ヒーローズ

第2章   漂流劇場

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

4

 
 翌日。洞窟の中に差し込む日の光によって目覚めた碧之が辺りを見ると、既に風雲も起床していたのか、その姿はなかった。たき火の炎は消えていて炭と灰になっていた。
 碧之は立ち上がって洞窟の外まで歩いて行くと、眼前には綺麗な朝日を浴びた峡谷の壮大な景色が広がっていた。果てしなく広がる大地、遠くにはうっそうと茂る森が見える。動物らしき姿もあちこちにいる。大きな鳥が透きとおった空を雄々しく飛んでいた。
「き、綺麗だ……」
 思わず単純明快な感想を漏らしてしまう碧之。
「うふふぅ〜、上位世界のあなたにそう言ってもらえると嬉しいですねえ」
 と、横から声がしたので驚いて顔を向けると、いつの間にか碧之の隣に風雲がいた。
「お、おう……おはよう。うん。この世界は美しいと思うよ。とても仮想世界とは思えない。あ、でもあんた達から見たらこの世界こそが現実なのか」
 碧之は気まずそうに目を伏せる。風雲は真っ白いボサボサ頭を掻きながら笑った。
「いいんですよぉ。だって現実とか仮想とかそんなのは実際こうして生きているワタシ達には関係ない事です〜。でも嬉しいですよぉ、仮想か現実化はどうあれ自分の世界が褒めてもらえるのは……」
 そう言って風雲は地平線の彼方に視線を向けた。碧之も何気なく視線を遠くに向けて、森を見た。すると、その森の中に気になるものを見つけた。
「あれ……? あの白い建物は……」
 何度か見たことがある古代遺跡のような建築物。歯で造られたように白い建物。随分と古い時代に建てられたように見える。
 だけど――今まで見た建物よりも、それは遙かに大きく見えた。まるで森を取り囲むように、幾筋にも縦断するように建っていた。
「あれですかぁ……あれはね、一部では世界の中心と言われている建造物らしいです」
 碧之の疑問を読み取って風雲はぺらぺらと説明を始めた。
「って、世界の中心?」
 またもやファンタジー要素が現れた。
「はぁい。誰が建てたのか、いつ建てられたのか一切分からないんですがね……この世界にはいくつかあれと似たような建物があるんですよぉ。と言ってもあの森の中にある建物よりは規模は劣るんですがねえ。それでね、今までそれらの建物の正体について分からなかったんですが、調べている内にようやく一つの事実に気が付いたんですよぉ」
 碧之が今まで見てきた建物はいずれも、あの森の中にある建物に比べれば確かに規模は小さかった。意味があるのか?
「そ、それは?」
 唾を飲み込んで尋ねる碧之。
「……それは、どうやらあそこにある、白い遺跡を中心にして他の遺跡が建っているようだって分かったんです……ちなみにそれを発見したのはカロン国なんですよぉ」
「中心にあるから、世界の中心……?」
 発想がなんというか……。
「まぁ、単純ですがそうなりますねぇ。ですが、彼らも色々と研究しているみたいですよぉ。今では確信しているんですよ……あの森には何かがあるって」
「何かが……」
「この世界を支えているとか、別の世界に繋がっているとかです」
 それが世界の真理なのだろうか。この世界の正体。これから行くことになるカロン国。果たしてそこには何が待ち受けているのだろうか。碧之の視線は巨大な白い遺跡に釘付けになっていた。
「あはは……これもただの噂ですよ。さあ、それよりも宮臥さん。朝食を食べて支度をしたら早速移動を始めましょう」
 風雲は相変わらずのへらへらした笑顔のままで、碧之の肩を軽くたたいた。ぼけっと遺跡を見ていた碧之は我に返った。
「お……っと、分かった。行くよ」
 遺跡から視線を外しながら碧之はふと思った。風雲の事が未だに理解できない。この人間は世界の秘密を知っていて、それでも飄々として、碧之にとっての下位の世界を気ままに旅して生きている。風雲と旅をする最中何度か考えた事だが、ひょっとしてこの男はもしかすると現実の人間なのかもしれないと碧之は思った。隣にいる男は何者なのか。世界の全ての噂を知る男は、まるで――。
「ああ、大丈夫でぇす。朝食はその辺の草ですから、宮臥さんも食べられますよぉ」
 碧之が風雲を見つめながら考えていると、風雲は軽く笑いながら告げて背を向けた。
「あ、はは。じゃあ……ごちそうになろうかな」
 碧之は苦笑いして後に続く。
 眩しく照りつける太陽の下、洞窟の方へと向かう風雲の後ろ姿はまるで蜃気楼のように霞んで見えた。この世界と現実世界を旅する胡乱な存在である事を物語っているかのように。そこまで考えて碧之は思い出す。なんだ、それは自分の事じゃないか、と。

 洞窟に戻り、支度をした碧之と風雲は峡谷の出口を目指して再び歩き続けた。峡谷を登って、下って、何時間歩いたことだろうか。
 ようやく――2人が峡谷を抜ける時が訪れた。
「はあ……はあ……疲れた」
 いくら仮想世界とはいえ、ずっと歩きっぱなしな為、碧之は足腰がガクガクしてきた。対する風雲は汗一つかいていない。いくら旅人とはいえ、現実世界の碧之よりも体力があるなんて、本当に風雲はこっちの世界の人間なのかと、碧之はますます疑問に思った。
 その時、前を進む風雲がぴくりと体を強張らせて碧之の方に振り返った。
「ほら、宮臥さん。こっちこっち。見えてきましたよ。出口です」
 風雲が大きく手を振って碧之を招く。
 その言葉を聞いて満身創痍だった碧之の表情に光が灯った。
「え! ほ、本当かっ」
 延々と同じ景色の中を歩き続け、精神的にも参っていた碧之だったが、長かった道のりもようやく終わる。碧之は興奮して走り出した。
「おおっ。やったぁ!」
 そして岩々を抜けた先に見えたのは谷底。そして平原。そこを流れる川。さらには牛に似た生き物や、シカに似た生き物。野生動物がたくさんいた。
「さあ、あと一息です。行きましょう」
 風雲が目を細めて微笑む。
 碧之は疲れも忘れて一気に峡谷を抜けた。

「――後はこの川に沿ってずっと歩いて行けば数時間でカロン国に着きますから」
 峡谷を抜けた平原。そこを流れる川辺でくつろいでいると、風雲はにっこり微笑んで東の方を指さした。
「数時間……か」
 川に足を浸からせて草の上に寝転びながら碧之は呟いた。
 それでも結構距離があったが、しかしあの地獄のような峡谷を抜けられた事に今は感謝の気持ちでいっぱいの碧之だった。
「本当にありがとう。おかげで助かったよ。それで……これからどうするんだ?」
「ははぁ〜。ワタシはこの先にある村に用事がありますのでぇ」
 そう言って風雲は南の方角を指さした。ならば2人はここで別れることになる。
「そっか。じゃあここで……お別れだな」
「ええ、そうですね。宮臥さん、短い間でしたが楽しかったですよ。誰かと一緒に旅をするのは久しぶりでしたのでね、あはは〜」
「こっちこそありがとう。また、会えるといいな」
「ええ、それと……煤利さんにも会えるといいですね」口元をにやりとさせる風雲。
「ああ。現実世界に無事に戻ったら嫌でも会えるさ」
 帰る手段を持たない碧之とは違う。煤利なら心配ないだろう。
 碧之は遠い目をして、川の流れのずっと先を見つめる。川はだだっ広い平原の地平線で消えている。
「ちなみにですね、宮臥さん」
 碧之が建物らしき姿を探していると、突然風雲が話を切り出した。
「え?」と、碧之は顔を風雲に向ける。
「昨夜も言いましたけどね、カロン国についてなんですが……実はね、カロン国の研究者はね、今がちょうど世界の終わりの時だと考えているみたいなんですよ」
 それはカロン国に伝わる伝説。世界が終わる時に救世主が現れるという伝説。
「え? な……なんで」
 碧之は急に不安な気持ちになる。何か悪い予感がした。
「実は、最近カロン国はある敵に狙われているみたいなんです。滅亡の危機に瀕しているとも言えます」
 風雲は落ち着いた声で語る。碧之は突拍子もない話題に面食らった。
「……敵って誰なんだ」
 蚊の泣くような声で訊く碧之。彼はいったい何を言おうとしているのだ。
「カロン国に敵対しているレジスタンス集団みたいなんですがね〜……でもただのレジスタンス集団じゃないんですよねぇ。変な噂があるんですよ」
「噂?」またもや噂である。
「その集団のリーダーはね……不老不死だって言うんですよぉ」
「不老不死?」
 もはや碧之はオウム返しにしか言葉を返せないでいる。
「リーダーは何十年も歳を取っていないらしいんです。まっ、単なる噂ですけどね」
「噂ねえ」
 この男の語る話は噂ばっかりだなと碧之は思った。
「そういうことです。それじゃあ……宮臥さん、そろそろワタシはこの辺で。あなたが現実世界へ帰れることを祈ってますよ」
 言うだけ言うと、風雲はさっさと別れの口上を告げた。
「あ、ああ……そっちこそ達者で」
「では、お元気でぇ〜」
 風雲は笑顔のまま碧之に手を振って、そのまま背中を向けて歩き出した。
 暫く消え入りそうな後ろ姿を見つめていた碧之は考える。なぜ風雲はこのタイミングでこんな話題を出したのだろうかと。結局風雲に聞きそびれてしまった。
 ――やがて、碧之も自分の目指す方へと歩き始めた。

 碧之が川に沿って歩き始めてから1時間ほど経ったところ、疲労が蓄積した碧之はぼやいていた。
「かなり歩いてるのに、まだそれらしい建物が全く見えないのはどういうことなんだよ……」
 遙か彼方に見える地平線。けれども未だに建物1つ見えてこない。空は相変わらず青々と快晴が広がっていた。
「仕方ない。喉も渇いたし、ちょっと休憩しよう」
 ようやく厳しい峡谷を抜けたためか、碧之は多少気が緩くなっていた。ここには水も動物も緑も豊かだったので碧之は気楽に構えていた。後はゆっくり川に沿って進めばいいだけなのだから仕方がない事だったが。
 だけどしかし、水を飲むために碧之が川へ下りようしたその時――ドタドタドタ……と背後から何かが向かって来る音がした。
「え? なんだなんだっ?」
 碧之は音のする方に顔を向けてよーく目を凝らす。走り寄ってくるのは馬らしき動物。
 そして、それにまたがる少女の姿。
「な、なんだっ? 女の子っ?」
 碧之は突然の登場人物に戸惑うばかり。そうこうしている間にも馬に乗った少女は勢い良く碧之の元へと近づいてくる。
 よく見れば、その後ろにも何かの影が見えた。碧之は更に目を凝らす。
「あ、あれは……?」
 碧之の表情が徐々に引きつっていく。
 少女の後ろには――巨大な化け物がついてきていた。
「な、なんじゃありゃああああああっ!?」
 それは全身が緑色した四つん這いの蜘蛛のような生き物。ただし大きさは軽く人間大くらいあった。4本の足は針のような毛が深々と生えている。モンスターだった。
「ぶりょおおおおおおおおおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜」
 どうやら少女はあの化け物から逃げているようだ。少女が碧之のすぐ前まで来ると、ここで彼の存在に初めて気が付いたのか、体を揺らしながらチラリと碧之に顔を向けた。
「な、なんでこんなところに人がっ!? というかその格好はっ……く、くそッ……お、おい! そこのお前! 危ないから離れろッ!」
 少女は碧之に対して叫んだ。恐らく巻き込ませまいと考えているのだろう。
「お、おい。なんだっ? 何がどうなっているんだよッ!?」
 状況の分からない碧之は馬を走らせる少女に問いかける。しかし少女はすぐに碧之を追い抜いていった。その際、少女が碧之に対して舌打ちしていたのが見えた。
「って、無視かよ……」
 碧之は少女の姿を目で追った。
 すると何を考えているのか、碧之を大きく追い越した少女は馬をUターンさせて、再び戻ってこようとしている。
「な、何考えてんだよ……このままじゃ」
 少女が蜘蛛と正面衝突してしまう事になる。
 振り返れば、その間にも蜘蛛の化け物は碧之達の方に近づいて来ていた。碧之を挟んで、四つ足の蜘蛛と馬に乗った少女が向かってくる。碧之は考えた。
 この少女はこの世界の人間で、彼女は現在蜘蛛の化け物に追われている。だけれども、このままだと無関係の碧之を巻き込む事になると悟った。だから碧之を見捨てられない少女は引き返してきたのだと。
 だったら――と、拳を握る。碧之は蜘蛛を倒そうと決意した。どうやらヘビの化け物に比べれば、カサカサカサと向かってくるこの敵は大した事なさそうだった。
「心配すんな! あの怪物はッ、俺が退治してやるッッ!」
 ここはゲームのプレイヤーである碧之がモンスター退治を引き受けようと対峙する。
「あっ、ま、待てっ」
 しかしどういうことか、少女は碧之の元へ馬を走らせながらそれを止めようとする。だけど碧之は止まらない。碧之は蜘蛛に向かって走り出した。
「いくぞっ蜘蛛の化け物ッ! オレの拳をッ! オマエにィィィィッ!!!! グラビティィィー・バーストオオオオ!!!!」
 碧之は向かってくる蜘蛛に対して真っ直ぐ突っ込む。まっすぐの拳。力とスピードと重さの三重奏。今は早く、強く、その勢いを保ち――思いきり蜘蛛の頭を殴りつけるッ。
 碧之のスピードと、蜘蛛自身のスピード。双方がぶつかりあって相当なエネルギーが発生し、そして炸裂するッッッッッ。
 碧之の拳が蜘蛛の頭にめり込み、直後――蜘蛛は遙か彼方へと吹っ飛ばされた。
 これぞ碧之のフォルス・ステージでの力。単純だがそれ故に強力な力。
「……ふ、ふう、疲れたあ〜」
 化け物を倒した碧之は地面に倒れ込んだ。碧之は馬に跨がりこちらにゆっくり近寄る少女を見る。碧之は今、自分がヒーローになったみたいで気分が良かった。やはりこのゲームはやめられない。
 しかし少女は助けて貰った碧之に対して、
「お前は誰だッ!」
 礼を言うどころか意外にも、碧之を??責すように問い詰めた。
「え、えええっ?」
 碧之は飛び上がりそうになった。この状況と発言が全然かみ合っていない。
「お前は誰だと聞いているんだ!」
 少女は幼さを残しながらも整った顔立ちで碧之に凄んでみせる。綺麗な顔だったけど、それだけ迫力もあった。
 碧之は瞬時に頭を回転させる。きっとこの少女はフォルス・ステージの住人だ。そして先程別れた風雲は言ってた。この世界の住人には自分の正体を伏せていた方がいいと。
「オレは……旅の者だが」
 本来小心者の碧之は、声を震わせながらもキャラは崩さないように、精一杯のぶっきらぼうさで答える。正直少女の鋭い眼光に耐えられそうになかった。
 目的のカロン国までもう少しだ。なるべくトラブルは避けたい。ここは当たり障りのない返事を心がけたいところだ。
「ふぅ〜ん……そうか。なんだか怪しいな。お前……ここへは何しに来た?」
 目を細めて碧之を見定めるような眼差しを向ける少女。風雲とは大違いな随分と横柄な態度。けれど見た目と発言がかみ合わない程に、少女の容姿は幼くて可愛らしかった。
 見た感じ年齢的には碧之と同じくらいか、それより下なのだろうか。服装はところどころ破れた真っ白のロングTシャツにショートパンツ姿。露出の多い大胆なスタイルだ。
 背中には大きな木製の弓を背負っていた。そして腰には短剣。みるからに物騒な人間だったけど、戦士と言うにはあまりに可愛い顔立ちで、口調に比べてあまりに可愛らしい甘い声の持ち主で、碧之にはそれがとてもアンバランスに思えた。
「オレはこの先にあるカロン国とやらに行くつもりだ。だ……だからなんだよ」
 ともすれば少女に見とれてしまいそうになるところだったが、それを堪えて碧之は少女と張り合うように応対する。でも内心はびくびくしていた。
 少女は碧之の返答を聞くなり顔をしかめ、肩まで伸びた栗色の髪を揺らして尋ねる。
「お前……ひょっとしてカロンの人間か?」
「いや、いま言ったろ。オレは旅人だ。カロン国に行くのはこれが初めてだ」
「ふぅん、そうか……だが旅の者よ、忠告しておく。カロンへは行かない方がいい」
 馬上の少女は、碧之を見下すように冷たい声で言い放つ。
「なんでだよ。だってオレにはカロン国に行かなきゃいけない理由があるんだっ」
「理由? カロンに行かねばならない理由とはなんだ?」
 少女は疑うような目で碧之の顔を覗き込む。厳しい口調で追求する。
「そ、それは……」
 正直に言うのはまずい。風雲も言っていた。この世界の住人には現実世界の事は伏せておいた方がいいと言っていた。碧之は言葉に詰まった。
「ふん、言えないならいい。だったら勝手にしろ。どうなっても俺は知らないからな」
「あ、ああ……って、ん?」
 碧之は違和感を感じた。少女はいま、自分の事を俺と言った。不可解に思った碧之はゆっくりと少女の全身を眺める。全体的に見た体は女性独特のラインである。というかそれよりはっきり見て取れるのが、ところどころ破けたロングTシャツ。その胸の辺りには明らかに膨らみがあった。しかもかなりの大きさ。
「おい、お前! なに俺の体をジロジロ見ているんだ!」
 碧之の舐めるような視線に気付いた少女は、己の体を隠すように身をすくませて、より一層碧之に凄んだ。
「う、うわっ! ごめんなさいっ! だ、だって一人称が俺だから……」
 つい、地の性格が出てしまった碧之。
「俺が俺のことを俺って言っちゃ悪いのかっ?」
 少女は幼さの残る顔で、可愛らしい声で凄んだ。これはこれで怖い。
「いえ、ぜ、全然悪くない。むしろいい! というかオレが悪かった。すまん」
 もうキャラが崩壊しそうになってきている碧之。いっそ壊れるところまで壊してしまえ……とはさすがにいかない。
「別にいいさ。それよりお前、カロンには気を付けろよ」
 少女は不思議なことを口にした。カロンに気を付けろというのはどういう意味だ?
「ど、どうして……まさかカロンは恐ろしい場所だって言うのか?」
 風雲はそんなこと一言も言ってなかったが。
「そういう事ではないが……とにかく奴らの言うことを信用するなという事だ。用が済んだらすぐに立ち去った方がいいぞ。というよりむしろ行くな」
 何やら少女の言い方には引っかかるものを感じたが、碧之はとりあえず了解する。いい加減であまり考えないのが彼のここでの流儀だ。
「ああ、分かったよ。行くことは行くけど気を付けるよ。調べ物をするだけだからな」
 軽く右手を振って碧之は約束した。その言葉を聞いて少女は安心したのか、今まで険しい表情を浮かべていた彼女だったが、とても穏やかな顔になっていって、 
「そ、それと……」
 消え入りそうな、とても安らかな声で言った。
「う、うん?」
 碧之は少女の変貌に少し戸惑った。というか身構えた。この凶暴な女は何か攻撃を加えてくるかもしれない。けれど、少女は碧之の予想を遙かに裏切る言葉を発した。
「さ、さっきは……助けてくれて、その……ありがとう」
 ――その顔を見て、碧之は思った。……この女の子は風雲と同じく、こっちの世界の人間なのだろうか。碧之は少し少女の事が気になった。世界を越えた少女の存在が。
「……あっ、そういえば」
 碧之は無意識の内に少女に語りかけた。彼はいまだ知らなかった。少女の名前を聞くのを忘れてた。碧之の声に、少女はうつむけていた顔を上げる。
「な……なんだ?」
 少し伏せ目がちな少女。その声はまた屹然としたものへと戻っていた。
「いや、アンタの名前を知りたくってな」
 碧之は正直に言った。ここでは自分の思ったことははっきり言うような人間でありたかった。ゲームといえどもなかなか難しい事ではあるのだが。
「なんで俺がお前に言わなきゃいけない?」
 首を傾げて少女は平然と言った。
「そっ、そんなっ!」
 こういう事があるから自分の気持ちを正直に言うのは難しい。
「冗談だ。俺の名は――ストレィ・ショットだ」
 碧之のショッキングな顔を見て悪いと思ったのか、少女は素直に名乗った。ストレィ・ショット――なんとも洋風でゲーム風な名前だろう。僕もそんな名前にすれば良かったなと思いながらも、碧之も名乗った。
「俺は宮臥だ。よろしくな!」
 元気よく、弾けるような笑顔で、馬上の少女に右手を差し出す碧之。
「宮臥……ふぅ〜ん」
 少女は渋々ながら碧之の手を取って握手する。なぜか物憂げな表情をしていた。
「なに? オレの名前がどうかしたか?」
「……いや。変な名前だなと」
「ひどいッ!」
 しかも本名なのに。なんだか存在を否定された気持ちになった碧之だった。
「冗談だ。……いやな、その名前を聞いたことあるような気がしてな……そうだ、お前さっきカロンで調べ物をするって言ってたよな、その調べ物ってなんなんだ?」
 少女は固そうな性格をしている割に、意外と冗談を言えるような人間らしい。碧之はふと煤利を思い出した。それよりも――調べ物の中身、か。言っていいものか碧之はしばし悩んだが、ぼかして言うくらいならいいだろう。
「……世界の真理ってやつをね」
 冗談めかした風に答える碧之。ストレィ・ショットがこの世界の人間ならば本気にはしないだろう。
 だけどしかし、碧之が言った瞬間、ストレィ・ショットの顔がみるみる怖くなっていった。そして、少女は何も言わずに馬から降りて、碧之の元へとやってきた。
「……ど、どうしたんだよ?」
 碧之は薄気味悪いものを感じた。もしかしてストレィ・ショットは自分と同じ、現実世界から来たプレイヤーなのだろうか? と、そう思った。
「も、もしかしてアンタ……」
 しかし、碧之が口を開いた瞬間。ストレィ・ショットの右手が碧之の目の前に飛んできて――そして碧之の記憶は途切れた。


inserted by FC2 system