、碧之の質問を適当に返してさっさとフォルス・ステージへの扉をくぐっていった。相変わらずフォルス・ステージモードに入った煤利は短気でアグレッシブだ。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ」
 碧之は興奮気味の煤利に怯えながら慌てて後を追った。


inserted by FC2 system