ヒーローズ

第3章 つかの間の日常と飛翔

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 教室を出て、人気のない階段の踊り場まで連れてこられた碧之。
 贄冶刀烏夜の話によれば、自分の正体はフォルス・ステージでのセイヴァだと言うのだ。そしてフォルス・ステージでは現在、最大の危機が訪れていた。
 ストレィ・ショットの呪いが発動してしまい、さらに悪いことに彼女がカロン国に捕まってしまったのだ。
 そこで贄冶ことセイヴァは、ストレィを救出しようと試みたのだが失敗した。彼の組織『ナイト・フライト』もほぼ壊滅状態に陥ってしまった。このままでは八方ふさがりなので碧之に助けを求めに来たというのだ。
 カロン国はこのまま一気にセイヴァの組織を潰し、世界も滅ぼそうとしているのだ。
「でも向こうでお前を見たときは驚いたぜ。まさか碧之がフォルス・ステージのプレイヤーだったとはな。現実そのままの姿で来てるなんて笑えるよ。普通ネットゲームでもリアルは隠すもんだろ」
 贄冶は苦笑いを浮かべながら言った。確かにそうだった。
 碧之はなんとなく恥ずかしくなって話題を変える。
「でもさ、どうして僕に助けを求めるんだ。僕の実力は君の足元にも及ばないんだぞ……正直役に立てるなんて思えないけど」
 そう、碧之はまだまだ右も左も分からない初心者なのだ。現に贄冶――いや、セイヴァ――に一撃でノックアウトされるくらいに実力差はある。
「俺はお前の強さを信じている。あの時、お前が立ち上がるのを見て思ったんだ。お前には何かあるって」
「なんだよそれ。全然答えになってないじゃないか。っていうか、何であの時ケンカふっかけたんだよ」
「お前の実力が見たかったんだ。まぁ細かい事は気にするな。別にいいだろ、俺を信じろって。俺の予感は的中したんだから」
「的中って……なにが?」
 それより、その件について一言謝って欲しい碧之であったが、敢えて口にはしない。
「いいや、なんでもない……とにかくお前は俺達にとっての救世主なんだ。頼む手を貸してくれ。このままだったらフォルス・ステージは滅んでしまう。それにストレィも」
 確かにこれは一大危機だ。だけど、よく考えればフォルス・ステージが滅んだところで、現実に何の影響が出るというのだろうか。ストレィの立場からしても所詮これはゲームなのだ。そう、別に碧之が行く必要なんてないのだ。
「滅んだらどうなるの……」
 碧之はその辺りの事を尋ねた。
「それは……現実には何の影響も出ないことだが……でも俺の居場所がなくなってしまう。俺にとってフォルス・ステージはもはや偽物の世界じゃない。俺はフォルス・ステージに依存してるんだ。フォルス・ステージがなくなれば俺は空っぽになってしまう……」
 成績優秀、運動神経抜群のクラスの人気者、贄冶刀烏夜。一見すると悩みなんて何もない恵まれた人間に見えるけど、彼には彼なりの闇を抱えているということなのか?
「それにストレィの方は命に関わっている……」
 贄冶はさらっととんでもないことを言った。
「……えっ? 命? 命って――リアルの命!?」
 ゲーム内で何が起こっても現実には何の影響も出ないはずだと煤利は言っていた。
「普通だったらゲームで起こる全ての事は現実には影響されない。しかし……ストレィにかかっていた呪いは実はとんでもないものだったらしい。ゲームとしてのバグみたいなものだ。それはただ単に現実世界に戻れなくなる呪いじゃなかったんだ。そして呪いが真に発動してしまえば、かけられたものは数ヶ月で命を落とす」
「なっ、そんな……どうすれば助けられるんだ?」
 碧之はストレィの顔を思い浮かべる。肩までかかった栗色の髪と、幼さの残る顔立ちに幼い声を。
「手っ取り早いのは呪いをかけた者を倒すことだ。その呪いはカロンの奴らがかけたのだ。だから俺はストレィと世界そのものの為にカロンを倒す」
 贄冶の目はもはやセイヴァとしてのものになっていた。鋭い狂犬の眼光。
「そ、それで……贄冶君はいつストレィの救出に行くの?」
「そんなの決まっている……今すぐだ」
 贄冶は階段の上を睨みつけて言った。まるで空を見上げるように。
「今から? に、贄冶君……君はどうしてそこまで……」
 ここまで必死になる贄冶。何が彼の原動力となっているのだろうか。
 碧之の疑問を払いのけるように、贄冶は口元をにやりと歪めてこう答えた。
「ふふんッ。下僕がピンチにみまわれているのならァ、それを助けに行くのが主の勤めというものだろうォ?」
 そして贄冶は、先に行ってるから後から来てくれよな! と言うと、本当にそのまま学校の屋上まで行って――フォルス・ステージへと旅立った。

 贄冶と別れた後、碧之は教室に引き返そうとするが……ふと足を止めて、そのままUターンしカウンセリング室へと向かった。心根酔~なら何か助けになってくれるかもしれない。しかし――、
「いないじゃん……」
 カウンセリング室には誰の姿もなかった。心根はまだ来ていないのだろうか。
 待っていても仕方ない。時間は刻一刻を争っている。なにしろ現実時間の30分がフォルス・ステージでの1日なのだ。ぼやぼやはしていられない。碧之は急いで教室に入る。
 と丁度その時、朝の予鈴が鳴った。
 チャイムが響く中、碧之は教室の一番隅に座る煤利に声をかける。
「煤ヶ崎さん……緊急の話があるんだ。ついてきて」
「な、なんでよ。私に話しかけないでって……」
 煤利は不機嫌そうに碧之の顔を睨みつけるが、その瞬間に碧之の切迫感を感じ取ったのだろうか、
「……分かったわ」
 特に抵抗することなく碧之に付き従って教室を出た。クラスの誰一人、2人を気に掛ける者はなかった。

「――という事なんだ」
 滅多に人が通らない学校の裏庭で、碧之は先ほど贄冶から聞いた話を煤利に伝えた。旧校舎と木々の間に立つ2人はまるで世界から隔絶されているようだった。
「……ふ〜ん。そう」
 碧之の説明を一通り聞いた煤利の反応は相変わらずだった。これも他人事だと言って我関せずを決め込むつもりなのかもしれない。それが現実の煤利の在り方だから……。木々の間から差し込む光に煤利の顔が照らされる。眼鏡の中の瞳は光の反射で見えない。
「……分かったわ、なら私も行きましょう」
 だが、意外にも煤利の返事はすんなりOK。
「えっ? 本当に?」
 思わず碧之は拍子抜けする。
 てっきり拒否されると思っていたが、意外にも煤利の反応は好ましかった。人の命がかかっているのだ、当たり前といえば当たり前の事だったが……。煤利は更に続けた。
「ストレィ・ショット――そう、彼女が……」
 煤利は独白するように呟いた。いや、それはうっかり漏らした言葉だったのだろう。
 碧之はそれを聞き逃さない。
「煤ヶ崎さん、もしかしてストレィ・ショットの事を知っているのか?」
「……」
 その言葉に煤利は困惑するような顔をしてみせたが、渋々口を開いて言った。
「ええ……そうよ。そして勿論、贄冶君がプレイヤーだって事も」
「そ、そうなのか……」
 碧之、煤利、贄冶。同じクラスに3人もプレイヤーがいたのも驚きだが、その上煤利と贄冶はストレィ・ショットについても知っている。煤利と贄冶を繋ぐストレィ・ショットとはいったい何者なのか。
「……ということは当然、贄冶君も君がプレイヤーだって知っているのか?」
「そうよ。なぜ贄冶君があなたを連れてフォルス・ステージに行かなかったのか考えれば分かるじゃない。彼は私を連れて行きたかったの。あなたに連れてこさせたかったの」
 煤利は地面に視線を落として、捻くれるような声音で言った。
「なんでそんな回りくどい事。最初から自分で煤ヶ崎さんも呼び出せばよかったのに」
「簡単よ。贄冶君じゃ私をフォルス・ステージに連れてくることができないからよ」
「なんで……だって彼は……」
 贄冶はカロンと敵対する組織のリーダー。彼なら人を動かすことは簡単なはずだ。
「いい、碧之君? ここはフォルス・ステージじゃないの。この世界で私と接する事のできる人間なんて誰もいないのよ。この世界で彼は私とは話さないのよ」
 また――始まった。煤利の厭な部分が現れた。碧之はいいかげん耐えられなかった。
 仮想と現実にギャップを付けなければいけないなんていう馬鹿みたいな持論が。
 だから自然に碧之は言葉を放っていた。
「ここに……ここにいるよ」
「え?」
 煤利は小さく首を傾げる。つぶらな黒目を瞬かせている。暖かい朝の風が吹いた。
「僕がいる。君の傍には僕がいる。いいだろ、仮想世界と現実世界で同じ部分があったって……僕達はパートナーなんだ。だからせめて僕だけには心を開いてくれよ」
 そう。もう迷いはなかった。煤利がこの世界に生きる為なら、碧之だってフォルス・ステージで一緒に生きてやろうと思えた。
「な、何を言っているのよ……私は別に――」
「だって僕と君は同じなんだ。似たもの同士なんだ。一心同体なんだ。だから僕は君と友達になりたい。ほら、君の事が分からないとフォルス・ステージでだって戦えないだろ。その代わり僕も逃げない。君と一緒にフォルス・ステージで戦う。だから……どっちの世界でも同じなんだ。僕と君はいつだって同じ世界を生きているんだ」
 碧之はそれだけを言って、とたんに恥ずかしくなって俯いた。
 しばらく煤利は気が抜けたように碧之の顔を眺めていたが、やがて降参と言わんばかりにため息を吐いて、肩の力を抜いて、言った。
「ストレィ・ショットが、いま巷で噂されている行方不明者だったって知ってる?」
 その声は透きとおっていて、余計なもの全てを落としたような美しい声だった。
「ある程度なら……呪いをかけられてフォルス・ステージから出られないんだろ?」
 鈴を振るような声で脈絡のない事を話し出した煤利に、碧之は戸惑いつつ答える。
「そう……呪いよ。でね……実は私達はね、友達だったの」
 煤利は絹のような髪を、春の風になびかせて告白した。
「えっ、友達?」
 碧之は驚いた。煤利とストレィが友達だという事実もだが、この煤利に友達がいたという意味でも二重の驚きだった。
「きっかけはひょうんな事だったの……まだ高校に入学する前、私とストレィは春休みにこの学校に訪れたの……その時、春からこの学校で勤めることになった心根酔~という男に出会った。そしてフォルス・ステージの存在を教えて貰った」
 学校の専属カウンセラー、心根酔~。煤利をフォルス・ステージに引き込んだ男。それは心根本人から聞いた話だ。
「もう一つの世界を知った私達は毎日のように楽しんでいたわ。何日も何週間もあっちの世界に入り浸り続けたわ。贄冶君と知り合ったのはしばらくしてからよ。その頃はまさか高校まで同じだったとは知らなかったけど」
 煤利は一度言葉を止めて、太陽の光を遮る大木を眺めた。煤利の顔に影が落ちた。
「そして、高校に入学する1日前……ストレィは呪いをかけられたの……」
 煤利はストレィが呪いをかけられるまでの経緯を語った。
 事の経過は碧之が知るものと若干重複していた。
 このゲームの目的は世界を救うこと。その為に鍵となるのがカロン国だと贄冶は言った。
 そしてフォルス・ステージに生きる風雲が言っていた。カロン国にかつて救世主が現れ、滅亡の危機に見舞われていたカロン国を救って、そしてこの世界を去った。それ以来、カロン国は世界の真理を知ろうとしているのだという噂があることを。
 だからそこまでは碧之も充分理解できていた。
 そしてここからが煤利と贄冶とストレィが知っている事。碧之の知らない事情。
 贄冶はカロン国が世界の真理を研究しているという事実を知った。が、その世界に住む者が世界の真理を知れば恐ろしいことになると贄冶は思ったのだ。
 それはゲームのシステムを壊してしまうようなもの。致命的なバグを晒すようなもの。
 だからフォルス・ステージ存続のために、そして世界の救出の為にカロン国と戦う事を贄冶は決めたのだ。だからナイト・フライトという組織を形成し、世界の謎が隠されているという、カロン国が聖地と崇める森を占拠したのだ。
 煤利は贄冶から組織の副リーダーになるように頼まれた。だが、煤利は組織には興味なかった。群れることが嫌いな彼女は贄冶に従わなかった。そもそも煤利は純粋にこのゲームを、フォルス・ステージを楽しみたかったのだ。だから何となく性に合わなかった。
 煤利は贄冶達の組織には入らなかった。代わりにストレィが副リーダーになった。
 そしてしばらくしてからだった。ストレィはカロン国の遣いとだと言う謎の男に呪いをかけられたのだ。後で分かった事だが、噂では彼は魔術師であるという。
 そして、それから――煤利は2人の前から姿を消したのだ。
「もしかしたら私は責任を感じていたのかもしれない……私の我が侭でストレィは呪いにかかったのかもしれないって。だから私は名前を捨てて彼女達から逃げたのかも」
 長い説明を終えた煤利は肩の荷が降りたような、吹っ切れたような、清々しい顔をして空を見上げた。
 碧之は思った。もしかして学校で煤利が常に1人でいようとするのも、友達を作ろうとしないのも……ストレィに対して責任を感じているからなのかもしれない。
 煤利は空を見たままじっとしている。もしかして彼女は……泣いているのかもしれない。涙を流していなくても、ずっと胸に溜めてきた様々なものがあるのだ。それを1人で背負ってきた。平気な振りをして1人で本を読んでいたけど、大丈夫なわけがなかった。
 きっと彼女は泣いていたのだ。誰にも気付かれないように。声を押し殺して、涙を流すことなく。
 お婆ちゃんに教えて貰った、ニライカナイの世界を信じて。ずっと。
 碧之は――、
「そんな顔するなよ、煤ヶ崎さん」
「え……」
 煤利は数回瞬きをして、静かに顔を戻した。
「1人で背負うことはないんだ。こうなったのは煤ヶ崎さんのせいじゃない」
 碧之は煤利に寂しさを見た。だがそれは自分とは違う寂しさ。碧之の孤独はただの甘えでしかない……その方が楽だから1人でいるだけ。だが煤利は自分の気持ちを殺しながら1人で在り続けるのだ。もしそうならそれはどんなに辛いことだろうか。碧之は煤利が見つめる方向に目を向ける。遠くには大きな入道雲が見えた。
「それくらい分かっているわ。それを言うなら私なんかより贄冶君の方がよっぽど責任を感じているはずだから……でも、私はフォルス・ステージに来たときからずっとストレィと一緒だったから……だから私はあの子の傍にずっと付いているべきだったのに」
 煤利は自嘲気味に笑って、足元の石ころを蹴った。
「す、煤ヶ崎さん……君は……」
「これは私の罪なのよ。だから私は罰を受けなければならないの。ストレィを置いて私だけが幸せを享受するなんて……そんなのたまならく我慢できないのよ」
 その言葉で碧之は確信する。やはり煤利が現実で誰とも関わろうとしないのは、ストレィの事があるからだ。ストレィは現実に戻れずにずっとフォルス・ステージを彷徨っている。自分のせいでストレィが現実に帰れないというのなら、自分も現実なんていらないと考えて他人を拒否するのではないか。
 そして煤利は、これまでずっとストレィを救うためにフォルス・ステージを駆け抜けていたのではないか。碧之が公園で煤利と会った時も……彼女はずっと罪を引きずって。
「で、でも煤ヶ崎さん……君が罰を受ける必要はないっ。罪なら償えばいい、だから」
 思わず碧之は感極まって声を荒げる。
 しかし興奮する碧之をよそにして、煤利は大木まで近づき、優しく幹を撫でて言った。
「だから私が彼女を救う。過去と向き合い罪を清算する。私が――彼女の呪いを解く」
 凛とした、揺るぎない意思を感じさせる声だった。
「扉を開けられるのはあと一度。もしかしたら現実世界に戻れないかもしれない。向こうに何が待ち構えているか知れないし、安全は保証できない。だから私1人で行くわ」
 危険な戦いだけれど、彼女にはやらなければならない理由があった。これは煤利の罪滅ぼしなのだ。これは煤利の戦いなのだ。そこに碧之の入り込む理屈はない。
「…………」
 だが、煤利の口から放たれた決意の言葉を聞いた碧之は、黙ったまま煤利の横までやって来て、同じように大木の幹に手を置いた。
 煤利は碧之の方に目をくれずにきっぱりと言う。
「これは私の戦いなの、蒼乃君。あなたは来なくていいの」
 だが碧之は離れない。……碧之だって本当は怖かった。何が待っているか分からない。だが、碧之は誓ったのだ。2つの世界を共に歩もうって。だから――、
「何を言ってるんだよ……当然、僕も一緒に行くよ。役に立たないかもしれないけどさ、でも僕達はパートナーなんだろ? だったらさ……僕も連れてけよ」
 煤利の言葉を遮って碧之は言った。煤利の顔をじっと見つめていた。
 煤利も碧之の顔を見つめる。非難するように睨みつける。
「な、何言ってるのよっ。呪符はあと1枚しかないのよ? もう現実世界に戻れなくなるかもしれないの、分かってるの? なんであなたはそこまでして私に関わるのよ!」
 煤利は声を大きくして言った。簡単に言う碧之に対して怒っているのだろう。
 またフォルス・ステージを漂流する事になるかもしれない。しかも今度は煤利の助けも得られない。帰る手段が見つかるかも分からない。それでも――今度は煤利と一緒だ。
 碧之はじっと、煤利の眼鏡の奥の瞳を見つめながら、言った。
「分かってるよ。だって僕達は……友達だろ」
 そうだ。ゲームは友達と一緒にやる方が面白いのだ。煤利と一緒なら、フォルス・ステージに閉じ込められたって構わなかった。
「と、友達……」
 碧之の言葉に煤利は一瞬言葉をなくした。それでも何かを言おうと煤利はゆっくりと口を開きかけたが、諦めたようにため息を吐いて――微笑んだ。
「ふ、ふふふ……う、うん。そうね……あなたは私の初めての……友達なのよね」
 碧之と煤利はフォルス・ステージでのパートナーであり、現実世界での友達なのだ。
「そうだね。だけど……違うだろ。ストレィも友達だし、贄冶君だって友達だろ?」
 碧之も笑って、大木にもたれかけた。
「あはは、そうだったわね……あ〜あ、私のキャラがどんどん崩れていっちゃうわ」
 そう言って煤利も大木にもたれる。
 大木に寄り添う2人はお互いの顔を見つめ合いながら笑った。まるで昨日の屋上の時のようだとまた笑った。現実でも仮想でも関係なく、碧之宮臥と煤ヶ崎煤利として。
 そしてひとしきり笑い合った後、2人は覚悟を決めた。もうとっくに授業は始まっている頃だろう。こうしている間にもフォルス・ステージは劇的に変化して行っている。
「さぁ、碧之君……いえ、宮臥。これが最後の呪符よ。もしかしたら私達もフォルス・ステージを漂流する事になるかもしれない。本当にいいわね?」
 煤利は碧之に最後の確認をする。答えなんか聞くまでもなかった。
「ああ、いいぜ……煤利。今度こそオレはヒーローになる。でも、その前に……一つ、約束してくれないかな」
「なにかしら?」
 突然の碧之からの要求に、煤利は小さく首を傾げていた。
「無事にストレィを助け出して戻って来たら……一緒に屋上でお昼を食べようよ」
 それは煤利との新しい関係の始まり。ここから2人の世界は広がっていくと信じて。
 煤利も同じ気持ちだろうか。碧之との世界を構築していくだろうか。煤利は――。
「……ええ。いいわよ。戻って来たら今度こそ一緒に」
 朝の木漏れ日を浴びて答える煤利の笑顔はとても綺麗で、碧之はそれだけできっと全部が上手くいくと確信した。
「お弁当……」だから自然と碧之の口から言葉が紡がれた。「煤利のお弁当が食べたい」
「え……お弁当?」
 碧之の言葉を聞いた瞬間、煤利は口をぽかんと開けて呆気にとられた顔をしていたが、そのうち徐々に顔を赤く染めて、そして澄んだ声で答えた。
「……も、もう……あなたどれだけお節介なのよ……でも、いいわよ。こう見えて私、料理上手なのよ」
 煤利は恥ずかしそうに、長く艶やかな黒髪を指でいじりながら言った。
 2人でなら怖いものはなにもない。2人でならなんだってやれる。
「それじゃあ行こうか……煤利」
 拳を強く握りしめ、碧之は感じた。今の自分はきっと、かつて憧れていた姿そのものなのだろうって。だからこれはきっと正しい選択なのだ。後悔なんてあるはずない――。
「うふふ……いいわね。やっぱり私達はこうじゃなきゃね」
 煤利は微笑んで、最後の1枚となった呪符を取り出した。人気のない学校の裏庭から、碧之達は世界を超えてフォルス・ステージへ行く。
 そして、最終決戦の火蓋が切られた。


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