ヒーローズ

第2章   漂流劇場

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

7

 
 翌日、碧之が目覚めるとそこにはストレィの姿はなく、代わりに一枚の書き置きがテーブルの上に残されていた。
『組織のメンバーとの作戦会議に行ってくる。礼はいらないから充分休んだらいつでも旅に戻ればいい。あと……俺は暗くなる前には戻ってくるから、一応伝えとく』
 碧之は思わず微笑する。
「なかなか可愛い字じゃないか」
 とか言いながら碧之が紙切れを見ながらにやにやしているその時、不意に小屋の扉が開く音が聞こえた。
「ん?」
 碧之は手紙から視線を外そうとした時。
 小屋の入り口から懐かしい声がした。
「やっと見つけたわ、宮臥」
 碧之はその声に目を見開いて、とっさに振り返る。そこには――、
「今まで何してたのよ……まったく、世話をかけさせるんだから」
 燃えるような紅い髪。血を吸ったような朱い瞳。そこには――煤ヶ崎煤利がいた。
「すっ、煤利いいいっっっっ!?」
 碧之にとって思わぬ幸運で、思いがけない急展開。
「はんっ、何を呆けた顔しているのよ。しばらく見ない内に少しはたくましくなっ――って、わああっ!?」
 碧之は感極まって煤利の体に飛びついた。感動の再会。
「しゅ、しゅしゅりぃ〜っ」
 プロポーションの良い煤利の体に思い切り抱きつき、おまけに涙まで流れ出す始末。
 煤利は驚いて目を見張ったが、すぐに顔を柔らかくして言った。
「ふう。やれやれ……そんなに怖い思いをしたのね。まったく、仕方ないんだから……って、なるかぁあああーーーーーッッ!! 何すんのよッ、離れなさいってのッ!!」
 煤利は碧之の体をぐいぐい押し返した。
「だっ、だって、このままずっと元の世界に帰れないかもってっ。でも死ぬのも怖いし……だからっ」
 尚も碧之は離れない。煤利の豊かな胸に顔をうずめている。
「だからって、しつこいのよ。あんたは――あ……んっ。ちょ、どこ触ってるのよっ、この……ボケナスーーーーーーーっっっっ!!!!!」
 とうとう煤利の堪忍袋の緒が切れた。煤利は碧之の体を思いっきり蹴り飛ばした。
「うげゃっ!」
 最近こういうの多いな〜と思いながら、碧之はうなり声を上げて地面に倒れた。
「あらあら宮臥。やっぱりあなた、全然成長していないみたいね。こんなキックでノックダウンするなんてね」
 腰に拳銃を差した赤髪赤眼セーラー服の少女は碧之を見下ろす。紅の髪が炎上するようにゆらりと舞った。
「わ、悪かったな、成長してなくて……」
 煤利に蹴られてようやく落ち着きを取り戻した碧之が立ち上がる。
「いいのよ、期待なんてしてないし。むしろとっくに死んでると思ってたから」
「生きてて悪かったな! ちくしょおッ!」
「そうね、死んでくれてた方が探す手間も省けるしね」
「ほんとにひどい!」
 無責任過ぎる。
 けど、煤利とのこんな馬鹿なやりとりもなんだか懐かしい気持ちになり嬉しかった。
「だから、もっと煤利にののしって貰いたい……という気持ちが碧之の中にあった」
「って、えっ? なに、そのモノローグ!? オレそんなこと思ってないよ? なに勝手にねつ造してるの!? オレのキャラ壊すようなことやめて!」
 いつにも増して煤利は絶好調といった感じだった。
「あなたのツッコミの調子はまずまずって言ったところね。さぁ、これで少しは頭が冴えたかしら? だったらもう長居は無用よ……行きましょうか」
 感動の再会もそこそこに、煤利は再び小屋の外へと出て行った。
「ちょっ、行くって?」
 慌てて煤利の後を追って外に出る碧之。拓けた場所に立つ煤利は呆れた顔で肩をすくめる。その横には、久しぶりに見る光のトンネル――扉――があった。
「なに言ってんのよ宮臥。現実世界に帰るに決まってるじゃない。向こうではもうすぐ朝になろうとしてるのよ。あなたこのまま帰らなければ行方不明者の仲間入りよ」
「ほ、本当に帰れるんだ……元の世界に。あ、で、でも」
 ストレィ・ショットの事が脳裏に浮かんだ。彼女も碧之と同じくこの世界に取り残されているのだ。呪いをかけられていて普通の方法では帰れないらしいのだが、それでもなんとか彼女も連れて帰れないかと碧之は思った。
「あのさ、もうちょっと待ってくれないか。なんか突然の事だからさ……実は他のプレイヤーの世話になっていたから礼くらいは言っときたいし」
 世話になっておいてこのまま何も言わずに置き去りにするのはさすがに気が引ける。
「あなたの気持ちも分からないでもないけれど……でも諦めなさい。あなたを探索するためにかなりの量の呪符を使ったわ。残っているのはあと1枚。それはいざという時の為に取っておきたいの。だからこのゲートが消えない内に現実に戻るのよ」
 きっとこのトンネルは現実世界からこちらに来るときに創ったものだろう。煤利は碧之の為にこうやって何度もトンネルを創って探索していたのだろうか。そう考えたら碧之は煤利に対して申し訳ない気持ちになった。
「で、でもその人もオレと同じで現実に戻ることができないみたいなんだ! 呪いをかけられてるって言ってた! このまま置いておくなんて……」
「呪いをかけられている……? そうなの……まさか――ね……」
 なぜか煤利の表情が曇った。そして少し考え込む素振りを見せた後、冷酷に告げた。
「だったら尚更よ……残念だけど、呪いがかかっているならこのゲートをくぐることはできないの。くぐろうとしてもそのまますり抜けて後ろに行くだけよ」
「そ、そんな……」
「私にはどうすることもできないの。さあ、早くしないともう消えてしまうわ。話は後にして、今はゲートをくぐるのよ、宮臥」
 煤利は熱の籠もった眼差しで碧之を見つめる。碧之の本音は……帰りたかった。もうこんな世界からは一刻も早く立ち去りたかった。だから碧之は反論する言葉も見つからずに、大人しく煤利の言葉に従って現実世界への扉をくぐった。


 扉を抜けた先にあったのは懐かしい景色。うっすらと春の夜風が冷える公園。
 碧之はゆっくり周囲を伺った。暗闇の中に街灯の明かりがぽつぽつ灯り、ところどころに寂しく色が浮かんでいる。
 隣には静かに佇む煤利の姿。その少女は赤髪でも赤い瞳でもなく、ましてや胸が大きいわけでもない、眼鏡をかけたほっそりした気弱そうな少女だった。碧之は確信した。ここはまぎれもない現実の世界だと。
「はぁ……戻ってこれたんだな、オレ」
 体感時間にして数日ぶりの帰還。
 少し心残りはあったが、碧之は安堵して公園のベンチに腰掛ける。すると、煤利が碧之の目の前までやって来て言った。
「碧之君、気を付けて……向こう側の言葉遣いになってる」
 煤利のぶっきらぼうな声。笑わない少女。これも――現実世界そのものだ。けれど今の碧之にはそれすらも嬉しく思えた。
「あ、あ〜、そっか。あははは。僕、ずっと向こうにいたからつい……ね、ははっ」
 戻って来れて嬉しいはずだけど、同時に寂しい気持ちもあった。
「もうすぐ夜も明けるから一旦家に帰った方がいい……それじゃまた後で学校で」
 煤利は抑揚のない声でそれだけを伝えると、てくてくと公園を後にした。
 見れば東の空がうっすらと光を帯び始めていた。
 碧之は早朝の街を走って帰った。フォルス・ステージの時よりも足は遅かったし、すぐに息切れした。
 だけど、彼はまたフォルス・ステージに行きたいとは思わなかった。もう、あの舞台に上がるつもりは――碧之にはなかった。


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